第120話 血に染まる川

 




「ん?雨か?」


 一滴の雨粒が王国軍の指揮官の頬をぬらす。季節外れの雨だが、戦況に大きく影響するものではない。既に戦いは始まっており、両軍はその儚い命を燃やしている。


「うおおおおおお!!」

「やってみろ!王国風情が!」


 兵士達の雄叫びがこだまする中、その川を挟んで両軍は死に物狂いで戦っていた。


「放て!一隻でも多く王国の船を沈めるのだ!」

「報告!一部の王国軍がこちら側に渡っております。おそらく、船を壊された後に泳いで渡ったのかと」

「構うな!敵の船だけに攻撃を集中しろ」


 砲兵隊の中で指示が飛び交う。しかし大陸屈指の大河川であるライン川も川幅自体はそう遠い距離ではない。王国が数に任せて船を出せば、渡ることは十分可能であった。


「よし!渡りきったぞ!」


 王国の一部の船が帝国側の岸までたどり着く。そして瞬く間に騎士達が上陸していった。


「なんだこれは、針金の柵のようなものが張り巡らされている!」

「しかも棘まで付けていやがる。迂闊に進むな、傷を負う。それに衣服や鎧にも引っかかるぞ!」


 王国の兵士達がその張り巡らされた有刺鉄線を破壊していく。しかしそんなものを許す暇を与えるほど帝国も愚かでは無い。


「銃兵隊、構え!」

「っ!?まずいっ!」

「撃て!」


 帝国の銃撃が川を渡った兵士達を襲う。彼等が構えているのは、普段よりも一回り大きい銃であった。


『王国軍の秘術といえど、銃撃がまったく効かないわけじゃない。特に威力を上げた火砲であれば十分に効果は出る』。かつてフレドリック・グライナーはそう述べたことがある。


 それは銃というよりは、半ば簡易の砲台に近かっただろう。台座で固定し、普段使っているライフル用の弾よりもさらに一回り大きい弾丸を使用していた。取り回しが効きにくく、連射速度も遅い。


 しかし防御秘術さえも貫いてその命を奪うことが可能であった。


「ひるむな!王国軍の意地を見せろ!」

「ダメです!敵は新型の銃を使っている模様。此方の防御さえも貫通してきます」

「弱音を吐くな!近づいてしまえば此方のものだ!一気に近づき、秘術をお見舞いしてやる!」


 王国の騎士がそう言って突撃する。彼は戦士として、王国でも優秀であった。その秘術で鉄線を破壊し、道を作る。そしてあっという間にその斜面を駆け上がっていった。


「もらった!」


 もうあと十数歩で剣が届く。そこまで来たときに、不意に衝撃で足が止まった。


「……かはっ!」


 膝を折り、衝撃の原因を探る。みると自分の右脇腹部分の鎧が砕けていた。


 幸い弾は貫通していない。しかし帝国軍の数多の照準がその男を狙っていた。


「帝国軍ごときに……」


『突出するものから狙え。王国軍の兵士は個々人で戦闘力に大きく差があり、強力な兵士がいつも突破口を開いている』


 英雄には戦略で、強者には数で対応する。それがフレドリック・グライナーの考えである。大型の銃座、塹壕、地形利用……その全てが彼の思想、『英雄を殺す構想』へとつながっている。


 戦場に英雄はいらない。個ではなく数が、戦力の指標たるべきなのだ。彼はそう考えていた。


 複数の弾丸が、また一人戦士を屠っていった。












「カサンドラ大佐!敵兵力多数、押され始めています。こちら側に上陸する部隊も、徐々に増えています」

「第一ラインは?」

「既に破棄している模様。塹壕内で白兵戦をしている様子が見えます」

「第一ラインの塹壕と第二ラインの塹壕は一部でつながっている。おそらくはそこから奇襲をかけつつ敵を抑えているのだろう」


 カサンドラは双眼鏡を借り、遠くにある戦場を見る。見るとそこには塹壕を掘るにあたって使っていた、スコップを武器に戦っている兵士がいた。


(細い銃剣程度では、王国騎士に突き刺すことすらかなわないか。しかしスコップを研いで武器にするとはな)


