206 王の首
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パレッタは一礼し、さらに続ける。
「このたびの天変における首謀者は、ドド神と思われまする。皆さまといたしましては、彼をまず裁くべきとお考えの方も少なくないであろうことと、思いまするが……、審議は逆に行いまする。
つまり、先にアフラムシカ神の罪状の確認をさせていただきまする。
これは、アフラムシカ神自身の希望でする。ご異論がおありの方、いらっしゃいまするか?」
再び、場がざわつく。
ララキは無意識に、両手を祈るように握り合わせながら、あたりの神々の言葉に耳を傾けていた。
これからアフラムシカをどうするか決める権限を持つ者たちが、彼についてどう思うのかを知りたかった。
彼がしてしまったことについて怒っているのか、彼を憎んでいるのか、あるいは他の感情を抱いているのか。
雑音の真っただ中にいるというのに、なぜか自分の心臓の音もよく聞こえた。
──ララキ、おまえは何もするなよ。
耳の奥でクリャの声もした。
どうして、と反射的に聞き返したララキに、彼は宥めるように続ける。
──たとえアフラムシカに重刑が決まったとしても、おまえひとりの力ではどうすることもできないからだ。
それにアフラムシカ自身が望むまい。
元は人の身で、神と融合したとはいえその相手は外の神たるこの私だ。今も多くの神と精霊は私たちのことを忌み、恐れている。
下手な口出しはむしろアフラムシカに不利となるだろう。
「はーい。異論ってわけじゃないけどぉ、一応その理由を聞かせてほしいかな」
隣のラグランネが挙手して言った。パレッタは頷き、
「アフラムシカ神の言によれば、彼の行いこそ、今回のドド神の行為の元凶であったとのことでする。
しからば時系列に沿って事実を検める必要があり……」
「そういうことなら、あとふたりばかり証人として議場に出てもらう必要があるんじゃねえのか?
外神タヌマン・クリャ。そしてチロタの末裔ララキ。幸いどちらも今この場にいる」
『──ララキの言葉は必要ない。私だけで充分だろう』
カーシャ・カーイの一声によって一堂の視線がララキに集まった、そのさなかに突然、クリャが身体の支配権を取り返した。
一瞬にして人間の肉体から獣の姿へと変わり、声も神のものへ。
そのまま翼のひと振りで空へと舞い上がり、パレッタのところへ数秒もかからずに降り立つ。
急なことにララキは呆気にとられてしまったが、すぐに気を取り直し、精一杯苦情の声を上げる。
──ちょっと待ってよ、後でいいからちゃんとあたしにも発言させて!
──うるさい。少し黙っていろ。
次の瞬間、ララキは口を塞がれてしまった。
肉体を乗っ取られているのに妙な話だが、心の中とでも言うべき空間があって、そこにララキの形をした魂があるのだ。
その背後からねばつくどろどろの闇が湧き出して、ララキの魂を拘束したのである。
ララキはもがいたが、神の力に敵うはずもない。
こんな力技ができるとは知らなかった。
歯噛みするララキのことなど無視して、クリャは淡々と語り始める。
クシエリスルが発足した当時、アフラムシカ本人から離脱してほしいと頼まれたこと。
その理由。
内部に背反者が出た場合のために、外部で活動できる協力者を彼が必要としていたこと。
なぜならクシエリスルはその構造自体に参加する神々の力が組み込まれており、悪用されれば誰も身動きがとれなくなってしまうからだ。
緊急時の対策として、確かに外部の神は必要だった。
それは今回のことで誰もが思い知った。
問題があるとするならそのために滅んだ国があること……人が、獣が、土地が、そしてクリャに従った小さな神々が、異端者を排除しようとするクシエリスル陣営の動きによって虐げられ、消えた。
『恐らく、いや、当然と言うべきか。どれもがアフラムシカにとっても想定外の事態であったらしい。
彼は何度も私に謝罪し、私や私の民が少しでも苦難を逃れられるようにとさまざまな手を打った。
だが、それは裏を返せばクシエリスルに対する背反行為にあたるのだろうね。
それに結局はララキひとりを残して民も獣も滅び去り、残ったのは毒と汚泥に冒された不浄の地だけ。
私にとっては、アフラムシカの行いは破滅への道案内に過ぎなかった。
生き延びるために諸君らから搾取したこともあったが、それは絶対に滅ぶなというアフラムシカの指示に従ったまでだ。彼は手段までは指示しなかったのでね。
その件について私に訴えたいことのある者は、この審議とは別で直接私に言いたまえ』
クリャはそこで口を閉じ、パレッタに視線を送った。
証言はこれで以上ということだ。
「以上のタヌマン・クリャ神の証言について、質疑のある方は挙手をお願いいたしまする。
……カーシャ・カーイ神、どうぞ」
「いや、破滅への道案内ってのはなかなかいい表現だな。
それでひとつ聞きたいんだが、おまえはアフラムシカに対して恨みや憎しみを抱いてんのか? 正直なところ──奴に罰を望むのか?」
『まあ、恨んだことがないと言えば嘘にはなるな。だが己の意思で従ったことに文句はない』
「つまり罰を与えなくていいと?」
『……彼を罰したところで、私の民は戻ってはこないのだ』
羽毛に包まれた腕が、鱗に覆われた指が震えているのを、クリャの中でララキも感じた。
たぶんクリャはアフラムシカの処遇をさほど気にしていない。
というか、とてもそんな余裕がないのだ。
