128 神の『試練』

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 なぜだかだんだんと闇が深まっているような気もする。

 キノコを探すのを急いだほうがいい気がして、ミルンは慌てて足元のそれを改め始めた。


 どれも光っているのは緑色だ。

 紛らわしいから違うものは引っこ抜いてしまおうか。

 軸が細いものなどは色以前に形の条件を満たしてもいないわけだし、絶対に違うわけだから処分してしまっても問題ないような気がする。


 あと、もしかしたら地面から引き抜くと色が変わるとか、そういう落ちだったりしないだろうな。

 という疑念もあった。


 とりあえず当たり障りのないひょろひょろのキノコを試しに採ってみた。

 するとキノコはたちまち光を失い、ミルンの手の中で真っ黒な炭のようになってしまった。


 黄金に輝くというキノコなら、抜いたあとでも光り続けるのだろうか。


「……あの、ミルンさん」

「うん?」


 キノコを見ながら返事だけする。静寂の中、スニエリタがすうと息を吸う音がよく聞こえる。


「ミルンさんは、どうしてアンハナケウを目指しているんですか?」

「あれ、言ったことなかったか? そうか。

 ……まあ簡単に言うとだな、俺の部族──水ハーシ族は国内外問わず、あんまいい扱いを受けてないんだ。町もかなりの田舎だったろ? 他に部族長が直轄してる都市や街で、モロストボリより小さくて何にもないとこはねえんだわ」

「そ、そうですね。……わたしはその、のんびりしていて、好きですよ」

「ありがとな。でもさ、やっぱりみんなにずっと貧乏させてんのは嫌なんだ。

 妹だって……町の外に出たら水ハーシが周りからどんな言われかたされてるか、知らないから今は笑ってられる。でもいつかは現実を知ることになるだろう。俺はそれがどうにも……」


 そして、兄がいた。


 ミルンよりずっと出来のいいロディルが失踪したとき、ミルンはその理由を自分が感じてきた世への違和感だと思い込み、兄に置いていかれたことに言葉にできない衝撃を受けたのだ。

