145 吹き荒れる花吹雪の如く

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 突然何を言い出したのかわからずミルンは硬直する。

 しかし沈黙を肯定と受け止められたのか、ぺネトカはそのままミルンの手を引っ張って、無理やりに立たせようとした。


 そこで思わず立ち上がってしまったミルンにも大いに問題はあっただろう。


 いや、言い訳をするならほんとうに意味がわからなくて、呆然としている間の無意識の行動だったのだ。

 ともかくミルンはろくに抵抗することもできず、少女の細腕によってそのまま宴会場から連れ去られてしまった。


 もちろん急にふたりが退出したことに家族たちは気づいていたが、その大半はすでにほろ酔い状態だったので、深く気に留めることはなかった。

 しいて言えば素面であった妹たちは顔を見合わせていたし、ミルンのようすが少し変だったのでアレクトリアなどは心配していたが。


 コワチ家の末妹は眉尻を下げながら、こう言った──ごめんなさい、次姉ピニェータはちょっと強引な性格なの。




 屋外の冷たい空気に当てられて、ようやくミルンの頭もまともに動き始めた。

 思えばここ数日の間、自分でも不安になるほど思考回路が鈍重というか、一足先に脳だけ冬を迎えて凍り付いてしまったかのような状態だった。


 そこに質問攻撃がさんざん加えられてからのとどめの一撃に謎の発言だ。

 そりゃあ一時硬直も無理はないよな、とミルンは一生懸命に自己弁護を行ったが、現実はそれどころではない。

 ペネトカはがっちりとミルンの左腕に自分の右腕を絡ませて、期待の篭もった眼差しで見上げてくる。


 相変わらず飲み込みにくい状況の真っ只中にミルンはいた。

 地味に腕を掴む力が強くて、そう簡単には離してもらえそうにない。


 そろそろ気を遣うのも面倒くさくなったミルンは、隣の少女をじろりと見下ろす。


 このまま拒絶の意志を示さずにいるのはよくない相手だと理解してきたからだ。

 いくら親戚になったとはいえ、これ以上振り回されるのは好ましくない。


 そんなミルンの視線に気づいていないのか無視しているのか、ペネトカは笑いながら言った。


「何か術を見せて。ミルンがどんなふうに描くのか見たいの。手袋は持ってるでしょ?」

「……いや、戻ろう。寒いし」

「嫌よ、描いて! ひとつだけでいいから!」


 ペネトカは食い下がり、ぐいぐいと腕を引く。

 そのたびに柔らかいものが肘に触れたが、それより今は早く彼女を引き剥がしたい思いのほうが強かったので、ミルンは苛々しながら口を開いた。


「さっきからなんなんだよ、あんた」


 最初に会ったときから、この少女の言動には何か含みを感じてならなかった。

 勝手に卒業した学校や成績を調べられていたことも、しつこくあれこれ質問攻めにされることも、はっきり言って不愉快だ。

 今日が初対面だとは思えないほどの図々しさである。


 ミルンがようやく怒りを露わにしたことに、ペネトカは驚いたような顔をした。

 まるで嫌がられていることに初めて気づいたようだった。


 それでもなお彼女は腕を離してはくれない。


 それどころかぎゅっと抱き込み直してしまい、しょんぼりと項垂れて、ぼそぼそと何ごとかを話し始めたのだ。

 ミルンにそれを聞いてやる義理はない気がしたが、振り払うことはできなかった。自分でもお人好しだとは思っている。


 ターリェカに先を越されるのが悔しくて、とペネトカは言った。


 それはミルンにはよくわからない感情だった。上にふたりも兄がいるせいか、そしてとくに長兄は少し歳が離れていることもあって、彼らが何ごとにも先んじているのはいつも当たり前のことだったのだ。

 だが、生まれ育った家が違えば性別も違う。


「ターリェカはおっとりっていうか、いつもへらへら笑ってるだけで、昔っから妹のはずの私があれこれ世話を焼いてたくらい鈍くさい人なの。

 そのターリェカがマヌルドの学校に行けるなんてよっぽどの奇跡だわ。はっきり言って紋唱術の成績で言えば私と大差ないのよ。

 そしたら案の定いじめられてぼろぼろになって帰ってきて、しかもいつ死ぬともわからない病気でしょう?」

「はあ、それで?」

「当然、もう嫁の貰い手はいないだろうって、みんな思ったわ。

 なのにあなたのお兄さんが求婚してくるんだもの。信じられなかったし、ちょっと腹が立った。

 そのへんの農夫とかじゃあなくて、国立からマヌルドに留学して首席で卒業してるような非凡な人に、どうしてあのターリェカが見初められてるわけ?


