124 果てしないキノコの森

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 地表にダメージを与えず、木の葉に化けたラグランネを確実に捕獲するにはどうすればいいか。


 考え込む三人を嘲笑うように、どこかから冷たい風が吹き込んで、散らばっていた落ち葉を数枚宙に巻き上げた。

 『ここにいるよ』と女神が挑発しているように思えてならなかった。いや、実際そうだとしたらそれもヒントということになるのだろうか。


 再び地面に戻った木の葉が、また動いたり消えたりしないかじっと見つめていると、ふいにミルンが口を開いた。


「ララキ、水系の術だ。スニエリタは氷、やれるか?」

「なんかわかんないけど、あたしは了解。水流でいいよね」

「わ……わたしもやってみます!」

「よし」


 何か思いついたらしいので、彼の頭を信じて言われるままに紋唱を始める。


 しかしここでララキが術を放つのはいいが、水はすぐに樹々をすり抜けて周りへ流れ出ていってしまう。

 そこへ氷系の術を重ねるにしても、スニエリタがよほど上手くタイミングを計れないと、この辺りだけを凍りつかせるのは難しいだろう。


 そのあたりミルンは何か考えがあるのだろうか。

 ララキは水流の紋を描き終えても、すぐには発動させずにスニエリタのようすを見た。少し遅れて彼女の準備が終わる。


 スニエリタの向こうに、見たことのない紋章を描いているミルンが見えた。


「せーの、でいく?」

「わたしがちゃんと合わせないとダメですよね……がんばります」

「そんなに気負わなくて大丈夫だ。まずは俺が簡単な結界を張っとく。──縫地ほうちの紋!」


 紋章が光ったあと、その外周の円だけがぐいと大きく広がったかと思うと、吸い込まれるように地面へと下りていった。

 そんな術が使えたのか。


「どこでそんなの覚えるの?」

「独学。それより早くしてくれ、短時間しか持たねえから」

「あ、ごめん、──水流の紋!」

「と、と──凍璃とうりの紋……!」


 ララキの放った水流が、ミルンが張った結界の線に沿って円形に流れ込む。

 そこにスニエリタのかけた氷の紋唱が降り注ぎ、縁からぱりぱりと軽やかな音を立てて凍っていく。

 すぐさまミルンも氷の術で応援をかけた。


 それにしてもミルンの独学精神はちょっと見習いたい。

 探索の紋唱にしても覚えてみたらすごく便利だったし、ララキももっと使える術のレパートリーを増やしたほうがいいだろう。


 この試験が終わって水ハーシの里を出られたら、とりあえずハーシの別の都市に出るだろうから、そこでまず図書館にでも行こうかな。


 考えている間に水はすっかり凍ってしまい、ついには平べったい円柱形の氷の塊になった。

 中に閉じ込められた木の葉がどうなっているかはよく見えないが、芯まですっかり凍っているため、もはや満足に動くことはできないだろう。

 ラグランネは完全に捕らえられた。


 ぱきん、と冷たい音が高らかに響く。円柱の中心にひびが入る。


 もしかしたらまだ逃げるかもしれないので、三人は身構えた。

 手袋の指が三方から突き出された真ん中に、ばりばりと耳障りな音を立てて、何かが氷を割り砕いて這い上がってくる。


 やがて、氷片を撒き散らしながらそれが姿を現した。

 蕾、だった。

 ネズミ色がかったくすんだ緑色の蕾は人間の頭くらいの大きさがある。


 三人が見守る中それはゆるりと解け、薄紫がかった白い花が咲いた。

 かと思うとぱちんと爆ぜ、周りを覆っていた氷塊が一瞬にして消え失せると、その中心に花の代わりに銀黒のタヌキが座っていた。


『うちひとりに三人同時でかかってくるって、あなたたちチームプレーが好きなのねぇ……』

「捕まえたんだから手がかりちょーだい」

『んー、まあ、……仕方ないか。じゃーあ、うちからは"秋の味覚を楽しんでね"ってことでどうかしらぁ』

「秋の味覚……」

「このたくさん生えているキノコのことですか?」

『そういうこと』


 そんなような感じだろうな、というのは追いかけている最中に薄々気がついていないでもない三人だったが、ラグランネはにこにこしているのであまり深く追求しないことにした。


 ともかくラグランネは捕獲されたため、最初に三人が試験についての説明を受けた切り株のところで待機しているとのことだった。


 女神の姿はまたぽんと音を立てて消え、落ち葉混じりの風がそれらしい方角へと吹きぬけていくのを見送って、ララキは再び探索の紋唱を始める。

 今度はキツネのほうを捕まえなくては。


「……あれ、なんてったっけ? キツネの神さまの名前」

「アルヴェムハルトですよ」

「前から思ってたんだが、東部の神は名前が長いよな。ティルゼンカークといい」


 カーシャ・カーイもヌダ・アフラムシカもまあまあ長いような気もするが、そちらは元の名前に雅称というか称号にあたる語をくっつけているらしいので、単なる名前だけの部分で考えると東部には負ける。

