第121話 凶報








 その川には人魚が住むと言われていた。


 その美しい歌声で、船に乗るものを惑わせ、沈めてしまうと。


 もっともその実は川底が所々浅いせいで船が座礁し転覆してしまうからなのだが、そういったおとぎ話も時には必要だろう。


 現実というものはいつだって、虚構よりも悲惨なのだから。










「報告!南部に配置したカサンドラ大佐の部隊は王国軍と戦闘。渡河を阻止したとのことです」

「了解した。おそらく長い戦いになるだろうから、根気よくやるように伝えてくれ」


 フレドリックは伝令にそう伝えると、自らのテントに戻り机に広げてある地図を見る。


(南部を守れたのは大きい。流石はカサンドラ大佐だ。あの人も変に意地を張らなければもっと出世は早かっただろうに)


 もっともあの意地っ張りで負けず嫌いなところを、フレドリックは好意的にも捉えていた。


 歳をとり牙が抜かれていく人間は多い。しかし彼はいまだに若い兵士達よりよっぽど好戦的で、何より挑戦的であった。


「フレドリック将軍、敵が三度目の渡河を開始しました。次は北側と南側に部隊を分けています」

「分かった。上流の南側に兵力を集中しろ。北側は最低限で良い。各個撃破する形で、部隊を破壊していく」

「了解しました!」


 兵力分散を自ら行ってくれるのは此方としてはありがたい。フレドリックはそう思いながら、岸の向こう側にいる敵司令官に思いを馳せる。おそらく彼、あるいは彼女は、かなり慎重な性格なのだろう。


 慎重が故に戦力を逐次投入する。分散はリスクの減少という意味では大体の場合に理に適っている。


 ただ一つ戦場を除いては。


(多数対少数、一方的な戦闘の時、勝者側に損害はほとんど出ない。つまりは被害をほとんど出さずに勝利することができる)


 慎重であること、それ自体は悪いことではない。時に臆病と罵られても、終わってみれば冷静な判断であることなどざらである。


 しかし『リスクを回避しよう』とする思考に完全に支配されたとき、それは問題となる。戦場では常に不確定要素を孕んでいる。敵の情報や戦局が常に分かっているわけでは無いのだ。


 そしてそうした中でリスク回避を極限にまで考えた結果、人間は『負けても自分のせいにならない』方向で思考を加速させる。究極の自己保身、そこまでいけば個人としての責は問われなくても、部隊全体で見れば敗北する。


(時に挑戦的な考えがリスクを回避している場合もある。これなんかがまさにその例だな)


 この戦いは大丈夫であろう。フレドリックは警戒心を少しだけ下げて、一時的に別の懸念事項へと頭を回す。その懸念は二つあった。


(アウレール大佐。彼はプライドの高い男だ。それに貴族出身だけあって権力もある。ここでガス抜きができれば良いが……)


 現在、アウレールはフレドリックと共にこの中部戦線で戦っている。敵が戦力を小出しにしてくれているお陰で、この戦いではそれなりに稼いではいるだろう。


 だが彼がそれに満足しているかは別だ。特に、上流貴族でもない自分の下で働くことに、彼がどう思うかはわからない。


(そしてもう一つ……)


 フレドリックは自分がいる場所よりもはるかに北、ベルンハルト将軍を配置した北部に印を付ける。


 既に帝国は敵の侵攻を阻止するために、幾つかの橋を破壊しているが、この北部にあるルーデドルフ橋は遙か昔に皇帝が建てたものであり破壊を許されなかった。


(だからこそ陸上戦力最強であるベルンハルトの黒騎士部隊を配置したが……)


 フレドリックはこれまでの中部での戦いを思い返す。曖昧な戦力投入に、中途半端な攻撃。少なくとも、英雄の行う指揮でないことは疑いようもない。


 英雄は北にいる。これは確定事項だった。


(南部から来る可能性は低いとは考えていた。山や森の多い南部では彼の馬鹿でかい秘術も効果が半減してしまうからな。一方で北部も平地こそあるがかなり遠回りだ。帝都侵攻が遅れてしまう。だからこそ彼等の部隊はこの中部から来る可能性が高いと考えていたが……)


 フレドリックは頭をかきながら、思い切りよく息をはく。こればかりは読めるものではない。いくら天才ともて囃されても、できないものはできないのだ。


「すぐに行くから、無理はするなよ。ベルンハルト」


 フレドリックは小さくそう呟いた。












「はあ、はあ、はあ」


 呼吸が荒い。これほどまでに泥まみれになって戦ったのはいつ以来だろうか。


 既に多くの兵を失っている。やはりあの威力の秘術は人知の及ぶ範囲を超えている。フレドリックに受けた傷も、とっくに回復してるようだ。


 ベルンハルトは乾いたように笑う。


「ベルンハルト将軍、こっちはまだまだいけますよ」


 部下の一人が王国の騎士を切りながら言う。馬鹿な連中だ。彼等だって『セザール・ランベールが来たならば無理はするな』というフレドリックの指示は知っている。だが撤退させるのにも足止めは必要だ。だからこそこんな自分についてきて戦っている。


「しかしあの穴を掘る作戦、始めに聞いたときは何だと思いましたが、案外悪くなかったですね」


 別の部下が言う。フレドリックは徹底的に守りを固める作戦を立案していた。それが此方に有利と知ってのことだろう。『防衛有利の原則』。今まで秘術によってあっさり攻略されてきたが故に、ついつい忘れていた原則だった。


「だが、何とか逃げ切れはしそうですね」


 また別の部下が言う。迷信かもしれないが、こういう言葉を言うときにはたいてい良くないことが起こる。


 ベルンハルトはそう思い注意しようとしたその時だった。


 かすかに目に映る閃光、そして震え出す空気。


 間違いない。あの技が来る。


「避けろ!」

「へっ?」


 瞬間、凄まじい轟音と光が襲ってくる。その衝撃波で、周りの部下達も吹き飛んでいた。


「いてて……。クソッ。こんな遠くまで撃ってくるのか……。っ!?将軍っ!」


 部下の一人が駆け寄ってベルンハルトを担ぐ。防具は砕け、全身が火傷していた。


 しかしかろうじて無事であった。おそらく魔術で防御したのだろう。魔術が即座に発動できるものでもないことから、気を抜いていなかったことがうかがえる。


「早く!将軍を運ぶぞ」


 黒騎士達が一斉に動き出す。


『この人を死なせてはならない』


 ただその一心で自らの身体に鞭を打ち、限界を超えて走り続けた。







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