121 葉衣姫と渓谷の賢者
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いつの間にか、森の中に立っていた。
ミルンは首を傾げながらあたりを見回すが、自分の周り三百六十度、すべてが樹々に覆われている。
どれも落葉樹だ。秋の彩りが美しいが、その色味にはどうも違和感がある。
少し考えてその理由にいきついた。樹の種類がハーシで見られるものとかなり違うのだ。
それに、思いだせるかぎりでは夕飯のあと兄たちと話したり本を読んだりしただけで、家の外には出ていない。
あとはどうも記憶が曖昧なのだが、風呂にも入った気がする。
となればミルンの性格上、残るは明日の予定を確認するぐらいで、そのあとすぐ寝ているはずだ。
つまるところ、これは夢か。
夢の中でそうと分かるものは明晰夢とか言うんだったかな。
見た感じではこの森はハーシよりずっと南にある雰囲気だ。
植生にそれほど詳しくはないが、明らかにイキエスあたりの植物には見えないので、ふつうに考えて中間にあたるワクサレアやマヌルドだろうか。
まあ、ただの夢に現実を当てはめても仕方がないかもしれないが。
ともかくミルンが次に確認したのは自分のことだった。
服装はいつもの外套とブーツ、頭には
そうなればまずは術を描いてみる。夢の中でも発動するのか試しておきたかった。
「……水流の紋。と、まあこんなもんか」
思ったとおりの効果を確認し、満足したところでもう一度あたりを見回す。
どうもなんだか、夢としても何かがおかしいような気がするのだが、この足元からせり上がってくるような奇妙な不安は何なのだろう。
周りは不気味なほど静かで、いつだったかの迷路を思い出させた。あれも場所はワクサレアの森の中だったから景色も似たようなものだ。
違うのは秋らしい鮮やかな葉の色と、枝々から垂れ下がる鈴なりの木の実、あとは足元を覆うほどの豊かなキノコの群れだろうか。
樹の根元にもびっしりと色とりどりのキノコが生えている。見たことのないような妙にけばけばしい色のものもある。
それに全体的にでかい。一般的な、指や手のひらくらいのものもあるのだが、その中に混じって大人が座れそうなぐらい大きなものもある。
キノコの種類にも詳しいわけではないミルンだったが、さすがに現実のワクサレアにはこのキノコは実在しないだろうと思った。
とにかくその場にいても仕方がないように感じ、ミルンはキノコの森を歩き始めた。
変な夢だ。
もともとミルンはあまり夢を見ない体質だったが、これまで見たことがある夢というのはだいたい知っている場所が舞台になっていて、たいていそこには知っている人間もいた。
ひとりきりで見たこともない場所にいる夢というだけでも珍しい。
しかもこんな絵本に出てくるような現実味のない景観の森ともなればますます謎だ。
もちろんミルンにファンシーを好む趣味はない。
ともかく道を塞ぐほどのキノコを掻き分けるようにして歩いていると、少し開けた場所に着いた。
そこには大きな切り株があって、誰かが腰掛けている。ふたりいる。
オレンジ色のポニーテールと栗色のロングヘアとなれば見間違うはずもなく、ミルンはすぐさま駆け寄った。
「あ、来た来た」
振り返ったララキは、まるでミルンを待っていたかのような第一声を放った。
となりのスニエリタはちょっとほっとしたような顔だ。
どちらも最近よく見るハーシの服(アレクトリアが近所から古着をかき集めてきたらしい)ではなく、いつもの旅姿の出で立ちだった。
どうも訳知り顔なララキに訊きたいことがいろいろあったが、とりあえずミルンはこの森について尋ねることにした。
「ここ、どういう場所なのか知ってるか?」
「どっかの神さまの結界っぽい、ってことだけ。誰のかまではまだ」
「結界……ってことはつまり、おまえがよく見るような神と対話する類の夢なのか? ……ん? というかもしかして、そもそも俺たちは全員で同じ夢を見てる……のか」
「そうみたい。でも今回はあたし、何も呼びかけたりしてないんだよね」
なんだろ、とララキが言ったのと同時に、強く風が吹いた。
ざあ、と葉擦れの音がして、風とともに色づいた落ち葉が切り株の広場へと吹き込んでくる。
紅葉を巻き上げる小さな竜巻は、しかもふたつあった。
片方は金色、もう片方は紅色の葉ばかりを巻き上げて、明らかに自然を超越した力がそこに働いている。
やがて風が治まると、竜巻のあったところに二匹の獣が姿を現していた。
一匹はタヌキ。
もう一匹はキツネ。
