9

「あの人、魔法薬屋なの?」


 フェネリタがふと尋ねた。


「え、エルの事?」


「ええ」


「うん、そう。本業はそっちだって言い張ってるな。でも、薬作ってるところとか見たことないから、あんまりおれも良く分かんないや」


「そう……赤札持ちなら、それだけでもそこそこ稼げるはずなのに」


「ディムタに来るまでは、時遣者としてやってたらしいぞ。今は任目は全然受けてなくて、今回は頼まれたから受けたって感じみたい。あ、フェネリタさんも、最近リソに住み始めたんだってな? それまでは何してたんだ? あ、軍に居たんだっけ」


「いいえ。出身といっても、専門学校に居ただけ。時遣者の前は、探魔者をやっていた」


「探魔者! すっげ――あ、ごめん」


 思わず大声を出したピテルは、フェネリタにじろりと睨まれた。正確には、フードで隠れていて顔は見えないのだが、睨まれたと分かる鋭い気配を感じた。


 フェネリタは、謝罪に対し無言で頷いた。


「探魔者って、実際どんな感じなんだ? どんなことするんだ!?」


 興味津々といった様子のピテルだが、もう睨まれたくはないと、小声で喋るよう気を付けていた。


「……わたしは、怪我してすぐ辞めたから。それより、組合のディムタ支部長に聞いたら?」


「えっ?」


「彼も、探魔者だった」


「そうなのか! え、じゃあ元から知り合いだったのか?」


「名前を知っている程度。探魔者から支部長になったってことで、ある意味有名なの」


「へえ……。あ、だからフェネリタさんはリソに来たのか? でもだったらディムタに来るか」


「そう。どこでも良かったから、たまたま知った名前が居る方角を目指したってだけだけど。ディムタは、少しうるさくて」


 ディムタもリソも田舎町ではあるが、ディムタがそこそこ栄えているのに対し、リソは自然と生きる静かな場所だった。


「なるほど」


 それから2人は、ピテルが何かと話しかけ、フェネリタがぽつりぽつり応えながら、林の中を進んで行った。

 フェネリタは自分から話す方ではないし、口数も多くはないが、それでも聞けば答えてくれた。ずっと街で生きてきたピテルにとって、外で出会う人は少ない。怖い人でなくて本当に良かったという気持ちだった。



 一方その頃のエルファヌはというと、早々に1体目の目標を見つけていた。


「あいつか……思ったより小せえな」


 木の陰に隠れて観察するが、どうやらまだ炎血豹がエルファヌに気づいた様子はない。


 炎血豹は通常、魔獣ではない普通の“豹”と同じくらいの大きさだ。しかし、ここにいるのは、思ったより小さいという言葉の通り、まだ成体になっていないのではというくらいの大きさしかなかった。

 2体確認されているうち、どちらの個体かはまだ分からないが、上位体であることは間違いない。小さいからといって弱いわけではないのだろう。


「斬ってみた方が良いのか? ――いや、どうせ後で分かることか」


 討伐の証明として、首を持ち帰ることになっている。わざわざ斬りかかって強さを確かめなくても、倒してからどのくらいの魔力を持っていたか量れば、どちらがプラス2の個体か、ほぼ確実に特定出来るのだ。

 というのも、今までの研究から“プラスがいくつか”という基準になる魔力量が分かっていた。

 実際に討伐するまでは、戦った時の感触や情報から、上位体のプラスは決められるわけだが、それも魔力量から割り出したプラスの値と、大きく変わることはほぼない。何故なら“より多くの魔力を持つ”魔獣が、より強いことが判明しているからだ。


「上位体だと、宝魔晶も期待できるな」


 エルファヌは、にやりと口の端を上げた。


 とはいえ、少しばかり嫌な予感もしている。林によくいる小動物の姿が、極端に少ないのだ。

 ピテルの言う“言霊”なんてものが当たらなきゃいいが――エルファヌは、とにかくさっさと片付けようと、自分の中での最適解で倒すことを決めた。


「《ディ・ラゥヒ》」


 エルファヌが呟いた次の瞬間、炎血豹の首が氷の刃によって落とされた。

 声も出せず、自らの首が落ちた音で死を知ったのだろうか。魔獣の顔は、驚愕しているように見えた。


 少しの間、近づいてくるものが何もないことを確認し、エルファヌは炎血豹に近づいた。そして、膝をつき死骸を確認する。


「こいつはプラス2だろうな。……わりいな。何が起きたか分かんなかったろう」


 エルファヌは右手の人差し指の指輪に触れ、革袋を取り出した。

 かなり大きいそれに、炎血豹の首も体もまとめて入れると、また指輪を近づけ収納した。


 ちなみに、炎血豹の燃える血だが、死んだ瞬間から燃えなくなる。いや、正確には“死んだ一瞬後”だろうか。

 どんなに鋭利な刃物で致命傷を与えようと、死に至る瞬間には血が出てしまう。そうなるとその時の血は燃え、下手をすると周りにも広がる。そのため、エルがピテルに説明したように、切ったら水をぶっかけるもしくは、燃えない方法で倒すことが必要だ。

