10

 そんなことがあり、話は先程に戻る。


「っていうか、これ、いつまでもつんだ?」


「さあ……?」


 今のところ、魔獣が再び向かってくる様子はない。見えない盾に驚いたのか、むこうも警戒しているのだ。


「なぁ、あいつが炎血豹?」


「たぶん、そう」


「たぶん?」


「わたしが見たことあるのより、かなり大きい」


「おい、それ、もしかして……」


 フェネリタは、小さく頷いた。


「それより、手、平気?」


 ピテルの指から血がぽたぽた落ちているのを見て、フェネリタが問うた。

 外からは確認できないが、フードの中で彼女は自分が痛いような顔をしていた。責任を感じているのだ。


「あー……うん、大丈夫。ちょっと深く切りすぎた」


 ピテルは石を使うために、採取用のナイフで指先を切ったのだ。ただ、焦って思いきりやってしまったらしく、見た目はかなり痛々しい。


「あ! もしかして、まずいかな? 血で魔獣とか寄ってくる?」


「それは、おそらく大丈夫。今は炎血豹がいるから――」


“弱い生き物は、寄ってこられない”と続けようとして、フェネリタは急いで口を閉じた。


「これから、どうしよう。悪いけど、わたしじゃあれは倒せない。盾も、いつ消えるか……エルさんは来てくれるの? だったらエルさんが来るまで、どうにかしないと。でもそんなにすぐには無理よね。どのくらいで来てくれるか……」


 始めはピテルに言っていたフェネリタだが、最後の方はもう独り言のようだった。

 少年が戦うすべを持っていないのは知っているし、自分がどうにかしなければならない。フェネリタは、戦うことから離れていたせいか、どうしたら良いのか冷静に判断が出来なくなっていた。


「フェネリタさん。たぶん、大丈夫だ。エルは“少しの間”とか言ってたけど、まだ消えてないってことは“かなり長い少しの間”なんだろうし、それに――もう、来ると思うぞ」


