160 それぞれの宣言

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 ヴァルハーレに向けて、雷の刃が振り下ろされる。


 遥か天井近くに立ち込めた雪雲を、さらにその上に潜んでいた漆黒の雲が割り開くようにして、人間には反応しようもない光速の一撃が轟いた。


 普段の彼ならきっとこんな手は喰らわなかった。

 足元にあからさまな罠を敷かれ、それに反応した瞬間に上からも別種の攻撃が来ることなど、きっといくらでも予想できたのだ。

 もしそれを仕掛けてきたのがスニエリタでなければ、上下どちらにも同時に防御を施してその一瞬をやりすごすのなんて造作もなかった。


 なぜなら彼はスニエリタの戦いかたを知らなかった。

 クリャに憑かれた彼女がフィナナで無敗記録を上げていたことも、その際どのような戦法を好んだのかも、それを破ったハーシ人の少年がいたことも知らなかった。


 何よりその、彼が見下していたハーシ人の少年の作戦参謀としての能力を完全に見誤っていたのだ。


 ほんとうは雷雲を仕込むのが大目的で、雪雲はそれを隠すためのもの。

 そのために唯一雷の属性を持つ遣獣を早いうちに出しながら、最後まで戦闘に参加する気配を見せていなかったことをヴァルハーレは看過したが、そこまでミルンは計算していた。


