第12話 我慢

西端が桃色がかった空の下、勤め先の郵便局から家に向けて歩を進める首藤盛重の瞳はギラギラと輝きを放っていた。




数時間前、盛重は配達先で「バイクの音がうるさい」と苦情を入れられ、課長と2人で謝罪に行った。

盛重はバイクをふかすなど騒音が響くような行為は一切していなかったが、苦情の主たる中年女性にはそんなことは関係無かった。彼女はとにかく八つ当たりをする相手が欲しいようで、玄関先に盛重と課長を立たせバイクの話から郵便局が掲げているサービスの話にまで様々な話を展開した。

盛重は女性の説教を聞きながら、すぐ隣りにある靴箱の上に置かれた写真立てにチラリと視線を移した。そこにはよく見慣れた美形─クォン・ウォンジュンの写真が飾られていた。

アイツがこの人のことを知ったら泣くだろうなと心の中で嘲っていると、女性は盛重に対してこのように怒鳴りつけた。


「その汚い顔でウォンジュン君を見ないで!」


続けて女性は盛重の容姿を謗り始めた。盛重は思わず拳を握り相手の前に一歩出かけたが、そこでふとウォンジュンの顔が浮かんだ。

このババアを殴ったらジュニに会えなくなる。盛重は拳を下ろした。気づけば課長が「配達員の外見に関わる苦情はお聞き致しかねます」と女性を諭していた。




それから30分ほど説教を喰らってから漸く盛重と課長は解放された。郵便局に戻った頃には盛重の終業時間を遥かにオーバーしており、課長から「災難だったね」と慰めながら残業記録をつけてもらった後、盛重は女性から浴びせられた罵声を反芻しながら帰路についた。散々嫌なことを言われたはずであるが、盛重の表情に曇りは無かった。むしろ女性に手を上げそうになったのを踏み止まれたことでウォンジュンに感謝していた。

「クレーマーから痣の話をされたけど同じ過ちを繰り返さずに済んだ」と報告しようか。ジュニ喜んでくれるかな。半ば興奮気味に、夜道を駆けんばかりの勢いで進んでいると、数十m先に見覚えのある後ろ姿が見えてきた。


「ジュニ!」


盛重が声高に呼びかけると後ろ姿の主─ウォンジュンは振り返り、黒いマスクに隠された顔を向けた。その表情は怪訝そうで、盛重は一瞬でも人違いかと思ったが、しかし相手の目に孕んだ色気は間違いなくウォンジュンのものだった。

こんな所で呼んだらマズかったか。道にあまり人通りは無かったが、それでも公道である以上ウォンジュンの存在を周囲に知らせるような真似は良くないかと盛重は自省し、小走りにウォンジュンのもとへ駆け寄り「ごめん」と声をかけた。


「ちょっと声デカかった」


「ん?いや、いいよ。それよりザギ泣いてない?」


「は?」


盛重は目を丸くして、それから「いや?」と返した。


「それより聞いてジュニ。今日クレーマーに当たってさ、痣のこと言われたのよ」


盛重の報告を聞くなりウォンジュンの顔が強張った。

そんな顔しないで、話はこれからだから。盛重は「怒らないで我慢できた」と続けようとしたが、何故か声が詰まってしまい話せなくなってしまった。


「ザギ、もしかしてかなり酷いこと言われたんじゃないの?」


盛重の真正面に立ち、両手で頬を挟んでウォンジュンが問う。

そんなことは無い。盛重はそう返したかったが、女性から浴びせられた罵声の数々を思い返せば思い返すほど胸が苦しくなった。痣のある顔はやっぱり汚いのかな、ジュニのことをほんの一目でも見たら駄目なのかな。そう嗚咽を漏らし始める。

ウォンジュンは全てを聞かずとも盛重が浴びせられた言葉を大方察したらしく、盛重の頬に伝う涙を親指で拭いながら「汚くないのに」と涙を流した。


「ジュニ、週刊誌に撮られるよ」


「撮られてもいい!」


やや乱暴に言い放ち、ウォンジュンは盛重の身体に抱きついて背を優しく叩く。盛重はなおも「やめときなって」と注意を煽りつつ、ウォンジュンの華奢な身体に身を預けた。




夜更け近く、ウォンジュンのSNSが更新された。


『髪や肌の色、部分的な特徴や身体に負ったハンデを馬鹿にされることなく、皆さんが健康で幸福に暮らせることを願います』


このコメントには、右目を自身の右手で隠したウォンジュンの自撮り写真が添えられた。

これは盛重の痣をけなした人間に対するウォンジュンからのメッセージだった。恐らく多数のファンが自分を心配するだろうが、それでも自分の恋人を傷つけた人間にこのメッセージを見せつけてやりたいというウォンジュンのエゴから生まれた投稿だった。

案の定、この投稿にはウォンジュンを心配するコメントが多数寄せられた。中には自身が負ったハンデを打ち明けるファンもいた。感情に任せた投稿ではあったが、多くの人の心に響いたのは確かだった。

しかし、実際にこのメッセージが伝えたい相手にまで届いたのかは杳として知れぬままである。

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