120 人は鬼胎を抱く

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 どうもララキはモロストボリに運ばれてからまる二日ほど寝こけていたらしかった。

 どおりでミルンが元気になっているわけだ。そのわりにララキはまだあちこち痛むのが謎だが。


 アレクトリアが夕飯の準備をするのを手伝っていると、家主であるヴィトレイ氏が帰ってきた。


 第一印象はでかいの一言に尽きる。

 この家屋の天井があまり高くないせいでより強調されているきらいはあるが、とにかく兄弟でいちばん背が高いのは疑いようもないだろう。

 身体つきも下の兄弟に比べてがっしりしており、顔ははっきり言って老け顔の部類だった アレクトリアと並んだら兄妹というより親子に見える。


 こうして見ると見事なくらい全員似てないな、とララキはしみじみ思った。

 しいていえばミルンとアレクトリアは顔の系統が近い感じはするが、上ふたりはどちらとも違い、なおかつ互いにも似たところがほとんどない。


 全員共通なのは髪や眼の色と特徴的な鼻の形くらいだ。


 ちなみに食事の場にはロディルも部屋から歩いてきた。足取りはまだかなり不安定ではあるが、それでも補助なしに自力で歩けるまでに回復したらしい。


 そしてスニエリタの料理の手つきは相変わらず死ぬほど覚束なかった。

 一人暮らし経験のあるララキのほうはそれなりに使い物になることに気づいたときの、アレクトリアのほっとした表情が忘れられそうにない。

 ララキが昏睡していた二日の間に何かあったんだろうか。


 この家にはお手伝いさんの類はいない。手伝いの合間に聞いたところによると、家事の大半はアレクトリアがこなしているようである。

 アレクトリアの手が回らないところや、力仕事など対処が難しいことは近所の人に手伝ってもらうそうだ。


 食材にしても、自給自足が基本であるこの村では物々交換やおすそ分けで入手することになるため、急に四人も増えたのはそれなりの大事件であったらしい。

 物資の必要量が急に三倍になったと考えると確かに非常事態だ。


 ちなみに椅子はどうにか六脚あったが、恐らく昔彼らの両親が使っていたものを物置かどこかから引っ張り出してきたのだろう。二脚だけ明らかに長年使っていなかった感じがした。


 これはララキたちも早めにここを出たほうがよさそうだな、と思ったが、当のアレクトリアはずいぶん楽しそうだった。

 ヴィトレイが日中働きに出ている間はずっと家にひとりでいるようだから、やはり多少は寂しかったのだろうか。


 食事中も、アレクトリアはずっとあれこれ喋っていた。相手をするのはほとんどミルンとララキで、残り三人は大人しくしている。


 ことにヴィトレイが寡黙だった。思えば彼はララキが最初に挨拶をしたときも、静かな声で名乗って握手をしただけだった。

 仕事帰りで疲れているのもあるかもしれないが。そしてそのせいで余計に老けて見える部分があることも否めない。


「それでララキちゃんが気絶しちゃったの? ララキちゃんてよく気絶するんだねえ」

「べつに病弱とかそういうことはまったくないけどねぇ……そのときはルーディーンっていうワクサレアの神さまに話しかけてたから、それでそっちに呼ばれてたというか。その間はぶっ倒れてるみたいだけどあたしは覚えてないんだよね」

