157 決闘① - スニエリタの戦い

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 準備や練習の時間はかなり少ない。

 半日足らずでヴァルハーレ相手の対策と作戦を練り、互いの動作を打ち合わせなければならないというので、一分一秒も無駄にはできなかった。


 スニエリタとミルンは午前中をまるごとそうした作業に費やし、昼食のあともぎりぎりまで調整をした。


 恐らく自分たちのほかに、ふたりがヴァルハーレに勝つと思う人間は存在しないだろう。

 ヴァルハーレの強さは誰もが知っている。試合の観客席に座るのはほとんどが軍人だからなおさらだ。

 もしこれが賭け試合だったのなら、いつかのように誰もこちら側に賭けなくて試合が成立していなかったに違いない。


 むろんここで勝利できたとして、スニエリタたちが受け取る報酬はお金ではない。


 お金では買えないものを勝ち取るのだ。

 そのためにはふたりともが全力で戦うのは当然として、使えるものは何でも使う。


 残念ながらタヌマン・クリャによる直接的な介入は難しいようだが、そんなものは端から期待していない。

 ほんとうに欲しいものは自分の力で掴み取るべきだ。


 スニエリタにあってヴァルハーレにないもの、あるいはミルンにあってヴァルハーレにないものを、ふたりは知っている。


「それにしても、よくヴァルハーレはこの試合を受けてくれたな」

「多少はクリャが操作したみたいです。まあ、それでなくとも、決闘を申し込まれたらなかなか断れない性分の方だとは思いますけど……」


 決闘は古くから続くマヌルド人の伝統のひとつだ。

 戦いを申し込まれることは名誉なこととされ、断るのは『申し込んできた相手に勝つ自信がない』と暗に理解される。

 矜持の高いマヌルド男性には決闘を拒むという選択肢は端からないのだ。


 もちろん争いごとを好まない性格のマヌルド人もいるし、近代に入ってからは決闘そのものが廃れつつあるため、申し出を拒否することも珍しくはなくなってきた。

 だが、気位の高い軍人貴族にはまだその風潮はない。


 ヴァルハーレのように自らの腕に自信のある男性ならますます断る理由がない。

 ここでミルンとスニエリタを下すことにより、クイネス将軍にすら気兼ねせずにふたりの処遇を決められる口実を手に入れるのだ。

 たとえクリャの手出しがなくても喜んで受けたことだろう。


 その証拠に今、彼は堂々とふたりの前に立っている。


 クイネス家の訓練場はちょうどフィナナの地下闘技場と同じくらいの面積があるし、天井の高さはそれ以上だ。

 円形結界も丈夫なものを三重に組んでいる。

 ヴァルハーレぐらいの術師が本気で攻撃を放ったとしても、結界が破れるということは決してない。


 むろんマヌルドでも最上級の訓練場である。

 他の貴族の邸宅にもこれほどの規模のものはそうそうないだろう。


 さらに観客席は二階と三階にあり、横手の階段から上がっていけるようになっている。

 ほぼ三百六十度、すべての位置と角度から試合のようすが観られる造りだ。

 貴族の子女が季節ごとなどに集まって紋唱術を披露する催し、いわゆる演技会もここで行われている。


 軍人が何人か観にくるらしいとは聞いていたが、予想よりずっと大勢が観客席を埋めていた。

 さすがに満席というわけにはいかなかったが、どこの誰とも知れないハーシ人と将軍の娘が組んでヴァルハーレ子爵に挑むというのが、どうも帝国軍内でそれなりの話題になったらしい。


 審判者用の席にそれらしい人物が就くと、澄んだ鉦の音が響き渡った。


『これよりスニエリタ・クイネス嬢と、クラリオ・ヴァルハーレ子爵の決闘を行う。

 変則として、令嬢側にはミルン・スロヴィリーク少年が同伴にて参加するものであるが、ヴァルハーレ子爵はこれに異議はないか?』

「ないよ。それくらいのハンデで揺らぐものなどないからな」

『承知した。では、試合に関するその他の規則についても改めて通知する。


 一、純粋な紋唱術使用による二対一の決闘とする。

 使用する術は個々の判断によって定められ、審判側にこれを咎める権限はない。

 また、紋唱術以外の武具の使用は禁止とする。


 二、手袋の奪取、あるいは一方の降参によって勝負を決するものとする。

 なお本試合は二対一であるため、ヴァルハーレ子爵の勝利には、クイネス嬢およびスロヴィリーク少年の双方において敗北認定を要する。気絶ないし試合続行が不可能であると審判の判ずる負傷は、審判によって降参が言い渡される。


