142 喰う者と喰われる者

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 見渡す限り広場じゅう、神々が屍のように転がっている。


 しかも彼らは全員、それぞれの意思とは無関係に、人の姿をとらされていた。

 獣の形をしている神はひと柱だっていない。

 手足や顔は被毛を失ってむき出しになり、大抵はそれぞれの本拠地で着られる民族衣装の形を借りた衣服を纏って、しかし今は誰ひとり起き上がることさえできない状態だった。


 身体じゅうの力が抜けているのだ。

 全身がひどく重く、より小さな神や精霊たちに至ってはすでに意識を失っている。


 かろうじて眼は開けられたフォレンケも、手足の先さえ動かせずにぐったりと横たわっていた。


 自分の隣でルーディーンも倒れている。彼女はさすがに盟主だけあって、なんとかその身を起こそうともがくくらいはできるらしかった。


 懼れていた事態が起きてしまったのだ。

 初めは阿鼻叫喚の地獄だったが、弱いものから順に倒れていって今にいたる。


 その中で微動だにせず立っている、ただひとりの神。


 ──裏切り者の、かつて、ヒヒの姿をしていた神。以前の神名は、ドド。


「……いい眺めだなあ」


 ぽつりとドドはひとりごちた。

 周りに話しかけたつもりだったかもしれないが、返事ができる者などいない。


「どうだい、アフラムシカ。やっと帰ってこられたのに私に足蹴にされる気分は?」

「う……あ……、ララキを……どこにやった……!」

「そんなことは知らなくていい。それより自分の心配をしたまえ。こうなったからには、私としても、後の世に余計な悔恨を残したくはないのだよ」


 クシエリスルと融合したせいなのか、すっかり口調も別人になってしまったドドは、しかし以前と変わらぬ笑顔を浮かべていた。


 そしてふらふら歩き出すと、適当な神を頭髪や首を掴んで引っ張り上げ、そのへんに放り投げる。


 フォレンケも同じように頭を掴まれ、ぶん投げられた。

 くぐもった苦痛の声だけなんとか喉から絞り出せたが、ドドに言ってやりたい罵詈雑言は、まだ音にはできなさそうだった。


 歯噛みするフォレンケの上にアルヴェムハルトが投げられ、互いの手足がぶつかってまた痛い思いをした。


 よくよく見れば、ドドは男神だけを広場の端に投げて寄せている。

 残った女神たちは恐怖に怯えた瞳でドドを見上げていた。


 中身は大して変わっていないらしい。盟主としての最低限の節度を持った立ち振る舞いをやめてしまったせいで、粗暴なところが露わになっているだけだ。

 ある意味それは、クシエリスルを受け入れる以前の彼に戻ってしまったようでもあるし、あるいは彼の本質は、あれからずっと変わらなかったのだとも言える。


 乱暴なだけの神や、色を好んで女神を漁る神なら昔にもいた。

 だが、彼らとてそれほど自由には振舞えなかった。

 周囲の他の神がそうはさせなかったし、女神も女である以前に神なので、嫌なときには抵抗する手段を持っていた。


 だが、今のドドはそうではない。

 誰も彼に逆らえない。彼の暴力による支配を止める者は、この世にはいない。


 やがてドドはラグランネやヴニェクといった中堅どころの女神を摘み上げると、適当なところに腰を下ろし、彼女らを自分の膝に乗せようとした。

 もちろんふたりとも身体に力が入らないので、そのままずるずると倒れてしまう。


 ラグランネは眼に見えるほど震えているし、ヴニェクも歯を食いしばっている。どちらも受け入れる気持ちでないのは明白だ。

 しかしドドはそんなことは少しも気に留めず、まるで恋人を可愛がるように、指の背で彼女らの頬を撫でて悦に入っていた。


「そう怖がらなくていいぞ、ラグランネ。女神には優しくする主義なんだ。それはおまえもよく知っているだろう?」

「……ドド……や、めて……こんな……」

「わ……たしに……触るな……!」

「まあ、初めは誰しもそうだろう。かつてなかった新しいものを受け入れるということがどれほどの困難か……しかし、それも時間が解決してくれるということを、我々はクシエリスル成立時に学んだ。

