第9話 2025年11月

 勇は同年代の人たちとババ抜きで遊んでいた。老人ホームはガヤガヤしている。小寺よしおって勇より若い老人が圧勝した。ババを抜いたのは勇だった。大首はさほど強くなかった。俺が斬ることでまたたくさんの人を不幸にするんじゃないか?と、思いはあったが孫をムザムザ死なせるわけにはいかなかった。

 和樹は無傷だった。大首の亡骸にすがりついて泣いていた。

『おまえを殺そうとしていたんだぞ?』

『でも、可愛そうだよ』

 日本はいつから平和ボケしてしまったんだ?まぁ、戦争も知らないから仕方ないのかも知れないが。

 11月になり妖怪たちは姿を見せなくなった。

『オリンポス』の効き目は抜群で、最近は走っても息切れしなくなった。

 遊戯室の窓からは黄昏の町並みが見渡せた。

 車が止まる音がした。

「2階から兵隊さんがやって来る」

 車椅子に座った石野裕貴いしのひろきってじーさんが言った。105歳だという彼は太平洋戦争経験者だ。

 太平洋戦争は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国を中心とする枢軸国と、連合国(イギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダ、中華民国など)との太平洋を中心とした地域における戦争に対する、連合国側からの呼称である。大日本帝国においては1941年(昭和16年)12月12日、東条内閣が閣議で大東亜戦争と呼ぶことに決定し、当時続いていた支那事変(日中戦争)も含めるとされた。

 予想外の総力戦となった日中戦争は泥沼化し、解決のめどが立たなくなっていた。そのため日本は南進を行い、中国国民党への物資の補給路を断ち、石油などの戦略物資を入手することで日中戦争の解決を図った。ヴィシーフランスから許可を貰って進駐したものの南進が欧米の反発を買うことは必至であったが、欧州諸国はナチス・ドイツの台頭と1939年9月に始まった第二次世界大戦により東アジアに関与する余裕が乏しくなっており、アメリカへの対策が問題となった。日本は日独伊三国同盟や日ソ中立条約によりアメリカを牽制しようとしたが、アメリカはこれに強く反発して南進を認めなかった。他にABCD包囲網を展開し日本を牽制すると共に全面的に禁輸を行い日本を追い詰めた。日本は日米交渉にて甲案と乙案を提示したがアメリカはこれを飲まず代わりにハルノートを提示した。これは日本に到底飲める物では無く日米開戦に至った。


『昭和天皇独白録』では、人種的差別撤廃提案が否決された際、反対に回った植民地大国(イギリスやフランス)への反感が強まったことが遠因としている。


 坂田茂三郎さかたしげさぶろうって老人は驚いている。

「認知症の症状だろうよ」 

 勇は坂田に言った。

「戦争は怖かったな」

「そうだな。坂田さん、あなたともそろそろお別れだな?」

「あまり具合よくないのか?」

「最近の薬はすごいな?腕立て伏せや腹筋もまた出来るようになった」

「退院されるの?いいなぁ、こんなところ出たいよ」

 歌の時間はみんなで童謡とかを歌った。

「秋の夕日に〜照山もみ〜じ♪」

 

 退院して自宅に戻って来た。香美と彼の夫、横堀明人よこぼりあきとが出迎えてくれて赤飯を食べた。明人は市役所に勤務している。

「和樹は元気でやっているのか?」

 夕食を終えて、歯間ブラシで歯の掃除をした。

「島根に出張してる」

 和樹は派遣社員で自動車工場で働いてる。本当は遅刻が多くて左遷させれたのだ。

 

『アポロン自動車』の出雲工場は社食がクソまずい。今日は夜勤で、コンビニでおにぎりをたくさん買った。お茶は会社なら無料で飲めるから買わない。

 和樹は久里子を恨んだ。彼女はエクスカリバーを渡す条件で結婚を迫った。じーさんは老い先短いから渡すと思っていたが、『妖怪退治なんて苦しいだけだするもんじゃない』と渡してくれなかった。

 久里子はエクスカリバーなら高値で売れると思っていたようだ。

 出雲平野を中心として、北部は出雲神話でも知られる島根半島と日本海、南部は中国山地に接する。市の東部には斐伊川が流れ、宍道湖に注いでおり海、山、川、湖、平野、峡谷、温泉と多彩な地勢を有する。

 肥沃な出雲平野を背景として古代から発展し、豊富な神話、遺跡や大量の出土品、古墳の種類の豊富さ等から、この地域に古くから栄えた大きな勢力があったことは確実視されている。特に弥生時代以降は荒神谷遺跡といった遺跡や、西谷墳墓群などの大型の四隅突出型墳丘墓を造る大きな勢力が存在した。6世紀後半には今市大念寺古墳や上塩冶築山古墳など、県内でも最大規模の古墳が多く造られた。


