207 祈りと悔恨の秤

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 それからしばらく、切り株広場の法廷ではヌダ・アフラムシカに対する質疑応答が続いた。


 タヌマン・クリャに離脱を指示した真意についての確認。

 クシエリスルを保持するための外部の協力者であった、というのは事実なのか、それ以外の意図はなかったのかどうか。

 ──事実であり他意はなかった、との答。


 そのことをなぜ誰にも説明しなかったのか、との問い。

 ──共通の存在を敵視することによる神盟の一体化を図る意味合いもあり、機密事項として秘匿した、あるいは自分自身に皆を心から信頼するという覚悟が足りなかった──回答するアフラムシカの口調は重い。


「それは"他意"にはあたらぬのかえ?」


 女ペル・ヴィーラが意地悪くそう尋ねると、アフラムシカはそうかもしれない、と答えて俯いた。


「せめて盟主にだけは話を通しておくべきであったの」

「……貴殿の言うとおりだ」

「まあそちの考えもわからぬではないがの。あのころは盟主とて信が置けなんだわ。


 とくにそこの薄汚れたヒヒめと、こちらの腹黒い嘘つきオオカミなど、いつ牙を剥いてみせるかわからぬと思うておった。

 ヒヒに関しては杞憂では済まなんだが」


 流れで槍玉に挙げられたカーイが肩を竦める。

 ルーディーンは小声で、自業自得ですよ、と彼に囁いていた。

 そんなことまで聞き取れるのだからクリャは地獄耳だ。


 ララキはそうしたやりとりを、胃の痛む思いで聞いている。


 口出しができないのが辛い。

 とはいえ当時の事情や環境を知らないララキには何も言えることなどないのだが、これからアフラムシカにどのような判決が下されるのかと思うと、身を切られるような心地がするのだ。