 今回は“氷の刃”で首を切り落としたため、燃え上がることもなく一瞬で終わったのだった。


「さて、あと1体――っ!?」


 何かが向かってくる足音が聞こえたエルファヌは、左手小指の指輪に触れ、そこから取り出した細身の剣を振り向きざまに振った。


「ギャンッ!?」


 ガキンッという固いもの同士がぶつかった音がした直後、獣の声がした。

 体勢を整えたエルファヌが、距離を取りながら確認すると、どうやら炎血豹のようだった。先ほどの音は、噛みつこうとしていた歯とぶつかった際に生じたものらしい。

 そして、口の端が切れたのか、そこから小さな火が上がっていた。当然、斬りつけたエルファヌの剣の先も、ほんの少しだが燃えている。


「ちっ」


 エルファヌは、血を払うように剣を振った。ついた血がごく少量だったためか、それだけで消すことが出来た。


「こいつがプラス4か? いや、それにしては――くっ」


 向かってきていた炎血豹の腹を、思いきり蹴り上げる。いちいち燃えられては面倒だった。


「グルルゥゥ……」


「何かおかしいが、まあいい。倒してから考えよう」


 炎血豹は、唸りながら走り出した。


「《ニージェ》」


 牙が剣とぶつかり、切れたところから再び炎が上がる。


「《ユィラ=ネ=ジーロ》!」


 エルファヌが唱えた瞬間、鋭い氷の矢が炎血豹に突き刺さった。


「ガッ……」


 炎血豹は、ととっと2歩ほど進んだ後、ぱたりと倒れて動かなくなった。

 エルファヌはそれを見届けてから、剣を振って燃える血を払った。死骸の方は、既に氷の矢により消火されているようだ。


「んー? やっぱりこいつ、プラス4じゃなさそうだな。ということは、最低もう1体いるってことか……。まずいな、群れか?」


 エルファヌは、急いで倒した魔獣をしまった。


「あいつら、大丈夫か? 合流した方が良いかもしれねえな――」


 その時、左耳のピアスから、エルファヌにだけ聞こえる高い音が鳴った。


「っておい、今かよ! さっきと同じ展開じゃねえか、くそったれ!」


 それは、ピテルに渡しておいた石が使われたという知らせだった。


「あぁ、もう、仕方ねえ。聞いてんだろ? 緊急事態だからな、一発で飛ばしてくれよ! 《ディ・ラゥヒ》!」



 そして舞台は、ピテルとフェネリタのいる場所へと移る。


「あ……ありがとう、ピテル。助かった」


「いや……たぶん、すごく、たまたまだぞ……もう2度と同じことは出来る気がしねえ」


 2人は今、エルファヌの石から出た透明な盾を挟み、大きな炎血豹と対峙していた。


 何故こうなったかというと、話は少しだけ遡る。

 無事に炎血豹が目撃された場所から離れた群生地にたどり着いた2人は、採取を始めていた。


「うわ、これほんとに見分けつかねえな……」


「なるべく踏まないで。傷む」


「わ、分かった!」


 聞いていた通り、採取はかなり大変だった。


「こりゃ、確かにエルは来たがらねえわけだ」


「そう? 魔法薬屋なら、細かい作業は得意なはずだけど」


「得意かもしんねえけど、すっごいめんどくさがりだからな! やらずに済むところはやりたくないんだと思う」


 フェネリタは、なるほどと頷いた。


「そういえばフェネリタさんは、戦闘とか討伐とか、そっちの任目はやらないのか? 専門行ってたなら、なんで採取関係? あっいや、別に採取馬鹿にしてるわけじゃねえけど!」


「わたしは……地味な作業の方が合ってた。あんまり強くなかったし」


「そう、なんだ」


「エルさんはすごい。手に職もあって、時遣者としても札持ちなんて」


「うーん。確かに、そう聞くとそんな気が……?」


「これも、わざわざ買ってくれたんでしょ?」


 フェネリタはそう言って、手首をくいと持ち上げた。そこには、エルから渡された石がある。


「いや、それは買ってくれたっていうより、作ったって言ってたような……」


「は?」


「ギャオォォォォォォ」


 話を遮るように、声がした。


「っまさか! ピテル、逃げ――」


 ドン! と鈍い音がした。

 向かってくる魔獣を見て、逃げられないと思ったピテルが、咄嗟に盾を発生させたのだ。

 ピテルの方を見ていたフェネリタが振り返ると、恐ろしい顔をした炎血豹が、盾を挟んで2人を睨みつけていた。

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