Case:1 雨はいつも唐突に 解決編 前編
それから二日後。今日の天気予報は曇りときどき雨。
「依頼についての大事な話」という名目で、私は速人さんの死体があった山へ伴子さんを呼び出した。結局師匠は来なかった。
実際依頼についてという事は間違いでは無く、ターゲットが死亡した場合どうなるかなどの法的処置の為話をする必要はあった。
「…ここで、速人さんの死体が発見されました。」
KEEPOUTのテープの向こう、森芳さんに許可を取って現場へ入らせてもらった。
白線が人のカタチを描き、予想される身長、体型は彼と一致している。
そして発見当時の写真を渡す。
そこには血と土と痣だらけで倒れる速人さんの姿が写っていた。
「速人…………どうしてあの子が………」
膝をついて泣き伏せる伴子さん。
親の心子知らずという言葉があるように、親が子供にかける愛情は、子供が親にかける愛情でさえ及ぶことができない程のものだ。
いや、こんな陳腐な言葉で済ますのは非常に勿体無い。個人差はあれど、その愛情はその人が生まれてから感じたどの感情よりも強く、優しいものだろう。私は事実上は高校生でまだ子供を産んだことは無いが、もし子供ができたら、伴子さんのような
別れへの強い恐怖と共に、その逆の感情を得ることができるのだろうか、例えそれが「闇」によって操られたものだとしても。
不安な精神状態に無慈悲な現実を突きつけるのは残酷かもしれないが、これも仕事なのだ。
それから10分間、伴子さんは写真を握りしめたまま泣き続けた。
平日の昼間、小山に響き渡る泣き声は誰にも届くことは無かった、と思う。
「…………調査、ありがとうございました。息子に先立たれてしまうとは、私も情けない母親ですね。」
「………」
『こんな家もう知らない!!! お母さんなんか死んじゃえ!!!!!』
数ヶ月前の記憶が蘇る。私が人間だった頃の、母親と話した最後の言葉。
あの後私は暴走した第四段階の闇人に襲われ、文字通りの人でなしになった。
私はもう母親に合わせる顔が無い。本当に顔が無いのだ。
私はもう誰でも有り、誰でも無い。
真実とは、過去とは、時に優しく、時に辛いものだ。
川口親子を観察することで親と子の間にあるキズナを感じて、それと同時に自分の犯した罪を知る。
そして「闇」は、それをいとも容易く奪ってしまう。
「…………あ、あのっ」
真実を告げるべきか、躊躇っている私の後ろから声が聞こえた。
「いえ、まだ調査は終わってはいません。」
まるでタイミングを見計らったように、牧場さんが歩み出る。
「…? それは…どういう……」
「「thomas@b」って、何の事かわかりますよね?」
「!…!?」
彼が発した言葉は、とあるユーザーネーム。
それも、速人さんのPCのメーラーにあったとあるメッセージの差出人。
あの後牧場さんに送ってもらったデータの中にあったもの。
そして、例の住所を送った張本人でもある。
「初めから疑問だったんです。何故あなたが速人さんのPCの中身を知っているのか、何故許可を出してくれたのか。」
「そ、それは……」
「まだまだ疑問点はありました。彼のPCのトップ画面、やけに汚かったんですよね。それも、一つのファイルを探すのに一苦労するレベルで。」
そう、大量のフォルダーがトップ画面を埋め尽くしており、狭そうにオンラインゲームのショートカットがポツンとあるくらいだった。例外はあるかもしれないが、綺麗好き、整理整頓ができる人は、大抵画面もスッキリしている。
部屋がきれいだから、配給の時間に欠かさず来ていたから、だから私は彼にしっかり者のような印象を持っていた。
だがもしその全てが逆だったとしたら?
本当は物凄くずさんで、躾けのお陰でようやく規則正しい生活を送れるようになったとしたら?