これまた童話のような組み合わせだったが、その色合いも黒っぽい毛の表面に銀を散らしたタヌキと、白っぽい金毛に覆われたキツネで、見た目もちょうど真逆になっている。
タヌキのほうは頭に花を載せているところからするとメスだろうか。
とりあえず言えるのは、どちらもカーシャ・カーイではない、ということだ。
そして西ハーシにはカーシャ・カーイ以外の神はほとんどいないが、かといってそこへ精霊なども含めた中にミルンが知るかぎりタヌキもキツネもいない。
というか、確かキツネの神は東の国だ。アルヴェムハルトとかいう名前だったはず。
タヌキも確かワクサレアを廻っていたときにそういう女神の教会を見たような覚えがある。
なぜマヌルドやワクサレアの神がいるのか、ミルンと恐らくキツネに気づいたスニエリタが困惑していると、タヌキの女神のほうが口を開いた。
『こんばんはー。ワクサレアの女神ラグランネでぇす』
予想を斜め上に超える口調だった。
これまでもフォレンケのような威厳に溢れない神は見てきたが、さらに輪をかけて神々しさに欠けるというか、こう言っちゃなんだが水商売の女のような軽さだ。という感想がミルンの脳裏をよぎった。
果たしてそれが顔に出たか、あるいは神には心の声も聞こえてしまうのか、ラグランネと名乗った女神はちょっと不機嫌そうに眉をひそめてミルンを見た。それで何を言うでもなかったが。
『僕はマヌルド東部を治めるアルヴェムハルトだ。いきなりだが、きみたちにはこれから試験を受けてもらう』
「え……あ、あのー、いっこ質問してもいい?」
『なぁに?』
「あたしたち、今はカーシャ・カーイの信仰地域にいるはずだよね。なのにどうしてワクサレアとマヌルドの神さまたちの試験を受けるの?」
『ああそれねぇ……まあ、いろいろとこっちの都合で。それにカーイ自身は試験するつもりなかったみたいよ』
『ちなみにカーシャ・カーイはこの試験を上席からご覧になっている。もしかすると、きみたちの行動や態度によっては彼から何か指摘を受けるかもしれないから、その点は先に警告しておこう』
三人は顔を見合わせた。
それはつまり、試験に突破できたとしてもその過程で何かカーシャ・カーイの気に食わないことがあると、あとから減点されるなり何らかの罰が課される恐れがある、という意味だろうか。
『じゃあ試験内容を説明するわね。まず最初に、あなたたちのほんとうの身体は今、すやすや眠ってまぁす』
『そして僕らが共同設置した結界に魂を招致されている。簡潔に言うと、現在きみたちは自然に目覚めることができない状態にある。つまりこの結界を脱出して現実に還ることが今回の試験というわけだ』
『ちなみに時間制限はあ・り・ま・せ・んっ。それでぇ、肝心の脱出方法なんだけど……いきなりヒントあげちゃうのもつまんないから、うちらを捕まえられたら教えたげる』
タヌキとキツネはそこで視線を交わし、ふるりと尻尾を振るった。
ぽん、という少し間の抜けた効果音を伴って、二柱の神の姿は一瞬にして消え失せる。
森は相変わらず静寂のまま、三人の前には大量のキノコと落ち葉だけが残っていた。
なにやら唐突に試験が始まってしまった、とミルンは感じたが、よくよく考えたらオーファトとカジンの試験からもうけっこう経っているのだ。
ヴァルハーレたちに追いつかれて予定外の負傷をしたので、しばらく養生しなければならなくなってしまっただけで、元の想定どおりならとっくにハーシに入ってカーシャ・カーイに呼びかけているところだったことを思えば、むしろ本来よりも遅いくらいだろう。
しかしそれでも三人はうろたえていた。すぐにはその場を動けず、とりあえず口頭で状況の整理をしないことにはどうしようもない。
とはいえ今の段階では先ほどラグランネとアルヴェムハルトに言われたことを繰り返すのが関の山だ。
思えばヴレンデールでは、いつもフォレンケが試験を予告してくれていた。それに知らず知らず慣れてしまっていたらしい。
とにかく、三人は今、身体は眠っていて魂だけがこのキノコの森に囚われている。
なんとかしてこの森を出ないかぎり目覚めることはない。
時間の制限はないということだから、下手をすると永遠に。
「で、脱出方法の手がかりは今のところなし。闇雲に何かするより試験官を捕まえてヒントをもらったほうがいいよね」
「そうだな。じゃあ……一応やっとくか」
紋唱術が使えることはすでに確認しているが、探索の紋唱はきちんと機能するだろうか。
カジン相手には有効だったが、たぶんそのあたりは結界を用意した神の裁量次第だと思われるので、やってみないことにはなんともいえない。
前回の場合は最初に襲ってきたオーファトが結界の主だったと考えられる。
