158 決闘② - 雪国作戦ふたたび

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 風の術。雷の術。炎の術。

 知りうるすべての攻撃系の紋唱術を、スニエリタは気力が続くかぎり放ち続ける。


 ヴァルハーレはそれらを片手で軽くいなしながら、視線がスニエリタより遠くを探っているようだった。

 恐らく彼はミルンを探している。

 こちらの目論見に感づいて、先に彼を始末しなければならないと悟ったらしい。


 そんなことは絶対にさせないと、スニエリタは指を振るう。


「閃影の紋!」


 漆黒の雷がヴァルハーレに殺到する。

 スニエリタの意思が上乗せされて、想定したより威力が出た。

 どんな状況でも人間は成長できるらしいと実感する。


 大切な人のことを想えば、彼のために戦うのなら、スニエリタはもっと強くなれる。


 思わず左手が出る。

 今まで右手でばかり描いていたけれど、スニエリタの本能がそちらも使おうと叫ぶのだ。


 両手で描けばもっとやれる。

 やりかたは、もう身体が知っている。


「対円──繚吹りょうすいの紋!」


 スニエリタの両側から、龍を模した雲が現れる。

 その口から吐き出された豪風が渦巻きながらヴァルハーレへと向かっていく。


 こんな大技、今までほとんど練習したこともなかったし成功したためしもなかったが、今ならできるような気がした。


 雲龍の息吹に圧されてさすがのヴァルハーレもよろめく。

 直前までろくに防御もしておらず、術をほとんどまともにくらったからだ。


 やはり彼はスニエリタを舐めている。その油断がスニエリタの味方をしてくれる。


 もっとだ、もっとヴァルハーレの姿勢を突き崩してミルンの攻撃に備えなくては。

 スニエリタはさらに描き、叫ぶように唱える。


「翔──きゃあっ!?」


 一瞬何が起きたのかわからなかったが、スニエリタは気がつくと、床に転がっていた。風が圧し返されたのだと気づくのに数秒要した。

 いくらなんでもヴァルハーレが一方的にやられ続けてくれるはずはなかったのだ。


 慌てて身を起こすスニエリタの目の前には、いつの間にか黒っぽい獣がいる。


 緑みがかった黒い鱗に全身を覆われたトカゲだ。

 その身体は尾を抜いてもゆうに三メートルを越えるほどの巨大さで、スニエリタがこれ以上一歩でも動いたら、すぐさま飛びかかってくる構えを見せていた。


 これを止められそうなミーは今、少し離れたところにいて間に合いそうにない。


「……スニエリタ、思ったより頑張るじゃないか。正直かなり見直したよ。将軍閣下も喜んでおられるだろうな」


 ヴァルハーレが近づいてくる。

 攻撃して気絶させるより、手袋を取り上げて確実に敗北させるつもりなのだろう。


「でもお遊戯はここまでだよ。わかってるだろうけど、僕はかなり手加減してるんだ。これ以上やって怪我をさせたくないから、素直に手袋を渡してくれるかい?」

「……お断りします」

「強情なだ。──ビカン、やれ」

『了解』


 ヴァルハーレの指示に頷いたオオトカゲが、その巨体から想像しえないほどの素早さでスニエリタの右腕に喰らいついた。

 その瞬間、激痛とともに痺れるような感覚が全身を貫き、スニエリタは思わず悲鳴を上げる。

 恐らくこのトカゲは何かの毒を持っているのだ。


 数秒もせずにトカゲの牙は離れたが、スニエリタはもうその場を動くことができなかった。

 出血などはそれほどではなかったが、全身ががくがくと痙攣してしまい、まともに指先ひとつ意のままにならない。


 トカゲは身を引き、代わりにヴァルハーレが近づいてくる。


 このままでは手袋が奪われてしまう。

 ふたりで協力しなければヴァルハーレを倒すなんて到底無理だというのに、もうスニエリタは敗北してしまうのか。

 そんなわけにいかないと歯を食いしばり、全身に力を入れようと試みるけれど、やはり痺れてどうにもならなかった。


 泣きたくないのに視界が滲む。

 ヴァルハーレの手が伸びて、スニエリタの頬を涙が一粒零れ落ちる。


 それが、ぱりと乾いた音を立てて、凍った。


 ──雪が舞っている。


 ヴァルハーレがはっとして顔を上げ、あたりを見回し、そして頭上を振り仰ぐ。


 天井を埋め尽くす真っ白な紋章の群れを見る。


 その数は十や二十どころではない。

 一定の効果を見込める数を、できるかぎり短い時間でこれだけ仕込んでもらうために、スニエリタは今までミルンを護ってきたのだ。彼がそちらに集中できるように。



 ‐ - ― +



 フィナナのときと同じことをしてください、と打ち合わせでスニエリタに頼まれた。

 ミルンはその言葉に眼を丸くした。


「おまえ、記憶が戻ったのか」

「はい。クリャに再会したときにすべて思い出せました。というより、クリャの記憶を共有するような形みたいです」

「……そうか」


 正直言って、それは嬉しい知らせだった。ようやく自分の想いが独りよがりではなくなったような気がしたのだ。


 あの日の試合もミルンにとっては大切な思い出だった。

 一度負けたこと、再戦して勝ったこと、戦いの最中に交わした会話の一言ですら、今もしっかりと覚えている。

 あの再会と試合がなければ、きっとスニエリタのことはただの憧れで終わってしまっていた。


 あの頃の自分に言いたい。

 スニエリタは今、触れられるほど傍にいて、自分を見つめてくれていると。