「おい、無事か?」


「――ほら、な?」


 後ろから聞こえてきた声にフェネリタが振り返ると、そこにはエルが立っていた。


「エル、さん」


「おう。無事か?」


「は、はい」


「じゃ、ちょっとこれでピテルの手当てしてやってくれるか? 渡しときゃよかったな」


 呆然としていたフェネリタに向かって、エルは包帯と薬の入った瓶を投げた。

 それではっとしたのか、フェネリタはうまくキャッチすると、わたわたしながらもピテルの方へ向かった。


「おい、ピテル。血はちょっとで良いって言ったろ? 派手に切り過ぎだ、馬鹿者」


「なっ! 仕方ねえだろ! 焦ったんだよ! 痛い思いしてんのに、そんなこと言うか? 普通!」


 フェネリタに治療されながら、ピテルが言い返す。薬がしみるのか、時折顔を顰めていた。


「まあ、そうだな――よくやった。悪かったな、怪我させちまって」


「あ……いや、別に……」


「ちょっと待ってろ。すぐだから。終わらせて、帰るぞ」


「う、うん」


 エルファヌは、未だあり続ける盾のすぐ後ろに立った。


「やっぱりこいつが、プラス4みてえだな」


 そして、左手を真上に上げ唱える。


「《水の子らよ 我が力を吸い、集え 鋭く尖り冷気を纏いて、彼のものを打ち滅ぼす、その力を示さんことを求む 凍て突き刺され 氷結矢》!」


 次の瞬間、エルファヌが腕を振り下ろすのと同時に、大きな氷の矢が炎血豹に突き刺さった。


「グルオォォォ!」


 炎血豹は苦し気な顔でエルを睨み、血をまき散らす。しかしその血は、燃えた瞬間に氷に包み込まれ、消えていった。


「グルゥ……」


 しばらくすると、炎血豹はずしんとその体を地面に横たえた。


「ま、魔導士……」


 ピテルの治療を終えていたフェネリタが、驚愕しているような恐れているような声でこぼした。

 それに対し、エルファヌはこう応えた。――いや、魔法薬屋だ、と。



 その後3人は、さっさと後片付けをし、馬車まで戻ることにした。

 幸い、ある程度採取も終わっていたし、死骸は適当に袋に詰めて収納するだけで、大した時間はかからなかった。


「あの……ごめんなさい。ピテルに怪我させて。それと、リーズイ草も言われただけの量は集まってない」


 フェネリタは、おずおずと魔獣を収納し終わったエルに近づき、そう言った。


「いや、草なんていい。まあ、なんつーか……2人とも無事でよかったよ」


 エルは、バツが悪そうに頭の後ろをがりがり掻いた。


「とりあえず、帰るぞ。ピテル、今日はわがまま言うなよ」


「え? どういうことだ?」


「フェネリタ、高いところは苦手か?」


「いいえ……?」


「じゃ、じっとしてろよ。《ディ・ラゥヒ》」


 そう口にすると、エルファヌは2人を手早く抱え、地面を蹴った。


「うわああああ!」


 反射的にピテルが叫ぶが、エルの小さな舌打ちを聞きつけると、慌てて口を押えた。

 フェネリタはというと、何が起きているのか理解できていないらしく、フードの中で目を見開いていた。


 楽しい空の旅はあっという間に終わり、馬車の近くへと降り立つ。

 その際、ピテルは足が震え、立てずにべしゃりと潰れた。


「い、言えよ、飛ぶって。せめて、言えって」


 息も絶え絶えに言うピテル。


「言ったら、嫌がるだろ、お前。それに見てみろよ。フェネリタなんて全然大丈夫そうじゃねえか」


「いえ、驚いたけど……」


 フェネリタが言った。確かに、驚いているのだろう。普段かなり深く被っているフードが、少し覗けば顔が見えそうなくらいまでずれていた。呆然として、直す余裕がないらしい。


「エルさん。あなた、何者?」


「だから、魔法薬屋だって。もしくは、元時遣者」


「そうじゃなくて……あなた、どこで魔法を? 空を飛んだ時の呪文、きいたことない。それに、魔調道具もなしに自力の転移なんて――」


「聞き間違いじゃねえか? 俺のは、アジェラ式だ。うちの国じゃ、よく居るだろ? あとは、ほらノリだよ、ノリ。火事場の馬鹿力的な」


「……そう、分かった。助けてもらったわけだし、あなたの不利益になるなら、もういい」


 納得していなさそうだったが、フェネリタはそれ以上何か言うことはなかった。


「あー、まあ、そうだな。別に絶対隠したいわけじゃねえけど、あんまり言いふらさないで貰えると助かるよ。めんどくせえの嫌なんだわ」


 フェネリタは、しっかり頷いた。


「それじゃ、帰るか。あ、報告書あるか? サインするぞ。任目自体は、きちんと果たされてる。気にするな」


 エルファヌは、フェネリタが反論しようとした気配を感じて、彼女が言いそうなことを先に封じた。

 フェネリタは申し訳なさそうにしながらも、従うことにしたようだ。マントの内側にかけていた鞄から1枚の紙を出し、エルに差し出した。


「ありがとう。もし何かあれば、声をかけて。薬の材料も、ある程度集められると思うから」


「分かった。こっちこそ、世話になったな。あと――」


 エルファヌは、フェネリタの耳元に顔を近づけた。そして、ピテルに聞こえないようにこう囁いた。


「もし、その顔の傷どうにかしたかったら、訪ねてこい。完全には無理だろうが、多少は薄くしてやれるぞ」


 フェネリタは、急いでエルから離れた。


「なっ……!」


「わりいな。わざとじゃねえんだ。さっき、たまたま見えちまった。でもま、せっかく可愛い顔してんだから、見せないと勿体ないぞ」


 しばし間があった後、フェネリタは微かに頷いたように見えた。

 フードに隠れた顔は、赤く染まっていた。


「よし、今度こそ帰るぞ。フェネリタは、送っていくか?」


「いいえ。大丈夫」


「そうか、なら気を付けていけ」


 フェネリタは頷き、そして手首から外した石を差し出す。


「エルさん、これ。ありがとう」


「あぁ、やるよ、それ」


「こ、こんな高価なもの、貰えない!」


「元値はそんなかかってねえから。はは、じゃあ口止め料だ。俺が今日やったこと、それとその石作ったこと、黙っとけ」


「聞き間違えじゃなかったの……!」


 炎血豹に襲われる前、確かにピテルが1度口にしていた。しかし、まさかという気持ちもあり、今まで忘れていたのに――わざわざ隠したがっているらしい本人が暴露するという謎の事態に陥っていた。


