彼女は俺と・・・

運命の日。握手会当日

 人に言えた義理ではないが、白倉薺の待ち合わせ場所到着は早い。


 前日打ち合わせた時刻よりも一時間先に向かうと、既に来ていた。午前七時に集合のはずなのに、お互い顔を合わせたのが午前五時五十五分。


『はやッ!?』と驚く彼女に『お前もな』と咄嗟に的確なツッコミを入れられたのは奇跡に等しい。

 それから二人で目的地に出発すること電車を要して二時間、ヒーロー記念館に行き着いた。


 待ちに待ったマスクド戦士マジックとの握手&撮影会。

 一部不正を働かせたにしろ、見事一位にのし上がらせた憧れのヒーロー。彼を題材とした専用の舞台に俺たちは高揚感を沸き上がらせ、早く会いたいと最寄り駅降車時から胸を躍らせていた。


 しかし、視界に映った光景に唖然。度肝を抜かれた。

 目が捉えたのは人、人、人……。すなわち行列だ。

 細長い布で覆えば大蛇が完成するのではないのかという長蛇の列。最前列から最後尾まで、数えても二百人は軽く超えていた。


 誰もが〝いの一番〟を狙っているのだろう。


 この手の催し物には混乱を未然に防ぐ為の整理券制度が設けられる。当然数には限りがあるし、公式サイトの記事欄にも明確な数値が載っていないから何枚配布されるのかが把握し切れない。運営しっかりしろ。

 従って、待つほか方法はない。

 出遅れて並んだあとも列に参加するファンは止まる所を知らず、三十分で大体五十人近く増えた。


 現在の時刻は午前九時十三分。

 余裕ぶっこいていた体力も限界を迎え、ゲージで表せば赤ラインぎりぎりだ。

 何しろ起床したのがゾロ目の三時三十三分……いや、それは手洗い場から戻ってきての時間だから正しくは三時十五分か。おまけに前夜はリアとの鑑賞会にてマジックの最終戦で熱くなってしまった為に、中々寝付けれなかった。


 必死に瞼を閉じてようやく意識が薄れてきたのが大凡おおよそ二十四時周辺。なので実質睡眠不足だ。欠伸は止まらないし、未だ移動も無しで身体がだれて若干睡魔が襲ってきている。


「……ねぇ」


 と、ここで隣に立つ白倉の声が耳に届いた。口調には不満な様子が含まれている。


「どうした?」

「握手……できるのかな……?」


 察した通り、杞憂がぼそっと吐かれた。

 それは俺も思った……が、ここで『分からん』や『無理かもしれない』という返答は禁句だ。


 せっかく早起きまでして列の一部に溶け込んでいるんだし、その努力をマイナスな発言ひとつで台無しにする訳にはいかない。相手が不安がった際は、決まってこの言葉を掛ける。