 勝負はしていないが。


 どうしてでしょうねとスニエリタは小首を傾げていたが、よくよく考えたら彼女の本名もけっこう長い。

 ミドルネームなど一度聞いただけのララキには暗唱できない。

 そもそも個人名が複数ある文化は大陸内でもマヌルドが固有なので、恐らくマヌルド人の命名規則とかマヌルド語とかの都合で長くなりがちなのだろう。たぶん。


 それはそうと紋唱の発動が終わり、再び三人は紋章を引っ掴んで移動を始める。


 歩きながらなんとなくキノコを注意して見るようになった。


 ラグランネの出したヒントからすると、このキノコのうちのどれかを食べることで目を醒ませるんだろう。

 となればアルヴェムハルトは正解のキノコの見分けかたを教えてくれるのだろうか。


 できるだけ美味しそうなのだといいけど、とララキは思った。


 たとえばある樹の根元に生えている、真っ白で傘がふっくらと丸いやつとか、また別の樹の樹皮を覆っている焦げ茶色でふわふわしたやつなんか、触感も良さそうだし食欲をそそる見た目をしている。

 まあミルンが言うには白いほうは毒キノコだそうですが。


 逆にとある樹に生えている赤黒くてぶよぶよしたやつとか、真っ黒で表面がぼこぼこしているのとか、食べものに見えないくらい真っ青で半透明なやつとかは見るからに不味そうだ。

 まあ実際食べてみないとわからないけれども。


 それにラグランネはそんなに意地が悪そうな感じでもなかったので、たぶんそんなに不味いキノコを食べさせられる羽目にはならなさそうな気がしている。

 たいして美味しくないという可能性は残るが。

 いや、神が用意したキノコなのだからどうせならびっくりするくらい美味しいのを出してほしい。


 とかどうとか食欲にかまけた妄想を膨らませていたララキは気づくのが遅れたのだが、ミルンが足を止めた。


 紋章は爆ぜたりはしていない。

 だが、見ると刃が忙しなくいろんな方角を数秒ずつ指してはくるくると回っている。


 どうやらアルヴェムハルトはラグランネと違って一箇所に大人しくしてはくれないらしい。


 しばらく刃の動きを追って動き回ってみたが、三人がある程度近づくと移動してしまうようだった。

 こちらも何かに化けているのか、移動する姿そのものを目撃することもできず、そうこうしているうちに探索用の紋唱が時間切れで消えてしまった。

 これは無策で追うのも無理そうだ。


 三人が一旦足を止めたのは、偶然にも最初の大きな切り株のある場所だった。

 切り株の上にちょこんと座っているラグランネが、疲れた表情の三人を見てくすりと笑む。


 結界の中なので肉体的疲労はないものの、対策のわからない問題と対峙するのは精神的にくる。


『アルヴェくんはうちみたいに簡単に掴まらないよ~?』

「わかってるもん。今から作戦会議!」

『うちも混ーぜてっ』

「……うわ!」


 なぜだかラグランネがひょいと飛び上がり、そのままきれいにミルンの頭に着地した。


 獣としては小柄とはいえ、曲がりなりにもひと柱の神が頭の上に乗っかったものだから、強制的にミルンはそのまま崩れ落ちて膝を衝く。

 隣にいたララキとスニエリタも立っているのが少し辛かったので一緒にしゃがむことにした。


 何だこの状況。


 人間の心境など露知らない女神はけらけらと無邪気に笑っている。

 ミルンは頭上のタヌキを少し疎ましげに見上げ、どういうつもりかとラグランネに尋ねた。当然の質問だった。


「まさか、こっちが立てる作戦をアルヴェムハルトに伝えたりとか……」

『そんなことしないわよぉ。しばらくやることないから暇なのよねー、ってことで、ちょっとは助言したげてもいいかなって』

「なんという自由な女神……まあいいや、告げ口はしないんだよね、それは信じていいよね?」

『クシエリスルの神は嘘を吐きませぇん』


 ずいぶん冗談めかした言いかただったが、確かにそれは昔シッカが口にしたのと同じ言葉だった。

 ララキはハッとしてタヌキの女神を見つめるが、ラグランネはそれ以上何も言わず、ミルンの髪の毛をもしゃもしゃと弄っている。


 まさか、……いや、今は余計なことを考えるのはよそう。最近少しマイナス思考が多すぎだ。


「とにかく作戦だ。相手は神とはいえ獣には違いないんだから、罠を張ってそこに追い込むとかしないと」

「逃げ回られるのがいちばん面倒だもんね。問題はどういう罠を用意して、どうやってそこまで追い詰めるのかってことだよね……ラグランネ、この森ってどれくらいの広さがあるの?」