 そういう姉に振り回されてる私の気持ちなんてきっと誰にもわからないと思ったわ。そしたら彼に弟がいて、紋唱術を習ってるって聞いたの。

 そう、あなたのことよ。なんとなく調べてみたら成績もいい。私、それを見て頭に雷が落ちたのよ」


 ペネトカはびしっとミルンに人差し指を突きつけ、高らかに言い放った。


「これは運命! 私たちも結ばれるべきだわ!!」


 何がどう繋がって導き出されたのかわからない、彼女以外の人間にはおよそ理解できないような結論だった。


 さっきからべらべらと捲くし立てているのも、大半が姉に対する鬱屈した感情のようだし、たぶんペネトカという少女は心の底でナスタレイハを見下しているのだろう。


 ナスタレイハの人となりや術師としての技量についてはミルンは知らないし、もしかしたらペネトカの言うとおりなのかもしれない。

 しかし、だからといって姉に対する彼女の態度はミルンには同意しかねるものがあった。


 姉のことが気に入らない、でもその姉が恵まれているので腹立たしい。そこまではまあ個人の感情だから致し方ない。


 しかし、そうして腹を立てていることにさえ自分が被害者であるような意識を持つのはよくわからないし、ましてやミルンに運命とやらを抱く心理はさっぱり理解できなかった。

 もしかすると彼女の中ではミルンもロディルに対して同じような鬱屈を抱いていることになっているのだろうか。


 たしかにロディルは優秀で、ミルンは及ぶべくもない。

 学校にしたってどうしてもちゃんとしたところで学びたかったミルンが、ヴィトレイに頭を下げて一年だけカルティワに行かせてもらい、より高い国立の学校を諦めて他の数段低い教育機関を選んだのだ。


