俺は虐めっ子から・・・

「バァカ! お人好しもここまで来ると最早病気よ!」


 握手&撮影会の開催は午後一時。

 それまで退屈凌ぎにと近辺の喫茶店に入り、優雅な一時を過ごせるはずが開口一番に罵倒された。いつもは程良い苦味が癖となるブラックコーヒーも、何だか不味く感じる。


「いくらアタシでも、折角もらったチャンス流したりしないって~の!」

「良いんだよ……。それであの子の嫌な思い出が無くなるのなら、俺の後悔なんて小さくて安いもんさ」


 言いつつも自他共に認めて元気が欠けている。

 溜め息を漏らさんと一口入れ、苦さを舌先で転がす。


 結局俺は、せっかく譲ってもらった整理券をあの親子に渡した。偽善行為だのあれやこれや言われるだろうが、自分のした行いは決して間違っていない。

 メカニズムには詳しくないが、脳は幼少期に味わった辛い経験をふと思い出させ、急激にストレスを与えてくる。苛立ちの発散として物に強く当たる傾向もあるが、一番最悪なケースが傷害への発展、つまり虐めだ。


 確固たる自信はないが、人を苛んで鬱憤を晴らす非人道的な人種が世の中には蔓延っている。身近な人間で例えると、村上がまさに該当するだろうな。あいつ今どうしてんのかな。

 風の噂によると、一時間毎に病室内で奇声を上げるだとか何とか……どうでもいっか。


 まあ結論なにを伝えたいのか。今回のちょっとした俺の行為は、あの子が将来受けるはずだった精神的ストレスをひとつ消してあげたようなものだ。

 さすれば人への危害を加える要因にもならずに済むし、虐めっ子サイドに回ることはまず無いだろう。これからの人生で他にもきっかけは生まれるだろうが、今日の出来事がこの先彼に大きく影響してくれると俺は信じている。


 ……って、もう二度と会う機会も無かろう子供に、なに期待してんだか。

 恥ずかしさが急速に成長し、むず痒さを紛らわそうとコーヒーの苦味を再度取り入れる。


「そこのキミ。ちょっと良いかな?」


 カップをソーサーに置くと、またしても後方から声が掛かった。一日に二回なんて珍しい。

 顔は視認できないにしろ、声音を聞くに先ほどの男性じゃない。何か……ここ最近までずっと耳にしてた爽やかボイスのような気が……。


 振り返ると、黒のタートルネックにグレーのチェスターコートを羽織った一見柔らかそうな雰囲気の男性が立っていた。加えて黒ハットにサングラスと、素顔の判断できない様子は怪しさ全開だ。