「ふっつーに路上でひっくり返ったから、俺らがいなきゃ地面に頭打って下手すりゃ死ぬよな。わりと神ってそういうとこ雑だよなー」

「ルーディーンさまってどんな人? あ、人じゃないや、神さまだ。たしか女神さまなんだっけ」

「あ、うん。真っ白なヒツジの姿で、声は女の人だったよ。お上品な感じ」

「へぇ~っ、私も会ってみたーい。カーシャ・カーイさまは銀色のオオカミか、でなきゃ若い男の人の姿だって言われてるけど、きっと恰好いいんだろうなぁ……」


 ……ああ、うん。そうだね。まあ二十代前半くらいだったから若かったよ。


 顔の造型はまあ整っていたような気もするが、例によってララキにとってはとうもろこしの類だったので言及はしないでおこう。

 それにイキエスとハーシでは好まれる系統が違うかもしれないし。


 ルーディーンも古い神と言われているわりに声の感じでは若そうだった。


 といっても神の外見なんて、たぶんそれぞれの気分とかで好きに変えられるのだろうが。

 それでわざわざ老けた顔を選ぶ神もあまりいなさそうに思うし、フォレンケみたいに明らかに子どもっぽい声の神もいた。


 カーシャ・カーイ以外の神も人の姿をとることがあるのなら、一度見てみたい気もする。

 ヴニェクなんかは人の姿になっても眼を隠したままなんだろうか。

 あと忌神も何かの骨を被ってるんだろうか。


「それでそのあとはどうなったの?」

「ガエムトに会え、って言われたからとりあえず西に向かったの。まあその道中もいろいろあるんだけど……ヴレンデールに入ろうとしたときに、そこの神さまが迷路みたいなのを仕掛けてきて、まる一週間閉じ込められたりとか」

「あれはただ面倒なだけだったな。紋唱術は使わないし、回数こなせば自然と答えがわかるから楽っちゃ楽だけど、その代わりいつの間にかおまえらとはぐれてたし」

「あたしたちにはミルンがひとりでどっか行ったように見えたけどね……あたしも気づいたらスニエリタと離れ離れになってて」


 ララキたちがあれこれ話すのを、スニエリタは曖昧に微笑みながら聞いている。記憶がないから相槌の打ちようもないのだ。


 そういえば、操られていたころのスニエリタの記憶を取り戻す方法を、まだ誰にも相談していなかった。それどころか彼女自身がそれを望んでいるかどうかの確認さえしていない。

 スニエリタについてはララキなりに気を配っていたつもりだったが、思わぬところで抜けを見つけてしまった。


 そもそも思い出すことに利点があるのかすらわからないけれど、やっぱり思い出を共有できないのはララキとしては寂しいと思う。

 まあ、あのときのスニエリタは、彼女であって彼女ではない別人なのだけれど。


 というか、中身はタヌマン・クリャだったわけで。


 そう考えると変な感じだ。

 長いこと結界にいた間はその姿を見たこともなければ、ただの一言だって言葉を交わしたこともなかった。

 外に出たあとだって、半分はシッカに守られていたとはいえ、十年間何の干渉も受けなかった。


 それなのに旅に出たら数日で出逢って、そうとも知らずに雑談なんてしていたのだ。


 操られていたときのスニエリタは今とは態度はもちろん口調も違う。

 ということはあのころのスニエリタは、タヌマン・クリャが思うマヌルド貴族のお嬢さまを外神自ら演じていたのだ。


 どんな気持ちでそんなことをしていたんだろう。

 そもそもどうして人に成りすまして近づいてきたりしたのだろう。


 これまで聞いた話などから推測するに、彼はかなり弱っていて、ララキを監視するのとは別に力を増やすための工作をしたがっていたようだが、そのために人間の身体を操る必要があったのだろうか。