 今回も同じだろう。そのうちヴニェクにも喜んで私に仕えたいと思える時が来る」


 ドドはそう言ってヴニェクの痩せた頬に軽くくちびるを落とした。

 ヴニェクからは掠れた悲鳴が上がったが、ドドはやはり何も気に留めることはなく、一旦ラグランネとヴニェクを地面に下ろす。


 それからすっと立ち上がると、あたりをぐるりと見回して言った。


「少し世界のようすを見てこよう。生まれ変わった大陸がどのように美しく変化したのかを確めたい。


 戻ってきたら、おまえたちの中からまず一体喰うことにする。


 いち早く私の新たな血肉になりたい者がいれば申し出てもいいぞ。それこそが世界への貢献となるだろう。

 それから、ふふ……これは女神限定だがね、私に忠誠を誓った者には力を分けてやる」


 ──では諸君、よく考えたまえよ。


 空じゅうに高らかな笑い声を響かせながら、ドドはアンハナケウから出て行った。

 あとに残ったのは地べたに這い蹲っている、かつて神と呼ばれた者たちと、どうすることもできない絶望だけだった。


 フォレンケも起き上がることのできない身体で間近な草を見つめながら、これからどうなってしまうのだろうと憂うほかなかった。


 世界の命運はドドが握っている。

 誰もそれを取り上げられないのなら、そのまま握り潰してしまうことさえドドの自由になってしまう。


 そもそもドドはどうやってこんな状況を創り上げたのだ。


 クシエリスルの仕組みを悪用したのだということはフォレンケにもわかる。

 言わば神々が全員で共有していたクシエリスルという名を、ドドがひとりで継承したような形だということも。

 だがそんなことが実際に可能だとは思えないのだ。


 大紋章の操作は盟主全員の同意が必要で、それがなければ普段は鍵を掛けられた状態になっている。


 そしてそれゆえドドはアフラムシカの帰還を待っていたに違いない。

 つまり、盟主の同意が行われたように大紋章の機構に錯覚させるような方法を、ドドは知っていたのだ。


 それでもってクシエリスルという仕組みが、そのまま所属する神々を束縛して一方的に力を吸い上げる形式に変えられ、自分だけはその支配を受けずに統括者の座に就くなんていう芸当をやってのけた。