「えっと……どちら様でしょうか……?」


 有り体に言うと、相手方は心外そうにリアクションを取る。でも直ぐにハッとした。


「あ、ごめんごめん。この姿じゃあ丸っきり不審者だったね」


 ドジっぷりを認め、たははと笑い誤魔化しながらサングラスをはずした。


「……んぐっ!?」


 白倉の紅茶を吹き出す音が耳に入る。

 後頭部に掛かった冷たい飛沫には現状目を瞑る。目前の優先度が圧倒的に高いからだ。


「あ……あ……」


 瞼を大きく開き、ぱくぱくと餌を待つ鯉の如く口元を動かしてしまう。

 中性的な整った顔立ち、特徴のある目元、三十路近くだと感じさせない若々しさ……俺はこの人を知っている。最近じゃない……昨晩も見た。もっとも、若い時代のだけど。


「僕のこと、知ってるかな?」

「……お」


 息を呑んで、俺は男性の名前を口にする。


「小桐……雄介さん……ッ!」


 俺たちの前に立っていたのは、述宮峯飛役を演じた現役俳優の小桐雄介おぎりゆうすけさんだった。ファッションによる印象操作って凄いな。


「お、大正解。さすが、ヒーロー記念館に居ただけのことはあるね」


 眩しい片目ウインク。マジック時代は不慣れだった初々しい動作も、今では大人の魅力を惹き付けるアピールのひとつとして取り入れられていた。


「どうして……知っているんですか……?」

「僕も居たからさ」

「え、じゃ、じゃあ……小桐さんも、ひょっとして握手をしに……?」

「そ。マジックが当選したってマネージャーから通達を受けてね。お忍びで来たのさ」


 再度グラサンを掛け、口元に指を当てる。声を出さず『し』の発音時に形作り、息を漏らしてやんわりとジェスチャーも加えられた。

 無理な抵抗だろ。だってオーラが違うもん。店内のスタッフや来店客何名かが、それなりにざわめいてますって……。


「ところでキミ」

「は、はい!?」


 芸能人、ましてや尊敬に値する人物から話し掛けられ、過剰に反応を示す。心臓止まる。


「さっき、泣いてる子供に自分の整理券渡してたよね?」

「あ、は、はい!」

「どうしてそんな行動取れたんだい?」


 爽やかボイスに乗せて意図を尋ねてきた小桐さんの、真っ直ぐな眼差しが突き刺さる。正視に耐え兼ねない。

 映像と生とでは、カッコ良さが断じて違かった。


「え、えっと……えっと……ですね……」


 こんな時でもお構いなしに、頬をぽりぽり掻く病が発症した。なおも爽やか俳優さんは、一般市民からの返答を落ち着き払った様子で待ってくれている。


 マジックもそうすると思ったから。


 なぁんて本心を打ち明かしても、充分に満たされるのは俺単体。ましてや初対面の相手に伝えても、変な空気プラス変なヤツ扱いされてハイ終わりだ。


「か、可哀想だなって……思ったからです……」


 という訳で単純に答えた。うん、シンプル・アンサー・イヅ・ベスト。


「そっか、優しいんだねキミは。だったら、温かい光景を見せてくれたお礼に、これをプレゼントするよ」


 小桐さんがグレーコートの内ポケットから、蛇腹式の黒い財布を取り出した。

 やややややや、ちょちょちょちょちょちょ!?


「な、何をしてらっしゃるのでごじゃりましょうかね!?」


 動揺が最大値を超えて発言がおかしくなったのは認めよう。白倉も笑いを堪えている。

 それより、ひとつひとつの動作だけでも緊張感が漂うのに、更に貴重品のご登場で心臓の鼓動が加速する。まさかお金……諭吉様でしょうか。

 はてなマークが脳内を埋め尽くし真っ白に染まるかもしれない瀬戸際の中、小桐さんが目的の物を引き出した。


「はい、あげるよ」


 惜しみなく差し出された小さい用紙を視界が捉える。少々折り目やシワの目立つ、整理券だ。


「それって、小桐さんの分じゃ……?」



 先行して白倉が問い掛けてくれた。すると小桐さんの相好が崩れる。


「僕は平気さ。というのも、開始時間になるまで我慢出来なくなっちゃってね。良くてコネ、悪くて職権乱用って言うのかな。たった数分前にスタッフに頼んで、もう握手と撮影を終わらせてきちゃったんだ」


 にひっと無邪気さを剥き出したその表情は、今の今まで画面越しから目にしてきた述宮峯飛さんそのものだった。感涙に咽びそうだ。


「だからあげるよ。もう満足しちゃったようなものだし。それに、キミの取った行動が中々頭から離れなくて、絶対渡さなきゃなって決めてたんだ」

「つ、つまり……わ、わざわざ……こんな自分の為に……探しに来てくれたんですか……?」

「そうだよ」


 たどたどしく問うと、ネット配信時に『唯一の癒し』と赤いコメントで埋まる微笑みが向けられ、頷かれた。憧れのヒーローに変身した役者さんが俺に会いに来ただなんて……未だかつて無い経験だ。長生きはするもんだな……。


「だってキミみたいな優しい子には、生きている今の内に楽しい時間を過ごしてもらいたいからね」


『……え?』は俺だけでなく、白倉の分も上乗せされた。


「述宮くんもキミと同じくらい凄く優しい主人公だったけど、最後は不幸にも事故死しちゃったでしょ。その生涯があまりにも不憫だと思えてね。演じた僕が言うと複雑だけども」


 唐突なユーモアセンスに薄く応答してしまいそうになるも、白倉が口許を緩めてくれたおかげで場は取り持たれた。円滑に進ませるのには適した人種だ。


「でね、彼のように真っ直ぐで心優しい人には、是非とも楽しい一時を味わってもらって、幸せを存分に感じ取ってもらいたいって思いに至ったんだ」


 照れ臭そうに後頭部を擦りだす。〝真っ直ぐで心優しい〟には、わずかな後ろめたさを感じてしまうが、それでも嬉しかった。あの述宮峯飛さんに……褒められたんだから。


「あ、でも既に大きな幸せは掴んでるっぽそうだし、心配はご無用ってところかな」


 おちょくる言い回しに真意を汲み取れず、逸らされた視線の先が掴めずと、急に疑問符を大量に生み出させてくれた。処理が滞り、数秒間機能停止に陥っていると。


「大切にしなよ」


 肩にぽんと手を乗っけられた。大切……整理券のことか?