 ロディルは当然のように国立の学校を正規の三年間通ったうえでマヌルドに留学したわけだが、それをミルンはおかしいとか不条理だなどとは思ったことがなかった。


 ミルンは学費と首都にいる間の生活費を自分で稼いだ。

 しかし学校に通いながらの稼ぎでは払いきれず、実家にも負担してもらったので、その分はあとから少しずつ返している。

 自分の意思だけで学校に通うのだから、最低限の援助しか受けられないことは了承していた。


 もちろん、ロディルのことが羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。

 次兄は学業に集中できるよう、家だけでなく里や国からも援助を受けていたのだから。


 でもミルンは彼の両肩に圧し掛かるものを知っていたし、どうしてみんなが彼への援助を惜しまないのかも理解していたから、羨みはしても妬むことはなかった。

 彼がマヌルドに行くと決まったときは誇りに思った。


 だから、ペネトカの怒りはミルンにはわからない。根本的にそこが違う。


「悪いけど、言ってる意味がさっぱりわからん。

 あんたはナスタレイハのことが嫌いみたいだけど、俺はジーニャのことをどうとも思っちゃいない。別に兄弟仲にも問題はないし」

「わ、私だって別にターリェカを嫌ってるわけじゃないわ! でもこう……私の努力って、いつも報われない感じがするのよ。


  同じ学校に通って勉強して、私のほうが成績のいい科目もあったのに、ターリェカはマヌルドに行けて私は行けない。

 地元でくすぶってる私に出逢いはなくて、ターリェカには王子さまみたいな人が現れる。

 この差は一体どこから来るの!?」


 そんなことをミルンに向かって猛られてもどうしようもない。


 たしかに彼女の姉は運がよかったかもしれない。

 ロディルは優しい男だし、学歴的には経済的安定も見込めるので、たぶん結婚相手としては優良だろう。


 でも、ひとつだけ言えることがある。


 もしペネトカのほうがマヌルドに留学できて、そこでロディルに出逢ったとしても、きっと結ばれることはない。

 たぶんロディルにはナスタレイハでなければならなかった。それはなんとなくミルンにもわかる。


 結婚式での幸せそうなふたりを見ていれば、ミルンでなくてもきっとわかっただろうけれど、ペネトカだけはそうではないらしい。

 たぶん彼女の眼は姉への反抗心で曇ってしまっているからだ。


 だんだん哀れに思えてきて、ミルンは思わず彼女の肩にぽんと手を置いた。


「……あんた、普段よっぽど誰にも話を聞いてもらえないんだな」

「そんなことないわよ!」

「じゃあなんでそんなにあれこれ喚きたてるんだよ、ほとんどよく知らない俺相手に。内容の大半はナスタレイハに直接言えばいいようなことばっかりだし」

「あら、あなたのことならもうよく知ってるわ。いっぱい調べたし、今日もたくさん質問したもの、もう大体なんでもわかってると思う。なんならクイズを出してくれてもいいわよ?」


 やたら胸を張って宣言するペネトカに、ミルンは何度目かの溜息をつく。


 そういうところが人を遠ざけるのだろう。

 何をどれだけ調べたか知らないが、それだけですべて知ったような気になって、しかも相手を不快にさせることがわからないらしい。

 世の中いろんな人間がいるが、久々に強烈な手合いだ。


 たぶんペネトカ本人にはこれっぽっちも悪気がなく、心の底から自分が正しいと信じている。

 あるいはその逆で、ほんとうは自分の考えや行動に自信が持てないので、それを悟られないように虚勢を張っているのかもしれない。


 何にしろ、可哀想なやつだな、とミルンは思う。

 自分の意見を押し通すのに必死なあまり相手の話を聞けないうちは、この性格が直ることはないだろう。

 このままではいつか孤立する。


 しかしどんなに憐れんだところで、これ以上こんな不毛なやりとりに付き合ってやる気もない。


「じゃあ俺が今どう思ってるのか当ててみろ」


 そう言うと、ペネトカは再び俯いた。

 そしてしばらく考えてから──ちなみにその間もずっとミルンの腕は抱き締められたまま──ぱっと顔を上げた。


 瞳を潤ませ、頬を赤らめながら、懇願するように彼女は言う。


「私に、キスしたいって思ってる。……そうに違いないわ。そうでしょう? ねえ、お願い」


 何をそんなに必死なのかはわからない。彼女自身わかっていないかもしれない。

 ほんとうはミルンのことなどどうでもよくて、ただ誰かに縋りつきたいだけなのだろうが、生憎ミルンはその役目を果たせそうにはない。


 なのでいい加減腕を振り払って、冷たくこう告げるしかなかった。


「……不正解。もう戻るぞ」


 背後からなんで、とかひどい、というような声がしたが、ミルンはさっさと家の中に戻った。


 そんなに長時間は出ていなかったが、身体はすっかり冷えている。

 気をつけないと風邪を引きかねない。


 まだ玄関でぐずぐずしていたペネトカの首根っこを捕まえて居間に戻ると、アレクトリアがぽかんとしてこっちを見た。


 そりゃそうだろう、ミルンが彼女と急に出て行ったかと思えば、曲がりなりにも客でありこれから親戚となる家の少女の襟首を掴んで帰ってきたら、誰だって驚く。

 今までのミルンなら考えられない行動だ。


 自分でもちょっとやりすぎたかなと思わないでもないミルンだったが、アレクトリアが何か言う前に、コワチ家の三女がペネトカをたしなめていた。


 三女のもの言いには次女の暴走に慣れている風情が漂っている。

 お叱りの言葉を素直に聞いているあたり、ペネトカを止めるのは普段から三女の役目なのかもしれない。


 アレクトリアが恐々といったようすで何があったのかと尋ねてきたので、ミルンはなんでもないと返した。


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