 でも、力を得るのには黒い獣たちを使っていた。

 ララキを見張るのだって別に獣の姿でも問題はないような気がするし、なんなら実体がないほうがララキたちには気づかれにくいような気がする。

 それにララキがイキエスで暮らしていたころはどうしていたのだろう。


 スニエリタの顔をぼんやり眺めながら、その形のいいあんず色のくちびるを見て、もしかして喋ることが必要だったのかな、と思った。


 獣は契約しなければ喋らないし、遣獣になったとしてもずっと傍にいるわけではない。

 でも人間として旅の仲間に加われば、それも同性なら宿の部屋だって一緒になるし、ほんとうに四六時中ララキを見張れるわけだ。


 そして旅の目的地や行程についても口出しができる。

 そうやってララキをどこかに導くのが目的だったのだろうか。


 だが、思い出せる限り以前のスニエリタにそれらしい言動はなかった気がする。

 大概はミルンに任せっぱなしだったし、ミルンの提案にあれこれ疑問や提案を挟むのはいつもララキだった。


 それどころか思い出せるのは、スニエリタがいつもララキを助けてくれたことだけだ。

 困っているときのアドバイスだったり、攻撃してきた敵を迎撃してくれたり、あるいは戦っているときに力を貸してくれたり。


 そして、極めつけがあの夢。


 あれが実際にあったことだとしたら、タヌマン・クリャはほんとうは世界の敵などではなくて、シッカの依頼を受けてわざとクシエリスルに敵対する立場でいるだけ、ということになる。

 シッカがそんなことを頼んだ理由はちっともわからないし、なぜクリャがそれをすんなり受けたのかも疑問だけれど。


 クリャ自身が言っていたように、それは明らかに汚れ役だ。

 みんなから憎まれて、ヴレンデールではガエムトにあんなふうに体を貪り食われて苦しんでいたわけだし、そもそも自分の信徒は国ごと滅んでしまっている。

 クリャに何の利点があってシッカの依頼を受けたのかがわからない。


 シッカはその代わりに何かを彼に与えたりしたのだろうか。

 神として何もかもを失いつつある外神が、それでも納得のできるような条件とはいったい何だろう。


 それにシッカの指示で悪を演じているとしても、だからといってクリャの本性が善良の神であるとは到底言えない。

 ララキ個人としては結界に長年閉じ込められた恨みがあるわけだが、それだけでなくクリャはワクサレアで無関係な人たちを多数殺傷しているのだ。


 スニエリタだって本人の意思を無視して攫われたようなものだろう。


「……ララキちゃんどしたの? さっきからスニエリタちゃんのことめちゃくちゃ睨んでるけど……」

「わ、わたし何かしましたか……? それとも顔に何かついているとか……」

「ううんごめんなんでもない、ぼーっとしてただけ。ごめんね」


 席の並びの関係上、スニエリタの向こうに剣呑な顔のミルンが見えるので慌てて謝ったら、ごめんを二回言っていた。

 それは別に減るものでもないので構わないが、付き合ってもいないくせに彼氏面して睨むのやめてくださいって言ってやりたいとちょっと思った。


 だんだん過保護が悪化してきている気がするのは気のせいだろうか。

 それともここが実家だから、なにか庇護欲が高まる効果でもあるんだろうか。


 それにしても妹に見られているのは平気なんだろうか、めちゃくちゃ眼を輝かせていますが。


 なんだか妙な空気になりつつあったが、意外とそのあともアレクトリアは大人しかった。

 まあミルンが片付けの間まで台所に残っていたので聞き出しにくかったのもあるだろう。


 ララキとしても楽しく話せる精神状態を取り戻せていないのでちょうど良かった。当分は、というかアンハナケウに着くまではずっとこうかもしれない。

 シッカの考えていることが、ララキのことにしてもクシエリスルのことにしてもわからない部分が多すぎて、もうとにかく彼自身に聞くまで前に進める気がしないのだ。


 彼はどうしたいのだろう。何を思って、ララキを今日まで守ってくれていたのだろう。


 わからない。何を信じていいのかすら。


 ──でも、やっぱりあたしは、シッカを信じたい。彼を好きなあたしでいたい。


 窓を風が叩いて揺らす。

 がたがたとうるさいそれが、今のララキの心のようだった。

 色んな疑問と感情が折り重なってくちゃくちゃになっているそれを、どこかにぶちまけたくて震えている、叫びだしそうな喉を必死で押さえるララキ自身の姿が映る。


 そういえば、夢の話をまだ誰にもちゃんと話せていない。


 でもあんな内容を落ち着いて話せる気がしない。

 ミルンは、スニエリタは、ララキが泣き喚きながら話したとしても聞いてくれるだろうか。


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