 意味を尋ねんと首を回すと、白倉が顔を俯けていた。残っている紅茶にも手を付けない。具合でも悪くなったのだろうか。

 なにはともあれ、最高の贈り物を戴いた結果には変わらなかった。


 ▲▲▲


 イベントは施設正面玄関前を会場に、午後一時ぴったりに開催された。

 スタッフのお姉さんによる掛け声にファン一同は呼応し『マスクド戦士マジック』の名を上げる。


 幼少期、我が儘を言って買ってもらい、ディスクが擦り切れるまで聞き込んだオープニングの前奏……テンポに合わせ、施設内から黒い素体に白い鎧を身に纏った黄色い複眼の仮面ヒーロー、マジックが登場してきた。

 瞬きする間もなく正面玄関は熱狂のスタジアムと化し、悲鳴に似た歓声が渦巻く。未だに根強い人気があるとの証明だ。


 衰えないカッコ良さ……立ち姿を見ているだけなのに興奮と涙が止まらなかった。隣の白倉も目から溢れ出る水滴を幾度と拭い、押し潰した歓喜と嗚咽を交互に漏らす。

 順番が来るまでの間、推定二十回以上は彼単体の写真を撮っただろう。

 変身、ファイティング、必殺キック時の構え、そしてトレードマークのピースサイン等々。ファンたちの要望に快く応え、次々と劇中でお馴染みのポーズを決めてくれる。これが神対応か。


 自分の番にはどれにしようかと思案していると、あの男の子の姿が映った。

 マジックに抱きかかえられ、張り裂けそうな喜びをこれでもかと顔で表現する。次に母親が握手を行うと、綺麗な表情がみるみる崩れ始め、涙した。どうやら整理券が手に入らなかったあの時あの場、悲壮に満ちたのは子供だけでは無かったようだ。

 大人もこれ程までに感動させ惹き付けてしまう特撮作品の魅力と影響力に、感服する。


 それから待つこと数分、いよいよ白倉の番が来た。レディーファーストってやつさ。

 誰よりも一番彼との握手を望んでいた彼女は、スタッフのお姉さんがドン引きするのを気にも留めず、アシカが餌をねだる時と同じような声を発しながら泣きじゃくり、差し出された手を目一杯力強く握ってぶんぶんと上下に振った。腕取る気か。


 撮影時には最早どのカテゴリーに属しているのかも不明な顔作りをした為に、マジックは困惑の様子を示し、撮影を担ってくれたもう一人のお姉さんスタッフに至っては大口を開けて大爆笑していた。他人のフリをかまそうかと正直迷ったのは本人に黙っておこ。


 そして到頭……俺の番が来た。


 本来なら遠くから眺めるのみで、タイミング次第で不正にも接触を図る考えにまで至ったヒーローとの合法的な対面。映像、写真でしかお目に掛かれなかった尊き存在に、いざ右手を伸ばす。


 がしっと掴んだスーツの質感、温かい感触、最高と言わずになんと言う。

 ほんの数秒間を、悔いを残すことなく堪能し、写真撮影へと移行する。ポーズはお決まりのピースをジェスチャーで頼もうとした……が、マジックはいきなり肩を組んできた。


 どよめく空気とシンクロして目を泳がせると、スタッフから事訳が伝えられる。

 開催直前に訪れた小桐雄介さんが、こっそり撮影した俺の画像を見せ〝特別扱い〟をするようにと頼んでくれたそうだ。

 親子に整理券を惜しみなく渡す場面はスタッフ一同、更にスーツアクターさんも目にしていたらしく、了承してもらえたのが現状の理由である。

 羨ましい視線は痛いほど刺さった。しかし遠慮する必要は無い。

 俺は誇らしげな態度を取り、出演者や作品関係者にしか認められない肩を組んでのピースサインで撮影に臨んだ。


 全てがあっという間の出来事だった。


 イベント終了後には付きものの虚無感に襲われ、心にぽっかりと穴の開いた気分に苛まれる。握手と撮影を終えてから取り憑かれたように青空を見上げ寂しさを紛らわせていたが、いつまでも維持し続ける訳にはいかなかった。