 実際には少し違ったようだが、ともかくミルンが町を飛び出す直接のきっかけはロディルにあった。


 部族の地位を向上させるためにできることは、長い目で見たらきっとたくさんあるだろう。

 それこそ何十年も何百年もかけて、地道に何かを積み上げていくことで、少しずつ得ていけるものは少なくないはずだ。


 だが、それでは時間がかかりすぎる。できるならアレクトリアが成人する前に世界を変えてしまいたい。


 妹だっていつかは結婚する。彼女も部族長の娘として、政治的理由でもって他の部族や外国の男へと嫁がされることになるだろう。

 嫁に行った先でどんな扱いを受けるのかと思うと気が狂いそうになる。

 ヴィトレイとロディルと三人で必死で守ってきた大切な妹が、どんな心ない言葉で罵倒され虐げられるのかと思うと。


 その前になんとかしなければ。


 もちろん現実的な方法では達成できない。

 もしそんなことを可能にできるとしたら、それは神の力のほかにありえないだろう。


 神の紋唱という概念は、古今東西の研究者によってさまざまに語られてきた。


 その力を借りるだけのものか、あるいはララキのように直接その神自身を顕現させるものか、それによって何ができるのかは、語る者によって違っている。

 ミルンが求めるのはクシエリスルのすべての神と繋がる方法だ。

 どこか一箇所だけ変えても仕方がない、世界まるごとにその力を行使できなければ。


「アレクトリアさんのこと、ほんとうに大事にしていらっしゃるんですね」

「……まあな」


 改めて人から指摘されるとなんだか気恥ずかしいが、事実だから仕方がない。


 それにしてもスニエリタから何か訊かれるなんて珍しいことではないか、と今さらながらに気がついて、そっと彼女のほうを見やる。


 幻想的なキノコの光に照らされて、その佇まいにはどこか現実味がない。

 そのまま闇に溶けて消えてしまいそうだ。


 よくよく考えたら、薄暗い環境でちょっと雰囲気のある灯りに包まれ、しかも邪魔者はおらずふたりきり、という具合で恵まれていると言えなくもない状況だ。

 むろんだからといって何かそういう行動に出てしまえるミルンではないのだが。


 スニエリタもこちらを見ている。

 何も言わないが、今はこの静寂が心地いい。


 お互い黙ったまま、そうしてしばらく見つめあったまま、そこにいた。

 頭の片隅では、あとどれくらいこうしていられるのだろうかなんて考えながら。


 スニエリタは何を思っているのだろう?

