Case:1 雨はいつも唐突に 解決編 後編

私の首筋からこぼれ落ちるピンク色の物体は、血なのか雨なのか汗なのか肉なのかそれとも脳漿なのか、最早わからない。



油断した。失敗した。

左腕があった場所からはどぼどぼと生暖かい液体が溢れ出し、「闇」の侵食が再生と拮抗しているお陰でくらくらしている頭にもグサッとした痛みがいつまでも張り付いて取れない。





活動限界が近くなり発作が起こった一瞬の隙を突かれ、左の肩から先が円形に抉られた。

そのまま痛みに呻く暇もなく鞭のように振られた尻尾が脇腹にぶち当たり、山肌に打ち付けられた。


「…………ッ…………クソッ………」


輪郭がぼやけたまま定まらない。

左腕だけにとどまらず、全身から電流が走っているようで、まともに体が動かせない。


自慢の鉄仮面を見せびらかすように再び眼前に現れたフナムシは、顔が見えないのにも関わらず、心なしか嗤っている気がした。


【………】


「クソッタレが…ハラワタぶちまけてやっからな!!…………」



数分前であれば十分可能であったその威勢も、虚勢へと代わっていた。左腕を失い、身体中がズタボロで、満身創痍という表現がいかにも相応しい状態では第二段階の装甲を破ることすら不可能だ。ましてさらに強度をました第三段階は言うまでも無いだろう。





フナムシが飛びはね、地面に勢いよく潜る。

何度も見た攻撃であり、モーションの大きさゆえ回避は容易いはずだが、今となっては話は別だ。

例えるなら動けないモンスターに強ため斬りを当てる感覚だろうか。いつも師匠がやってることを自分がやられるとなると、何だか虚しい。


「(第二解放なら奴を倒せる、でも今の侵食率じゃ間違いなく私は死ぬ………)」


奴が地面から飛び出し、仮面の内側にある巨大な口を露にする。




最後の力を振り絞り、右手を胸元に当てる。

ああ、チクショウ。

次は死ぬときまで人間でありたいな…

目を閉じ、死を覚悟した。


陽衡刻印Sunset、第二………」














瞬間、天から雷鳴が降り注ぐ。

気づけば雨は、弾丸が降り注いでいるような土砂降りになっていた。



ああ、あの日もこんな土砂降りだったなぁ。




そこには、私の目の前には、


「師匠………!!」



『遅ェよ、腹減った。』

あの人が立っていた。

――――――――――


『フン』


何の気なしにただ足元にある石を蹴るような感覚で、師匠が奴を蹴り飛ばす。

第一解放状態で並外れた脚力を持つ私のそれより何倍も強力な一撃が、奴のどてっ腹に激突し、あまりの威力に耐えられずに腹部から真っ二つに裂ける。

その状態のまま爆発的な推進力を得て空中に放り出され、辛うじて繋がっていた皮一枚がプツンと切れた。



【-------!!!!】


声にならない悲鳴を上げ、狂ったように暴れ回る。裂けた箇所からは血のような赤黒くてどろっとした液体が滝のように流れ、雨に打たれながら蒸発している。

「闇」の特徴として、第三段階までは宿主から離れると即座に蒸発・風化が始まってしまう。その為破損個所の接合なら簡単に再生できるが、完全に切れてしまうと風化との勝負になってしまうのだ。



修復を諦め、傷口を開けたまま突進してくるが、師匠がそれを片手で受け止める。鉄仮面を伝い衝撃波が巨体の向こう側まですり抜け、地面を裂く。

ぶよぶよとした足で向こうも相当踏ん張っているが、師匠はまるで子供に押されている力士のように微動だにしない。


【!!!】


『つまらんな。さっさと失せろ』


そう言って師匠はそのままもう片方の手を握りしめ、思いっきり叩きつけた。

私の全力の拳を受けてもびくともしなかった鉄仮面は、同様に師匠の拳を受け流すはずだった。






瞬間、山が割れる。





何の理論的なファイティングポーズを構えるわけでも無く、ただ拳を振りかぶって、体重と共に振り降ろすだけ。

ただそれだけの単純な行為でも震源地に等しいエネルギーが発生し、地面が耐えられずにバキバキバキ!!と木の根が千切れる音とともに崩壊を始める。


これを市街地でやられたら、何百人という被害が出ていただろう。全く以て末恐ろしい存在だ。どう見ても怪物そのものだが、これでも私のように人間の域を出ているわけでは無いらしい。曰く血筋が原因だったり某池袋の平●島のように筋肉が異常発達していたりしているとかなんとか。



これにはさすがの鉄仮面も耐えられずヒビが全体に走り、やがてボロボロと崩れ蒸発していく。

勿論奴にも相当な威力がのしかかり、仮面の下は血肉が入り混じった見るも無残な姿と成れ果て、最早どこがあの忌々しい口なのかわからない状態だ。


やがてピクピクと痙攣している肉塊は収縮を始め、伴子さんのカタチをとった後、その首筋から速人さんのそれよりも一回り程大きな「闇」の因子の結晶が析出し、粉々に砕け散る。

