130 弱き獣の矮小な掌

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 人間たちは結論を出した。

 それはアルヴェムハルトが狙ったとおりの、予め用意された結末であった。


 キツネの神は満足して結界を閉じる。


 もうキノコの森の結界を存続させる必要もないので、あとは場所を提供してくれたカーシャ・カーイに託すため、不要になった小道具たちを虚無へと返す。

 渡すときは最小限の大きさにするのが礼儀だ。


 見る見るうちに縮んだ結界は、最後には臙脂色の木の葉の上に浮かぶ、一滴の雫となった。

 その中に居残ることを決めた人間たちの姿が小さく映っている。


 ほんとうに手間と時間がかかる試験だった。


 実施すると決めた以上、最低限自分で納得のできるものにしなければ気が済まないアルヴェムハルトは、できうる限り情報を集めた。

 ララキたちに会ったことのある神、試験を行った神、そしてそれ以外の小さな神々にも話を聞いた。


 人間をアンハナケウに上げたくはない、と大多数の神が思っている。

 だから試験を突破できる人数に制限をかけることにした。

 クシエリスルの原則に抵触しないよう、盟主たちにも意見を求めた。


 必要なのはララキに突破させること、それ以外のふたりには可能な限り脱落してもらうこと。

 なおかつ本人たちの意思でそれを選ばせるべきだとアルヴェムハルトは思った。


 それぐらいの意志がなければアンハナケウへの道を繋いでやることはできないのだと、人間側によく理解させなければならない。


 だから人間同士の関係や性格についても調べをつけ、特定の状況に対してそれぞれが取るであろう行動を推定し、『最優先でミルン・スロヴィリークを脱落させる』試験を考えた。


 もうひとりの少女についてはどちらでもいい。というか、どの結末も同程度の確率で起きるだろう。

 彼らが迎えるのはミルンひとりか、あるいは少女とミルンの組み合わせで残る結果、このどちらかに必ず行き当たる。


 これまでの彼らの言動からして、ミルンは絶対にスニエリタという少女を見捨てない。

 ララキはそれを拒むだろうが、スニエリタはミルンに追従する。

 それぞれは互いの目的と意識を理解し、また最終目標であるアンハナケウへの到達について、ララキの存在が必要不可欠であると知っている……。


 多少は予想と違う言動も見られはしたが、概ねこちらの狙いどおりに試験は進んだ。


 最終的にララキのみが通過して残りふたりは落ちるという、もっとも好ましい結果に落ち着いたのだから、苦労した甲斐はあっただろう。

 これで誰からも文句を言われずに済む。


 アルヴェムハルトは小さくなった結界を載せた葉を拾うと、自分の頭の上に載せた。


 あとはこれを観客席まで運んで、そこにいるカーシャ・カーイに献上するだけだ。

 仕上がりに何も不満や不足がなく、自信を持って渡せるのだから、アルヴェムハルトは満足している。


 だが、隣で後始末を眺めていたラグランネはそうではないのか、なんともいえない表情をしていた。


「ラグ、何ぼーっとしてるんだ。もう終わったよ」

「うん……終わっちゃったわね」


 ラグランネはらしくもなく静かに答える。


 それぞれが共通して口にした『終わった』という言葉が、互いに違う意味合いを含んでいるように思えたのは気のせいではないだろう。


 アルヴェムハルトは結界を閉じるという意味で使った。

 ラグランネはたぶん、試験そのものに対して言った。それもどこか寂しげな口調で。


「まさかとは思うけど、人間に感情移入なんかしてたりしないだろうな」

「そんなんじゃないけど」


 ラグランネは腰を上げて、小さな雫を覗き込む。


「ただちょっと……ほんのちょっぴりだけ、あの子たちがカーイとルーディーンに似てるなって思ったの。それだけ」

「なんだそれ」

「すごくなんとなくの話よ」


 自分も見てみたが、どこにでもいるふつうのハーシ人の少年と、これまたふつうのマヌルド人の少女だ。

 ハーシ人のほうは銀髪だから人型をとっているときのカーイと似たような髪色だが、マヌルド人は茶髪である。ルーディーンの美しい純白の毛とは似ても似つかない。

 しいていえば少女のほうは大人しくて思慮深い性格のようなので、その点はルーディーンと似ていなくもないか。


 だが、たぶんラグランネが言いたいのはそうではないのだろう。


 しかしその意味を深く考察する必要はないと判断し、アルヴェムハルトは何も言わないで歩き出した。

 ラグランネもまた、黙って後ろをついてくる。


 ときどき彼女の気配は──つまり彼女の存在にかかる紋章は、見失いそうになるくらい小さくなることがある。

 今もそう、かろうじて背後にいるのがわかる程度に留まっている。


 その理由も原因も、アルヴェムハルトは知っている。


 ラグランネがかつては小さな精霊だったことも、どうやって女神になったのかも、それゆえ今はカーシャ・カーイに叶わぬ望みを抱いていることも、たぶん大陸じゅうの誰よりよく知っている。