 三、観客の試合参加を一切認めないものとする。

 試合への介入が認められた場合、それにより有利となった者にはマヌルド公式決闘規範に準ずるペナルティを科す』


 審判はつらつらと試合のルールを読み上げた。

 どれも紋唱術を使った試合などでは一般的なものだ。


 二対一の部分だけ変則的なので、その点は少しばかりスニエリタたちに有利なように思える。


 しかし微々たる差でしかないのもよくわかっていた。

 ヴァルハーレが本気を出せば、一度にふたりともを気絶させるのは少しも難しいことではないからだ。


「審判! ひとつ質問がある」


 スニエリタの隣で、ミルンが手袋を直しながらそう言った。


 こういう何気ない仕草が似合う人だとスニエリタは思う。


「仮に俺かスニエリタのどちらかが気絶したとして、もうひとりも手袋を取られるか降参する前に意識が戻って戦える状態になったら、その場合は復帰が認められるのか?」

『……公式規範によれば、それは認められる。本試合にも適用しよう』

「わかった。


 スニエリタ、もし俺が先に潰されても諦めるなよ。もちろん気絶は極力避けたいが」

「ええ、お互いそのときは粘りましょう」


 頷きあってから、ヴァルハーレのほうに向き直る。


 そうして試合開始を告げる鉦を待ちながら、先ほどからずっとスニエリタの胸は高鳴っていた。

 緊張もあるが、それより何より、ミルンと一緒に戦えることが嬉しい。

 オーファトとカジンの試験以来だろうか、あれから何週間ぶりだろう。


 深呼吸をして前を見据える。

 心の中で唱える。


 ──きっと大丈夫、私はやれる。ミルンさんと一緒にやりきってみせる。


 ヴァルハーレは神ではない、ただのひとりの人間だ。同じ人間なら乗り越えられないはずがない。

 出し抜く方法があるはずだ。

 神とすら戦ってきたスニエリタたちに、人間を打倒できない理由などない。


 そう思う。

 それが事実かどうかは関係がなく、スニエリタはそう思って行動する。


『開始!』


 審判の声とともに鉦が鳴り響く。

 それから一秒も経たないうちに、三人は同時に指を振るっていた。


 それぞれが違う紋章を描き、異なる招言詩を唱える。

 だが行動自体は同じものだった。つまり三人ともが、それぞれの遣獣を呼び出していた。


「我が友は喝采する!」

「我が友は懇篤こんとくなりっ」

「我が僕は雄偉ゆういなり」


 ミルンはクマのミーを、スニエリタはこのために略詩を用意したウサギのフランジェを呼ぶ。

 対するヴァルハーレの紋章からは立派な体格のトラが躍り出た。


 トラは着地するより先に身体を捻り、こちらへ向けて咆哮とともに雷撃の混じった衝撃波らしいものを放つ。

 さすがに軍人の手持ちの遣獣は気性が荒い。

 自分が呼ばれるときは戦闘時のみだと前提して契約しているのかもしれない。


 雷撃波はまずミーが散らしてくれたので、そこから漏れた部分だけスニエリタが防御を担った。

 こういうときは獣の瞬発力がありがたい。


 続けざまに今度はヴァルハーレ自身が攻撃してくる。

 見るからに凄まじい威力の炎が、訓練場全体を飲み込まんばかりに広がってスニエリタたちに降りかかってくるが、すでにミルンは後退を始めている。

 前方に残ったスニエリタと遣獣たちでこの炎をすべて受け止めなければならない。


 しかし、できると思う。

 これは闇雲な前向き思考とは別できちんと根拠がある。試合前の打ち合わせでミルンとこんな話をした。


 ──ヴァルハーレは、少なくともスニエリタ相手には手加減をするはずだ、と。


 彼にとってスニエリタは婚約者で、上官の娘だ。

 いくらその父親も認許した試合であっても、極力スニエリタに怪我などはさせたくない、させるとその後に響くのが彼の立場なのである。


 それに試合のルールからしてもふたりを殺害することはできないので、ヴァルハーレは完全に本気を出すことはできない。


 しかも彼の中ではスニエリタは旅に出る前の無力な印象が根強いはず。

 フランジェを呼び出すところは一度見られているが、記憶がないためスニエリタが他に何ができるようになったのかは知らない。


 つまりスニエリタのことをかなり甘く見ているのだ。


 そして彼の性格と、マヌルド貴族の男性の一般的な考えかたから鑑みるに、女性相手ではそれほど強くは出ない。

 こちらを見下し精神的に優位に立っているからこそ、余裕を持って紳士的に振舞おうとする。


 それを利用しない手はない。逆にスニエリタは全力で彼を迎え撃つのだ。


堰炎えんえんの紋!」

『助太刀します!』


