119 神は嘯く
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カーシャ・カーイを前に、どう切り出そうか考えている。
こいつはやらかしてしまった。
また、と頭につけてもいいかもしれない。
クシエリスルの原則に抵触するような行為は決してこれが初めてではないし、なおかつ二度目や三度目というわけでもないからだ。
旅人の伴という異名に相応しいこの自由人は、自分がいいと思えばなんでもやってしまう。
まあ、それは自分も似たようなところがあるので、気はわからないでもないが。
だがしかし、さすがに今回ばかりは多少きつめに問い質す必要があるかもしれないなと、ドドは思っていた。
オオカミの隣ではヤマネコが困り顔をしていて、それを自分の隣から心配そうに見つめているのが我らがヒツジの姫君。
反対側で思案顔なのが性別不定の大魚さまに、まあ不機嫌そのもののハヤブサ娘と、だいたいいつもの顔ぶれが揃っている。
ちなみにいつもなら切り株の鉦の脇を指定席としている小スズメは、自分の手の中に握りこまれている。
場所は相変わらずのアンハナケウの広場だ。いい加減ここも見飽きたし、そのうち常駐組に花でも植えさせようかと考えている。
それか新しい集会場を造らせるか。
今度は川沿いなんてどうだろう、ヴィーラあたりは喜びそうだ。
ドドは楽しいことが好きだ。
ただ、楽しいことというのはある程度の秩序の上に成り立つものだと理解している。
「……ドドどの、離してくだされ~」
「だァめだよ。悪いが今日はおめえの司会業は休みだ。んなチンタラやってられるかい」
溜息混じりにそう言って、握っていたパレッタ・パレッタ・パレッタを肩に移す。
彼女が適当な筋肉のこぶに腰を落ち着けたたところで、ヒヒの神は改めてオオカミに向き直ると、頭をぽりぽり掻きながら、呆れの滲んだ声をかけた。
「んで、カーイ。おめーこれで何度目よ?」
「いちいち数えてねえよ。逆に聞くが、あいつらを俺の領域に運んで何か問題があるってのか」
「問題とかそういう話でもねェわなあ……あのよォ、せめてな、やる前に盟主にくらいは話を通しておけんかね」
「……おお、そうか。悪い、おまえさんのことだけすっかり忘れてたな」
「わたしもだぞ! 聞いていない!」
すぐさまぎゃんぎゃんと食いつくヴニェクの首を掴んで押さえ、またひとつ溜息をつく。
まったく今日だけで幸せがいくつ逃げてしまうことだろうか。
ドドは案外そういう験担ぎを大事にしているのだ、神だけども。
カーシャ・カーイは、ヴレンデールのオーファト領に滞在していた呪われた民一行を誘拐するという暴挙に出た。人間の言葉でいうところの神隠しというやつだ。
その理由としてはこうだ──三人のうちひとりが別の人間によってヴィーラ領に運ばれようとしていた。
だがその娘の背にはタヌマン・クリャのつけた仮の紋章があるため、たとえ呪われた民と別れた後でもクシエリスルとしては監視を続けねばならない。
それをヴィーラが面倒くさがるため、それならとカーイがまとめて預かることにした。
おまえらは揃いも揃って阿呆か、というのがドドの素直な感想だ。
ヴィーラの怠慢癖は前からどうにかしなければならないと思っていた。
彼(基本的には男性であるのでこう称する)にもろもろの御業を行う力がないわけではなく、むしろ逆で盟主の中でも上位に君臨する古い神だが、それゆえに瑣末なことに力を使うのをひどく嫌がるのだ。
自然と東部に属する他の中堅どころの神はみんな働き者になってしまった。
カーイについてはすでに語ったとおりである。
こちらも頭が悪いわけではなくむしろ逆で、賢いからこそ議論を待たずにさっさと行動に移してしまう。
しかしクシエリスルはいわば神の合同事業であり、こういう協調性の欠けるやつらがいちばん困る。
確かにだ。カーイの行動は間違っていなかったかもしれない、というかドドも同じ状況に立ち会ったら近いことをするべきだと思うだろう。
ただもう少しやりようはあったはずだ。
神が直接人間の前に姿を顕して、挙句その肉体に影響を与えるというのは、やはりクシエリスルに属す神としては悪手としか言いようがない。
やってしまったことはもうどうしようもないが、せめてもう少し悪びれてほしい。
開き直るなよ。
「フォレンケ。おめえはなんでまた真っ先にカーイに相談しちまったのよ。こうなるのは眼に見えてたろォ」
「それはその……近かったからさ……国境越えたらすぐカーイ領だし、あの子たちもハーシに向かってたんだよ、もともと」
「……つうかそもそもオーファトは?」
「いや、ララキは直接ボクに相談してきたようなもんだから知らない。さすがにカーイが来たときは腰抜かしてたみたいだけど。
ていうかね、そもそもララキがガエムトを呼ばなきゃこんなことにはなってなかったわけで、なんかあの子はガエムトを呼べばボクもついてくるぐらいに思ってるんじゃないかと……」
間違ってもない気がするが、フォレンケの顔があまりにも悲壮感に満ちていたので黙っておいた。
たまたまガエムトがフォレンケの言うことしか聞かないだけで、フォレンケだってヴレンデールの主神なのであって、決してガエムトのおまけというわけではない。
そんなわけで今回の件でいちばん振り回されたのはフォレンケなのかもしれない。
でもドドだって盟主なのに大事な問題の相談すらしてもらえなかった。
これがわりと真面目に悲しい。
たしかに普段はちゃらんぽらんに振舞っている部分はあるが、女神一般に対して下半身的な意味で見境がないことも重々認めるが、これでも盟主としてクシエリスルと世界のことをいつもよく考えているのだ。