全く世の中は怖いものだらけである。
「というか、自分で買ったフィギュアを飾らない人は殆どいません。収集癖に加えてある種の自己顕示欲ですし、貰い物ならまだしも飾らない人はそもそもフィギュアを買う事は無いでしょう。まして彼のようにネトゲに毎月欠かさず課金する人が、ベッドの下と言うちょうどいい隙間にしまい続けることは考えられない事です。
私が言いたいこと、分かりますよね?」
「………」
沈黙。
そもそもクレジットカードという便利な代物がある時代で、レシートを貼り付けて家計簿をつけるという事はあまり無い。月々のカードの利用明細を見れば、それだけで簡単につけることができる。
しかし、通帳は見つからなかったとはいえ、びっしりと貼りつけられたレシートの数々は、どれも現金払いであることを示している。はっきり言って前時代的だが、だからこそ彼を矯正した人物が保守的な思想の持ち主であることを証明できる。
それに、学生時代の友人とも音沙汰がない事から、彼とコンタクトを取っているのは会社絡み、又はネット友達だけ。しかし、会社絡みとはいえメーラーに彼の上司からのメールがあることは確認済みだが、どれも件名がはっきりしている。「thomas@b」などという何を指しているのかわからない名前では無かった。それに、社寮に住んでいるのに同僚がわざわざメールをする必要も考えられない、それなら直接聞けばいいではないか。
そしてネット友達だが、カードすら使わせなかった人物が、ましてゲーム外での交流を許してくれるだろうか?
チャットログという線も無いわけではないが、少なくともそこに運営という第三者の目線が加わる以上、確実とは言えない。
「それと「thomas@b」、トーマスAB、機関車トーマスとかの適当な名前に、ABという取って付けたようなアルファベット、よくあるユーザーネームの付け方だなぁって思ってたんですけど、これ
いやぁ、ぐうぜんだなぁ」
次々とピースが繋がっていく。「闇」による感情の暴走、今回のケースは現代風に言えば「フラストレーション」、続いて「過保護」に該当するのだろう。
そもそもな話、何故受け取った住所を暗号化してまでPCに残す必要がある。それに仕事上統合失調症を始めとした精神病を患った人間を何度か見たことがあるが、ビルや家を破壊している様は苛立ちをぶつけているように見えた。
彼の口から言葉が紡がれる度、伴子さんの顔が生気を失っていく。
「そして何より、伴子さん、あなた自身が所謂「ガラケー」を使っている。それも古い機種、絶版されている代物です。」
「ここまであなたが関与している証拠を言えば十分でしょう。
直接的なものはまだありませんが、いずれ見つかります。
伴子さん、真実を話してください。」
「………………」
しばらく伴子さんはうつむいたままだった。
「伴子さん………」
が、突如として伴子さんの口元が歪み、抑えきれなかった笑みがこぼれ出す。
「ふ………フフフ…………
アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!
あの子がいけないのよ!!!警察が捜査を諦めるまで次のターゲットには手を出すなって念を押したのに!!!あの子は守らなかった!!!!!
お母さんの言いつけを守らない悪い子には、罰を与えるのは当たり前でしょう!!?あなたもそう思わない!!!??」
「…っ」
私は何も言い返すことはできない。母の言いつけを守らなかった、そんなことから始まった些細な喧嘩のせいで、私は人間では無くなったのだ。
私は、少なくとも私だけは、彼女を否定する資格は無い。
この醜い姿で生きると言う罰を受けた私は…
「いえ、そうは思いません。」
「!!!」
だが、バッサリと牧場さんが切り捨てた。
「子は、親の下から巣立っていくものです。それは子供が一人前の人間になった事への証明であり、親はその巣立ちを快く見送らなければなりません。
それに誰しも、いつかは、子供は親に反発するものです。彼は貴女の息子さんである前に、一人の人間なのですから、違う考えを持つのは当たり前のこと。
行き過ぎた愛情、乃ち過保護は、虐待と等しい。」
「っ………わ、………たしはっ…………!!!」
瞬間、彼女の体がボコボコと膨れ上がる。
衰えを見せ始めた華奢な肉体は醜い姿へと変貌し、人のカタチを失った。
未解明のメカニズムは、質量保存の法則さえ超越する。
「闇」が表に出るとき、乃ち怪人体へ変身するキーとなるのは感情の爆発。
第一段階の時点で抑えが効かなくなるほど情緒を破壊されるので、そこまでは簡単に変身することが出来る。
しかし非常に稀有な例であり、これまでに一度しか見たことが無いが、潜伏していた「闇」が消えることがある。
それは宿主の心情を根本から覆されるような、アイデンティティの崩壊。
「闇」は感情や自我に直結している、逆に言えばそこを砕く、否定してしまえば奴らは存在証明が不可能になり、消滅してしまう。当然ながらアイデンティティの崩壊は精神病への特急列車であり非常に危険な行為だが、奴らにとってもそれは同じことなのだ。
要するに宿主の心に外的要因によって「揺らぎ」が生じた時、奴らは危機を感じて障害を排除しようとする。
「牧場さん!! 下がってください!!
