127 運命の鍵
:::
黄金のキノコを探せ、とキツネの神は静かな声で言った。
厳密にはこうである。
──黄金に輝く傘を持ち、軸は白く、太くて丸みを帯びたものが正解のキノコだ。
それを焙るなりなんなりして食べるといい。
必要な量は一人につき一本、食べ終えた時点で眼を醒ますだろう。
もうさんざん森の中を歩き回っているが、そんな見た目のキノコを見かけた覚えはない。
念のためララキのとったメモをもう一度見せてもらったが、明らかに目印になるであろうその派手な外見のキノコは、いずれの樹のメモにも記されていなかった。
樹ではなく地面に生えているとかだろうか。
ともかく探すべきものがわかったので三人は拠点を出ることにした。
もちろん切り株の拠点内には該当するキノコがないのを真っ先に確認した上でだ。
ちなみに探索の紋唱は使えない。
あれは術者がそのものを頭に思い浮かべながら行うものなので、いくら説明を受けたといっても実物を見たことのないものには効果がないのだ。
いつだったかララキがタヌマン・クリャの紋章を探すことができたが、あれは例外というかかなり希少な例だ。
つまり、捜索する対象が『神の紋章』であり、ララキがその信徒の末裔である『呪われた民』──つまり自身の心に外神に由来する紋章を持っていたから、直接見たことがなくても直感で探し当てられたのだろう。
あのときは深く考えなかったけれども。
何にせよ今は地道に歩いて探すしかないわけだが、早くも弱音を吐き出したやつがいた。
「そんなキノコ見たら絶対覚えてるよ、あたしたちがどれだけ森の中見て回ってたと思ってんのさ~」
「金色の傘……けっこう目立つはずですよね……」
地図を作ろうとして頓挫していた女子たちである。
調査のため森林内をくまなく歩き回り、ミルンの数倍はこの森に詳しいと言えるふたりが見た覚えがないというのだ。
辺りには気持ち悪いくらいの数のキノコがあるが、そのどれもが条件には合わない外見をしている。
そもそも金色などという不自然な色味のものがまずない。
黄土色とかくすんだ黄色のものはなくもないが、まさかそれらを指して黄金に輝くと表現することもあるまいし。
ミルンは適当な一本を摘みあげてよく観察してみたが、これはどう見ても褐色だ。
念のためヘアバンドをずり下げてレンズの部分を眼にあて、それ越しにも眺めてみたものの、これといって新しい発見はない。
どこからどう見ても何の変哲もない地味な毒キノコだった。
「あ、それ使ってるの初めて見た。飾りじゃないんだ」
「……ああ紋視鏡のことか? ふつうは紋唱の調査に使うもんなんだけどな。たとえば何かの術の効果で色が違って見えてるとか、そういうのならわかる。とりあえずこいつは外れだが」
「そういう道具だったんですか。珍しい形なのでわかりませんでした……でもどうしてミルンさんがそんなものを?」
「だよねえ、ふつうそういうのって学者さんが使うのでしょ? たぶんせんせーも似たようなの持ってるけど」
「ジーニャを追ってたときに、あいつが行く先々で何を調べてるのか知りたかったんだよ。これはレンズだけで蚤の市の古道具に転がってるのを買った」
そうしたらその古道具屋の店主が厚意でヘアバンドに縫い付けてくれたのだ。
正直ありがたくはないサービスだったが、無下に断わりきれずこのような形になった。
一人旅のころのミルンは優柔不断がひどかったのだ。
今はララキに振り回されすぎたのか、スニエリタを守らねばと気を張る場面が多くなったせいか、以前よりはきっぱりと物事を判断できるようになった気がする。
とりあえずレンズ越しにざっとあたりを見回すものの、使用する前からの変化は見とめられない。
単にこの場所にはないだけだろうか。
装着した状態で歩くと眼が回るので、一旦紋視鏡を頭に戻した。
だが、もし何らかの力でキノコの外見を欺かれているのなら、こんな道具なしにそれを見破るすべがあるはずだ。
スニエリタが言うようにミルンの所持する紋視鏡は一般的な見た目をしていない。
ふつうは虫眼鏡のように取っ手がついているか、眼鏡の形か、そうでなくば懐中時計のように鎖などで服や鞄に繋げられる形なのだ。