 ヒーロー記念館の最寄り駅から俺たちの降車する目的地までに戻る電車の本数は、一時間に一本のペースと非常に少ない。

 専用アプリで探した時刻によると、あと十分前後で着いてしまう。

 余韻に浸りたい衝動を抑え、早足に向かう中。


「終わっちゃったね……」


 二歩ほど遅れてついてくる白倉の、空白感溢れる台詞が聞こえてきた。


「そうだな」


 素っ気無い返事なのは従順承知。でも悠長に会話を交わす暇は無い。

 乗り過ごせば帰りと晩御飯の支度が遅れ、リアのキックが飛んでくる。おまけに前々から練っていた予定を根本から崩され、半分以上不機嫌だろうし威力も相当だろう。


「それにしても、小桐さんが整理券取り出した時のモッキーの慌ただしいリアクション最高に面白かった……ッ!」

「仕方ないだろ。有名人が一般人の前で財布開けだすなんて、普通じゃ有り得ないんだからよ……」


 含み笑いに憮然とした態度で返す。お前も絶対同じ反応取ってたって。


「あはは、めんごめんご。それともうひとつ、喫茶店で怒鳴っちゃった事も謝るわ。ごめんね」

「いいって気にすんな」


 歯牙にかけていない証明を言葉に変換すると『お、やっさしぃ』とからかわれる。末代まで恨む方向にすればよかった。


「ねぇ、アンタって本当に優しいよね。小桐さんが認めるのも分かる気がする~」

「そうかい、ありがと」


 一瞥もくれずお礼を口にしたのは失礼に値するが、その件については電車内で謝れば済む話。とにかく今は一刻を争う。急がなきゃ。



「爽真」



 その一言が俺の意識を引き寄せ、歩を止めさせた。


「は?」


 踵を軸に後ろを見ると、白倉も足を止めている。


「いいでしょ、名前呼び」

「いや、良いも何も……急にどうした……?」

「だって、もうキモオタって思えなくなっちゃったんだもん」


 手を後ろで組み、前屈みしてくる。少しぶかっとしたシャツの隙間から肌が見え、なんとも無防備かつ大胆な仕草に男であるが故、悶絶しそうになった。


「だったら……もうモッキー呼びは無しか……?」

「それは有り得ない」


 発言が瞬殺された。


「学校でも呼んだら変な空気になってバレるでしょ。だから、名前呼びは二人の時でってことで。良いよね?」


 だと思ったよ。


「ああ……構わないぞ」


 拒絶理由も無ければ寒気も催さない。もう好きに呼んでくれ。

 つうか、寧ろ使い分ける白倉のほうが日常生活において負担が掛かるのでは……?


「じゃあ早速だけど爽真、伝えたい事があるの」

「電車に乗ってからじゃダメか?」

「今このタイミングで伝えたいの」

「……なに?」


 妥協皆無の頑固な態度に反論する気も起きず、諦めて聞き役に回る。恐らく梃子でも動じないぞ。


「この前さ、賭け事したじゃない?」

「したな。何だか色々とごっちゃ混ぜにされて最終的に引き分けになったけど……」

「それさ……やっぱアタシの負けって認める」

「今更かい……」

「今更だよ」


 悪びれる姿勢ゼロで答えを返された。執着の薄れた話題を蒸し返したと思えば、お次は勝敗の訂正。車内に揺られながらも聞けそうだと指摘し掛けたが、気の済むまで喋らせてあげようと口を噤む。


「でもさ、勝ったんだから構わないでしょ?」

「そうだが……握手会に付き合ってくれるのが敗因の代償じゃなかったのか……?」

「それもキャンセルで」

「なら……何してくれるんだ……?」


 意図が掴めず、質問攻め態勢に移る。


「〝する〟ってよりかは〝あげる〟の方かな~」

「あげる……?」


 この期に及んで何を恵んでくれるっていうんだ。

 帰りにお菓子でも奢ってくれるのか。ていうか、俺まだいつしかのジュースすら買ってもらってないんですけど。


「爽真……」


 ひとり勝手に不満を募らせていると、白倉が改まったように俺と目を合わせてきた。



「アンタに……アタシの日常をあげる……ッ!」



 だいぶ端折られて意味不明。


「なに……言ってんだ……?」

「言葉通りだよ。爽真といると……すっごく楽しいって、ここ最近感じてきたんだ。目の前にいてくれるだけで胸が苦しくて仕方ないの。今も張り裂けそうなぐらい……。ずっと隣にいたい。その為には、えっと……そういう関係性にならなきゃいけないって、思ったの……」


 片方のおさげを指でくるくると回し、地面、俺、地面、たまに横、そして俺と、彼女の瞳がランダムに動く。

 言い辛そうな、けど言わなければ後悔する素振りに、黙って耳を傾ける事しか出来なかった。


「まだピンと来てないなら、別の言い方をさせてもらうね……」


 一呼吸置き、白倉薺は……心情を伝えてきた。



「爽真。アタシと」



 その先は突風に吹かれ、彼女の声は雲ひとつ無い青空へと散っていった。

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お高くとまるイジメっ子は俺と同じ特撮ヒーローオタク 三原シオン @sancaksicaku

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