 また、記紀神話においては出雲が舞台とされ、出雲大社や須佐神社の創建が語られるなど朝廷から重視された地域でもあった。


 鎌倉幕府御家人、佐々木義清が、承久3年(1221年)承久の乱の功により、出雲・隠岐の二国を賜わり出雲に下向し出雲源氏の祖となった。


 この嫡流は、出雲国神門郡塩冶郷を本貫(出雲源氏発祥の地)として塩冶氏を名乗り出雲国守護を世襲したが、南北朝時代の守護・塩冶高貞(塩冶判官)は室町幕府執事高師直によって滅ぼされた。その後、塩冶氏の傍流は山名氏に属して但馬国へ遷った。


 江戸時代には、大部分が松江藩領だが、大社町の一部は幕府より認められた出雲大社領や日御碕神社領とされ、また佐田町の一部は平安時代から続く京都・石清水八幡宮領とされている。


 近世後期以降、出雲平野は「雲州木綿」の集散地となり、特に旧平田市にあたる楯縫郡では明治初期の記録において木綿の生産高が米の生産高を上回るほどであった。大正時代から昭和30年代にかけては、出雲製織(のち大和紡績)、郡是製糸、鐘淵紡績などの工場がつくられ、繊維工業の町となった。

 

 自転車を漕いで工場の近くまでやって来た。煙突から白い煙が昇る。  

 マスクをつけた工員の死体があちこちに散らばっていた。作業着は血にまみれていた。

 一つ目の鬼が暴れている。

 和樹は電話ボックスに身を隠した。

 和樹は大学時代は考古学者を目指していた。だから妖怪にも詳しかった。

 阿用郷のあよのさとのおには、『出雲国風土記』大原郡阿用郷の条(郷名由来譚)に登場する一つ目人食いの鬼である。記述では、目一鬼(まひとつおに)と記されているが、鬼自体に名称はない。日本に現存する文献で確認できる最古の鬼の記述とされる。


 阿用郷は、島根県雲南市に阿用の地名が遺るように、阿用川流域から赤川南岸にかけて設けられていた。


 阿用郷は大原郡の郡衙から東南に13里80歩(およそ6キロメートル)の所に位置する。古老の言い伝えでは、昔、ある人がここで山田を耕作して守っていた。その時、目一鬼まひとつおにが来て、耕作していた人のむすこを食った。その男の父母は竹藪の中に隠れ籠り身をひそめていたが、竹の葉がかすかに揺れ動いたため、それを見た鬼に食われている男は父母が自分を見捨てている事を悟り、「動動あよ」と嘆いた。だから阿欲あよの郷と名付けられ、後に神亀3年(726年)に郷名を「阿用」と改めた。

 

 和樹は警察に通報した。鬼は和樹に気づくこともなく殺戮を続けた。死体は10以上はある。

 やがて、警察が来て銃を撃った。

 鬼はどこかへと姿を消した。

 

 勇は朝のニュースで島根が大変なことになっていることを知った。

 妻の和泉はジューサーにバナナやリンゴを入れてミックスジュースを作ってくれていた。

 勇はジュースをゴクゴク飲み干して、エクスカリバーを携えた。

「あなた、どこへ?」

「和樹を助けに行く」

「もう若くはないんですよ」

「妖怪を倒せるのは俺だけだ」

 駅まで行ったが、人身事故があったらしく動いてなかった。コロナで仕事がなくなった人が飛び込んだのかな?

 勇はイカロスの翼を羽ばたかせて、出雲を目指した。

 

 鬼は夜が明けると人間に戻っていた。昼間は杉田一郎すぎたいちろうとしてパチンコ屋をしている。鬼になってから睡眠を摂らなくても大丈夫になった。

 杉田は『アポロン自動車』に派遣されて、クビキリされてたくさんの悪いことをした。万引きに詐欺、飲酒運転。悪事を重ねているうちに鬼になった。働かないと金が得られない。金が無いと生きていけない。マスク熱い!中国死にやがれ!!

 夜になったら中国人殺そうかな?