 何もできないけれど何かしたい。自己満足でしかないけれどそう思わずにはいられない。

 彼のために、なんでもいいから行動したい。

 そのための力が欲しい。


 魂を囚われた闇の中でララキはもがく。

 心身に纏わりつく暗黒の冷たさは、まるで罪人を戒める縄のようだった。


「皆さまがた、質疑は以上でよろしゅうございまするか。


 ……お手が挙がりませぬので、これにてアフラムシカ神の証言および答弁を終了し、量刑に移りたいと存じまする。

 オーファト神、お願いいたしまする」

「承知。ではいざ──」


 刑罰を司るらしいサソリの神が虚空に触れると、そこに大きな天秤が形作られた。

 鈍い金色のそれは、ゆっくりと軋みながら片側に傾いていく。


 ララキから向かって右側の、石でできたような皿の上には何かが乗っているようには見えないけれど、眼に見えずともララキにだって意味くらいはわかる。

 あの傾きがアフラムシカの罪の重さで、それに釣り合うだけの罰が彼に与えられるのだ、ということが。


「……待ってくれ、オーファト」


 そこでふいに声を上げたのは、今まさに罪を量られているアフラムシカその人だった。


「いかがなされた。拙者の量刑に何か不服が?」

「いや、そうではない……そこにドドも加えるべきだ。彼にも私を裁く権利を与えてやってくれ」

「しかしながら今のドド殿は正気にござらん。とくに貴殿への私怨が深すぎる。

 あれでは拙者とて正しい量刑が致せるものかどうか……」

「それも含めて私の罪ではないだろうか。オーファト、そもそも、正しい量刑とは何だろう」


 アフラムシカの問に、オーファトは口を噤んだ。


 あたりはしんと静まり返っていた。

 みんな同じことを感じているのだと、自分もそうだとララキは思った──彼は、やっぱりララキが知るとおりの人なのだと。


 オーファトとのやりとりから察するに、神が刑罰を量るのには他の神々の心象も加味されているのだろう。

 そしてついさっきドドの荒れようを目の当たりにしたばかりだ。

 そのドドにアフラムシカを裁かせたりしたら、そうでないより何倍も罪が重く計上されるのは火を見るよりも明らかだろう。


 けれどアフラムシカは自らそれを望むのだ。

 なぜなら、そうしなければドドが納得しないから。


 ドドが、そして口には出さずとも内心でドドに共感した者がいたとしたらその神が、ここで溜飲を下げられない限り変事が繰り返されることになる。

 悔恨を断ち切るためにあえて今、自身により重い罰を与えるべきだとアフラムシカは考えている。


 彼はそういう人なのだ。

 全体の益のために、真っ先に己を犠牲にしてしまう。


 痛みも誹りも自分だけで受け止めて、他の誰かが傷つかないように、もしも誰かが苦しんでしまったらその分だけ己に枷を与えて。

 クリャとチロタの民のために消滅寸前にまで自身を追い込み、今度はドドのためにどんな罰を受けようとしているのか。


(そんなのって……)


 オーファトが再び天秤を翳す。

 彼のどこか諦めたような表情とともに、石の皿が音を立てて大きく傾く──……。


「──そんなのっておかしくない!?」


 気付けばララキは叫んでいた。

 魂を捉えていた闇を引きちぎり、クリャから身体を無理やり取り返して、彼の姿のままで力いっぱい喉を震わせて。


 一同の視線が一挙に集まるのを感じながら、ララキは続ける。


 シッカに向かって。


「なんでいっつもそうなの!? シッカがひとりで考えて傷ついてばっかりで! あたしや他のみんなには何にも相談しないでさぁ!!

 そりゃドドだって怒るしあたしだって黙ってみてらんないよ!!!」


 アフラムシカが目を丸くしている。

 彼の向こうにいる神々も呆気にとられている。


 正直いってララキ自身もちょっとびっくりしていた。

 アフラムシカをなんとか助けたいと思っていたのに、気付けばララキから噴出しているのはアフラムシカに対する怒りだったのだ。


 なんか逆じゃないかなこれ、と自分でも思わなくもないのだが、かといってこの場合他に怒るべき相手がいない。


 だってそうだろう。

 ララキは彼を助けたいのに、その彼自身が進んで破滅の道に向かうのだ。


「……ララキ?」

「シッカって神さまの中でも強くて偉いほうなんでしょ!? だけど賢くて優しいからみんなに好かれてるの、それくらい幸福の国ここに来てちょっとのあたしにだってわかるよ!」


 ドドが彼に化けていたとき、神々の王になることをみんなが認めていた。

 それくらいの器がある神だと思われていることを、他の神々がいかにアフラムシカを慕っていたかを、彼を憎んでいたドドですら理解していた。


 むしろ、たぶん、ドドこそが誰よりアフラムシカを尊敬していたのだ。


 そんな気がする。

 だから彼はアフラムシカに化けた。

 アフラムシカの姿で失策を演じるつもりだったのか、単に彼になりきってみたかったのかはわからないけれど。


 ララキでも直接問答をしてみるまで偽者だと確信を持てなかった程度には、ドドの偽装は上手かった。


 きっとそれだけアフラムシカをよく見ていたからだ。

 観察して、演じて……あれがドドの思う理想のアフラムシカの姿だったのだろう。


「だから考えてよ! シッカが傷ついてるのを見て悲しむ人がいるんだってことも! そうやって謝ってる姿にがっかりする人もいるってこととか!


 そりゃシッカのしたことはあたしにも擁護しきれないけど──あたしの故郷はもうないし、それってつまりすごい数の人が死んじゃったってことだし、呪われた国なんて呼ばれてひどい環境だよ。

 だけどクリャも言ったよね、シッカを恨んでも誰も戻ってこないって! あたしもそう思ったからこんな身体になってもシッカに協力しようと思ったんだよ!?」

「ララキ、……私は」

「謝らなきゃいけないのもわかるし、罰も必要かもしれない、でも……シッカひとりで重たい罰を受ければそれで済むの?


 もっとちゃんとみんなと話してよ。これからのことを、何をどうすればいいのかってことをさ。

 大事なのはシッカがどれだけ重い罰を受けるかじゃないでしょ?