 カサンドラは小さく笑うと、すぐに双眼鏡を部下に返す。彼等は彼等の戦い方があり、此方には此方の戦い方がある。今は誰もが死に物狂いで戦うときなのだ。


「しかし私に『雨乞い』なんぞをさせるとはな」


 カサンドラはそう呟くと呪文を詠唱し始める。


 雨が少しだけ強くなっていた。











「報告!既に複数部隊が渡河に成功!敵の穴ぐらにまで到達しています」

「よし!これで敵の攻撃も弱まる。一気に船を出せ!運べるだけの部隊を渡してしまう」


 王国の指揮官の言葉に、兵士達が動き出す。そもそも王国は内陸国だ。船などは専門外であり、そう多く所持しているわけではない。ならばこそ、長期戦に持ち込みたくは無かった。


「報告。雨が強まり、一部の船が流されているとのこと」

「まったくとんだ操舵士を雇ってしまったな」

「どうしますか?」

「構わん。渡ってしまえばどうとでもなる。なにより向こうに此方の拠点を造り出すことが優先だ」


 指揮官がそう言ったと同時に、王国の船が川を渡り始める。川を横断するためだけの船だ。それほど大型のものではない。


 しかしそれが問題であった。



「なんだ急に流れが……」

「まずい。流される……」


 川の流れが速くなる。それはわずかな変化ではあったが、徐々にだが確実に変わってきていた。


「どうした?様子がおかしいぞ」

「報告!上流での雨で、どうやら川の水量が増加している模様。船が流されています」

「流されているだけじゃない!どんどん転覆し始めているぞ」


 数が限られている小型の船に、物資と兵士をできるだけ積んでいる。もとよりその積載重量は大きかった。故に船がバランスを崩しやすいのも必然である。


 何より王国の兵士は内地育ちが多く、水に慣れていない。泳げないものも多く存在した。


「馬鹿な!この内陸の地で、この季節だ。雨など降るはずも無いし、降ったとしてもせいぜい小雨程度。それが何故このような……」


 そこで指揮官は川の上流、山地の方角を見る。そして部下の望遠鏡をとりあげ、その方角を観察した。


 そこにはフードをかぶる帝国軍がいる。魔術師部隊であった。


「こざかしい真似を……クソッ!なんとしてでも向こう岸に渡れ!そうすれば一気にあいつらの所まで行って、そのツケを払わせてやる」


 しかし怒鳴り散らす指揮官の言葉も、既に部下には届いていなかった。眼前では多くの船が途中で引き返すか転覆してしまっている。船同士もぶつかり、荷が流されていくことも多かった。


 もとより大して操船技術はないのだ。たかが川を渡るだけと考えていた王国の考えは、いとも簡単に打ち砕かれていく。


 後にしてみれば、王国はいくつか甘い見積もりをしていた。例えばライン川南部は山が近く、比較的勾配が急である。故に流れはそもそも北部の平地と比べて速かった。しかしそうした情報は作戦立案の際にはほとんど考慮されていない。


 加えて王国軍は渡河をそれほど得意としていないこと、それに魔術が如何様なものかわかっていなかったことなどもあった。しかしこうしたことも、碌に議論されることは無かった。


 魔術は秘術に比べて威力に劣るといわれている。しかし集団で考えてみたときにはその限りでも無い。特に十分な媒介物と時間があるときには、一時的に自然に働きかけることさえも可能なのだ。


 もっともそのようなことを王国は調べもしてはいない。『こうであったらいいな』。そういった考えで情報を恣意的に捉えているのである。


「クソッ!こっちはとっくに上陸したって言うのに……。後続はまだなのか!」


 上陸に成功した屈強な王国兵も、どこから襲ってくるかも分からない塹壕で戦うのは難しかった。帝国の兵士達は皆士気が高く、果敢に攻めては撤退していく。十分な治療と補給がなされているためである。


 補給が十分な帝国と、川を渡ってすらこない王国。両者の士気の格差は、時間を経るごとに拡大した。


 戦い開始から丸一日。帝国軍は王国の一度目の渡河を完全に阻止。塹壕の第一ラインまでも奪い返し、再び長期戦の構えを見せる。


 その後カサンドラ大佐を始めとする魔術師部隊も防衛ラインに合流。その後懸命に防衛ラインを保ち続けた。


 実質的に南部会戦は帝国の目論見通り長期化の様相を見せ、帝国の目的である戦線の維持は完全な形で達成されたのであった。








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