もちろん試験を用意したのは神であるから、外見などに惑わされずにこちらの所持品を見抜いたとも考えられるが、それにしたって効率が悪い。
なんとかしてひと目でキノコを選別する方法はないものかと考えていたら、ララキとスニエリタがこんな会話をしていた。
「輝くっていえばさ、キノコって夜になると光る種類もあるんだっけ? どんな感じなんだろうね」
「きっと幻想的な光景でしょうね。ここには夜はなさそうですけど」
「そういえばずっと明るいまんまだよね。たまにちょっと陰るくらいで……あ、ほらまた」
光るキノコなら知っている。ヤコウタケとかツキヨタケとかがそうだ。
ちなみにヤコウタケは食べられるが不味いらしいし、ツキヨタケは毒キノコである。
それらは光るといっても蛍のような淡い緑色で、金色とは似ても似つかない。
しかし女子たちの何気ない会話は、ミルンの脳裏にあるひとつの仮説を生み出すのに充分だった。
いつまでも日が沈まない森では、どれが暗闇で光るキノコなのかはわからない。
もしも今まさに黄金に輝くキノコがそこにあったとしても、あたりが明るいからその姿に気がつかないのではないか。
「おい、ちょっと聞いてくれ」
試す価値はあると確信している。
だが、問題はミルンにそれを実行する力がないことだ。
呼び止められたララキたちがこちらに向き直るのを待ち、ミルンは切り出した。
「おまえらのどっちか、闇に属する紋唱って知ってるか。ちなみに俺はわからん」
ミルンの問いに、少女たちは顔を見合わせた。
紋唱術の属性といえば、基本的には火、水、風、地の四大元素だ。樹や雷、氷などはその派生にあたる。
これらはどの紋唱術学校でも広く教えられており、町の図書館などでも教本が取り揃えられている。
それとは別に、光と闇といった属性も存在する。
回復や治癒などの紋唱は光の属性を持っており、各学校で基礎カリキュラムに採用されていることが多い。
だが、光属性の術でもそれ以外のもの、たとえば攻撃や防御などの用途を持つものは、ふつうの学校では教わることもないし、そこらの教本には載っていない。
闇に至っては『そういう属性も存在はしている』程度に終わることも多い。
難易度が高く、また滅多に使う必要がないだろうということで、教える学校はまずない。
かなりレベルの高い教本ならその隅に多少記載があるかもしれない、ぐらいの希少な属性だ。
ミルンが卒業したのはハーシの首都にはあるが国立ではない学校で、そこはそれほど深く学べる環境ではなかった。
それゆえミルンは多くの術を独学で覚える必要があったのだ。
だが、たいていの術は必要に応じて覚えたし、まさか闇属性の術が要る場面に出くわすとは思いもよらず、ひとつも知らないまま今に至ってしまった。
この森には夜が来ない。
紋唱術を使って強制的に暗くしなければ、光るキノコは見つけられないのだ。
「あたしは知らないな……スニエリタは?」
「その……一応、紋章と招言詩はひと組だけ……習いはしましたが……」
さすが大陸トップの帝国学院は違うな、とミルンは唸った。
しかしスニエリタの表情はいつにもまして不安げだ。
「座学で一度習っただけで、実際に描いたことも唱えたこともないんです。先生の実演もなくて効果も曖昧で……とても、ここでまともに使えるとは思えないです……」
「大丈夫だ、時間はいくらでもあるんだから。ぶっつけ本番で成功させろなんて俺もララキも思わねえよ」
「というか教えてくれればあたしたちも練習するよ! みんなでやったほうが効率いいしね」
「そ……そうですね、では、えっと」
普段使わないものとなると、さすがに紋章を描く手が覚束ない。
実技の経験がなければなおさらだ。
きっとうろ覚えの部分もあるのだろうが、スニエリタは震える指でなんとかそれを紡いでゆき、ミルンたちはそれをじっと見守った。
ひとつめの図形は円に似ているが、破綻させて途中で直線を差し込んでいる。月を模式的に表わしたものだろう。
スニエリタはその中と外に大小さまざまな方形を書き込んでいく。
紋唱術においては、基本的な術ほど含まれる図形の大きさを均一にとる紋章を描く。そのほうが描きやすいからである。