「大丈夫だ、心配するな」


 最早口癖にもなったこの台詞は、マジックこと述宮さんが劇中で多用した名言のひとつだ。

『根拠は無いが、とにかく心配しないこと。幸せが逃げるぞ』という意味が込められている。シンプルなフレーズにえらく痺れ、日常でも使用できるのが最大の利点だ。

 たまに気安く言うなと反感を買う場合もあるが、白倉は顔を綻ばせ『うん!』と返事をしてくれた。現状この場は効果有りと判断でき、俺も自然と笑みを零す。


 刹那、後方から風が吹いてきた。先週の肌を刺すような寒風ではない。春の時期を迎え、初めて感じ取れた仄かな温かさだ。

 ふと見上げると、雲ひとつ無い澄み切った青空が視界いっぱいに広がる。

 どこまでも広がる青さを前にしただけなのに、何故か例えようのない満足感を得られた。まるで吸い込まれそうな感覚だ……。


「ところでモッキー」

「今度はなんだ?」

「ケガのほう……良くなってきた……?」


 視線を青空から白倉に移す。唐突ながらも気に掛けてくれる優しい一面が、素直に心に響く。


「大方はな。触ると地味に痛む箇所がまだ何個かあるけど」


 特に左頬は、迂闊に手で押し込もうものならツーンとした刺激が襲ってくる。幼少期に一度だけ経験した虫歯並みだ。


「ていうか、お前のほうこそ引っ叩かれたところは痛み引いたのか?」


 アマチュアレベルにしろ、ボクシングジムに通う人間の平手打ちを受けたんだ。女王としての威厳を維持した一昨日にクラスの女子たちが腫れた頬に驚愕し、本人は姉との喧嘩と誤魔化すもお節介メンバーに保健室に連れていかれ二日間の湿布生活を送っていた。

 今日は剥がしていたにしろ、赤みは残ってる。あのクズ……どれほどの威力で殴ったんだよ。


「アタシも、多少は治まってきたって感じかな……」


 自身の頬を優しく撫でつつ『ありがと』と、ぽそり口にした。なんの感謝なんだろうか。

 少なくとも双方、顔に受けたダメージに関しては特に問題は無さそうだ。であれば開館までの残り数分を、文句も垂らさず待つことにするか。


 ▲▲▲


 入館後、スタッフから告げられた整理券の配布数は、二百十七枚。


 中途半端な切りの悪いこの数字ほど、マジックファンとして大歓喜に勝るものはない。

 変身者、述宮峯飛さんの誕生日は、設定上二月十七日。

 また、専用ビークルを起動させるのに必要な四桁の暗証番号としても『0217』が用いられている。根強い愛好者なら即連想するのは容易い。


「大変申し訳ございません。整理券のほう、たった今配布終了となりました……」


 で、俺はその記念すべき二百十八番目に降臨していた。スタッフが居心地悪そうに困惑する。


「あ、はい、分かりました……」


 足掻き藻掻いても他に打つ手が無ければ現実を受け入れるしかない。

 後列の同士たちも悔やむ溜め息を漏らす。いや、俺のほうが痛恨の極みだぞ。目の前で無くなったんだからな。


「あ、ありゃりゃ……残念だったね……」


 二百十七人目で最後の整理券を手渡された白倉の表情は、喜びと同情の境目でうろうろと彷徨っている。上がる口角を懸命に抑えていた。


「いいって、気にすんな」

「え、でも……」

「人のご厚意は素直に預かること。これ常識」


 気を遣われるのも面倒だと思い、頭頂部に手を乗せ帽子越しに少々乱暴っぽくぐしゃぐしゃと撫で回す。お子様扱いが癪に障ったか、頬を膨らませて唸られる。

 しかしながら整理券入手の喜びが上回り直ぐに、えへへと表情を緩ませた。それで良い。


 いちいち不機嫌な相手に自分の感情を押し殺していたら、疲労が溜まる一方だ。わざわざ娯楽施設に来てまで、不快を表に楽しい雰囲気をぶち壊したくはない。

 でも悔しさは元気よく根を張っている。深く、より深く突き刺さったまま。

 こうなれば登場時と退場時に死角からさり気無くボディタッチをするまで。バレたら白倉を躊躇なく置いて逃げればいい。俺は運動会での短距離走はカタツムリ並みだが、逃げ足だけは害虫の王に匹敵する能力を有している。嘗めんなよ。


「あのぅ……」


 綿密に逃走経路を脳内展開させていると、後ろから声を掛けられた。振り向いた先で眼鏡をかけた男性が一人立っている。やや細身で身長は俺と大差ない。優しい風貌が特徴的で、表現としては如何なものか平均的なタイプだ。