 自分でも呆れるほどの長い付き合いだ。

 だからこそ、もっと早く手を切っておくべきだったと思うことも少なくない。

 それと同時にやるせなさを感じてもいる。


 自分でもわからないのだ。

 果たしてこれは同情なのか、それとももっと自分勝手な感情なのか。

 それともひょっとして、利用されているのは自分ではなく、むしろ彼女のほうなのではないか、とさえ。


「よう、お疲れさん」


 考えているうちに観客席へと辿りついた。

 カーシャ・カーイの隣には、彼に招かれたらしいルーディーンが座っていた。


 その姿を見るなり背後でラグランネの気配がぎくりと強張るのを感じながら、アルヴェムハルトは木の葉をカーイに手渡す。

 場所を提供してもらったことに改めて礼を言い、ラグランネの前脚を引っ張って隣に来させ、一緒に頭を下げる。


 クシエリスルの神は平等だと謳いながら、相変わらず上下関係は存在している。


 カーイは強い神だ。アルヴェムハルトが敵う相手ではない。

 ちっぽけなキツネがオオカミに成り代われるはずはないし、ましてや代わりを務めることもできはしない。

 たぶん隣のタヌキがヒツジに抱いているのも、同じような僻心ひがごころなのだろう。


「あとのことはカーイにお任せしていいです? 呪われた民の処遇と……」

「ああ、任せとけ。どのみちひとりは俺の民だし、こっちの娘については先にヴィーラから言質を取っといたからな」

「……ずいぶん手回し良いっすね」

「偶然だよ。さて、このあとどうする? 反省会でもやるか?」

「いえ、……しばらくヴィーラを放っておいてしまったので、きっと仕事が溜まってるんじゃないかと。僕らは帰ります」

「ふたりともお疲れ様でした。今日くらいはゆっくり休んでくださいね」


 ルーディーンに微笑んでそう言われると思わず心が安らぐ。

 決して彼女に対する下心があるわけではなく、この女神には対峙する者の敵意や疲労を有無を言わせず拭い去り、自然と和やかな気持ちにさせる力が備わっているのだ。


 それはひとえに人間たちがそのように彼女を祀ったからで、生まれついた環境が良いとはこういうことだと自ら証明しているようでもある。


 同じワクサレアの女神でこうも違うと、さすがにラグランネが哀れにもなる。

 タヌキの女神はどこか諦めたような静かさで、さらりとルーディーンに挨拶をしただけで、余計な雑談などせずにその場を辞した。


 アルヴェムハルトも盟主たちの御前を辞し、ラグランネに続いて外に出る。


 あたり一面、寂しい景観が広がっている。

 ハーシの秋はワクサレアやマヌルドに比べて色味が少ない。

 このつまらない景色を見たラグランネが、せっかくだから賑やかな試験会場にしましょうと言ったものだから、あんなキノコまみれの非現実的な結界ができあがった。


 どうせ悲しい結末を迎える試験なのだから、会場くらいは楽しいほうがいいでしょ、というのが彼女の言だ。


 しかしこれまた本音はそうではないとアルヴェムハルトにはわかっている。

 ほんとうはたぶん、彼女は試験の準備にあたって、何か没頭できるような仕事を作りたかったのだ。

 試験の設計自体はアルヴェムハルトが担ったが、小道具の用意は彼女の役目だった。


 カーイの領域を間借りして試験を実施すると決めたはいいが、このごろの彼女はカーイに対して消極的になっていた。

 何をやらかしたかは知らないが、前まであんなにカーイの傍に行きたがっていたラグランネが、最近はさっぱりその気配を見せていない。


 それどころか他の神々と遊ぶのも控えめにして、試験のためという名目でアルヴェムハルトのところに入り浸っていた。

 つまり、ある意味でアルヴェムハルトはここ最近、ラグランネを独占していたといえる。

 何柱かの神には羨ましがられたが、実際にはそこに好ましい要素など少しもありはしない。


 だってそうだろう、今までのように不誠実に甘えてくるどころか、どんよりと暗い顔をしながら隣でせっせとキノコを創っているだけなのだから。


 今もそう、ハーシ南部をのろのろとワクサレアに向かって歩いている道すがら、ふたりはろくに会話もしていない。

 アルヴェムハルトがおもむろに足を止めたところで、やっとラグランネは顔を上げた。


 あんまりひどい顔なので、アルヴェムハルトは思わず溜息をつく。


「あのさ、ラグ。……その……カーイと何があった? それともルーディーンとか?」

「べつに。……どっちとも、何もない」

「それが何もないって顔かよ」


 泣きそうになってるくせに。


 放っておけばいいのに、アルヴェムハルトにはそれができない。


 なぜなら頭の片隅でこう思うから。

 試験が終わってしまったから、もうラグランネを自分のところに繋ぎとめてはおけなくなる、彼女は放っておいたらまた別の男のところへ行ってしまうのだと。


 だからどうした、自分にはなんら関係のないことだと、なぜ思えないのか。


 もちろんほんとうのところはアルヴェムハルト自身よくわかっている。

 認めたくないから言葉にせず、あえてラグランネには冷たい態度をとるだけで。


 でも、どんなに突き放しても、意地悪を言っても、なんだかんだラグランネは最後には自分を頼ってくる。

 きっとそれが心地よくて今の関係に甘んじている。


 ラグランネにとっては、自分は数少ない、最後に少しだけ本音を零して弱さを見せられる相手なのだ。

 少なくともアルヴェムハルトはそうだと信じている。


 一緒にいると、いつも互いに傷つけ合う。

 そうして自分が噛み付いてできた傷に責任をとる体で、ついでに他の傷も舐めてやるような、回りくどくて非合理的な関係だ。

 あるのはアルヴェムハルトの情けない下心と、ラグランネの悲しい打算だけ。


 それでも他の男に盗られるよりはマシだった。

 誰かの胸で泣くくらいなら、アルヴェムハルトの牙で咬み殺してあげたかった。


 だから今日も、キツネはタヌキの頬を摘んで、できるだけどうでもよさそうな声音で言った。


「……このあと僕のとこで反省会でもやろうかと思うんだけど、ラグも来るだろ?」


 まったく我ながら下手くそな誘い文句だと思ったが、ラグランネは小さな声で、行く、と答えた。


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