 ひとりでぜんぶの責任を負おうとなんてしないでよ。そんなの、ちっとも恰好よくなんかないんだから……っ」


 羽根がはらはらと抜け落ちる。

 始祖鳥の姿は融けるようにして崩れ、そこに残ったのは小さな人間。


 いくら歳を重ねても永遠に子どものままの、アフラムシカが慈しんだ少女がそこにいた。


 それで正しいはずがないと自分でもわかっていながら、それでもアフラムシカのために頼りない言葉を尽くそうともがく、哀れでちっぽけな娘の涙が肌と地面を濡らしていく。


 神々は呆れたろう。

 人の身でありながら、己の信奉するでもない神にこれほどまでに肩入れする者がいていいものかと。

 しかも相手はすべての肉親の仇だ。憎みこそすれ愛するなどありえない。


 だが目の前にあるのはその異常ともいえる光景なのだ。


 呆れ、毒気を抜かれた神は少なくなかったろう。


 天秤は軋む。

 乾いた耳障りな音とともに、ゆっくりと。


「……刑量はこれに。


 異域の滅せしむることやましょう半、地の穢したること山一聳、人獣の苦難が山一聳。

 さらに神盟を欺けること山一聳、背きしことにもう一聳。

 神々を困惑せしめドド神の凶行をもたらしたことに山三聳。


 合わせて山九聳半にござる」

「酌量は」

「此度(こたび)の変事における尽力がうみたん

 先の両手足枷の刑で、これも海一湛。


 以上を相引いて、アフラムシカ神に与えるべき量刑は山七聳半と判じ申す」


 ララキには単位や度合いがわからない。

 それは重い罰なのだろうか。


 その償いのために、アフラムシカはこれからどれだけのものを差し出し、どれほどの痛みを与えられることになるのだろうか。


 先を見通せずにひとり震える人間を、刑罰の神がそっとふり返って言った。


「これは失敬、人獣からの情状酌量を量り忘れ申したな」


 思わず目を見開いたララキは微笑を浮かべた男と目が合った。

 天秤と刀を掲げたサソリの神は、静かな声音で続ける。


「此度は外の神のみならず、一般の人獣による協力があり申した。我らは皆、彼らより紋章奉納を受けてわずかにでも力を取り戻した由、これを忘れるなかれ。

 然らばその恩義には量刑を以て応えるべし。


 人間五名、獣は六匹。その声をば聞かせたまえ」


 そのとき。

 もしかしたら地上の仲間たち……ミルンとスニエリタ、そして最後に関わってくれたロディルとその妻ナスタレイハの心に、神の声が届いたのかもしれない。

 無意識のかすかな疑問として浮かんだだけだったかもしれない。


 はっきりとしたことはララキにもわからなかった。

 ただ、そのとき神の国にいたララキにも、問いかけのような感情が胸を去来したことは確かだ。


 だから祈った。


 アフラムシカの罪を必要以上に重くしないでほしい。

 彼を罰することよりも、これから築いていく人間と神の未来のことを第一に考えて、そのための裁きであってほしい。


 ──あたしはチロタの民を代表して、ヌダ・アフラムシカを許します。

 彼の心を信じてるから。


 個人的な感情でものを考えているという自覚はある。

 もし亡くなった実の両親や故郷の人々がここにいたら、ララキは叱られてしまうのかもしれない。

 それでもいい。


 ──だって、あたしはここにいる。

 だからチロタはまだ滅んでない。あたしもクリャも、ここにいて、他の神さまたちともちょっとは話ができる。

 あたしたちは前に進める。


 もう一度、ふるさとを作ることだっててきるはずだ。

 いつかみんなの魂が戻ってこられるように。


「これは海九れき半……いや、一湛に計上してよろしい。

 改めてアフラムシカ神の罪は山六聳半にござる」


 しゃん、と金属をこすり合わせるような音がして、天秤はそこで消えた。


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