第13話 かえる

郵便局の社員食堂は12時から14時にかけてが混み合い時だ。窓口で見かけるようなカッチリした制服の窓口職員や指定のポロシャツを着た配達員、スーツ姿の役員や私服姿の内務職員など様々な人々が入り乱れ、食堂の定食なり自身が持ち込んだ弁当なりを食べている。


そんな食堂の片隅、32インチのTVから垂れ流されているワイドショーに、首藤盛重は食べ終わった定食の食器を片付けるのも忘れて見入っていた。

彼が見ているのはワイドショーの内容そのものでなく、スタジオのゲスト席に座っている男性芸能人。白い顔に笑みをたたえ、身振り手振りを交えて喋り続けるその人は人気モデルであり盛重の恋人でもあるクォン・ウォンジュンだ。

つい昨夜にもウォンジュンと身体を重ねたばかりの盛重は、人気芸能人と交際しているというのにいまだ慣れぬ為に妙な感動を覚え、またウォンジュンの顔を見れば見るほど昨夜鎮めたばかりのムラムラが湧き上がってくるように思えた。


ふと、盛重の背後で食事を摂っていた男性役員達の会話が耳についた。


「あーあのイケメンがこないだ言ってた奴だよ」


「あーはいはいはい。コイツ出るとウチの娘がTVに食いついちゃうんだよね」


「ウチは嫁もよ。雑誌とかも片っ端から買ってくるもんだからさー、勘弁してくれって」


「まあアレ韓国の人なんでしょ?そのうち兵役とかでスーッと消えてくんじゃない?」


あまりウォンジュンに対して好意的でなさそうな役員達に盛重は「まあオッサンから見ればそんなもんか」と少し悲しいような気持ちになりつつも納得したが、同時に『兵役』という言葉が引っかかった。

ウォンジュンは韓国籍のハズだから、兵役というものがついて回るじゃないか。それでなくともいつかは故郷に帰らなければならないかもしれない。永遠に一緒にいられるわけじゃないんだ。

盛重は急激な不安に襲われながら、TVに映るウォンジュンを見つめ続けた。






ウォンジュンが帰ってきたのは夜の11時を回った頃だった。

夕飯は食べるのかという盛重の問いに対し「モリシゲのモリシゲを食べます」と下ネタをかましてくるウォンジュンはどこか上の空な様子で、何か悩み事でもあるのだろうかと心配になった盛重はウォンジュンを抱きすくめた。


「どうしたの?本当に食べるよ」


「先に夕飯食えよ。ジュニ何か悩んでない?」


「悩んでないよ。…ザギ、俺に触るの躊躇わなくなったね」


すごく嬉しい、と呟くウォンジュンの声音がどこか悲しげで、盛重が昼に社員食堂で聞いた『兵役』の2文字が彼の脳裏を過ぎった。

思ったよりも早いじゃないか。ウォンジュンと(動機はどうあれ)出会って1年ちょっもしか経っていないのに、お互いに好きだと伝え合ってから半年も経っていないのに、自分がこうしてウォンジュンに触れられるようになってから少しも経っていないのに。

盛重は腕の中に収まっているウォンジュンの細い身体をギュッと強く抱きしめた。いっそ背骨でも折って家から動けなくならないだろうかと希望を抱きながら、ウォンジュンの胴を締めつける。痛い痛いと背中を叩かれてもお構い無しに。


「ザギ背骨!背骨が!仕事行けなくなる!」


「行かなくて良いじゃん。ずっとここにいてよ。俺ももう働いてるし」


「急なヤンデレムーブやめてぇ!痛い!折れる折れる!」


「ジュニが兵役でも行っちゃったら俺1人になって、どうしたら良いかわからなくなるよ」


「は!?兵役終わったし!」


「え」


盛重は思わず手を離した。弾かれるようにウォンジュンが盛重のもとを離れベッドに身を投げる。


「兵役終わってんの?」


「大学の頃に行っちゃったよ。でもなんで急に兵役?」


「郵便局のオッサン達が話してたから気になって…待って、ジュニ何歳?」


盛重は今になって、1年以上も一緒に暮らしてきたウォンジュンの年齢を知らないことに気づいた。自分の年齢をウォンジュンに教えていないことも。

お互いに1度ずつ誕生日を迎えていただろうに、いったい何をしていたのか。部屋の真ん中に立ち尽くしベッドに寝そべったウォンジュンを見下ろす盛重に、ウォンジュンは「かんっぜんに人の話聞いてませんねぇ」と嫌味ったらしく言ってみせた。


「今日が俺の誕生日なんだよなぁ。28ちゃいの誕生日なんだよなぁ。去年は出会ったばかりだから遠慮してたけど、今年は昨日の夜から熱烈にアピールしてたんだよなぁ」


「え、いつ」


「ヤッた後。俺ベッドの中でずっと言ってたじゃん、ケーキ食べたいって」


「そんなんでわかるか!」


疲れて寝かけてたしと声を荒げながら、盛重は冷蔵庫からパティスリーのロゴが入った箱を取り出した。『ケーキ食べたい』という言葉だけがうっすらと頭に残っていた為、仕事帰りにパティスリーへ寄って買ってきたのだ。