 小さなイタチが雪に紛れて姿を見せなくなっても、その小ささゆえに軍人は見過ごすだろう。

 なぜなら小さな獣にどれほどの戦闘能力があるのかを、大型遣獣を見慣れた軍人はあまり知らないからだ。


 逆にミルンの遣獣たちは身体が大きいから、あえて動き回って彼の注意を引く。


 初めにスニエリタを仕込みのための陽動役として使うことで、本命はミルンだと思わせる。

 そうするとミルンを落としたあとのヴァルハーレの眼には、スニエリタは主要戦力を失って後がないものとして映り、なおさら対応が甘くなる。


 まさか本命はミルンでも彼の遣獣でもなく、ましてやスニエリタでもなく、たった一匹の小さな獣だとは思わない。


 気づいたところで分厚く積もった雪の中へと隠れたイタチを見つけることはそう簡単にはできない。

 同じくらい小さなウサギもいるのでなおさら紛らわしい。


 潜伏したコミを探すには遣獣の嗅覚を頼るしかないが、その相手はアルヌが引き受ける。

 複数いるならばミーも。

 雪雲の紋章を攻撃されたとしても、完全に剥がれてその上の雷雲が覗くことがないよう、シェンダルは雪雲の保持をし続ける。


 必ず一撃で仕留めるために、フランジェは攻撃をヴァルハーレへと導くための避雷針の役割をする。

 そしてそれが同時に足元へのブラフの罠にもなるように取り計らう。


 それぞれが役割を果たしている間、人間たちは陽動を務める。


 すべてヴァルハーレがマヌルド人で、男で、貴族であることを利用し尽くした作戦だ。

 マヌルド人術師とは地下クラブなどで何度もやりあっているため、ミルンは彼らの思考の癖をある程度推測できる。


 遣獣を下僕と見なしている彼らは、こうした決闘の場では人間同士の戦いが主題であると考える。

 彼ら自身ほとんど意識してもいない女性蔑視の感覚から、女相手には本気を出さない。

 殊に貴族なら、なおさら余裕を持って紳士的に勝利するべきだと思っている。


 スニエリタを見下しているから彼女に勝てない。


 ミルンを見くびっているから彼を出し抜けない。


 しょせん獣と侮っているから、小さなウサギに足元をすくわれて、イタチに一杯食わされるのだ。


『な──なん……だ……これは……』


 審判員が、判定を下すのも忘れて愕然としている。


 訓練場中央にはヴァルハーレが倒れ伏し、彼の周りの雪は落雷の熱によって融け、蒸発していた。

 しかし周りの積雪に通電してエネルギーは相当散らされたであろうから、彼自身はそれほどの重体ではないはずだ。


 周囲にいて雷撃に巻き込まれたらしい彼の遣獣たちは一匹、また一匹と紋章に消えていく。


 少しずつ雪が、雲の紋章が薄れるのを、スニエリタとミルンは手を取り合ってぼんやりと眺めていた。

 そのうち足元に駆け寄ってきたイタチとウサギをスニエリタは膝の上にあげる。


 しばらく会場は沈黙に包まれていた。


 誰も信じられなかったのだろう。無能で知られたスニエリタと、彼女がどこかから見繕ってきた得体の知れないハーシ人が、まさかあのヴァルハーレを破るだなんて。


 きっとヴァルハーレは少し油断してしまっただけ、すぐに起き上がって反撃に転じるに違いないと審判あたりは思ったのかもしれない。

 だがヴァルハーレは動かない。

 審判の補佐が慌てて結界内に降り、彼の傍まで行ってようすを見ている。


 そして補佐官は驚愕を露わにして声を上げた。


「……ヴァルハーレ卿、意識がありません! 完全に気絶しておられます!」

『それでは……なんということだ……勝者は……勝者はクイネス嬢とスロヴィリーク少年──!』


 まばらに拍手が起こる。

 半数以上はまだ呆気にとられたまま固まっているが、観客も少しずつ状況を飲み込めてきたのだろう。


 スニエリタは立ち上がり、肩の両側にフランジェとコミを載せて、お辞儀をした。

 ぽかんとしているミルンのことも手招きをする。決闘に勝利したのだから、見届けてくれた観客に対しては一礼するのが礼儀なのだ。


 ミルンと並んで三百六十度、漏れのないようにお辞儀を済ませる。


 それから拡声の紋唱を行い、会場じゅうに響き渡る声で、宣言した。


『わたくし、スニエリタ・エルファムディナ・クイネスは、この勝利を以てヴァルハーレ卿との婚約を解消いたします』


 ようやく胸を張って言える。みんなに認めさせることができる。


 満足したスニエリタの肩をミルンが抱いた。

 フランジェたちはそそくさとその場を降り、ミルンの遣獣たちのもとへ駆けていく。

 スニエリタは幸せな気持ちでミルンの顔を見上げた。


 けれど、ミルンの顔はどこか強張っている。

 彼はスニエリタの書いた紋章を手袋で引っ張り寄せるとこう言った。


『俺、ミルン・スロヴィリークは……スニエリタ嬢との結婚を、クイネス将軍に認めていただきたい』


 顔を真っ赤にして、疲れと緊張でふらふらになりながら、ちょっと震えた声での求婚だった。

 けれどもまさかこんな公衆の面前でとはスニエリタも思っていなくて、顔がかあっと熱くなる。


 会場の拍手はそこでぴたりと止まってしまったけれど、そんなことはどうでもよかった。


 代わりに心臓の音が頭の中で響き渡っている。

 すごくうるさいけれど、きっとこれは、自分とミルンと、ふたりぶんの音が重なっているせいだ。


 他の音や観客席からの声なんてもう聞こえなくて、周りもぜんぶ視界から消えて、スニエリタの前にはミルンしかいない。


 そして、数瞬ののち、ほんとうにそうなってしまった。


 スニエリタとミルンはふたりだけ空間から切り出されるようにして、訓練場から忽然と姿を消した。

 少なくとも観客や審判の側からはそうとしか思えなかった。


 彼らが消えると同時に遣獣たちもいなくなっており、観客のどよめきの中でようやくヴァルハーレが意識を取り戻そうとしていた。




 : * : * :




 ハーシ人がふたり、砂礫だらけの荒れた道を歩いている。


 ここは彼らの故郷ではない。乾いた風がふたりの外套の裾を揺らすが、もっと凍えるような寒さを知っているふたりからすれば、これくらいはどうということもなかった。

 むしろ日が当たって暑いくらいに感じる。


 どこまでいっても日陰になる樹の一本もない荒地を、ふたりは黙々と歩いている。

 どちらも両手には紋唱術用の手袋を着けているが、遣獣を呼び出すこともせず、ひたすら己の脚のみで。


 むろん酔狂からではない。そうするようにと言い含められていた、いわば制約だった。


「……ターリェカ、大丈夫? 疲れてない?」

「そうね、ちょっと脚が痛くなってきたかも……ジーニャ、あとどれくらいかかりそう?」


 青年のほうが鞄から地図を取り出して、指先で何か描きながら確認している。


 小さな紋章から同じくらい小さな鳥が飛び出して、チチチと鳴きながらいずこへと羽ばたいていくのを、ふたりは眩しそうに見送った。

 ここは秋の終わりとは思えないほど日差しが強い。


 遠くに山らしいものが見える。地図によれば、その名はハールザ。


 かつてフォレンケという名の神を祀っていた聖山だが、今は主を失っているためか、どことなく山肌の色が冴えないように思える。

 秋の澄んだ空気の中でようやく視界に捉えられるその場所こそ、今の彼らの目的地であった。


 間に障害物がない平坦な地形なのでかろうじて見える。

 つまり、実際の距離はまだまだ相当なものだ。

 このままペースを落とさずに歩き続けたとしても数日かかる見込みだった。


 ──まずはハールザ山まで、国境から徒歩で向かえ。


 タヌマン・クリャからはそのような指示を受けている。

 西ハーシの南端までは遣獣や交通機関を使っても構わないが、ヴレンデールに入ったら徒歩のみで進め、と。

 一体それにどのような意味があるのかまでは教えてくれなかった。


 ともかく楽な旅路ではないことは確かだ。

 ロディルはもちろんひとりで行こうとしたが、ナスタレイハはどうしてもついていくと言ってきかなかった。


 秘薬の効果があってかなり体調は改善したものの、まだ万全とは言いがたい彼女のことを、どうやって説得したものかロディルは悩んだ。

 まあ現状こうであるとおり、結局折れてしまったのだが。


「まだまだ遠いね。休憩しようか」

「ううん、陽が出てるうちしか進めないもの。もう少しがんばる」

「……無理はしないって約束だろ?」

「してないよ。大丈夫、ほんとに辛くなったらちゃんと言うから……」


 ロディルは手を伸ばす。

 ナスタレイハはその手を取って、ぎゅっと握る。


 彼女にはまだ世界改変前の記憶はない。いつか思い出したら、二年間も彼女を放って旅をしていたロディルのことを、どんなふうに見るだろうか。

 それが今は少し怖い。


 だからもう彼女と離れることがないように、ロディルも繋いだ手に少しだけ力を込めた。


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