「エル……」


 いつの間にか復活し、横に来ていたピテルが、呆れた声を出した。


「良いじゃねえか。それでももし気に病むって言うなら、薬でも買いに来てくれよ」


 その言葉に、フェネリタはしっかり頷いた。最早ここで言い争っても、受け取って貰えないと理解したのもある。


「お金をためて、必ず行く」


「ははっ! 友情価格にしとくから、そこそこで来い」


 エルファヌは、フードの上からフェネリタの頭をぐりぐり撫でた。



 その後、フェネリタと別れた2人は、朝と同じく馬車に揺られていた。


「なあ、エル」


「あん?」


「その……ありがとな、すぐ来てくれて」


 ピテルは恥ずかしそうに顔を伏せながら言った。


「おう」


 雇い主は手を後ろに伸ばし、少年の頭を乱暴に撫でた。


「ちょ、やめろよ!」


「はいはい。おい、ピテル。そろそろ転移すんぞ」


「わ、分かった。でも、エル。転移、バレていいのか? さっき、なんか隠したいみたいだったじゃん」


 これまでピテルは魔法のことも良く分からず、エルの行動にあまり疑問を持ってこなかった。しかし、フェネリタとのやり取りを見てしまった今は違う。軍の専門学校に居たり、魔窟探索者だったりした彼女が“自力の転移なんて”と言っていたのを、確かに聞いてしまっているのだ。自分が考える“国に仕えられない程度の魔導士”という前提に違和感を覚えるのは当然だった。


「こっそり帰りゃ、バレねえだろ」


「馬車とか、報告とかはどうすんのさ」


「あーそうだな。そしたら、一旦街に飛んでお前を降ろして、俺はそこから森まで馬車と転移する。馬の世話も、1日くらいなら出来んだろ。報告は明日だ」


「分かった。エルがそれで良いなら」


 やはり“バレても大丈夫”とは言わなかったことが少し気になるピテルだったが、自分が考えても仕方ないとも思っていた。


「おう、良いぞ。そうだ、明日は前に行った飯屋で待ち合わせしよう。食わせてやるから腹空かせて来い」


 恐らくそれは、怪我をさせてしまったピテルに対しての気遣いだった。


「あと、これやる。傷が痛んだら、塗れ。痛まなくても塗れ」


「どういうことだよ、それ!」


 瓶に入った薬を渡したエルファヌは、もう1度ピテルを乱暴に撫でまわした後、予定通り転移した。

 ピテルには分からないことではあったが、どこにも余計に飛ばされず、一発で目的地へ着けたことに、エルファヌは上機嫌だった。



 次の日、報告は滞りなく終わった。

 また心配されたピテルの手の傷も、刃物で綺麗に切ったせいかエルの薬がよく効いたせいか、もうほとんど治っていた。

 予定通りいかなかったことと言えば、待ち合わせた飯屋にエルファヌがなかなか来なかったことくらいだろうか。

 それと、もうひとつ。“上位体ではなかった”炎血豹も含めて、全ての死骸の提出を求められたのは、あまりないことではあった。


 とはいえ、約束通りの報酬銀貨8枚を貰い、任目は終了した。

 後日、提出した死骸をそのまま買い取らせてほしいと連絡がきて、追加料金が支払われたが、それだけだ。


 組合でどんな話がされていたか、特に聞くこともなく、エルファヌは魔法薬屋の通常業務に戻った。

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魔法薬屋と使い走り 或いは ドS魔導士と下僕 白井游月 @YugetsuShirai

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