「「あ……」」


 その既視感に俺たち二人は声を合わせる。白倉もフラッシュバックしたみたいだ。


「どうも。またお会いできて光栄です」


 先週の土曜日、スタンプラリーで出会った父親だ。流れで愛想を交わし、互いに会釈する。


「その節はありがとうございました。おかげ様で、あの時は姉弟仲良く、笑顔で帰ることができました」

「あはは、それは良かったです」


 白倉が社交的に対応し始める。地味に引っ込み思案な俺には助かる存在だ。


「ところで、御二人は整理券貰えたんですか?」

「それが、彼の前で終了しちゃったんですよねぇ」


 背中をぽんぽんと叩かれる。明るめな空気を崩さないユーモア含めた絡みに、苦笑で返す。


「あ~それは残念でしたね。でしたら、こちらを差し上げます」

「え……?」


 哀れまれるだけかと思いきや、男性が『整理券』と印字された小さな紙を出してくる。

 放心状態は隣の白倉にも伝染した。


「い、良いんですか……?」

「ええ。スタッフの方が慌てらしてたのか、一枚余分に渡してくれたんですよ。つまり、これはアナタが本来受け取る予定だったもの。アナタの整理券と言っても何らおかしい部分はありません」

「え、で、ですけど……お子さんの分に回したりとかは?」


 ストレートに受け取るのが申し訳なく、葛藤が渦巻く。


「いえ、今回は単独で来ました。さすがに、子供たちを早朝連れ回すのは許せないって、妻から怒鳴られましたから」

「ということは、ご主人のほうがマスクド戦士大好きなんですね?」


 わたわた取り乱す俺とは対照的に、白倉が落ち着いて会話を成り立たせてくれる。


「はい。昔からヒーローが大好きでしたし、何よりマジックは、妻と出逢えたきっかけでもありますから」


 夫婦でマジック好きか……羨ましいな。


「あ、すみません。こんな惚気話を……」

「いえいえ、寧ろ素敵なお話にウットリしちゃいました」


 照れ臭そうにはにかむ相手にフォローまで入れられるなんて、こいつ高校生の分際で対人関係最強か……。弟子入りを希望したい。


「とにかく、この整理券はアナタがもらってください」

「ほ、ホントに良いんですか……?」

「構いませんよ。先日のお礼も兼ねてですから」

「ほらモッキー、もらっちゃいなって」


 確かに、こう拒み続けていても埒が明かないのは分かり切った状況だ。ご厚意は素直に預かれってさっき言った手前、発言者が背くのは言葉としての責任を放棄した事となる。


「あ、ありがとうございます……」


 結論、受け取る道を選んだ。


「いやぁ、もう一枚重なってた時はテンパりましたが、直ぐ返しに行かなくて良かったです。アナタのような恩人に渡せたのですから」


 歯の浮く台詞も、雰囲気の影響か妙に嬉しかった。照れ隠しに整理券に目線を移すも、限りない喜びが上乗せされ、ついニヤッと笑ってしまった。


「良かったね」

「ああ……ッ!」


 すると、子供の泣き喚く声が館内中に響いた。発信源となる正面玄関に目を向けると、手で涙を拭う男の子が見える。隣には母親らしき女性が寄り添い『次は早く来ようね?』と宥める姿が映った、


 一目で整理券を貰えなかったサイドだと悟る。憧れのヒーローが来るのに、たったこの紙っ切れが無いだけで近付くことすら許されない理不尽な制度。まあ混乱を避ける防止対策であるから仕方無い……が、あんな五歳近くの子には理解できんだろうな。

 期待に胸を膨らませて並んだのに、得たものは何も無い。隣の白倉も経験した虚無感だ。

 だから俺は。


「すみません。これ……」


 声を掛け、台詞の後半を濁しつつ譲渡してくれた男性に訴えかけた。


「ええ。もうそれはアナタのものですから、どう使おうと構いませんよ」


 見事に察してもらい、念のための許可を得て俺は一歩踏み出す。

〝彼〟も迷わず、そうすると思うから……。


「え、嘘でしょ……?」


 白倉のドン引きする声が背中に浴びせられる。けど足を止めない。

 おろおろする母親に、泣き乱れる男の子、利用客の視線が集められる中を進んでいく。

 短所な引っ込み思案も、この時ばかりは勢いで抑制できた。


「あの……」

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