 大紋章を動かした方法と、クシエリスルから脱した方法、その二点がわからない。


 逆に言えば、それさえ知ることができたなら状況を変えられるのかもしれない。

 同じようにこの支配を脱し、大紋章を元の形に戻すことができれば──しかし今、それを調べられる者はここにはいないのだ。


 解決法がまったくわからないより性質が悪い。

 わかっているのに動けず、これからドドがひとりずつ喰っていくのをただ眺めているだけだなんて尚更苦痛だ。


 フォレンケは歯を食いしばった。

 なんとか立ち上がりたい。それでどうにかして道を繋げたい一心だった。


 抗うなら人数が多いうちのほうがいいし、動くならドドがいない今しかない。


 だが、手足はまったく思うようにならなくて、力なく何度か地面を掻いただけで気絶しそうになる。


 ──誰か、誰か居ないのか。せめてボクよりもう少し身動きのできる神はいないのか。


「……そろそろいいか」


 フォレンケの意識は薄れかけていたが、そんな声が聞こえた瞬間、はっとして眼を開いた。


 草陰にぼやけた向こうで、倒れ伏す神々の中から身を起こした者がいるのだ。その動きにも苦しそうなところはほとんどない。

 一体誰が、と驚愕していると、さらにもうひとり立ち上がった。


 それは、カーシャ・カーイと、ヌダ・アフラムシカだった。


 なぜこのふたりだけ無事なのか、動けるならどうしてドドの狼藉を黙って見ていたのかはわからないが、フォレンケは泣きそうになった。


 ──よかった、まだこの世界は終わっちゃいない。希望はある。


「カーシャ・カーイ……なぜおまえも動けるんだ」

「そりゃあこっちの台詞だ。ま、たぶんお互い似たような手を使ったのは確かだろ。世界規模の大機構に抜け道がそうたくさんあっちゃあ困る」

「……もっともだな」


 アフラムシカは頷いて、それから空を見上げた。


「カーイ、私はララキを探さなくてはならない。この状況を変えるにはの協力が必要になる。

 よってしばらくここを空けるが、私が戻るまでの間、皆のことはおまえに任せたい」

「おいおいおい、なんで俺がてめぇの頼みを聞いてやらなきゃならねえんだよ」

「非常事態だからだ、カーイ。今のドドを止めるには協力し合わなくてはならない。たとえそれが、私とおまえのようなそりの合わない神同士であってもだ」

「けっ、そりゃ高尚なご意見をどうも」


 吐き捨てるように返したカーイの態度は、素直にアフラムシカの指示に従うとはとても思えないようなものだったが、しかし今は一刻を争う事態だ。

 アフラムシカはそれ以上何も言わず、そのままアンハナケウの外へと消えていった。


 残ったカーイを、他の神々が倒れ伏したまま見つめている。


 フォレンケもまたカーイを見て、そして、途切れ途切れになる声で彼の名を呼んだ。


 アフラムシカほど頼りになるとは思っていないが、それでもフォレンケは彼の性格についてよく知っている。

 抜け道とやらを使ってドドの支配を脱したくらいだから、たぶん他にも何か手を隠し持っているだろうし、何よりここに転がっている中にはルーディーンもいるのだ。


 ドドが彼女に手を出すことだけは、カーイも絶対に阻止したいはず。

 だから最低限ルーディーンだけでも助け出す術は用意しているのではないか。もしそうなら、その手段を他の神にも適用できるかもしれない。


 とにかく必要なのは情報の共有だ。

 カーイひとりで事態を変えられるとは考えにくいし、それはアフラムシカでさえ同じことだろう。

 できるだけ大勢が復帰して力を合わせなければ。


 しかし、オオカミの神──今は銀髪の若いハーシ人男性の姿をしているカーイは、フォレンケをちらりと見ただけで無視をした。


 他にもカーイの名を呼ぶ神はいる。

 彼はそのどれもを一顧だにせず、広場の端へ歩いていく。


 そしてかなり隅のほうに転がっていた、今は意識すらない精霊を一体摘み上げると、それを自らの口に放り込んだ。


 嫌な咀嚼音が響き渡り、そしてひとりの女神が彼に向かって叫んだ。


「カーイ……、あなた、何てことを……しているのですか……!」


 必死で半身を起こしていたルーディーンには、恐らく一部始終がよく見えたのだろう。


 女神の美しい顔は今は恐怖と悲痛に塗れていた。

 肩をわなわなと震わせるルーディーンに、カーイはようやく視線を向ける。


 フォレンケにも、それは見えた。ひどく冷たい眼差しだった。


 昔からよく知っている、『眼が合えば骨まで喰われる』と噂された北の悪霊の顔だ。


「何って、力をつけてんだよ」

「でも……その子は……あなたの眷属の……」

「単なる非常用食糧だ。もともとこういう用向きに創った妖精だし、必要ならまた創りゃいい」


 そう言って、もう一体摘んで喰らう。

 ばりばりと音を立てて骨を噛み砕き、血の一滴も漏らさず啜って、あっという間に二体目の精霊も彼の腹に収まってしまった。

 気絶している精霊たちは悲鳴のひとつも上げずに死んでいった。


 あたりは静まり返っている。

 その場の意識のある全員が、絶句し凍りついていたからだ。


 カーイの来歴についてはみんな知っている。

 彼は必ず、かつて大陸でもそうしてきたように、このままドドに対抗できる段階になるまで精霊や神を喰べ続けるだろう。


 そのうち自分の番がくる。ドドに殺されるより先に、カーイの牙が迫ってくる。

 アフラムシカなら絶対にとらないそんな方法で、カーイはドドを打倒しようというのだ。


 これはきっと最後には三つ巴の戦いになるだろう、とフォレンケは思った。

 ドド、カーイ、アフラムシカ、三者がみんな別の方向を向いている。

 アフラムシカがこうしたカーイの蛮行を許すはずがない。


 ──ガエムトを呼ぶしかないか。


 忌神の王はここには来ていない。

 だからといってドドの書き換えた新制クシエリスルの支配から逃れられてはいないだろうが、少なくとも彼は盟主、フォレンケよりはまともに動けるだろう。

 何もかもが規格外のあの蛮神なら、あるいはカーイを止めることができるかもしれない。


 だが、これは賭けでもある。

 弱ったガエムトが他の神を襲う可能性は充分にあるし、この状況でもまだフォレンケの指示に従ってくれるかどうか。

 今日こそフォレンケも獲物として見なされるかもしれない。


 それでも、やらなければ。それができるのはフォレンケしか──。


「──カーイ!」


 フォレンケの思考を遮るように、女神がふたたび声を張る。


「どうしても……他の神や精霊を、喰べると言うのなら……、私を食べなさい、カーシャ・カーイ……!」


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