 聞きたいような、でも知りたくないような。


 今はただこのまま──……。


「……おーい!!!」


 このまま、なんてわけにもいかず、ミルンのささやかな幸せはどっかのポニテの大声によって粉々に吹き飛ばされた。

 なんだよと振り向くとこちらに向かって走ってくるララキの姿がある。


 ララキはミルンの陰にスニエリタがしゃがんでいたのに気づいた途端、ぴたりと足を止めた。


「あ……ごめん、邪魔しちゃった?」

「おまえの期待するようなことは一切何もないから安心しろ。で、どうしたよ」

「ちぇっ。

 ……じゃなかった、そうだ、これ見て! 見つけたっぽい!」


 じゃーん、という口頭効果音つきでララキが差し出したのは、たしかに傘の部分が金色の光を散らしている丸っこいキノコだった。

 軸の色は暗いのでよくわからないが、ここまで正解に近そうなキノコは他にはない。


「わぁ、ほんとうに金色ですね……! ララキさん、どこで見つけられたんですか?」

「それがなんと樹の上だよ。こうさあ、下からだと枝が邪魔になって見えないとこにひっそりと……」

「なるほど。よしララキ、今すぐ全部の樹に登ってこい」

「人使い荒いな……ちょっとはミルンも手伝ってよね。あ、これはとりあえずスニエリタにあげる」


 手のひらにころんと転がされたキノコを見て、スニエリタが困ったように言う。


「でも、あの、わたしもちゃんと自分で……」

「あたしがあげたいの。それにスニエリタ、木登りやったことある?」

「……ないです」

「でしょ。こんな暗い中で登るのってけっこう危ないんだよ。未経験ならなおさら。

 大丈夫、もういっこくらい、あたしすぐ見つけちゃうからさ」


 ララキに優しく諭されて、スニエリタは渋々ながらも頷いた。

 というわけで彼女は一足先に切り株の拠点に戻らせ、ミルンは自力で同じキノコを探すべく適当な樹に目星をつける。


 しかしミルンだって樹に登ったのは子どものころ以来である。

 軽く十年は経っているだろうか、体重だって今の半分程度しかなかった時分の話だ。

 まったくの未経験よりはマシであろうが、こんな暗闇の中での経験はもちろんないし、ララキほど身軽に登れる自信はもっとない。


 できるだけ登りやすそうな枝振りの樹を探している間に、ララキはひょいひょいとそのへんの樹へと登っていった。

 やっぱりこいつは人間というよりサルの類なのではなかろうか。


 相棒の人並みはずれた身体能力に感嘆を通り越して唖然としてしまいつつ、ミルンもどうにかひとつめの樹に狙いを定める。


 でもって紋唱術師としてはそのまま登るような手は使いたくない。

 地属性の術を使って地面を盛り上げ、足場を作る。それである程度の高さまで行き、近くの枝を掴んでその上によじ登った。

 暗いので周りがよく見えず、細い枝の先などがあちこちひっかかる感覚がある。


 これはスニエリタに挑戦させなくて正解だと思いつつ、枝についたキノコを調べていく。


 ふつうのキノコならこんな高いところにはあまり生えないだろうが、ここはそういう常識とか現実には囚われない結界である。

 枝の周りにも小さなキノコが密集し、まるで花のようになっている。

 光っているのでそれなりに美しい。


 この樹にはないが、紋唱術を駆使して隣の樹に移り、そうやって何本か調べていくと、ついにあった。


 枝と枝の間のくぼんだところから、明らかに他とは違う光が漏れている。

 金色の傘。


 真上からはコインが転がっているように見えた。

 つやつやと輝くそれを、狭い隙間にどうにか手をねじ込んで取り出すが、やはり樹から引き剥がされてもその光が褪せることはない。


 これで最低限のノルマは達成したな、と息をひとつ吐き、それからそのまま枝から飛び降りた。


 すると、なぜかミルンは切り株の拠点に降り立っていた。


 株の上には二柱の神が暇そうに寝転んでいて、その脇にララキとスニエリタがいる。

 ふたり揃っているということはララキももう見つけたのか、さすがに早いなと感心しかけたが、すぐにそうではないと気づいた。


 ララキの表情がおかしいのだ。


 彼女はミルンとスニエリタ、そして神々を順に眺めて、明らかに困った顔をしていた。


「え、なんで……どういうこと……?」

「どうかしたのか? 俺はどうにか見つけてきたけど」

「それは見ればわかるよ! そうじゃなくて、あたし……まだ見つけてないのに、どうして拠点に戻されてるの? ねえラグランネ、アルヴェムハルト、なんで!?」


 叫ぶようにして言うララキに、キツネの神が冷静な声で答える。


『初めから二本しか用意していないよ。そしてそのすべてが回収されたので、一旦ここに集まってもらった。無駄に探させないだけ慈悲深いと思ってほしいところだ』

「だってあたしたち三人いるんだよ、一本ずつ食べたら一人余っちゃう……」

『そうよ? だって全員必ず合格できる、なんて一言も言ってないでしょ』

『誰が食べるか、あとはきみたちで話し合って決めるといい』


 アルヴェムハルトは突き放すような声音でそう告げると、それ以上は何も言わなかった。

 ラグランネも彼にもたれるようにして寝そべると、もはや人間のことなど興味もないと言わんばかりに、ふいとこちらから顔を背けた。


 重苦しい沈黙が三人の上に圧し掛かってくるようだった。


 キノコは二本しかない。

 初めから、この試験はひとりをふるい落とすためのものだったのだ。


 アルヴェムハルトを捕らえたとき、ラグランネが言った。自分たちを捕まえるのが本旨ではないと。

 逃げ回る神々を捕まえるのはもちろん、珍しいキノコを探すことさえおまけだったのだ。


 それはそうだろう、今になって思えばそんな単純な試験はこれまでにもなかった。


 三人で脱出の権利を巡って争うことこそが試験の目的だったのか。


 ミルンは手を広げ、そこに転がる小さなキノコを見た。

 一口で収まるほどの小さなそれを、分け合って食べても恐らく意味はないだろう。


 出られるのは最大で二人。


 まずララキを見る。

 彼女にはシッカの嘆願という、アンハナケウに行かなければならない重大な理由があり、きっとそれを譲ることはない。

 それにそもそもララキがいなければ神々と対話することができず、今までのような方法でアンハナケウを目指すことはできなくなる。


 次にスニエリタを見る。

 もともと彼女は関係がなかった。

 たまたま身体をタヌマン・クリャに乗っ取られ、取り戻したあとも彼女が希望したのは自分たちに同行することであって、アンハナケウに行く理由自体はスニエリタにはない。


 しかしだからといって、結界に置き去りにしていい理由にはならない。


 カジンの試験で、ララキとミルンは一度、スニエリタを見捨てた。

 もう二度とそんな選択をしたくはない。

 ララキにもさせたくはない。


 だからミルンは、困惑しているララキの手を引っ張り、そこに自分の持っていたキノコを握らせた。


 ララキがばっと顔を上げてミルンを見る。スニエリタも一緒にこちらを向いた。

 ふたりとも、今にも泣きそうな顔だった。


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