私の嫌なノスタルジアそして現在

田中大輔

第1話

 私は現在34歳になる男ですが、私は生まれてきてから今まで嫌な人生を送ってきました。

 私は幼い頃から今まで友人と呼べる人もできず、友人はおろか家族や親戚の人とも、ほとんど話をしたことがなかった。

 私は小さい頃(幼稚園、小学校1年生)まで集合団地に住んでおりましたが、幼稚園に入る前と幼稚園から小学校1年生までの間で、東京の日野市、福生市、八王子市の団地に住んでおりました。なので4回は引っ越しをした経験があり、そして八王子市市内に一軒家で住んでおります。

 前置きが長くなりましたが、私は人見知りで臆病者で誰よりも怖がりでそれがいつになっても治ることがなく今日まで、そんな感じで生きてきました。

 過去の人間関係も言うまでもなく、友達がいなく、それどころか同級生から振り回され、殴られたり蹴られたりの暴力を受けていました。次第に学校に行かなくなってしまい、父親からもお酒に酔った勢いで殴られたり蹴られたりの日々を送っていました。

 気づけば今になって履歴書の学歴には大学入学から書いている

自分がいました。

 なぜならば、小学校、中学校、高校の出来事を一切合切忘れていたい自分がいたからです。

 本当に思い出したくないという感情が勝ってしまい、学校の卒業アルバムさえ破り捨ててしまったくらいです。

 幸い大学生活は自分1人で何とやってこれたので人間関係はそこまで気にはなりませんでしたが、当時、私は私立大学に通っておりましたので、学費が高かったにも関わらず、父親に学費をちゃんと払ってもらえず、世間一般的にいう苦学生の状態でした。気づけば、一時はアルバイトを3カ所していた時期もあったくらい、金銭面ですごく大変な思いをしていました。

 そして、こんな状況が続き、人生を本当に嫌で死んでしまいたいと感じてしまったのがその時でした。

 そして、より一層に父親が嫌になりました。

 その時から生きることにつかれ死にたいと思いました。

 幸い内定は1社だけいただけましたがパチンコ店の接客業でしたが、4カ月くらいですぐ退職してしまい、その後、自動車教習所に通い、今度は郵便配達をしましたが、6カ月ほどで辞めてしまい、その後、コンビニエンスに3カ月、遊園地も3カ月でやめてしまい、そして任期制自衛官にようやく入隊し、初日に辞めたいと思いながら7年(実際に働いたのは5年10カ月)残り1年2カ月は年休、病休、休職になってしまい、この1年2カ月、“ほとんど家に引きこもっていました。

 気がついたら潔癖症になっていました。

しかも、外にでれないくらい、トイレにいくにも抵抗を感じてしまうくらい生きていることに不安をかんじております。今の会社でも、朝が憂鬱で職種でも潔癖症が気になってしまいます。 

いっそのこと、今の会社もやめてずっと家でできる仕事を見つけようかと考えています。

しかしながら、どこに行っても人間関係なので、これから就職する方たちは人間関係の構成が非常に大切なっていくと思います ですので仕事をする上で人間関係を大切に過ごすることが重要だと思います。

 私自身、仕事よりも人間関係が重要だと思いました。

 今後どんな人生になるかわかりませんが、もう少し大人になりたいと思います。しかしながら、今の精神状態で仕事をやって行ける自信は全くと言っていいほどありません、そして将来的に結婚以前に恋人もできない感じでいます。

 正直今の会社でもいつまでつづくのかと入社して1年経った今やめるべきかどうかを考えています

 私の今の憧れは作家の道を志すことであります。

これからも短編小説を書いていきたいと思っております。

後書き

私自身の人生の体験をされた方もいると思いますが、どうか、なるべく色々な方々に読んでいただけることを心から願っております。


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私の嫌なノスタルジアそして現在 田中大輔 @daisuketanaka

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