 当時はミルンとスニエリタがこんな関係になるなんて思ってもいなかったが、それでもきっと悪くないと思えただろう。


 ともかく、良い知らせだ。

 ミルンの心情的な部分を抜きにしても、闘技場での記憶がスニエリタ側にもあるのは打ち合わせを円滑にし、作戦を立てやすくなる。

 互いの戦法や戦略が共通認識になっているからだ。


 スニエリタが言うには会場に雪を降らせる作戦はヴァルハーレにも有効らしい。

 マヌルドが比較的温暖な気候であり、とくにアウレアシノンが南寄りにあること、スニエリタもヴァルハーレもこの都に生まれ育っているのがその理由だそうだ。

 自分に堪えたものは彼にもきっと効果がある、とのことだった。


 もちろん会場の広さや、ヴァルハーレの体格と力量を踏まえると、フィナナの比ではない仕込みが必要になる。

 その準備にかかる時間も相当なものだ。


 ふたりで協力しなければ用意はできない。


「さて、今度は俺の番だ」


 ミルンはそう呟いて会場を見回す。

 一斉に発動させた雪雲の術により、円内はすでに真っ白に染まっている。


 ヴァルハーレがいるのは中央のあたりで、その周りだけ雪が積もっておらず、どうやら炎の術を使って気温の急低下を防ごうとしているようだ。

 その脇では変温動物であるオオトカゲが立ちすくんでいる。


 そこから離れたところでは、どうやら寒さには強い種であったらしいトラとアルヌがまだ睨みあいを続けていた。


 スニエリタはすでにミーに救出され、フランジェに治療を受けている。


 トカゲの牙に毒があったようだが大丈夫だろうか。

 もちろんヴァルハーレのことなので、致死性のあるものならそもそもスニエリタを噛ませたりはしないだろうが。


 状況を確かめつつ、ミルンにはまだ余裕がある。

 ヴァルハーレがこちらの位置を掴めていないからだ。


 アルヌを呼んですぐあとにシェンダルも呼び出し、いつかのように結界沿いに氷の階段を張らせて、今は天井近くに構えていた。

 人間の眼は高いところにはすぐに向けられない。

 スニエリタが暴れてヴァルハーレの注意を引きつけ、その間に彼の視界より上まで昇りきってしまえば一時的にでも隠れることができる。


 そして、紋唱術もある程度は重力の影響を受ける。

 多くの戦略で言われるように、攻撃は上方から下方に向けて放つほうが威力が増すし、その逆も然りだ。


「流閃の紋! と──重ねて、瀑戟の紋ッ!」

『……我は謡う、氷々と……』


 ミルンは水の攻撃系の術を連ね、そこへシェンダルが氷の力を寄り合わせていく。


 打ち合わせ中にも練習しておいたので、重ね描きもだいぶ慣れてきた。

 これで彼らのように両手が使えたらもっといいのだが、さすがにそこまでに至るには月単位の鍛錬が要るだろう。


 それにしてもスニエリタは強くなったよなと感心する。

 ミルンももっと強くならなければ、彼女の隣に立つ者として認めてもらえるにはほど遠い。


 その第一の関門がこの決闘なのかもしれないと思いながら、無数に作り上げた氷の槍を、ヴァルハーレ目がけて落としていく。

 ざっと十発は仕掛けたが、これで足りるかどうか。


 轟音を立てて氷塊が叩きつけられるのを見ながら次の術の用意をする。

 相手が相手だけに、確実に勝ったとわかるまでは攻撃の手を止めるわけにはいかない。


 描いては唱え、氷柱を雨のように降らせる。

 激しい飛沫で地上のようすはよく見えないが、確認している暇はないのも確かだ。

 ヴァルハーレとロディルがやりあっているときの術の撃ち合いはこんなものではなかった。


 逆にヴァルハーレにはそのときの記憶がないので、戦術や用いる術の例などはこちらだけが一方的に知っていることになる。

 ミルンが勝つにはそこを突くほかない。


「流閃の紋ッ……」


 とはいえさすがに集中力の限界が訪れる。

 招言詩を唱える舌がわずかにもつれ、ミルンはほんの数秒、手を止めた。


 その間も足元では先に落とした氷槍が砕け、凄まじい爆発音が鳴り響いている。


 その最中から飛び出してきたものがあった。

 ミルンが手を止めていた刹那の間にこちらと同じ高さにまで昇ってきたのは、コンドルの背に足を掛け、その頸につなげたロープを握って立った姿勢を保ち、苛立ちに顔を染めたヴァルハーレだった。


 つまりミルンの渾身の攻撃に対して防御しながら、同時に新たな遣獣を呼び出したらしい。

 彼の周囲には小さな炎の球が無数に浮かんで気温を一定に保っているようだった。


 さすがに格が違いすぎるな、とミルンは自嘲的に思った。雪雲を作ったくらいでそう簡単に弱体化してくれる相手ではない。


「貴様なぞ片手で充分だ。──斬沙ざんさの紋」

「ッ雪壁の紋……!」


 尖った石が嵐のようにミルンへと降り注ぐ。

 むろん防御はしたけれど、あっという間に削り取られ、何度か防壁を張り直しているうちに圧されていくのを肌で感じた。


 向こうのほうが描くのが速ければ威力も強い。

 片手で、しかも遣獣に騎乗した不安定な体勢から、なおこれだけのことができるのだから、たしかにこの男は天才だろう。


 そして自分はそうではないとミルンは知っている。

 天与の才能は兄のもので、自分にはかけらも残されてはいなかった。


 でも、だから、掴めるものもあるのではないか。


 ──そうだよな、スニエリタ。

 俺たちにしかわからないことだって、この世にはある。


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