第122話 巨大で矮小な悪

 






 ベルンハルト将軍の敗走の報告を受けたのは、中部戦線が一度落ち着きを見せた頃であった。当人は全身に火傷を負い、生死の境にいるという。


 フレドリックは報告を受けて尚、ただ静かに地図を広げながら、黙々と印を付けていた。周囲を囲む将官は、ただ黙ってフレドリックの様子を伺っていた。


「将軍、……私たちが行きます」


 沈黙の最中さなか、はじめに声を上げたのはシュタイガーであった。


 北部の王国軍は橋を渡り進軍している。念を入れて第二、第三の防衛ラインを用意はしているが、肝心の指揮官が不在だ。フレドリックはベルンハルトが指揮を執り、時間を稼ぐことを想定していた。その間に南部・中部で勝利し、戦力を結集して英雄退治に乗り出す気でいたのだ。


(無理はするなといったが、それを聞く男ではないか)


 フレドリックは地図から目を離し、シュタイガーを見る。彼は既に覚悟を決めた目をしていた。


 それもそのはずである。今あの英雄に戦いを挑めば、生きて帰ることなど到底不可能なのだから。


 シュタイガーが自ら行くと言ったのにも訳がある。現状、中部は優勢ではあるものの、まだ敵の軍勢は依然として残っている。もしここで、フレドリックがこの場を離れれば、味方が浮き足だって敵に攻撃の機会を与えるかもしれない。


(まさか敵の戦力逐次投入の愚が、こういった形できいてくるとはな)


 フレドリックは皮肉めいた笑みを浮かべる。失策だと思えた敵の戦略が、結果として今なお兵力を残し、フレドリックを牽制する形で向こう岸に存在させている。流石のフレドリックもここまでは読めていなかった。


「将軍、私が……」

「無理するなシュタイガー。君だってまだ死にたくはないだろう?」


 再度出撃を志願するシュタイガーをフレドリックがなだめる。シュタイガーは「そんなこと……」と続けようとするも、手で制止するフレドリックに言葉が出なかった。


「いずれにせよ君の出撃は認められない。今必要なのは、勝利を確実にすることだ」


 勝てる戦いに確実に勝ち、負ける戦いで被害を減らす。それは戦略的観点から見て重要なことだ。


 今ここで北部に兵を割いて、両方負けるようでは話にならない。中・南部で勝利し、兵力を結集して北部から来る王国軍と戦うべきだ。フレドリックはそう判断していた。


「しかし、そうなればベルンハルト将軍は……」


 シュタイガーが拳を握りしめながら言う。他の将官達も、辛い顔で俯いている。


 それがベルンハルトを見捨てるということだ。それを理解できていないものはこの場にはいなかった。


「軍人である以上、彼も覚悟の上だ」

「しかし……」


 フレドリックが突き放すように言う。誰しも理解はしているが、それでも納得はできていなかった。


(しかしあいつも随分と将兵に慕われているな)


 フレドリックは苦しい心境の中、それだけは救いであるように感じた。


 沈黙が続く中、一人の男が手を上げた。


「一つ、よろしいでしょうか?」


 それはこれまで妙に静かに、珍しく大人しくしていた男だった。


「許可する。アウレール大佐」


 フレドリックが発言を許す。アウレールは軍帽を一度かぶり直しながら一歩前に出る。脇にいたシュタイガーは、たまたま軍帽の裏のアウレールの顔が見えた。


 彼は笑っていた。


「一つだけ」


 アウレールが続ける。


「一つだけ、兵力を割かずに敵を足止めする方法があります」












「ふざけるなっ!」


 発言の途中、シュタイガーがアウレールの胸ぐらを掴む。アウレールは何一つ抵抗することなく、シュタイガーを見ていた。


「貴様!どの面を下げてそんな提案を……」

「シュタイガー中尉!」


 シュタイガーが振り向くと、フレドリックの拳が頬に入った。


 強烈な一撃にシュタイガーはよろめき、軍議用の簡易机を押しのけるように倒れ込んだ。


「上官に対し、無礼だぞ。……アウレール大佐、部下が申し訳ない。」

「いえ、今回は目をつぶります」


 アウレールは襟をただしながら優雅にそう答える。それはさながら旧き貴族といった振る舞いであり、それがシュタイガーを益々苛立たせた。


「将軍、私としても心苦しい提案ではあります。しかし私程度の力では、あの英雄を抑えることなどできないでしょう。それは他の将官とて同じ。兵力を束ねても同様でしょう。彼は一薙ぎで千の兵を吹き飛ばします」

「そうだな」

「しかし将軍なら違います。あの英雄にすら一撃を与えた将軍なら、可能性はあります」


 アウレールは流れるように言葉を紡いでいく。


「それに大局的に見れば、向こうは不利です。こちらが非情に徹し、中部・南部の両戦線で勝利すれば、敵は兵力の大半を失うことになります。兵がいなくては、たとえいくら英雄が強くともそもそも占領ができません。戦いは何も、勝つだけが全てではないのです」


 アウレールの言葉には筋が通っていた。戦争は勝つだけでは意味がない。敵の領地を占領し、そこを支配するだけの兵士が残されていなければならないのだ。


 向こうとしても、現在の状況は打破したい。それに王国が『この提案』を断るとは考えにくい。何せそれは、騎士の誉れにも関わることだ。


(提案自体は、まず間違いなく通るだろうな)


 フレドリックはそう判断する。


 英雄、セザール・ランベールはフレドリックの首は是が非でも欲しいだろう。他は理解できなくても、彼は自分を十分に警戒していることがこの行軍で理解できる。


 一番はじめにこちらではなく北部を選択したことがその証拠だ。王国軍でもっともフレドリックを警戒しているのは、間違いなく彼である。


「悪くない案だ。その案も含め、様々な可能性を検討してみる。諸君らは引き続き、防衛任務に当たってくれ」

「「はっ!」」

「それとシュタイガー中尉は罰として、一日縛っておけ。そうすれば頭も冷えるだろう」


 シュタイガーは黙って兵に連れられて出て行く。それがフレドリックの温情であることはシュタイガーにもよく分かっていた。


「それでは、解散」


 フレドリックの言葉に、将官達は持ち場へと戻っていく。


 その場にはフレドリックだけがただ一人残されていた。









 少し歩いた後、アウレールの元に部下が近づいてくる。そしてアウレールの少し後ろをぴったりとついて歩く。


「王国には?」

「既に書状を送ってあります。一日もあれば着くかと」

「味方の兵にも噂を流せ。できるだけセンセーショナルにな」

「了解」


 部下はすぐに離れ、駆け足で去っていく。アウレールは静かに笑っていた。


 既成事実を作ればいい。兵達の期待は膨らみ、それはやがて願望へとかわるだろう。そしてそれは彼を縛る鎖へと変わるのだ。


 アウレールは笑いを堪えながら歩を進める。



 ライン会戦、そして長きにわたる両国の戦いは、思わぬ形で終焉へと向かい始めていた。





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