第126話 繋がれた想い

 





 今になって全てが分かった。いや、今更になってというべきだろうか。


 ベルンハルトはその棺桶にそっと手を触れながら、自らの未熟さを噛みしめる。


 何故この男が、このようなことをしたのか今にしてみれば良く分かる。それは同時に自分がいかに理解できていなかったのかを認めることでもある。


 彼は先を、自分たちよりも遙か未来を見ていたのだ。


 戦争が英雄譚であれば、そこに憧れる人間が出るだろう。この先も同じように新たな火種を生む。


 戦争は地獄であり、悲劇である。その認識がなければ、そもそも争いのない世界など望むべくもない。彼はそれを理解していた。


「お前は……。英雄と奉られる自らをも葬ることで、先の世へと繋げようというのか」


 ベルンハルトは棺桶に問いかける。答えてくれないその無機質な箱は、最後に見た友の死に顔を思い出させる。血が抜けて青白くなったその顔は、どこかうれしそうな表情をしていた。


 責任から解放され、やっと彼女に会えると。


(俺はずっと思い違いをしていた。あいつは天才で、自分よりもずっとずっと強い男なのだと……)


 しかし実際はそんなことはなかった。最愛の妻一人失っただけで、心が脆くなるような男だったのだ。否、孤独の天才だからこそ、彼女が唯一無二だったのかもしれない。


 繊細で脆く、それでいて美しい。まるでガラス細工のような天才は、今その性質通り儚い命を砕いたのだ。


(だが、それでもアイツの命を繋いでいたのは、間違いなく彼なんだろうな)


 アルベルト・グライナー。彼の一人息子であり、彼がその希望を託した相手だ。


 フレドリックは何も、息子だから守りたいと考えていたわけでもない。かといって死にたがりだからという理由だけでもない。


 彼は見たのだ。息子が作る世界を。息子が仲間と作っていく未来を。彼が愛した人が描いたその世界が、二人の子供が作り出していく未来を。


 天才の頭脳には、そこまではっきりと思い描けていたのだ。


 だからこそ今彼はその命を燃やし尽くした。そしてここまで喜びに満ちた顔で世を去ったのだ。


「将軍、納得できません。何故敵に回復の猶予を渡すのです」


 自分が敵に決闘を告げたとき、シュタイガーは自分に質問してきた。確かに、あの場面でセザール・ランベールに攻撃を仕掛ければ確かに討ち取れていただろう。それに一気呵成に戦えば、この一連の戦争に終止符が打たれたかもしれない。


 自身も彼の姿を見るまではそう考えていた。


 だがそれでは意味がない。そのような結末は禍根を残す。恨みは戦いに正当性を与え、そして新しい戦争を生む。そしてそれは同時に相手に言い訳さえも与えてしまう。


「負けたのは向こうが汚かったからだ」

「正々堂々やれば此方が勝てた」

「相手は此方を恐れている」


 そしてそうした傲慢さは、必然的に戦いを生む。そしてまた、罪のない大多数の兵士達が命を散らしていく。そして散らした命が、新しい憎しみの種となるのだ。


 逃れられない憎しみの呪縛が、地獄を生み出し続けるのだ。


 だから私が葬らなければならない。


 英雄でない自分自身が、英雄であるセザール・ランベールを。


 ベルンハルトは強く拳を握りしめる。火傷で死に体だったとは思えないほどに、もう身体は完全に回復していた。


(あいつの治療様々だな)


 ベルンハルトはテントから出て、空を見上げる。帝国の夜空には満天の星空が広がっていた。










「ありがとう。もう大丈夫だ」


 セザールはそう言って王国の秘術士を下がらせる。三日三晩治癒の秘術をかけてもらったこともあり、既に身体は万全と言ってよかった。


(一応念のため明日は休養に充てるが、いつまでも待たせるわけにはいかない)


 既に王国軍は今日の段階で、二日後に決闘を行う旨を帝国側に伝えている。常人からすれば無謀な話だが、セザールからすれば休みすぎなくらいであった。


(しかし分からない。何故彼は此方の回復を待つと言ったのだ?)


 セザールにはその理由が分からない。いや、分かるものなどベルンハルト本人を除いて誰もいないであろう。


 フレドリック・グライナー。帝国の将軍であり、自分に唯一傷を付けた相手。おそらく彼だけが、自分に戦略的にも戦術的にも勝ちうる人材であったはずだ。現に此処までの戦いで、セザールが傷はおろか、手強いと感じたのも彼だけである。


 それに対し、侮るわけではないが、もう一人の将軍は一枚劣る。これまでの経験から言って、彼と戦って負けることはない。無論百回もやれば分からないが、一度きりの真剣勝負で負けはしない。


 そう言い切れるほどに、セザールとベルンハルトには明確な実力差があった。


(だが彼も帝国の武人。そして軍人だ。それぐらいの分別はもちあわせているはず。それとも二人揃って感傷に身をおかしくしてしまったのか?)


 最早そうとしか考えられない。セザールはそう感じた。


 既に王国は窮地だったのだ。勝てると思っていた戦いを二つも落とした。今日入った報告では中・南部の攻撃戦力がほとんど尽きたことが知らされている。兵力は多少残っているだろうが、肝心の渡河手段が欠けていた。


 つまり帝国はそのままいれば勝てるのだ。既に部隊は突出している。後は橋でも落として、此方を包囲すればいい。


(なのに……何故……)


 セザールは自らの大腿部を叩く。出立前、勝てると驕っていた自分を殴りつけてやりたいくらいであった。


 しかし少しして、あの青白い笑顔を思い出したとき、不意に力が抜けた。


(いや、詮無きことか。相手が上だった……)


 既に力は抜けていた。


 セザールは救護用に用意されたベッドに横たわる。明日は入念に準備をしよう。それが自分への救済であり、何より彼への返礼になるのだから。


 セザールはゆっくり目を閉じる。



 最後の戦いが、始まる。





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