第115話 想い、託して
「クソッ!クソッ!クソッ!」
男はただひたすらに壁をなぐりつける。殴る度に衝撃が、体全身に痛みとなって返ってきた。あの馬鹿でかい秘術ははるか後方にいた自分までも吹き飛ばし、肋骨を数本折っている。
「アウレール大佐、回復したばかりです。ご自愛ください」
「何がご自愛だ!それにその階級で呼ぶな!」
アウレールはそう言って部下の秘書官を殴りつける。秘書官は体制を崩し一度は膝をつくも、すぐに立ち上がり姿勢を正した。
「将軍だぞ!あの平民崩れがっ!それも二人だ!」
アウレールは怒鳴りつけるように叫ぶ。厳密に言えば二人は平民ではないが、帝国の最上級の階級にいるアウレールにとってはいずれにせよどうでも良かった。
「ふざけるな!こんな状態で、一体親族や周りの連中にどんな顔をすれば良い」
「しかしアウレール様も大佐に昇格されましたし……」
鈍い音。アウレールは倒れ込んだ秘書官を見下ろす。互いに息は荒れ、秘書官はわずかに血を流していた。
「もういい、下がれ!」
秘書官は頭を下げその場を後にする。
「このままでは……何とか……」
アウレールはただブツブツとつぶやく。ただ静かな部屋に、呪詛のようなその呟きが充満していた。
「セザール様、お怪我は?」
「大丈夫だ。もうかなり治っている」
セザールは包帯を巻いた脇腹を見せながら、部下に笑ってみせる。そんな様子をみて部下の兵士も肩に入った力が抜ける。
負傷したことで、セザールは大事を取って王都まで下がっていた。セザールが下がったことで王国軍は進軍を停止。一方で傷の大きい帝国軍も反撃まではしてこない。そんなこんなで一時的な停戦状態が生まれていた。
「しかし心配しました。セザール様が戦場で負傷したと聞いたときは、此方は心臓がとまりそうでした」
「はっはっは。すまん、すまん」
「笑い事じゃないですよ!」
セザールは大きな声で笑いながら謝る。そんな様子に部下はどこか呆れてさえいた。
「とにかく、もう変に油断はしないでくださいね」
部下はどこか安心したように言う。しかしその言葉に対してだけは、セザールの態度が違った。
「いや、油断などしていないよ」
「へっ?」
セザールの言葉に部下はつい言葉を失う。セザールはそんな彼の様子を見ながら、話を続ける。
「私は戦場で気など抜かない。抜けば死ぬと分かっているからな」
「では……」
「ああ」
セザールがはっきりとした口調で言う。
「私と同格、あるいはそれ以上の敵が向こうにいる」
セザールの言葉に、部下は再び言葉を失う。自分たちが頼みとしてきた英雄から出た言葉は、思いのほかずしりとした重みをもっていた。
「だが安心したまえ。この戦争は此方が勝つよ」
「え?……それはまた、どうして?」
「難しいことじゃない。私と彼、それ以外の戦力で考えれば良い」
セザールは子供に教えるように説明する。時に大人の方が、シンプルに物事を考えられず迷宮入りしてしまう。
「私の言う『彼』が如何に強かろうと、私が如何に強かろうと、戦いの結果を決めはしない」
「どういうことでしょうか?」
「戦いはもっと現実的で、尚且つ地味なところで結果が決まるのだ」
セザールはそう言ってにっこりと笑ってみせる。部下は要領を得ないまま、ただ少しだけ首をかしげていた。
「こんな所にいたのか」
帝都から少し離れた、帝国陸軍の演習場。そこにフレドリック・グライナーはいた。
「フレドリック、お前がこの場所に来るなんて珍しいな」
「まあそうだな。ここでのキツい訓練は、忘れたくても忘れられないからな。できれば近寄りたくはない」
ベルンハルトの言葉に、フレドリックは鼻で笑いながら答える。そしてしばらく二人でその場所を懐かしむように見つめていた。ここには苦しい思い出が多数残されている。地獄のようなしごきは今でも忘れられないし、思い出したくはない。
では何故、彼はこの場所に来たのか。ベルンハルトは考えないようにした。
「それで?」
ベルンハルトが尋ねる。
「今回はまたどうしたんだ?」
ベルンハルトの質問に、フレドリックはしばらく黙っている。ベルンハルトはそれをただじっと待っていた。
「君は……」
フレドリックがベルンハルトに尋ねる。
「君は、私のことをどう思う?」
ベルンハルトはその言葉に、一拍あける。そして彼に目線をあわせてから話し始めた。
「『天才』。その印象は会ったときから変わっていない」
それはベルンハルトの率直な意見であった。はじめてこの訓練場で、一士官候補生として出会ってから、彼に敵うと心から思えたことなど一度としてなかった。
「それは誉めすぎじゃないか?君の方が出世は早かった」
「戦場の差だ。功績を出しやすかった」
「またまた。謙遜して」
「茶化すなよ。お前が話したいのはその先だろう?」
ベルンハルトは「さっさと話せ」とフレドリックに促す。フレドリックはそんな自分をよく分かっている戦友の存在が、たまらなくうれしかった。
「だが、世界を変えるのはいつだって馬鹿と言われていた人間だ」
フレドリックの言葉に、ベルンハルトは目をつぶったまま耳を傾ける。フレドリックは静かに話を続けた。
「妻は常々、私には思いもよらない馬鹿なことを言っていた。『戦争のない世界』『人々が笑って暮らせる世界』と。私はそんなものは歴史上存在しないし、人間の本質上不可能だと伝えた。だが彼女が最期まで譲らなかった」
「…………」
「……そんな彼女が、私はたまらなく好きだった」
フレドリックの言葉が詰まり出す。ベルンハルトはただただ何も言わず、隣で訓練場を見つめていた。
「私は……一部からは、『天才』だなんて言われたりもした。だがそれは、所詮底が知れているということだ」
「………」
「皆が理解できる才能は、ある意味ではつまらないものだ。ましてや、そんな人間が世界を変えたりなどしない」
フレドリックはそこまで言うと、ベルンハルトの方に向き直る。ベルンハルトもそれを見て、彼の瞳をまっすぐ捉えた。
「……だが、俺の息子は違う」
「……っ!?」
「お前には、アイツが馬鹿になるのを助けてやってほしい。だが、一人ではダメだ。人は一人では何も成し得ない。皆を、世界を巻き込む程の大馬鹿にしてくれ」
「フレドリック……お前……」
これ以上言うのは野暮であろう。ベルンハルトはそこで口を紡ぐ。おそらく、この天才にはこの先の未来が、ほぼ確実且つ具体的な形で見えているのだろう。そして彼自身の行く末さえも。
ベルンハルトが大きく息を吸ってから答える。
「……正直、俺にはさっぱりだ」
ベルンハルトが言う。これは彼自身の偽らざる言葉であった。
「……だがその想い、しかと受け取った」
ベルンハルトがそう言うと、フレドリックは小さく笑う。ベルンハルトは、こみ上げる気持ちを、表に出すまいとなんとか押し殺していた。
訓練場に吹く風が、二つの影を優しく、そっと撫でていた。
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