122 消えた木の葉

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 無言のまましばらく歩いていたが、手にしていた紋章が突然ぱんっと乾いた音と立てて消えたので、そこで立ち止まった。


 単なる時間切れなら静かに薄くなって消えるので、こんなふうに爆ぜるようなことはない。

 明らかに外部から何らかの力で介入されたということは、ラグランネがすぐ近くにいると考えていいだろう。


 慎重にあたりを見回すが、相変わらず視界の大半はキノコに埋め尽くされており、尻尾のひとつも見当たらない。


「どっかに隠れてるのかな?」

「中に入れるくらい大きなキノコもありますね。それに枝の上や樹のも……」

「うーん、森ってけっこう隠れるとこたくさんあるね……じゃあ、あたしちょっと樹の上を見てくるから、ふたりは手分けして下のほうお願い」

「わかった。あ、一応周りを囲っておくか。スニエリタも手伝ってくれ」

「は、はい」


 ミルンとスニエリタが水と氷の紋唱を駆使して半径四、五メートルほどにぐるりと壁を造っている間に、ララキはするすると適当な樹に登っていった。

 オーファト戦でも彼女の身体能力には驚かされたが、さすがに登るのが早い。あっという間にミルンの頭より高いところへ消えていった。


 造壁作業の傍らその光景を眺め、思わず呟く。


「……あいつはサルか何かか?」

「すごいですよね」

「確かにすごいっちゃすごいが……こう言うとあれだけど原始的っつーか、やっぱあいつは古代人だな」


 そういえばいつだったか、自分で自分を元野生児とも称していたような。

 閉じ込められていたというクリャの結界がどんなだったかは知らないが、そこでも樹に登ったりしていたんだろうか。


「古代……あの、ララキさんって、そんなに昔の方なんですか」

「さあ。どれくらいの間結界にいたのかは本人もわからんらしいし……ただ、呪われた民の国が滅んだって言われてるのが少なくとも百年以上前じゃなかったか? だからそれよりは前なのは確かだろ」

「あ……そうなりますね……」


 そのあたりの歴史はまだはっきりとはわかっていない。

 イキエス以南には立ち入ることができないし、クシエリスルが制定もしくは施行されたと言われている時期──おおよそ五百年前から、呪われた民はクシエリスルの民との交流を絶ってしまっている。


 奇妙なもので、イキエスと呪われた民の国の間にはかつて明確な国境線も、それを示す柵や壁も造られてはいなかったというのに、呪われた民がクシエリスル側に流入してきたという話も聞かない。

 あるいは上手くイキエスに隠れて溶け込んだか、すぐ掴まって殺されたりしたのかもしれないが、そういった記録はないらしい。


 何にせよ現在のイキエスに呪われた民を名乗る人間は公的には存在していない。


 ちなみに呪われた民という回りくどい名称は後から歴史学者なんかがそう呼んだだけで、実際には彼らは別の自称を持っていたとされる。

 何と名乗っていたのか、人口がどの程度だったのか、タヌマン・クリャをどのように信仰したのか、どんな文化を持っていたのか、そしてなぜ滅んでしまったのか、そのすべては今なお謎だ。

