SSS六分の一

石黒陣也

六分の一

「なぁ『壱』出すためにサイコロを二回振ったら、確率は三分の一になると思うかい? ……いいや、ならないよ」


 大学の先輩は、手のひらにあるサイコロを揺らしながら、ぽつりと言った。

 もう夜も更けている。俺の部屋の明かりは、足の低いテーブルの上に載ったデスクライトのみで、俺と先輩は向かい合うように座っていた。


 お互いの手元にあるガラスコップも、いい加減に飲み干せといわんばかりの梅酒が入っているだけ。


 後は寝るだけなのだが、大学の先輩は最近気に入っているサイコロ――ほろ酔い加減な目をしながら手のひらのサイコロを眺めていた。

 とにかく、そんな静かに俺に聞くなり、先輩は即座に答えるまもなく否定した。


「どうしてですか?」


 何気なし聞いてみる。


 先輩は、麻雀もやればパチンコスロットにも出かけるような、いわゆる博打好きという人間。

 そんな人が、確率に否定を述べたのだ。意外と言えば意外である。


「一回目に振ると、六分の一だろう? そして二回目も六分の一だ。つまりは、二回も三回も……十回振ったところでも、一回一回が六分の一なわけさ」


 なるほど、と納得する。高校と大学と数学で確率の勉強をしたが、そう言われればそうなのだ。納得だ。


「六分の一のサイコロが三分の一になることは無いのさね」


 先輩が手のひらをひっくり返して、サイコロをテーブルの上に転がす。


 ――出た目は『伍』だった。


「なら、同時にサイコロを二個同時に振ったら、『壱』のでる確率は三分の一になるか?」


 それの出す答えを待ちつつも、先輩の返ってくる言葉は半ばわかっていた。

 分かっているものの、一応聞いていますくらいで答えてみる。


「なるんじゃないんですか?」

「いいや、ならないね」


 やはり、違うのだと言ってきた。普段は騒がしい先輩だが、こう妙に感傷に浸る先輩も厄介だ。


「だた二回に分けてやっていたことを、ひとまとめにしただけで、二つのサイコロの『壱』がでる確率は、両方とも六分の一さ……でもまぁ『壱』が出ないってわけじゃない。たまにどちらか片方に『壱』が出て、さらに時々『壱』のゾロ目が出るだけさ……出せる確率が三分の一になることは無い」


 先輩が、先ほどテーブルに転がしたサイコロを指でつまみ上げ、人差し指と親指の

腹をサイコロの角で揉むようにもてあそぶ。


「サイコロで、目的の目を出す確率を上げる方法が、あると思うか?」

「さあ? どうでしょう?」


 回数を増やしても駄目。サイコロの数を増やしても駄目。なら、それ以外で方法があるのだろうか?


「ないよ」

 あっさりとした答え。


「それこそ、一回目に出た目が、二回目に振るときには消えているのなら、目的の目が出る確率は正当だろう」


「ですがそれって……」

「不可能、さ」


 サイコロの不条理さを、まるで自分の事のように、先輩が自嘲の笑みをこぼした。


「トランプでもそうさ、目的の札を見つけるためにカードを引いて、引いたままカードが減っていけば、ちゃんと目的の札が手に入るだろうが、引いたカードをまた元に戻して混ぜなおしたら、たとえ百ぺんやっても目的の札を引く確立は五十二分の一のまま……どうあがいても変わらないのさ」


「…………」


 返答に困る。一番言いたいことは、多分言えない。


「それでも、出るときは出るんだよな。確率は0%じゃない」

「そうですね」


 先輩が、つまんでいたサイコロを、テーブルの上に落とした。


 カッカッと硬い音を鳴らせて出たサイコロの目は『弐』だ。


「もう寝るか」

「そうしましょう」


 先輩が、テーブルの向かいでごろ寝を始め、目の前からいなくなった。

 それから、ふうと深呼吸のような先輩のため息をして、静かになる。

 だがこっちは、しばらくテーブルに頬杖を突いて、『弐』が上を向いているサイコロをぼんやり眺めた。


 六分の一が三分の一になることは無い。結局はそういうこと。

 納得。

 ただし――


 先輩の寝息と、完全に寝入った気配を確認してから、声に出すか出さないか暗いに小さく。


「それならもうやめたらいいじゃないですか」


 先輩がここにやってきたのは夜の十一時で、先輩の行きつけのパチンコ店は、だいたい十時半頃に終わる。


 先輩がこんな時間に訪ねて来る理由――博打に負ける確率は、おそらくサイコロの六分の一よりも高い。

 それだけを言うために、先に先輩が寝入るのを待ってから、俺はせんべい布団の中に潜り込んだ。

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