第11話 悪戯
見てはいけないものをみてしまった、と首藤盛重は自身の目を覆った。
そこそこ貯まった貯金で良いお菓子を買おうと人生で初めて訪れた柴又の商店街。そこで偶然出くわした旅番組のロケらしき取材クルーが忙しなく動き回る中、休憩中なのか缶コーヒーを飲んで待機をするタレント達から外れて、クォン・ウォンジュンが商店街の売り子や観光客に愛想を振り撒く姿があった。
ああ、そういえば昨日「柴又でロケする」とか言ってたっけ。盛重は昨晩の記憶を呼び起こす。
ウォンジュンは芸能人であるのでファンに愛想を振り撒くのは当たり前といえば当たり前であるが、恋人である盛重としては心の奥にモヤモヤとするものが立ち込める。恐らくこれが"ヤキモチ"と呼ばれる感情だろうと盛重は冷静に分析した。
─そうだ。
道行く人々と握手を交わすウォンジュンを見ているうち、盛重の中で「少し驚かせてやろう」という悪戯心が働き始めた。
盛重は黒いマスクで半分覆い隠していた顔の上に、更にパーカーのフードを目深に被り、ウォンジュンの握手を待つ人々の列に並んだ。
そうして着物にタスキと前掛けを巻いた売り子らしき中年女性、男女カップル、女子高生の集団を経てようやく目の前に現れたウォンジュンに、盛重は「応援してます」と声をかけて両手を差し出した。赤黒い痣に覆われた右手に他の人々の視線が集中している気がして引っ込めたくなったが、まずはウォンジュンに存在を気づかせなければならないので我慢した。
一方でウォンジュンは気づいたのか気づいていないのか、盛重の両手を取り、他の人に向けるのとそう変わらない笑顔で「ありがとうございま〜す」と返した。
あまりに手応えの無い反応なので盛重は恥ずかしくなり、その場で暴れ出したくなってしまった。しかしその直後、突如ウォンジュンの顔がグッと近くまで寄って来て、盛重にしか聞こえない程の音量でこう囁いてみせた。
「草団子買って帰って」
ウォンジュンは盛重に気づいていた。気づいていたが大して驚くこともなく、むしろ好機とばかりにおつかいを頼んできた。
気づかれたとはいえ不発は不発。不満で眉根を寄せる盛重の指に、ウォンジュンが自身の指を絡めた。
「ザギは優しいからね、忙しくて買えない俺の為に買ってくれるよね」
「あ、はい」
「じゃあね」
絡められた指が解かれ、盛重の隣に立っている男子学生の方へとウォンジュンがシフトしていった。
何だかすごくスベった気分だ。周囲から「恋人繋ぎしてた」「いいなぁ」という羨望の声が浴びせられる中で、盛重はしばらくムスッとしてウォンジュンを見つめていたが、やがて踵を返し草団子の店へと向かったのだった。
夜の10時になって、盛重は仕事から帰ってきたウォンジュンと2人、肩を並べて草団子を食べた。
盛重が買ったのは柴又のグルメガイドに必ず名前が載る和菓子屋の草団子で、濃すぎるくらい濃い緑色が宝石のようで美しかった。ウォンジュンもこの草団子が1番食べたかったそうで「俺達って感性が似てるんだ」と顔を赤くしながら濃緑色の団子を口に運んだ。
「でもどうしたの、ロケ見に来たりなんかして。俺が恋しくなったの?」
「柴又ロケのことは完全に忘れてたよ。良いお菓子買いに行っただけ」
「またまた」
「リアルガチよ」
「またまたぁ」
ウォンジュンが盛重の逞しい肩に抱きつき揺さぶる。ぐらぐらと揺れまくる視界をそのままに「ガチですぅ〜」と口を尖らせつつも、自分の来訪にウォンジュンが喜んでいるのであれば誤解されたままで良いかと思う盛重であった。
後日、とあるSNSに投稿された1つの記事が、一部のユーザーの間で話題になった。
『ロケの休憩中にパーカーとマスクで顔を隠した男の人が「応援してます」って両手を差し出した。男の人の手は病気か何かで赤く変色してて出すのをためらってたみたいだけど、ウォンジュンはその手に握手するだけじゃなくて恋人みたいに指を組んで話しかけてた。ウォンジュンって本当にファン想いで優しい』
仕事の休憩中、スマホのディスカバー機能を通してこの投稿を見かけた盛重は「じゃかあしい」と叫びそうになるのを、会社の休憩室にいるからという理由で何とか堪えた。
この投稿者に「ウォンジュンは俺におつかいを頼んだだけだよ」と教えてあげたらどんな顔をするだろう。また盛重の中で悪戯心が働きかけたが、SNSをしていない盛重にそんなことをする術は無く、またたったそれだけの為にアカウントを作成するのも面倒だし万が一炎上したら怖いので、盛重は投稿者の誤解が詰まったこの美談をそっとしておこうと決め込みつつ、自分の言動が元でウォンジュンの一挙手一投足がSNSに晒されてしまう可能性があることに恐怖を覚え「やらなきゃ良かった」と後悔するのだった。
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