 そして彼らの故地に誰も踏み入ることができない以上は今後も永遠に謎のままだろう。


 教科書などでの僅かな記述は、ほとんど推測のみで構成されている。

 伝染病で滅んだのではないかというような現実的な説もあれば、食糧難で人肉食が行われていたとかの、明らかに偏見が入った説も入り乱れていた。


 そもそも滅んでいないという説もあるらしい。

 尤もだとミルンも思う。むしろその領域に誰も近寄れないのに、どうして滅んだことがわかったのだろう。

 ララキという存在が目の前にいる以上、実際に滅んでいなければ彼女はライレマ教授に預けられることはなかったのだから、滅亡したこと自体は事実なのだろうが。


 どこかの神が夢枕にでも立って誰かに教えてやったのだろうか。何のためだか知らないが。


「……ま、そんなことよりラグランネを探さないとな」


 壁造りは適当な高さで造るのを止め、調査に移る。

 どのみちラグランネを見つけられたら壊して外に出なければならないのだし、相手は単なる獣ではなく神なのであるからして、大層な壁を造る意味はあまりない。


 背の低いスニエリタには地表のキノコを任せ、ミルンは樹の幹や木陰を中心に見て回った。


 果たしてこの結界はどちらの趣味なのか、どこもかしこもキノコだらけだが、何も樹のうろの中までキノコをびっしり生やすことはないのではないかと少し思った。

 念のため数本毟ってみたがキノコの陰に隠れられるほどの空間はなさそうだ。


 そうこうしているうちにララキがひょいと飛び降りてくる。どうやら樹上にも潜んではいないようだ。


「そう簡単には見つからないね。あと探してないのって地面の下くらい?」

「そりゃそうだけど、地中戦はカジンだけでたくさんだよ」

「あ、あの。……タヌキもキツネも、絵本や昔話ではよく人や物に化けてますよね。もしかしたら、このたくさんあるキノコのどれかがラグランネが化けたもの、だったり……」


 スニエリタがそう言いながらあたりをくるりと見回す。

 そして、自分の発想がちょっと気恥ずかしくなったのか、だんだん語末が小さくなっていく。


「……しません、よね、さすがに……」

「いや、あり得るんじゃねえか。いくら秋ったってこの数のキノコは異常ではあるし、一本ぐらい増えてもわかんねえからな」

「でも仮にそうだとして、どうやって特定するの? いっこずつ触って確かめるにも数が多すぎるよ」

「面倒くせえし焼き払っちまうか?」


 そう言って指を構えたときだった。


 はらり、とミルンの目の前を色づいた葉が舞い落ちた。


『そんなことしちゃったら、あとで後悔するわよぉ~?』


 耳元でラグランネの声がした。


 思わずばっと声のしたほうを振り返るが、もちろんそこには誰もいない。

 ただキノコが階段のように生えた樹があるだけだ。


 相変わらず女神の居所は掴めないが、今のはちょっとした手がかりだとミルンは思った。


 キノコを焼き払ったら後悔する、ということは、脱出方法にキノコが関わっているという意味ではないのか。

 もしくはキノコを焼く場合に巻き込まれるであろう周りの植物のことかもしれないが、とにかく安易に攻撃系の術を放つべきでない状況であるらしい。


 となると、ララキが言ったように時間をかけてでもキノコを一本ずつ検分していくしかないのだろうか。

 三人で手分けしたところで果てしなく時間がかかりそうだ。

 しかもそれでラグランネを見つけられたとしたら、このあとアルヴェムハルトも同じくらい手間をかけて探さなければいけなくなるという可能性が高いので、それを思うとげんなりする。


 いち早く覚悟を決めたか、ララキがひょいとしゃがみ込む。しかし彼女が手にしたのは一枚の葉だ。

 先ほどミルンの鼻先を掠めながら落ちてきた、橙色に染まった丸い落ち葉。


「ミルン、これさ、どっから落ちてきたの?」

「どこって、そりゃそのへんの樹の上からだろ。……あ?」


 言われてみて、初めて真上を見上げる。

 ミルンの頭上には緑色の葉が青青と生い茂っている。紅葉した落葉樹が多いので疑問には思わなかったが、この森の結界の中には常緑樹がないわけではないのだ。


 辺りの樹を改めて確認すると、壁の中にあるのはすべて緑の葉をつけた樹ばかりだった。


 ララキはさっき樹の上に登っている。ラグランネを探そうとして、周辺の樹々の枝や葉を間近に観察したはずだ。

 それでここ一帯が常緑樹のみであることを知っていて、紅い葉に疑問を感じたのだろう。


「……最初に顕現したときも、ラグランネは紅い葉に包まれていましたよね」

「ってことはこの葉っぱの出どころがラグランネの隠れ場所? でもさっき登ったときはそれらしいものはなかったような……」

「むしろ木の葉に化けてるとかじゃねえだろうな」

「はは、まさか。……あっ!?」


 ララキが急にでかい声を出したので何かと思えば、その手に握られていたはずの葉が消えていた。


 落としたのかとすぐに地面を確認したが、眼がちかちかするような色合いのキノコが生え広がるほかは、枯れかけの草に混じって青いままの落ち葉が転がるばかりだ。

 ララキとスニエリタでキノコを掻き分けてみても見つからない。


 まさかほんとうに木の葉に化けていたのか、あの女神。


 樹を隠すなら森の中、という言葉があるが、まして木の葉のような小さなものを隠されたら探すのは至難の業ではないか。

 キノコを一本ずつ改めるよりも性質が悪い。


 ミルンがさらにげんなりしていると、スニエリタがあっと声を上げた。今度は何だ?


「壁が消えてしまってます……!」


 彼女が指差したほうを見ると、ふたりで拵えた壁が一箇所どろどろに融かされていた。どうやら囲みから逃げられたらしい。


 出て行った痕跡を残してくれる点は親切なような、かといって木の葉一枚を探すのに捜索範囲がまた森全体に広がってしまったことを考えるとちっともありがたくはない。

 苛立ちながらふたたび探索の紋唱を行う。


 囲みの外は広葉樹も多く、紅い葉なんて数え切れないほどそのへんに散らばっている。

 紋章の示した先へと急いで向かうが、たとえラグランネが潜んでいる地点にまた辿りつけたとしても、女神の化けた木の葉を見つけて今度こそ確保しなければ意味がない。


 走りながらララキに問う。直接木の葉に触れたのは彼女だけだ。


「ララキ、さっきの葉に何か特徴とかなかったか?」

「いやぁ特に珍しくもないふつうの葉っぱだったと思う……しいていえば形がちょっと丸いかな、ぐらい」

「手に取るくらいでは正体を現してくれませんでしたよね」

「しかもすぐ逃げるっていうね。やっぱりちょっとくらい攻撃とかしなきゃダメなのかな」

「炎は使うなよ、なんか知らんが後悔することになるらしいからな」


 ふたたび紋章が爆ぜた地点で立ち止まり、あたりを見回す。

 落ち葉ならたくさん落ちている。それに周りの樹もほとんど紅葉していて、形はともかく紅や黄色の葉ばかりだ。さっきよりも探しにくい。


 果たしてこの状況、どうしたものか。


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