飄々と振る舞ってはいるが、彼にとっての最大の関心事は今後の自分たちの居場所と、
今は緊急時だからクシエリスルの神々に交じってアンハナケウに滞在しているが、この裁判が終わってからはどうなるかわからない。
なにせ民はそのほとんどが死に絶え、ただひとりの生き残りは自らと同化している。
分離する手段は今のところない。
ある意味もう完全に信徒を失ったにも等しい状態で、あの獣も棲めない荒れ果てた土地で、これからどうやって生きていけばいいというのか。
(思えばクリャも、けっこう可哀想な立場なんだよね)
ララキは物心ついてからさんざんクリャに振り回されてきたが、それだって元を辿ればアフラムシカの指示のせいだった。
結界に閉じ込められたのも、身体じゅうに紋章を刻まれたのも。
でもどうしても、ララキはアフラムシカを恨めない。
それは決して恋心のせいだけではないと思う。
ララキのほんとうの両親は死んでしまったけれど、代わりにたくさんの愛情を注いでくれたライレマ夫妻がいた。
結界での暮らしは辛かったけれど、それよりもっと濃くて鮮やかな思い出がたくさんあるから、あの日々を思い出して眠れない夜を過ごしたりはしない。
ララキはひとりではないし、幸せだった。
だから絶望なんてしない。
アフラムシカの裏切りを知ったときだって、ララキは挫けなかった。
養親がいて、相棒と友人がいて、獣たちがいて、みんながララキを支えてくれるから。
ララキとクリャの違いはそこだと思う。
クリャには民がいない。
手助けをしてくれるアフラムシカはいたけれど、末裔のララキには長いこと嫌われていたし、彼はずっとひとりぼっちで戦ってきたのだ。
(……今さらだけど、ごめんね。
知らなかったから。あなたがそんなに、悪いやつでもないってこと)
なんて思っても、魂を塞がれているのでクリャには届かないのだろうけれど。
「他に質問なさる方がおられぬのでしたら、アフラムシカ神の弁明を伺いたいと思いまする」
パレッタがそう言ってあたりを見回す。
ちなみにララキがあれこれ考えている間もクリャには幾つか質問があったようだが、それは生け贄を封じた結界のことであったりチロタの現状であったりと、どれも事実の確認をした程度のものばかりだった。
そして、それ以上の問いかけの声は上がってこない。
手が挙がらないのを見とめたパレッタが次に進めた。
「では、アフラムシカ神はここへ。
ただいまのタヌマン・クリャ神の証言についてはいかがでするか」
「異論ない。概ね彼の話したとおりと認める」
「つまり彼に神盟からの離脱を指示したことは事実であると」
「そうだ。ために彼が民と地を失い滅亡寸前に陥ったことを含め、すべて私の考えが至らなかったせいでもある。
……私は驕っていた。クシエリスルという事業を達成したことで、己に大陸の多くの神々を御する力があるなどと思い込み、ゆえにクリャを充分に守り通せると自惚れていた。
結果として神界に無用な争いを生み、ひいてはドドをあのような凶行に走らせた。
今回の件についても、そもそもの元凶はこの私であることは、ドドの発言からも明確だろう。彼の前に私をこそ罰するべきだ。
皆に多大な迷惑と苦難をもたらしたことを詫びる。申し訳なかった」
アフラムシカは静かな口調でそう告げて、すべての神に向かって頭を垂れた。
群衆が揺れる。
この大陸でもっとも強大な神のひと柱が、このような殊勝な姿を見せたことに対し、それぞれ困惑や戸惑いを感じているようだった。
平身低頭するアフラムシカの背後で、クリャはひとりひとりの表情をじっくりと眺めている。
彼の内側からララキも見た。
最前列は盟主たちで、真っ先に目を引くのは泣きそうな顔をしたルーディーン。
その隣のカーイは逆に面白がっているような眼つきだ。
二体のヴィーラは揃って呆れ顔、そして仮面のために表情がわからないはずのガエムトは、なぜか今は落ち込んで見える。俯いているからだろうか。
その両腕に赤子のように抱えられたフォレンケが、虚ろな表情で静かに涙を零したのを、クリャははっきりと見ていた。
──まったく随分と懐かれたものだねえ、アフラムシカ。
クリャが内心でそう呟く。
──知性も意思もないのに、なお貴様のために嘆く心だけはある。
あれを外神にせずに済んでよかった。
どういうことだか尋ねたい独り言だったが、ララキの魂は相変わらず口も手足も抑えつけられている。
あとで絶対問い詰めてやる、とララキは決意したが、今はそれより重要なことがあった。
この束縛を解いて身体の支配権を取り返さなくては。
(それで、証言ってやつをするの。
どれくらい聞いてもらえるかわかんないし、上手く喋れないかもしれないけど、それでもやらなきゃ。
あたしがシッカのためにできることなんて、もう他に残ってない)
人間が神の力に抗えるかどうかなんて考えるまでもない話だが、常識に囚われて何も為せないのでは、ララキには生きている意味がない。
アフラムシカに救われて、生け贄から人間としての生を取り戻した。
彼と幸せになるためにアンハナケウへの旅をすることを決めた。
その旅をやり遂げるために紋唱術を習った。
そしてここまで来た。
そもそも、ララキがアンハナケウを目指した理由は何だった?
(シッカを助けるために、あたしは『幸福の国』に来たんだよ!)
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