爛々と左目が黒く輝き、私の体が人間で無いものに置き換わっていく。
体中の血管と筋肉が異常なまでに活性化し、心拍数が跳ね上がる。
後方で牧場さんが下山するのを確認し、攻撃を開始する。
初手から全力全快、弾かれたように飛び出した。
そして圧倒的な脚力は地面を穿ち粉々に打ち砕く。下山中の牧場さんが巻き込まれないか心配だが、いつもすぐどこかへ行ってしまうので多分大丈夫だろう。
音速で繰り出される拳は鋼鉄の怪人を打ち砕いたそれに匹敵し、目の前の肉塊を粉砕する
はずだった。
ガッキイイイイイイイイイイン!!!!という鉄を叩く音とともに、腕に痺れが走る。
凄まじい衝撃波が発生し、耐えきれなかった周囲の木々が何本か折れた。
今ので右手が砕けた。本来ならば腕ごと逝った衝撃だが、よく耐えるものだ。慣れたつもりだったが、傷の再生とはこれ程までに激しい痛みを伴うものだったのか。
脳内で火花が散ったような、シナプスの唸りを感じる。
修復まで大体3分くらいか、ちょっとヤバいかも。
流石に向こうも苦しむ素振りを見せてはいるが、あまり手応えを感じない。フナムシの鉄仮面は相当硬いようだ。
「いってぁああああああああああああああああああああいっ!!! このおおぉっ!!!」
追加で何発か打撃を与えるが、どれも効いているようには思えない。
フナムシが動き始め、地面を削る。
地面へ潜っては急上昇を繰り返し、質量差を押し付けてくる。
「ならっ!!!」
お得意の瞬足で潜る直前の肉塊の腹に回り、一撃を叩きこむ。
しかしぶよぶよとした外見とは裏腹に、その腹部までもが硬かった。
鉄仮面程ではなく手ごたえは感じたが、傷は浅い。
ぽつぽつと雨が降り始める。
2分経過。
掘った地面を埋める奴の特性上、山の崩落の事を考えなくていいのは幸いだった。
しかし戦闘が楽になるわけでは無い。
右手は殆ど治りかけており、あと30秒もすればすぐに使えるようになるだろう。
第一解放の持続時間は約10分、しかし実際は肉弾戦をメインにしている故接触部からも侵蝕を受け、5分程度が関の山と言ったところだ。
つまりあと3分でこのデカブツを仕留めなければならない。
【!!!】
先程の攻撃で潜る際の隙を理解したのか、直接こちらへ突進してくる。
地面からの急上昇程ではないが地上の速度も中々であり、直撃は可能な限り避けたいところだ。
「そこっ!!」
ぶつかる直前、右足を思いっきり踏み込み、体を左側へ跳ねさせる。
そのまま足が地面についたと同時に反復横飛びのように逆方向へ跳ねる。
ドザァッという土砂が吹き飛ぶ音とともに、渾身の飛び蹴りを食らわす。
向こうもこれには耐えかねるようで、蹴りによって抉られた部分から肉片を飛び散らしながら、悶え苦しむようにのたうち回った。
やっと訪れた追撃のチャンスだが、無闇に攻撃するわけにもいかない。
数mはあろう巨体は無作為に暴れるだけでも相当な脅威になり得る。さすがの再生能力でも限度があるのだ。
当然ながら第三段階とはいえ向こうも「闇」、急激に肉体を再生し体勢を立て直した。
人間の肉体と同じで内部の再生は遅いようだが、それも時間の問題だろう。
少しずつ盤面は詰みへと向かっていた。
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