このようにわざと大きさをばらばらにして配置し、しかもそれぞれが地面に平行ではなく中途半端な角度を付けられているというのは、それだけでかなり高度な術と言える。
紋章の全体的なバランスを欠くものは扱いも難しいのだ。
やがてスニエリタは紋章を描き終えたが、その隣でララキがげんなりした顔になっていた。
さすがに彼女もこの術の難易度がどれほどのものか理解できたらしい。
「いや、あのさあ……闇の紋唱術って初級とか入門みたいな概念はないわけ?」
「たぶん研究者が少なすぎるからだろうな……若干、忌神関連っぽい図形もあるっちゃあるが、まあともかく今はこれを覚えるしかないんだから文句は言うなよ」
「ふえーい……じゃあスニエリタ、招言詩をどうぞ」
「は、はい。──
紋章は、どろりと怪しくうねった。
光ったのかもしれないが、色味が黒に近い青紫色だったので、いまいち輝いたようには感じられなかった。
ララキはそれを見てなぜか納得いったような風情で、あーそうか、とか言った。
ともかくスニエリタの描いた紋章は正しく発動されたのだろう、そこからやはり黒っぽい煙がもうもうと溢れて上空へと昇っていく。
そして辺り一面を、というわけにはいかないまでも、だいたいミルンたちがいる半径一メートル以内くらいは、そこだけ空間を切り取ったように真っ暗になった。
そして、思惑どおり浮かび上がるものがある。
ぼんやりと暗闇に浮かび上がる蛍光色の丸いものの群れ。
薄緑色や淡い青色をした、さきほどまでとはまったく趣きの異なる姿へと変貌したキノコたちだ。
思わぬ美しい光景に、ララキとスニエリタが歓声めいた声を上げる。
本来なら闇に包まれて互いの顔もわからないはずだったのだろうが、大量のキノコが発光しているせいで地面に近いところは多少明るく、彼女たちが笑っているのもミルンからよく見えた。
「すごーい! 思ってたよりきれいかも」
「──
「あー……そうね、がんばろ」
このまま森の大半を暗くしたら動きにくくなりそうなので、今のうちに適当な術を使って最低限の光源を確保した。
ララキとスニエリタもミルンに倣ってそれぞれの手持ちの光の術を描く。
それからもう一度スニエリタに闇の紋章を描いてもらう。
今度はただ見ているだけでなく一緒に描くが、やはり難しい。
最後まで描いてはみたものの、明らかにあちこち歪んでいて、まともに発動するかどうかも怪しい。
なんだかんだで一発で成功したスニエリタはやはり地がいいんだよな、と改めて思ったりもした。
ともかく招言詩を唱えてみる。
結果、ララキは不発に終わり、ミルンは半径十数センチ四方というしょぼくれた仕上がりだった。
しかし、もうこれで何度目かは忘れたが、何度でも言う。
時間だけはいくらでもある。
三人はひたすらその紋唱を描いて唱えるのを繰り返し、さすがに何十回とやれば紋章のほうは描き慣れてくるし、発動したときのイメージも掴めるようになっていった。
気づけばすっかり景色は夜の森へと様変わりしている。
空の明るいところなど少しもなく、地面だけがキノコたちの光で幻想的な輝きに包まれていた。
あとはこの中から黄金のキノコを探すわけだが、意外に光るキノコが多くてそれも簡単ではなさそうだ。
樹の陰など見えづらいところに生えているかもしれない。
草の根を掻き分けてせっせと探していると、誰かがミルンと同時に手を伸ばしてきて、指先がかちあった。
「あっ、ごめんなさい」
スニエリタだった。薄暗くて表情が見えにくいが、彼女も驚いたようだった。
「なんか久しぶりに聞いたな。おまえのその、ごめんなさいっての」
「そうですね……わたしも、久しぶりに言ったような気がします。あの、その……ミルンさんには、ほんとうにその、感謝しています」
「ああ、いやまあ、俺は勝手にいろいろ口出ししただけだよ。……でもほんとうに、ずいぶんよくなったよな。
前の試験もそうだったし、今回も俺たちはおまえに助けられてる。自信持っていい」
「……ありがとうございます」
褒めたつもりなのに、なんとなくスニエリタの返答がどこか寂しげに聞こえたのは、あたりがこれほど暗いせいだろうか。
→
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます