第119話 防衛の利






「知は力なり……」

「?何か言いましたか?将軍」


 シュタイガーがフレドリックに問いかける。しかしフレドリックはただぶつぶつと独り言を呟いていた。


 知とは考える力。そして知っていることである。情報と、それを処理する頭脳。それは一朝一夕で身につく物でも手に入るものでもなく、それは前もって地道に収集し、かつ鍛えておかなければならないものである。


「……先決は決勝になりてその意味をもつ」


 機先を制すればそれは即ち自らの勝利となる。無論、機先とは必ずしも先に攻撃をしかけることではない。先に動き、敵を待つ。あるいは敵を誘うことさえも視野に入れている。つまり相手よりも早く判断することだ。


「……行動は力を呼び、成果を生む」


 あとは実行だ。先に動き、それを実行すれば成果は自ずとついてまわる。そしてその迅速な判断のためには、事前に十分な準備が必要なのである。備えがあり、動く勇気があれば、それは即ち機先を制する事へとつながっていく。


「我がためでなく、誰がために」


 フレドリックは続ける。


「今この力を行使せん」


 フレドリックが何の気なしに呟いた言葉は、シュタイガーによって記録されることとなる。そしてシュタイガーが後に士官学校の教官となるにあたり、その言葉は基礎として新米兵士に叩き込まれていくことになった。


 もっとも本人は別の意味で、さらに言うのならば魔術の詠唱をとなえているだけなことなどシュタイガーは知らない。


 しかしこれは結果として、帝国軍の強化へとつながっていくのだった。












「敵軍、反撃苛烈!此方の渡河が防がれています」

「案ずるな。神官達が遠距離秘術で攻撃している。必ず攻勢も弱まるはずだ」


 指揮官はそう言って報告に来た部下を下がらせる。しかしいくら時を待っていてもその攻勢が弱まることは無かった。


「報告!第一渡河部隊、ほぼ壊滅しました」

「馬鹿な!神官共は何をやっているんだ!」


 部下の報告に指揮官は怒りを隠さず批判する。王国の部隊と神官の部隊は、大本を辿れば組織は違う。お互いに成果を奪い合う意味では必ずしも結託しきれているわけではなかった。


 するとそこに新たに報告がやってくる。


「報告。敵はどうやら穴のようなものを掘り、そこに隠れているようです」

「……穴?」


 指揮官は思いもよらない報告につい聞き返す。そして伝令からの報告書を受け取り、軽く目を通す。


「成る程。浅い知恵ではあるが、神官共のふぬけた攻撃は防げたという訳か」

「どうしますか?」

「どうせ当てになどしてはいない。どうせ通用するのも一度だけだ。……第二陣を出せ。次は先の三倍用意しろ。これで決める」

「はっ!」


 兵が指示を伝達するために走って行く。


 所詮はネズミの真似事だ。そのちっぽけな穴ごと吹き飛ばし、さっさと決めてしまおう。指揮官は既に勝利の光景を頭に描いていた。


 だがそれが間違いであった。戦いは既に、変革されていたのだ。フレドリック・グライナーという天才によって。


 ――『塹壕戦』。後に防衛が攻略よりもはるかに優位とされる戦術観を生み出す戦いであり、ある意味では近代戦の基礎に立ち返る戦いであった。










「カサンドラ大佐!敵は遠距離による支援攻撃はそのままに兵力を増強し再度進軍中。おそらくは防御を固め、渡河を強行する模様」

「ふん。普通に考えれば無茶極まりない戦い方だが、それが通用してしまうのが王国の『秘術』という力だ」


 カサンドラは皮肉めいたようにそう言いながら、次の指示を出す。もっとも、ここまではほぼ完璧にフレドリックの読み通りであった。


(まったくあの若造は……。ヘラヘラしているかと思ったら、時折とんでもなく化け物じみた才覚を見せる)


 フレドリックは既にここでの戦いを読み切っている。しかし『分かっている』と『できる』ことは違うのだ。その実行を完全なものにするために、彼はカサンドラを此処に配置し、魔術師部隊だけでなく一個師団全体の指揮を預けたのだ。


(ならば……、私は私の仕事をしよう)


 カサンドラはそれぞれの軍団長を呼び、彼等に指示を出す。


「砲兵隊は引き続き攻撃を加えてくれ。だが、無理はするな。相手の船を落とす事だけに注力すれば良い。渡河を終えた部隊は無視しろ」

「はっ!」

「銃兵隊は一定の攻撃を加えた後、第二ラインの塹壕まで下がれ。奴らを第一ラインの塹壕まで引き込んで良い。引き込んだ後は白兵戦だ。塹壕内を奴らの血で染めてやれ。誘い込むタイミングは任せる」

「はっ!」

「支援部隊は及び救護部隊はとにかく負傷兵を後退させてくれ。塹壕内は狭く兵をあまり多くは投入できない交代させるのは現場の兵達に任せ、全員後方で処置にだけ集中してくれ。……その代わり、戦闘部隊は自分で帰還することまで勘定に入れて戦闘を引き上げてくれ」

「「はっ!」」


 帝国軍の従来の精神であれば、命尽きるまで戦うのが筋であろう。だが、今現在自分たちが信じるのはそんなものではない。


 そんなものは帝国を勝利に導きはしない。これまでの戦いで、此処までの敗戦で兵士達は理解していた。そして何より、自分たちの命は大切なのだ。それは生物の本能であり、何事にも代えられぬ意志であった。


 誰一人邪な考えは捨てている。今この南部防衛ラインを任せられた兵士達にあるのは、純粋でまっすぐな生存への渇望であった。


 そしてそれは、カサンドラも同じであった。


「よし、あとは各々に任せよう。魔術部隊は私についてこい」

「はっ!……しかし、よろしいのですか?」

「何がだ?」

「いえ、その。彼等に任せてしまって」


 心配そうに部下の魔術師が聞く。カサンドラはそれを軽く鼻で笑うと、手をひらひらと振りながら答えた。


「グライナー将軍だって私に丸投げしているだろう?なら私がやっても問題あるまい」

「はあ……」

「それに、彼等もここまで生きてきた歴戦の猛者だ。専門分野は彼等を頼ろう」


「私たちも仕事がある」。そう続けてカサンドラは歩きだす。


 部下の魔術師はどこか合点がいかずそれを呆然とみていた。しかしすぐに我に返り、部下達に指示を出してカサンドラの後を追った。





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