186 疑念の先に

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 ルーディーンが広場を出て行った直後、その片隅で、何かが腑に落ちない、とタヌマン・クリャは思っていた。


 大紋章から使い古しの傀儡が回収できなかったことも気にかかっている。

 あれは元はクリャの創造物なのに、触ることすらできなかった。

 大紋章の一部と化していたせいでその封印が重なっていた、と考えれば不自然なことではないのかもしれないが、ほんとうにそうなのだろうか。


 ──そもそも、ドドはほんとうに滅んだのか?


 クリャのもっとも深い疑念はそこから発している。

 あの時点でヌダ・アフラムシカにドドを倒すほどの用意はできていなかったはずだ、ということは彼の右腕として動いていたクリャがいちばんよく知っている。


 それに故オヤシシコロカムラギの言葉だ。

 最後の始末はカーシャ・カーイがつける、そのように申し付けてある、と彼は言った。


 つまりオヤシシコロにはカーイにそうさせるだけの算段があったのであり、広場の連中を巻き添えにしないようにやむなく飛び出していったアフラムシカよりずっと準備が整っていたことになる。


 その状況で、アフラムシカが生き残ってカーイが消えた、というのはやはり妙だ。

 仮に両者の立場が逆だったのなら、カーシャ・カーイがよからぬ企てをしてアフラムシカを出し抜いたかもしれないと思えたけれど、アフラムシカはそのような男ではない。


 では、彼の姿をしたこの男は何者なのか。


 先ほどからクリャは注意深くアフラムシカを観察している。

 疑念を確信に変えるには何らかの証拠が必要だが、未だそれは掴めていない。


 ただ、ひとつだけ言えることがある。


 クリャの内に留まっている少女の心も、アフラムシカについて疑っている。

 彼女はこの場の誰より彼との付き合いが短いけれど、だからといって侮るべきでないことは、ずっと彼女の胎内にいたクリャはよくわかっていた。

 彼女の魂にはまだアフラムシカとの繋がりが残っている。


 ふいにアフラムシカが立ち上がった。

 周りの神に断りを入れながら、森の大穴のほうへと歩いていく。


 クリャは少し考え、近くにいた弱い神を一体掴まえて、彼の跡を尾けるように命じた。

 できるかぎり距離を置いて気づかれないようにしろ、あるいは得意な者がいれば連れてこい、と強い口調で言い含めると、小神は涙ぐんで頷く。

 ついでにもし見つかってもクリャに頼まれたと自白しないように呪縛を施しておいた。


 彼がそろそろとアフラムシカを追い始めたのを確認し、自らも立ち上がる。


 アフラムシカがいないうちにしておきたいことがあるのだ。

 尾行などしている暇はない。


「フォレンケ、少しいいか。確認したいことがある」

「う~ん……?」


 まずは状況を確かめなければと思い、切り株の傍で休んでいるフォレンケを訪ねる。


 少年はまだ血で半ば塞がったままの眼を擦りながらぼんやりした返事を返した。

 今は見た目でわかりにくいが、どうも寝ていたところらしい。


 クリャは容赦なく彼の頬を風切り羽根で叩いて起こす。爪を出していないだけ優しいと思ってほしいところだ。


「ぅわっぷ、なに……何だよもう、起きたってば」

「頭が回っていないように見えたがね。それより貴様がドドにやられたときの状況を詳しく教えろ」

「えぇ? でもあのとき、クリャも近くに傀儡を置いてたでしょ」

「あの程度の代物では大した情報は得られん。今は貴様の主観が要る」


 ドドに直接手を下された神は、意外と少ない。


 アンハナケウではラグランネとアルヴェムハルト、外ではフォレンケとガエムトだけだ。

 そのうちラグランネは女神であり、ドドもかなり手を抜いたと考えられるので、あまり参考にはならない。

 アルヴェムハルトはまだ意識が戻らないしガエムトは論外、つまり今尋ねられるのはフォレンケだけなのだ。


 クリャが知りたいのは、ドドが支配者としてどのような力を振るったのか。

 それを肌で感じた者の言葉が聞きたいのだ。


「何それ……うーん、でも一方的にめちゃくちゃにやられて、最後にガエムトが追い返してくれたってだけで……」


 フォレンケはそこでガエムトのほうを見て、しばし黙った。


 ちなみにガエムトは相変わらず落ち着く気配がない。

 サイナがべったりくっついていることは気にしていないようだが、ずっと地面を睨んで鼻を鳴らしたり、小さく呻ったりしている。


「……ガエムトのことは、ちょっとわかったかな」

「あの阿呆のことはどうでもいい。ドドについて感じたことはなかったのかと聞いておるのだが?」

「ドド? クシエリスルの他の神の力も自由に使えるようになったって感じだったけど、それはクリャも知ってるでしょ。

 ……あ、そうだ。ボクが思うに、あれ、人間の特性じゃないかな。だから全員が強制的に人の姿をとらされたのもそういう理由じゃないかと」


