第6話 報告:期待は願望であり呪いである
「はっ!てやっ!」
今日も夜遅くまで訓練場で声がする。また失敗した。そんな考えをなんとか払拭するかのように。彼女はいつまでも剣を振っている。
(団長殿もまあよく頑張るこって)
俺は今日も今日とて彼女の練習に付き添っている。付き添っているといっても別に練習相手になるわけじゃない。相手になるにはあまりにも実力が足りなすぎる。つまり俺のやっていることは彼女の脇でひたすら自分の訓練をしているだけだ。
(にしたって限度があるだろうに……)
上司と権力者には媚びを売る。それが俺が組織の中で学んできた処世術だ。それは彼女に対しても例外ではない。英雄の娘に媚びを売る理由など腐るほどある。
多少なりとも賢い人間はそんなものは時間の無駄だと言うだろう。それはある意味では正解だ。そんなに媚びている暇があれば、もっと違う生産的なことをすればいい。後方勤務時代、多くの人間が俺をそう言って馬鹿にしていた。
しかしそんなものは軍以外での話だ。軍での、とりわけ平和な状況下における軍事組織においてはその限りではない。戦争が起きなければ英雄は生まれない。戦功によって出世もできない。
では出世を決めるのは誰か。それこそお偉いさんである。
競争もなく腐りきった組織の中で生きていくには自らも泥をすすらなければならない。打算だけが全てであり、評価や戦功はどうにでも細工がきく。公正な評価など、この世に存在しないのである。
(しかしこれを毎日やっているのか……けっこうなこって)
最近さらに量が増えている気がする。その訓練量は真面目を通り越して狂気とも言えた。
俺は半ば呆れたように秘術書を読んでいく。ランプの明かりが絶妙に暗く、正直文字が読みにくい。まあ自分は秘術が得意ではないのでそもそも明るくても理解できないことの方が多いのだが。
「……ねえ」
「へっ?」
急に声をかけられ、情けない声を出してしまう。
「貴方……まだ帰らないの?」
「えっ、まあもう少ししたら帰ろうかと」
「また私を送るつもり?」
「まあ一応そのつもりですが?」
俺はとりあえず答える。本音を言うと上司より先に帰るべきではないという感覚で付き添っているのだが。だからこそできれば早く終わらして欲しい。そういう意味では我ながらうまい答えだった。
「随分と必死ね」
「へっ?」
また思いがけない言葉に情けない声を出してしまう。
「口説くにしたって、必死すぎるわ。流石にそれでは冷めてしまうわよ」
「……は?」
つい本音が出てしまった。こいつ、自分が好意をもたれていると思っているのか?いくら美人でも、それを言葉に出してしまったらダメだろう。英雄の娘ともなると女性としても傲慢になるのか。なんというかこう……貞淑に欠ける……気がする。
俺は心中でさんざんボロクソに言った後、咳払いをして返答する。
「そのような意図はございません。恐れ多いですから」
「え?では何故?」
「上官より先に帰るわけにはいかないと思ったまでです」
俺の言葉に、クローディーヌは目をパチクリさせている。俺は自分の感情と客観的事実は区別する。女性として問題があれどやはりその美貌は否定しようがなかった。
「ぷっ」
「え?」
「あはははははは」
急に笑い出した彼女に、俺はただ戸惑うしかなかった。
「ごめんなさい。どうやら本当にそうみたいね」
「はあ……」
「今まで私に近づいてきた人は、そういう人が多かったから」
「はあ」
俺はなんと言ったものかととりあえずの生返事をかえす。彼女は綺麗だし、英雄の娘という『箔』もある。普通の人間ならその肩書きに敬遠するところだ。だがそんな彼女をある種の勲章代わりにモノにしようとする男がいても不思議ではない。王国にはそんな馬鹿が比較的多い。
(本当にこの国は恋愛に対して節操のない連中が多いからな)
俺は胸中でそう考える。これは決してモテないことへの不満ではない。断じて違う。
「でもいずれにせよ必要ないわ」
「え?」
「私、もうすぐ団長を解雇されるもの」
突然の出来事に俺もつい目をパチクリさせてしまう。もっとも彼女とは違いこちらは間抜け顔だが。
「偵察隊の報告によれば、東側からの本格的侵攻があったみたい」
「東側……東和人か?」
「まあ大きい括りで言えばそうね。ただダヴァガル隊長の出身部族とは違うみたいだけど」
まあ東和人は俺たちが勝手にひっくるめて呼んでいる名称である。その中には様々な部族や国があるだろう。
「それで何故それが解雇に関係が?」
「私たちはそこの先発部隊として派遣されることになったわ。誉れある一番槍ね」
「名誉なことでは?」
「そうよ。でもそれが折られるようなことがあれば、責任は免れないわ」
「……成る程」
事情が見えてきた。おそらく、敵の先発隊はかなりの軍勢なのだろう。しかし王国も軍を用意するために時間がいる。そのための時間稼ぎの捨て駒として使われるのだ。
勝つことはありえない。死ねば名誉の戦死として戦意高揚に、生きて帰ってきても責任を追及できる。いずれにせよ排除には成功だ。彼女を慕い、尊敬する人間はまだ軍にもいる。そんな連中の精神的柱を完全に折ろうというのだ。
「でも安心して。いざとなれば私一人が命をかけてでも貴方たちは帰すわ。……それにそうすればお父様の名も、せめて汚さなくてすむ」
彼女は真面目そうな顔でそう言う。俺は呆れて言葉を失ってしまった。
(馬鹿だ。本当に救いようのない馬鹿だ)
彼女は本気で言っているだろう。最悪彼女自身が玉砕覚悟で突撃すればいいと。それで名誉が守られると。
救いようがない。俺はそう思った。死んで何になる。その先に何が残る。残るのは腐った組織と腐った連中。そしてそいつらに細工された評価の中で埋もれていく英雄達だ。
どうしてこうなったのか。英雄の娘という肩書きのせいか。それとも周りがもつ彼女への期待のせいか。呪いのような願望が、彼女を縛りきっている。『こうあるべき』という呪いに。
「だからもう帰っていいわよ。貴方が思うような見返りも価値も、既に私にはないから」
そう言ってクローディーヌが笑う。またあの憂いを帯びた笑顔だ。俺はさらに腹が立った。
「それでは……失礼します」
ここで帰るべきではない。冷静に考えればそうだ。だがこれ以上彼女の話を聞いていたらさらに腹をたてるだろうし、媚びるどころではなくなる。
俺は早足で兵舎へと戻っていった。後ろからの視線を感じながら。
そうして戦いの日がやってきた。
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