第125話 血の呪縛

 






「……ここは?」


 ベルンハルトは意識が覚醒すると、すぐに飛び起きて周りを見渡す。身体の節々が悲鳴を上げているが、そんなものは無視した。


「ベルンハルト様、無理をなさらないでください」

「状況は?」

「意識を失ってから三日ほどです。つい半日前の夜中、フレドリック将軍が来て治療を施していきました」

「フレドリックが?何故だ。アイツは中部戦線を担当していたはず。いくら何でも、ケリがつくのが早すぎるぞ」

「それは……」


 兵士が少しだけ言い淀む。その様子に、何か良くないことが起きていると理解し、ベルンハルトは苛立ちを覚える。


「いいから話せ。命令だ」

「それは……」

「決闘に向かわれました」


 突然の言葉にベルンハルトがその声の主を見る。


「シュタイガー、いったい……」

「将軍は……決闘に向かわれたのです」


 シュタイガーはまっすぐ力強く言う。しかし、わずかばかり声が震えているのをベルンハルトは聞き逃さなかった。


 そしてそれで全てを察してしまった。


「何故だ?何故そんな馬鹿な事を……」

「将軍?」

「動ける奴を集めろ。戦闘準備だ。……シュタイガー、お前もありったけの兵を集めてくれ。中部なぞほっといてもいい」


 ベルンハルトは脇にある自らの剣をとる。手によく馴染む感覚が、自分を後押しした。


「英雄を討ち取り、戦争を終える」

「「はっ!」」


 兵達がそれぞれ動き出す。









 鮮血が吹き出していく。これは最早決闘などという綺麗な戦いではない。それぞれの運命を賭けた、獣同士の食らい合いだ。


 セザールは重い足を上げ、フレドリックに蹴りを入れる。フレドリックはよろめき、そのまま後ろに倒れた。


(なんだこれは……身体が重い……)


 得体の知れない倦怠感。身体の部位という部位が全くと言って良いほど機能しない。こんなに身体が重く感じたのは、まだ幼き頃にキツい訓練を父親に施されたときぐらいのものであった。


「流石に効いてきたか。本当ならもうとっくに死んでいるものを」

「何?」


 声のする方をみれば、青白い顔で笑う男がいる。どうやって立ち上がったというのか。どう見たって致死量の血が流れている。それなのにその男はまるで死ぬ素振りを見せない。


「くそっ!化け物め」


 セザールは一気に距離を詰め、剣を振り下ろす。既に秘術を使えるだけの力は残っていない。だが、鍛え抜かれた身体はそれだけでも武器であった。


 ブンッ、ブンッ。風を切る音がする。


「そんなんじゃ当たらんよ。英雄さん」


 フレドリックはフラフラとした足でその攻撃を避けていく。まるで宙に浮かぶ木の葉のように、セザールの攻撃をふらりふらりと躱していた。


 実際の所、セザールが焦っていなければ、簡単にその攻撃は当たっていただろう。既に死に体のフレドリックは、放っておけばその命の灯火を消してしまうのは明らかだった。


(だが、頭に血が上ってる。俺の煽りが上手く効いたみたいだな。……悪いな、こんな方法でしか対等にもっていけなくて)


 フレドリックは驚くほどに冷静だった。セザールの怒り、憎しみ、焦りが混じった必死の形相がよく見える。


 その表情は次の攻撃を教えてくれる。だからこそその霞んだ視界でも、攻撃を避けることが可能であった。


 ビタ、ビタ、ビタ。


 血がこぼれ落ち、徐々に視界が狭くなっていく。フレドリックはもうセザールの顔も碌に見えなくなっていた。


「はあ、はあ、はあ」


 セザールが肩で息をする。ここまで追い込まれた姿を王国軍の兵士は見たことなかっただろう。どうしていいか分からず、ただ黙ってその戦いを見守っていた。


 しかしそれは帝国軍も同じ事。まさしく死闘といえるその戦いに、目を奪われないものはまるでいなかった。


(人魚の姿と歌声に、ライン川の船乗りは魅入られるという。しかし今回魅入った相手はいい歳した男同士の戦いとはな)


 心の中で笑う。フレドリックはそんなことすら考える余裕があった。


 自分は確実に死ぬ。だからこそ神が与えた最後の猶予だったのかもしれない。フレドリックはそう思った。


(まあだからといって、神に感謝なんてしないけどな。もしいるのなら、こんな運命にはそもそもしないんだから)


 ザシュ。身体を剣がかすめる。


 かすめると言っても、英雄の剣だ。けっこう切られているのだろう。だがもうそんなことはどうでも良かった。既に痛みすらも感じない。


(まあ神も困るか。勝手に色々期待されちゃ)


 フレドリックなんとか目をこらして、セザールの表情を見る。そして最後のお返しとばかりに、力を振り絞り……



 口角を上げた。



(この男、笑って……)


「まあでも、一つだけ感謝はしてやるか」


 フレドリックは驚きで表情が固まった稀代の英雄を見ながら、ゆっくりと空を見上げていく。


 否、自らの身体が倒れたのだ。


「彼女と……息子に会わせてくれたんだからな」


 ドサッ。いくらか軽い音が響く。


 英雄は苦しそうに肩で息をしている。しばしの静寂。しかしすぐに大歓声がかき消した。


「うおーーーーー勝ったぞ!」

「王国万歳!セザール様万歳!」


 大歓声の中、セザールは幸せそうに倒れているその男を見る。今し方の戦いに頭が追いつかない。


 今は生きている。それだけで十分かもしれない。


「セザール様、早くこちらへ」

「素晴らしい戦いでした。早く治療しましょう」


 見ると帝国兵が呆然としている。しかし一部には怒りにまかせて反撃しようとするものも出るかもしれない。それを彼等は懸念しているのだ。


「クソッ!将軍!」

「将軍の仇だ!全軍突撃!」


 帝国の兵士達が走り始める。今襲われれば流石に命はない。セザールがそう思ったときであった。


 ドンッ


 迫撃砲が帝国軍の前に着弾する。その攻撃に帝国軍の足が止まった。


「帝国軍の全部隊に告げる。ベルンハルトの名において、一切の攻撃行動を禁止する」

「将軍だ!」

「ベルンハルト将軍が来たぞ」


 ベルンハルトが装甲車の上から、全軍に響き渡るように声を張る。そして同時に、王国にも聞こえるように語りかけた。


「王国軍に告げる。今回の戦い見事なり」


 ベルンハルトは再度大きく息を吸い、続ける。


「だからこそ、我が友の仇として、セザール・ランベールに決闘を申し込む」


 その声にどよめきが起きる。だがベルンハルトは無視した。


「傷が癒えるまで待つ。我が名は死闘将軍ベルンハルト。帝国の二大将軍にして、フレドリック将軍の友である」


 そうとだけ言うと、ベルンハルトは軍に撤退の指示を出す。両軍は少し警戒しながら、徐々に後退し、いつしかその姿は見えなくなった。


「……間に合ってよかった」


 もうこれ以上犠牲を出すこともない。死ぬ人間はあと一人でいいだろう。ベルンハルトは小さく呟いた。



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