『あー、その質問はダメね、答えられません』

「では、アルヴェムハルトがどうやって姿を隠して移動しているのか、は教えていただけますか?」

『そうねぇ……具体的には言えないけど、うちと違って、物質には化けてないってことだけ。アルヴェくんそっちは苦手だから』


 神にも得手不得手があるらしい。

 あまり有用な助言はもらえなさそうだが、物質には化けていない、という部分が気になった。


 葉や枝なんかに紛れているわけではなく、なおかつ姿を見せずにあちらこちらへと移動できるということは、つまりアルヴェムハルトは風とかそういう眼に見えないものに変化しているのだろうか。

 そうなると、大概の罠は機能しなくなる。

 風なんてどこでもすり抜けてしまうではないか。


 たいていこういう作戦を考えるのはミルンだが、今回ばかりは彼も悩んでいる。

 アルヴェムハルトの状態がはっきりしないことには有効な罠が何なのかわからないし、正しい罠がなければそこに追い込んでも意味がない。

 追い込む方法を考える以前の問題だ。


 何か、突破口はないものか。


 ララキは辺りを見回すが、もちろんあるのはひたすらに大地を覆うキノコの大群だった。

 もう一生分のキノコを眼にしたような気がする。

 どこに行っても似たような光景が広がっているうえ、肉体的な疲労を感じない状況なので、この森の広さや地理的な感覚がまったくわからない。


 そういえばラグランネは森の広さについては回答を拒んだ。

 もしかすると、それがこの試験の突破に関わってくる要素のひとつなのだろうか。


 例えば、ほんとうは森自体はものすごく狭いのだけど、ゲルメストラの迷路のようにどこかの地点で別のところに繋がっているので、まるで果てしなく広いように感じるとか。


 結界である時点で空間的に歪んでいることは三人とも予想していた。

 端がないのではないか、という意味で。


 やはりこのキノコの群れはそうした空間の継ぎ目を隠すなり道を覚えにくくするためのものなのだろうか。

 でもそうだとすると、焼き払うと後悔することになる、というラグランネの言葉の意味がわからなくなる。

 道の形を覚えられるのならキノコは排除したほうがいい。


 それともキノコを目印にしろとでも言うのか。この暴力的なまでの数ともなると、それはもはや不可能の部類に入るのだが。


 いや、でも、目立つものだけなら覚えられるかもしれない。

 色がもう真っ青なのとか、白い傘に毒々しい赤の斑点がついてるのとか、あと大きさが馬鹿でかいのとか。


 できれば近くの樹の種類も確かめたいが、いかんせんララキは植物には疎いほうだ。

 南部のものならちょっとはわかるのだけれども。


 ここは地理的に近い国出身者の協力があったほうがいいと思い、スニエリタの肩をつつく。


「ちょっと気になることがあるんだけどさ、調べるの手伝ってくれない?」

「もちろんです。わたしは何をしたらいいですか?」

「樹とキノコの組み合わせをメモするの。何の樹にどんな見た目のキノコが生えてるかってのを、キノコはその樹についてる中でいちばん目立つやつで」

「それ調べてどうすんだ?」

「簡単な地図ができないかなと思って。罠張って追い込むんだったら、そういうのがあったほうがよくない?」

「……そうだな。どうせ罠の用意にも時間はかかるし」


 三人は頷いて立ち上がる。

 もとい、ミルンはラグランネに乗られたままなので動けないため、女子ふたりだけで周辺の調査に乗り出した。


 はっきり言って、容易な作業ではなかった。


 樹の種類だけでも恐らく両手で足りないほどあるし、それが大量にある。

 同じ種類の樹も当然だが複数ある。それをくっついているキノコだけで見分けようというのだ。


 スニエリタは樹とキノコの組み合わせを、ララキはその樹同士の位置関係を調べていく。


 気の遠くなるような地道な作業、しかもまったく終わりが見えないわけで、ふたりの足取りは開始早々から重かった。

 ともかく結界内で空間が歪んでつぎはぎになっているという仮説を信じ、できるだけまっすぐ進む。


 そうして細々と記録をとりながら、ひときわ巨大なキノコの横を通りすぎたときだった。


 ひゅん、と風を切る音がした。


 ララキの右側を、前から後ろに向かって何かが駆け抜けたような気配だった。

 スニエリタがいるのは左側だから彼女ではありえない。


 ララキが驚いて立ち止まったのを見てスニエリタも足を止める。ただ、彼女には音は聞こえなかったようだった。


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