 なるほど、一理ある説だ。


 クリャは頷くが、フォレンケは訝しげにこちらを見て、尋ね返した。


「でも、なんで今さらそんなことを聞くの?」

「今さら、ではないかもしれんからだよ。……ドドがほんとうに消えたと思うか?」

「えっ? ……もしかしてクリャ、アフラムシカを疑ってるの?」

「妙だとは思っている。まずおまえたちが誰ひとり欠けずに生きているのも異常だ。まあそこのアルヴェムハルトは一時死にかけてはいたが……。


 フォレンケ、なぜガエムトは奴を追い返せた? おまえはガエムトを理解したと言ったが、その理由まで把握しているか?」

「それは……」


 フォレンケは解答に詰まったが、その表情には焦燥の色が混じっていた。


 恐らく彼はその答えを持っているし、またクリャの疑念についても否定できないでいるのだろう。

 しばらく俯いて考え込んでから、フォレンケはガエムトを見て、そして、あたりをぐるりと見回した。

 誰かを探しているのだろうか。


 やがてフォレンケは、他の誰にも聞こえないように小さな声で言った。


「……ちょっとボクも確認したいことがあるんだけど、まだ歩くのが辛いんだ。手を貸してくれる?」

「誰に会うつもりだ?」

「ペル・ヴィーラ……たぶん他の神には聞けない話だ。少なくともボクが知るかぎりは」


 思わぬ名前が出てきたが、今は疑念を晴らすことが何よりも肝要だと思っているクリャは、フォレンケが立ち上がるのを手伝ってやった。


 彼が動いたのを見たガエムトがぱっと顔を上げる。

 忌神は何も言わなかったが、フォレンケには彼の気持ちがわかるのか、大丈夫だよ、と呟いた。

 どういう意味なのかはクリャにはわからない。


「サイナ、ガエムトを見ててくれる?」

「……あなたに言われるまでもないわ」

「はは、ありがと。……それじゃ、行こう……」


 痛みを堪えるようにしてフォレンケは歩き始めた。


 足取りは遅いが、周りの神が気遣って道を開けてくれたので、思ったよりすんなりと進める。

 目立っているのが少々難だが気にしても仕方がない。


 目的のペル・ヴィーラは少し先にある大きな木陰で休んでいる。幸いあまり距離はない。


 やがてクリャとフォレンケが自分に向かってきているのに気づいたヴィーラが、その意図を測りかねたのか眉を顰めた。

 明らかに怪我をしているフォレンケが無理をして歩いているのが気になったのだろうか。

 そうまでして自分を訪ねる意味の重大さを察したのかもしれない。


 あと少しというところで、クリャとフォレンケは突然背後に湧き出した水の膜に包まれた。

 そのまま網で掬われるような恰好でヴィーラのところまで引っ張られる。


「吾に何か用かの」


 ヴィーラの前に転がされたかと思うと、妙に棘のある声音が降ってきた。

 顔を上げるとヴィーラが怪訝そうな顔のままこちらを見下ろしている。

 機嫌が悪いようにも見えるが顔立ちのせいだろうか。


 クリャは用があるのは自分ではないことを態度で示しつつ、隣のフォレンケを突いた。


 フォレンケは少し言いにくそうにしながらも用件を切り出す。


「少し尋ねたいことがあって……ヴィーラ、もちろん今は男の身体なんだよね」

「見ればわかろう。其が何ぞ?」

「あのさ……女の身体になろうと思ったら、できる? 今ここで」

「何だの、藪から棒に……そち、そのようなくだらぬ用向きのために、わざわざその身体で歩いてきたと申すか……?」

「大事なことなんだよ、ボクにとっては! お願いします!」

「……私からもお願い致します。理由はあとで必ずお話しますゆえ」


 ヴィーラに威圧されて半べそになっているフォレンケが哀れなので、クリャも一言添えてやる。

 言いながら、これで大した理由でもなかったらフォレンケにすべて擦り付けてやろうと思いつつ。


 ふた柱の神にわけのわからない懇願をされて、ヴィーラは大儀そうに大きな溜息をついた。


 そしてしばらく沈黙があった。

 ヴィーラは眼を閉じ、腕組みをして何か考え込んでいるようなようすだ。

 クリャとフォレンケはひたすら彼の返事を待った。


 そして急にヴィーラが細い眼を見開いて、呟いた。


「……そういう……ことか……」


 クリャにはその言葉の意味がわからなかったが、フォレンケが身を乗り出す。


「やっぱりそうでしょ? できないよね?」

「ああ……そちの言わんとしておることはわかった。そちらはガエムトがそうか?」

「うん、そう。たぶん仕組みとしては同じだよね」

「であろうの。となると今はのやら……しかし、結局それが何だというのだ、フォレンケ」

「つまりね──」

「待ってくれ、話が見えん!」


 自分をそっちのけで話を進めるフォレンケとヴィーラの間に割り込み、クリャは叫んだ。


 何がなんだかさっぱりわからない。


 ペル・ヴィーラの性別とドドの消息にどのような繋がりがあるというのか。

 確かに女好きのドドがヴィーラを男神のままにして放っていたのを奇妙に思ってはいたが、まさかそれにも理由があったとでもいうのか。

 しかしそこになぜガエムトが関わってくるのかが読めない。


 フォレンケは少し驚きながら、ごめん、と謝ってきた。

 ──じゃあ、改めてクリャにも説明するよ。


 そして彼は語り始めた。

 それは、クリャが彼に初めに尋ねた、ドドの襲撃を受けた際のフォレンケの主観そのものだった。

 そのときフォレンケが考えたこと、ドドから聞かされた言葉……。


 アフラムシカが先に裏切った、とドドは宣ったらしい。


 自分が予め大紋章に細工しておいたことは棚に上げて、だからアフラムシカの期待どおり裏切ってやったのだと、笑いながら言っていたという。

 フォレンケはそれに反駁したようだが、クリャは案外それもドドの本心だったのではないかと思う。


 初めはドドもこんな形で裏切るつもりなどなかったのかもしれない。

 ただいつか、抜けたいと思ったときに自分の意思だけでそれを為せるように手を打っていただけで。

 だが結果的にそれを利用して世界規模の大変事を引き起こしたのも事実だ。


 そして、まだ終わってはいない。


 フォレンケの仮説と、クリャの疑念、そしてヴィーラからのいくつかの意見が、ひとつの形を成そうとしている。

 やはりドドは滅びてはいない。


 神の玉座に腰を下ろしたのはライオンの神ではないのだ。


 三者は確信した。

 それぞれの手が恐怖や怒りで震えたが、問題はこの真実を、どうやって明らかにするべきかだった。


 闇雲に糾弾したところで物的証拠はなく、逆に制裁される危険がある。


「……いずれにせよ、探さねば」


 ヴィーラが呟く。

 希望はまだ、失われてはいない。


「問題は大紋章……これ以上あ奴の思いどおりにことが進む前に、こちらも手を増やさねばの」

「とりあえずルーディーン、あと動けそうな中堅どころには話したほうがいいかな。

 まずオーファトとアニェムイでしょ、それから……」

「……しまった」


 あたりを見回して、クリャは呻いた。


 ルーディーンの姿がない。

 そういえば少し前に彼女がどこかに歩いていくのを見かけた気がする。


 アフラムシカが席を立ったのは、恐らく彼女を追っていたのだ。


 あれからだいぶ時間が経ってしまっている。

 今のルーディーンはほぼ無力、この状況で向こうの手に堕ちるのはこちらにとってかなりの悪手だ。


 クリャが急いでアフラムシカを追おうとしたところで、内側から強い制止の声が響く。


 ──ちょっと待って、交代して! あたしが行きたい!


「こんな時になんだ!?」

「いきなり何なの大きい声出して」

「ララキがうるさいのだ」


 ──うるさいは言いすぎ。ていうか今まであたしのこと忘れてなかった?

 ずっと聞いてたよ。クリャの中から、ぜんぶ聞いてた。

 だからあたしも確かめたいことがあるの。お願いクリャ、一旦代わって。あたしが行く。

 ていうかたぶん、あたしの予想どおりだったら、あたしが行ったほうがいいと思う。


 そのあともララキに延々と訴えられ、半ば根負け、半ば彼女の言に納得し、クリャは身体をララキに戻してやることにした。

 たしかにそのほうが都合のいいこともあったのだ。意外とララキも鋭いところを突いてきた。


 さらにララキのたっての希望で、外見も上っ面だけだが元の姿に模してやる。


 久しぶりの自分の姿にララキは手足をもぞもぞ動かした。

 しばらく人間の身体として使っていなかったので、感覚を取り戻さなければならないのだ。

 始祖鳥と人間では歩きかたも移動方法もまったく異なる。


 おもむろに指を動かして、その軌跡に何の光も見えないことに気づいたララキが気の抜けた声を出した。


「……あーそっか、手袋が偽ものだから紋唱術は使えないんだ。これはどうにもならないのかな?」

「代わりの手袋があればいいと思うよ。ミルンたちに頼もうか」

「うーん、……あの手袋じゃなきゃダメなんだよね」


 外見だけ手袋をしているように見える両手を見つめながら、ララキは寂しそうに呟いた。


 その思い入れはクリャも知っているが、ドドの手によってラスラ島に幽閉されている間に、恐らく手袋や衣類はすべて処分されてしまっただろう。

 神の力を以ってしても取り戻すのは容易ではない。


 諦めろ、と言おうとしたところでララキがぱっと顔を上げた。

 その眼には迷いの色は浮かんでいない。


「とにかく、ルーディーンを助けに行ってくるよ。ふたりはみんなに根回しよろしく!」


 そして少女は走り出す。

 形だけ見れば、愛する人の元へ。


 クリャは内側からそれを見つめている。

 身体を共有しているから、彼女の胸の奥が少しずつ痛みを増していることも知っているし、敢えてそれを黙っている。


 今はそれでいいのだ。

 この娘は神の贄にして器、そして何よりヌダ・アフラムシカの依代なのだから。


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