 スニエリタは敢えて同じ炎系の術で防御を張る。

 そうすれば炎の属性を持つミーが援護しやすくなり、ひとりで術を使うよりも防衛率が格段に上がるというミルンの指示に従って。


 フランジェは樹の属性なのでここには参加できないが、代わりに前方で蔦の網を張ることで、やってくる攻撃の勢いを削いでくれる。


 激しい熱風に圧されながら、歯を食いしばってそれを受ける。

 火の粉の一片たりともミルンに届かせてなるものか。


 しかし次の瞬間、炎の中から縞模様の毛皮が飛び出すのが見えた。


 鱗粉のように火花を纏ったトラが突進してくるが、今のスニエリタたちにその相手をする余裕などもちろんない。

 追い風に勢いをつけた恰好のトラはすぐにスニエリタの目前へと到達し、その血に餓えた牙が防御の紋を食い破ろうとしているのを、スニエリタはただ見ているだけ。

 だが、諦めはない。


「我が友は切磋するッ!」


 背後から聞こえた詩に乗って、灰色の獣がトラを跳ね飛ばすことを信じていたからだ。


 体格ではわずかに及ばないものの、脚の強さと突進の力ではトラに負けず劣らずのアルヌは、地を転がるトラへとさらに距離を詰める。

 すぐさま起き上がったトラが呻り、あの雷撃波が来てアルヌも少し怯んだものの、立ち止まることなくトラの周りをぐるぐる走り、相手の注意を自らに引きつけた。


「……我がは清新なり」


 かなり勢いの弱まった炎の相手をミーに託し、急いで次の紋唱を描いて唱える。

 そこから出てきたのはイタチだ。


『やっぱりちょっと変な感じね、それ』


 イタチはそう呟いてどこかへと走っていく。


 コミを呼び出せるようになったのはつい昨日のことだ。ヴァルハーレに決闘を申し込むと決めたとき、真っ先に確認した。

 今のスニエリタの実力では遣獣が一匹いるかどうかがとても大きい。


 そうして久しぶりに呼び出した際、略詩を少し変えさせてもらったので、コミはそのことが言いたかったのだろう。


 マヌルド学派の紋唱術では、略詩で遣獣を召喚する際「我が僕は」と唱える。

 人間が優位の考えかたで、遣獣は人間の術師が従えるものだとしているからであり、逆に言えば獣を支配できる人間こそが術師に相応しいという思想だ。

 しかしスニエリタはずっとそのような環境で力を発揮できずにいた。


 一方、ミルンやロディルが遣獣を召喚するときは彼らを友と呼んでいる。

 自然と隣り合わせで暮らしているハーシ人にとっては人と獣は平等なのかもしれない。


 それがいいな、と思ったので、スニエリタもそうすることにした。


 自分には遣獣たちを支配するような力も腕もないのだから、主だなんて柄ではない。

 それより友人として力を貸してもらうと考えるほうがしっくりくるのだ。


 たぶん獣たちも満更ではないのだろう。さっきのコミは少しくすぐったそうだった。


 コミを送り出したのを確認し、さらに続けて次の術を描く。


「翔華の紋!」


 まだ残っている炎を散らし、そのままスニエリタはヴァルハーレに攻撃を試みる。


 ヴァルハーレ自身は炎の術のあとはしばらく手を止めている。

 いささか不気味だが、今はそれも手加減の結果だと考えて行動する。


 実際、以前のスニエリタなら炎を受けきれずにもう負けを認めていたところだ。


 だから、炎が晴れてようやく見えたヴァルハーレの顔は驚愕に染まっている。蹲って泣いているスニエリタを予想していたのだろう。

 もう、そんなに弱くはない。


 すごく強くなったわけではないけれど、スニエリタはもう、自分のためには泣かないと決めた。


 それにひとりじゃない。ミルンがいるし、フランジェもコミも、ミーもアルヌも力を貸してくれている。

 だから絶対に勝つと決めた、その心が風となってヴァルハーレに吹きつけるのだ。


 大した威力ではないから、ヴァルハーレ自身をどうこうすることはできない。

 けれど彼の周りに描かれて発動を待っている紋章を歪めることならできる。


 スニエリタが担うのは妨害だ。ヴァルハーレが強く攻撃できないのを逆手にとり、前線に立ち続けて彼の邪魔をするのがスニエリタの役目なのだ。


 できるだけ紋章を描かせない、攻撃を後ろに通さない。

 攻撃しているふうだがやっているのは防御に近い。


 ヴァルハーレが彼を攻撃するときは、スニエリタに向けるのとは比較にならない威力のものを放つであろうから、できる限りそれを避けるのだ。


 ミルンを護る。

 ただその一点を譲らない。


 全身全霊で彼を護りとおしてみせる。


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