彼はこちらと直接戦闘するという試験内容だったわけで、それゆえ紋唱術に関しても制限を設けなかったのではないだろうか。
あのときは試さなかったが遣獣を呼ぶこともできたんじゃないかという気がする。
遣獣は、……今回はどうだろう。
もし試験に失敗したら彼らも道連れに永遠の夢を見続けることになるんだろうか。
なんてもやもや考えながら探刃の紋を遣うと、刃が妙な動きをした。
ある方向を向き、次にあっちを向き、まるで人間が道に迷ってあたふたしているみたいに、刃はきょろきょろといろんな方角を落ち着きなく指し続ける。
まともな動きではないのは確かなので、スニエリタが不安そうな顔で尋ねてきた。
「……だめそうですか?」
「いや、よく考えたら探索対象を絞ってなかった。たぶんラグランネとアルヴェムハルトが別々に動いてるんで、どっちも指そうとしてこんなことになってんだろう」
「うーん、じゃあとりあえずラグランネだけでやり直そっか。──探刃の紋!」
ララキがさっと描くのを見て、そういえばこいつにも教えたんだったと今さら思うミルンだった。
使いこなしているようで何よりだ。
果たして新しい紋章に浮かんだ刃は、はっきりと一方向を指し示す。どうやら問題なく機能しているらしい。
不要になったミルンの紋章は消し、ララキの描いたほうを掴んでそれを頼りに歩き始めた。
そういえばこの森はどれくらい広いのだろう。
これまでいろんな結界を体験したが、果てとか端のようなものがある結界にはお目にかかったことがない。
むしろ森の形の結界というといつぞやのゲルメストラの迷路を彷彿とさせるので、ここも同じところをぐるぐる回らされるような仕組みになっているのではないか、というような疑念が尽きない。
しかもここの場合、地表を埋め尽くさんばかりのキノコのせいで道の形もよく見えないありさまなので、似たような迷路だとしたら難易度が桁違いだ。
キノコは森の樹々をも侵食していて、幹肌から異様に明るい色の傘を生やしていない樹などないぐらいだった。
「……美味しそう」
ふいにララキが呟く。彼女の視線はあちらこちらのキノコへと無節操に向けられている。
「そうか? 色味やばいし半分ぐらいは知らんキノコだから、とても食おうって気にはなれねえよ」
「知っているものもあるんですね」
「自分で採ったりするからな。でも見分けるのが難しいんだよ、毒キノコと食えるキノコで見た目そっくりなやつとかあるし。近所に詳しいおっさんがいるんで確認してもらってたけど、毎回半分くらいは捨ててたな」
「表面ブツブツしてるのとか色が派手なやつは見るからに毒っぽいけど、このへんの地味なのは食べれそうって思っちゃう」
「……それ毒キノコだぞ。まあ結界の中だから食っても死にはしないかもな、苦しいだけで」
「それはそれで嫌だなあ……」
そんな会話をしていると、スニエリタが俯いたのが眼に入る。
結界の中では苦しめども死なない──それを身を以て体感したことを思い出したのだろうか。
忘れもしない、オーファトとカジンの試験中に、彼女は一度流砂に生き埋めにされている。
息ができないほど砂を飲んで、それでもなお意識を失うことさえできず、いつ助けが来るともしれない地中でミルンを待っていたとき、いったいスニエリタはどんな心境だったのだろうか。
あのときのララキの選択を責めたいわけではない。
ララキにとっても楽な判断ではなかっただろうこともわかるし、恐らく同じ立場ならミルンだって同じ選択をしなければならなかった。
もしスニエリタを優先して穴から出していたら、ララキとスニエリタとでオーファトに対峙することになり、決着にはもっと時間がかかっただろう。
その間にミルンがカジンによって地中深くへ沈められ、ふたりでは救出が不可能になったおそれもある。
頭ではわかっている。だが、思い出すと手が震えて、それを押さえるので必死になるミルンがいる。
小さな口を砂でいっぱいにして、両腕をぐったりと垂れ下がらせた、スニエリタの空ろな表情が脳裏にこびりついているのだ。
辛かっただろうに、あのときのことをスニエリタは一度も責めない。
ララキがスニエリタを見捨てるような選択をしたことも、そしてララキにそんな選択をさせたほど、ミルンが無力で不甲斐なかったことも。
「……」
ララキがちらちらとミルンを見て、それからスニエリタを見て、何を察したのか彼女まで黙り込んだ。
三人をとりまく空気は急に重く沈んだものになる。まるでそれに呼応するように、森も少し暗くなったような気がした。
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