 

 勇は昼頃には出雲にやって来た。

 出雲署の梅垣うめがきって中年刑事が最近の状況を教えてくれた。

「事件は決まって夜に集中しています」

 

 須佐神社ってところで宮司が殺されたのが11月1日の午後7時。

『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。


 旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。


『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。

 宮司は大杉の前で倒れていた。

 大杉は本殿の背後に聳えており、樹齢1200年ほどと推定され、幹周り6メートルの大きさがある。この杉の樹皮を剥がして持ち帰る不心得者が多数現れた為、現在は幹の周辺に柵がめぐらされている。


 5日の午後8時には荒神谷遺跡で学者が殺された。

 1983年(昭和58年)広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い遺跡調査が行われたこの際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘調査が開始された。1984年 - 1985年(昭和59-昭和60年)の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。銅剣は1985年に国の重要文化財に指定され、銅鐸・銅矛は1987年(昭和62年)に追加指定されていたが、1998年(平成10年)に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されている。遺跡自体は1987年に国の史跡に指定された。斐川町(現:出雲市)が中心となり1995年(平成7年)に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」が整備され、2005年(平成17年)には公園内に「荒神谷博物館」が開館した。出土品は国(文化庁)が所有し、2007年(平成19年)3月に出雲市大社町杵築東に開館した「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されている。なお、上述の荒神谷博物館においても、特別展などで出土品の展示が行われることがある。

 銅剣の一箇所からの出土数としては最多であり、この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えた。これにより、実体の分からない神話の国という古代出雲のイメージは払拭された。その後の加茂岩倉遺跡の発見により、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとしての重要性はさらに高まった。出土した青銅器の製作年代等については下記の通りであるが、これらが埋納された年代は現在のところ特定できていない。

 

 そして、昨日13日にはアポロンの社員たちが殺された。

「夜まで待たないといけないのか」

「仮眠されたらどうです?」

 梅垣の言葉に甘えてホテルに行き、チェックインして風呂に入った。湯の川温泉ってところにホテルはあった。宿泊施設が6軒と、テーマパーク出雲いりすの丘内に日帰り温浴施設ひかわ美人の湯がある。露天風呂は格別だった。

 部屋に戻って焼酎を飲んでるうちに眠気に誘われた。

 父、小五郎とともに怪人20面相と戦ってる夢を見た。

 スマホが鳴って起こされた。梅垣からだった。

 鬼が現れたようだ。

 ロビーに行くと和樹が待っていた。

「無事だとは聞いていたが。よりにもよって島根なんかに来るなんて」

「じーさん、あんまり無茶するなよな?」

「旅の案内してくれよ?すぐに戻って来るからさ」

 

 鬼は宍道湖の辺りで中国人を次々に襲った。

 宍道湖は島根県東北部に位置する。面積は日本国内で7番目、島根県内では鳥取県境に位置する中海に次ぎ、2番目に大きな湖である。形状は東西に長い長方形。東西約17km、南北約6km、周囲長47km。湖の面積の約5割が水深5m以上であり、湖底はほぼ水平となっている。


 宍道湖は斐伊川本流の一部である。斐伊川本流の河口は境水道から日本海へ注ぐ地点であるが、便宜上、河川整備計画等では宍道湖合流点より上流側の区間を斐伊川本川と称し、宍道湖に流れ込む地点を斐伊川本川河口と称している。流入河川は、最大流量を誇る斐伊川本川など宍道湖の北、西、南から20数河川に及んでいるが、主な流出河川は東端に位置し、中海へ流れる大橋川である。宍道湖と中海は日本では数少ない連結汽水湖となっている。


 斐伊川は水防警報河川であり、宍道湖は水位周知河川に指定され避難判断水位の情報提供などが行われる。


 宍道湖の東北部に位置する佐陀川は天明時代に掘削された排水用の人工運河であり、直接日本海(恵曇港)と接続している。これによって島根半島東部は本土と切り離されている。 底質は沿岸部の100~200mが砂や砂質泥、それ以外は大部分が泥である。透明度は1.0mと悪く富栄養化が進んでいる。湖内に位置する島は、嫁ヶ島だけである。

  

 警官や自衛隊が拳銃やライフルで応戦していたが鬼は無傷だった。遂には戦車まで現れたが、鬼は戦車を軽々と持ち上げて地面に叩きつけて破壊した。

「来るなぁ!来るなよぉ!」

 梅垣は屍だらけの道を逃げ惑っていた。

 勇はイカロスの翼をはためかせ上空からエクスカリバーを鬼めがけて投げた。

 グサッ!鬼の背中を刃が貫き、鬼は人間に戻った。

 勇は地上へと降り立った。

「梅垣、大丈夫か?」

 梅垣はあんぐりと口を開けて、ワナワナと体を震わせた。

 虫の息の杉田が勇の頸動脈をナイフで掻き切った。

「明智さんッ!」

 夥しい血を迸らせながら勇は死んだ。

 俺は、きっと地獄に行くんだろうな?命の灯火が消える瞬間、香美や和泉、和樹の笑顔が走馬灯のように過ぎった。

 

 

 

 

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明智勇の冒険  鷹山トシキ @1982

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