ちなみに怪人態・怪物態へ変身、もしくは変身解除する際に憑依者への身体的負担は殆ど存在しない。



服に着いた塵を払い、山肌から引き抜いてもらった。

応急処置として師匠の血を少し分けてもらい、左腕に溜まっている「闇」を中和し、再生を始める。ぼやけていた意識も血のお陰ではっきりしてきて、足つきもだんだんとおぼついてきた。



『…さて、帰るぞ。』


携帯でどこかへ連絡した後、師匠は私を抱えて雨の空を翔けて行った。

―――――――――――――――


さて、報告へ移ろう。

事件の依頼対象である川口速人氏は死亡し一昨日葬儀が執り行われた。

後日改めて彼の詳細について尋ねたところ、色々と新しい情報が出てきた。

彼は元から気性が荒く、学生時代に何度も暴行事件を起こして退学一歩手前まで行ったこともあるそうだ。「ちょっと気難しい所がある」とは伴子さんから聞いていたが、もうちょっと早く言ってほしかった。


依頼主である川口伴子氏は神経衰弱により現在入院中。「闇」の影響に加えて速人さんの死が重くのしかかり、ノイローゼも出ているらしい。内からの病気、乃ち心の病は現代医学でもどうしようも無く、彼女の精神力に賭けるしかないとの事だ。

無理も無い、「闇」に呑まれた者だからこそ分かるが、自分の意思が無理矢理別のものへ入れ替わっていくあの感覚は、物理的な痛みを伴うわけでは無いにせよ、二度と味わいたくない。それほどまでの喪失感と虚無感、絶望感を感じた。

あと少しでも師匠が来るのが遅れていたら、私は確実に廃人になっていただろう。



フナムシ(もとい師匠の調べによると「フナクイムシ」が正しいらしい)やメタリックスーツの怪人の目撃証言などは恐らく記憶処理でもみ消され、流石にごまかせない吹き飛んだ山については地下のガスが爆発したというカバーストーリーとしてニュースで取り上げられた。

師匠が探偵業を始める前から情報の揉み消しは起こっており、「闇」と深い関わりがある、もしくは生み出している張本人が関与していると師匠は予想している。

たちの悪いSCP財団も居たもんだ。


そして戦闘の後事務所で改めて師匠から血を貰い、陽衡刻印も効力を取り戻した。爛々と赤黒く輝く瞳が白く染まり、やがて普通の目と同じ配色に戻った。食いちぎられた左腕も完治し、「闇」の侵食も治まっている。病院要らずなのはこの体の便利な所だ。



ここまで事後報告をしてきたわけだが、実のところ、まだ事件は終わっていない。

今回の事件には不可解な点が幾つかあった。


まず第一に動機、それも伴子さんの動機だろう。

何故速人さんに住所のコードを送ったのだろうか。その必要性が理解できない。

そもそも速人さんに「闇」が寄生していた以上、遅かれ早かれ暴れ回ることは想像がついたはずだ。

とはいえこの点については不確実だが予想はつく。第三者の介入を含めて考えた場合、観察対象のプロトコルと言った具合に伴子さんを速人さんの「舵取り」として利用していたという結論に行きつく。何より速人さん自身伴子さんには逆らえず、彼女に怒られることを怯えていたらしい。


しかし、そうなると今度は何故証拠が残るような真似をしたのかという話になってくる。第三者は情報統制が出来るレベルで巨大な組織、要するにプロだ。ログやデータの消去、改ざん等いくらでもできたであろうし、最悪速人さんのPCにウイルスを忍ばせておいて解析しようとした牧場さんのPCにハッキングを仕掛けると言った事も出来たはずだ。


わざと証拠を残し、私達に足掛かりを掴ませた。それ以外考えられない。

だが、何のために…? その第三者は、「闇」を使って何をしようとしている……?


―――――――――――――――

同日、某所。


「所長、実験体688番、689番の報告書が届きました。」


「どれ…………フン、所詮はこの程度か。688番は適合率17%でレベル3到達と、多少は期待していたのだがね、レベル3が限界だったか。」


「やはり一般化を目指すのは難しいと思われます。688番の事例は実に稀ですので、ホープレスチルドレン望まれた子供たちの準備を進めるべきでしょう。」


「そうだな、モルモットがそこら中に居ると試したくなるのが研究者のサガとはいえ、無駄金を使うのも性に合わん。とりあえずデータは上に回しておけ。」


「了解しました。

     …ところでお偉いさん達が言ってた『人類の進化』って、本当にこれでやるつもりなんですかね…」


「金さえ入れば何でもいいのさ、ジジババどもらは。ま、俺は血生臭い世界は大好きなんだけどな。心が踊る。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

闇狩りは雨の日に 静謐の楽団 @Seihitsu2019

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