「マジでー!?ザギありがとう〜!愛してる!サランへ!頂きま〜す」


背骨を痛がっていたのが嘘であるかのように勢い良く身を起こし、ウォンジュンが箱を開ける。中には筒型のチョコレートケーキと三角型のレアチーズケーキが入っており、盛重が「好きなの取って」と促すとウォンジュンは「これ」と満面の笑みでチョコレートケーキを取った。


「ジュニもう韓国に帰ること無いの?」


レアチーズケーキのフィルムを剥がしながら盛重が訊くと、ウォンジュンはチョコレートケーキを口いっぱいに頬張りながらウンウンと頷いた。


「里帰り程度に帰ることはあっても、基本はこっちで暮らす予定。里帰りにはザギも来なよ」


「ありがとう…ジュニの親ビックリしないかな、痣とか男の恋人とか」


「大丈夫、俺がこないだ電話で全部話した。『来れる時にいつでもおいで』ってさ」


「早っ」


理解のある両親のもとだからこそ、このウォンジュンという人間が出来上がったのか。羨ましいと思いつつレアチーズケーキを口に含み、盛重は忘れかけていた実家のことを思い返した。

ウォンジュンの両親に会いに行くんなら、こちらの両親にもウォンジュンを会わせなければいけないだろうか。とは言っても同性の恋人に理解を示すかどうかわからないし、何より痣のことで学生時代に散々暴れていたし、そんな身でノコノコと会いに行くのは気まずすぎる。

思い悩みながら、盛重は自分が実家に対して後ろめたさを感じていることに気づいた。結局自分は痣へのコンプレックスを他人のせいにして1人でいじけていたんじゃないかと。

気は進まないが、今一度両親と向き合うべきか。心の内で葛藤を始めた盛重の頬を、ウォンジュンが両手で挟み込んだ。


「ウチの両親に会うなら自分の両親にも会わせなきゃ、とか思ってる?」


「う、ん…」


お見通しか。目を泳がせながら答える盛重の目元を親指で撫でながら、ウォンジュンは「ありがとう」と優しい声音で言う。


「ザギがいけると思ったら会わせてくれれば良いし、キツかったら会わせてくれなくても良いからね。家の事情はそれぞれだし、絶対会わなきゃいけないもんじゃないんだから」


ただ俺の実家に来たら体重が増えると思えよ。そう続けながらウォンジュンが盛重の額に自身の額を当てる。

盛重の振り返る限り、ウォンジュンは自分のことについては強引とも呼べる程の押しの強さを見せてきたが、盛重のことになると盛重の気持ちを優先し、負担にならないように配慮していた。それがウォンジュン自身の持つ優しさなのかそれとも盛重への愛ゆえなのかはさておき、盛重はウォンジュンの配慮に救われてきた。ウォンジュンに躊躇いなく触れられるようになったのも、ウォンジュンが押しつけも見限りもせず、盛重の気持ちを確かめ尊重しながら接してきたお陰だろう。

出会ったのがウォンジュンで本当に良かった。頬を挟むウォンジュンの両手に自分の手を被せ、盛重は静かに涙を流す。

一方でウォンジュンは「まだお前の年齢聞いてないんだけど…」と困惑するのであった。






翌朝。部屋のほぼ半分を占めるキングサイズベッドの上で、盛重はうつ伏せに寝そべっているウォンジュンの腰に湿布を貼りながら「大変ですねー"お兄さん"」とおちょくった。


「可愛い顔してても寄る年波には勝てないもんですねー」


「ずっと変だなって思ってたんだよ…なんでヤりすぎても俺ほど疲れないのかなって…今年で21だったか…若いなぁ」


「鍛えて体力つけなきゃ駄目ですねぇ、ジュニヒョン(※)」


ヒョンって呼ぶなと声を上げるウォンジュンの腰を、盛重が湿布の上からバシンと勢い良く叩いた。ウォンジュンが「痛い」と悲鳴を上げる。


「湿布貼れたから、俺もう仕事行ってくるね」


「痛ェ〜もう…行ってらっしゃい」


ベッドの上に突っ伏したままウォンジュンが手を振る。

盛重は仕事用のリュックを背負ったところで、ふと思い立ってウォンジュンのそばに寝そべり肩を揺さぶった。


「ん?どしたの」


「ジュニ、俺にやることあるんじゃないの」


そう言って盛重が目を閉じる。ウォンジュンは「あーね」と呆れたような声を上げ、盛重の口唇に接吻した。





※ヒョン…韓国語で「お兄さん」。親しい年上の男性を呼ぶ時に使う。

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触れる むーこ @KuromutaHatsuro

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