さんざん暴れて殺しあってきたし、人間の苦しみも見てきた。そういうところにドドの求める楽しさはない。
やはりある程度の秩序と規則があって、その上に築かれる平穏と安寧の中にこそ喜びを見出せる。
クシエリスルとはそういうものだ。
それをよりによって盟主が無視するようなことがあってはならんだろう、とドドは思うのである。
「今回のことを公表したら、今まで大人しく上に従ってたやつらも反発するかもしれん。カーイ、おめえのやったことはそういう危険を孕んどるんだ、そのくらいはおめえもわかんだろ」
「ああ。だがそいつらには話し合いっつー極めて平和的な手段が用いられるわけだ。時間だっていくらでもかけていい。
俺らがほんとうに相手するべきなのは違うだろ、ドド。もっと頭が切れて逃げ足の速い野郎だ。タヌマン・クリャこそ時間が経てば経つほど対処が面倒になっちまう。現に俺らは一度ならず二度までもやつを殺し損ねてんだからよ、俺はもっと焦ったほうがいいと思うぜ」
「……たしかにおめえの言うことには一理あるなァ。野郎はあれから一度も何も仕掛けては来てねえところを見ると、当分は潜伏しながら期を伺うつもりなんだろうが……」
地理的な関係で、タヌマン・クリャとはクシエリスル以前からの長い付き合いになるドドであるが、未だにあの外神の考えていることはよくわからない部分が多い。わかりたくもないが。
活動があるたびに都度報告は受けているものの、今のところあまりドドの指示は役に立っていないようだ。
クリャは、呪われた民の娘がワクサレアに滞在していたころのような大きな事件は今はほとんど起こしてはいないが、それでもまったく痕跡がないわけではない。
はっきりと傷は残していかないものの、異分子が入り込んだことで起きる違和感は必ず彼の居たところに残っている。
それらがドドにはヤッティゴを初めとする南部の中神から、他の盟主にはそれぞれの地方内の神から必ず報告として上げられている。
見つかるのはいつもそこに居たという跡だけで、そのものの姿は目撃されていないし、その後どこへ向かったかもわからない、という状況だ。
毎度無駄だと思いながら追跡や解析を命じるのもそろそろ億劫だった。
だから、まあ、癪ではあるがドドもこのごろはひとつの考えが脳裏を支配している。
ヌダ・アフラムシカを呼ばなくては。
早くあいつをアンハナケウに呼び上げて、クシエリスルをもっともいい形にしなければ。
それでこそようやくあのうるさい鳥を黙らせられるというもの。
「ところでこの件は結局総会での扱いはしないのか? それだとあまりにも潔くないぞ」
「ドドさえ納得してくれんなら、俺は胸を張って全神の前で釈明するさ。なんなら今から集合かけるか」
「あ~……今アルヴェに声をかけるのはまずいの……カーイが早まったせいで準備が間に合わんと申して根をつめておるのだ。ティルゼンの手も借りるから、しばらく何も頼まれんと吾まで言われておるほどよ」
「……どんな手のかかる試験やる気なの……?」
「そういえばラグランネもちょくちょくようすを見にいっているようです。なんだか楽しそうでしたよ」
ルーディーンが珍しく穏やかな表情を見せる。
それだけで場の空気が和んでしまい、もうドドはこれ以上カーイを詰問できなくなってしまった。
相変わらず彼女の影響力は侮れないものがあるな、などと感心さえしてしまうが、もちろん納得している場合ではない。
完全にやられた。
クシエリスルにおいてはルーディーンを味方につけた者が議論を制すると言っても過言ではないが、直接擁護をさせる以外にもこんなふうに彼女の気配を利用する方法があったとは。
まさかとは思うが、カーイはそれを見越していたのだろうか。
嫌なところで知恵の回るオオカミを訝しげに見つめるが、しかし今の話題はヴニェクの第一声があったからで、とはいえ別の議論からでも繋げられる話の流れではなかったとは言えない。
カーイならラグランネの最近の動向を知っていてもおかしくない。
疑いすぎだろうかと今度は耳の裏を掻く。
だが、何かひとつでも見落としたらいつかはそれが命取りにならないとも限らないのがこの世なのだ。
神の世界なら尚更に。
あらゆる神の中でもっとも信用ならないのがこのオオカミなのだから、疑いすぎるくらいでちょうどいいのではないだろうか。
もちろん思ってもそれを態度に出しはしない。
だからあえて大きめな声を出して、しゃあねえなァ今回だけはこのくらいにしといてやらあ、と言い放つ。
この議論は終わりだ。これ以上カーイを問い詰めても解決にはなりそうにない。
ただ、ドドの一声にそれじゃあ解散しようかとばらけていく神々の中で、オオカミの動きをそっと観察する。
「……なあ、ルーディーン」
恐る恐る、というような気配を漂わせながらカーイが呼んだのは、触らずの姫君の名だった。
ヒツジはその白い顔をオオカミのほうへ向けて、なんでしょうかと少し固い声で答える。
ふたりの間に緊張が蜘蛛の糸のように張り巡らされているのが見えるようだった。
カーイは一瞬眼を逸らして、それからふたたびルーディーンを見つめる。
「アルヴェとラグランネの試験、見物しに来ねえか。けっこう凝ってるみたいだからよ」
「……それは、……あの」
「都合がつけばでいい。席は用意しとくぜ」
そこまで言って今度は背を向けたあたり、カーイにこの場でルーディーンの返事を聞く気はないようだった。
ルーディーンもそれを感じたのか、考えておきますと小さな声で言って、そのまますっと姿を消した。
彼女のいたところにはらはらと純白の花弁が舞っている。
それをひとつ掴んで、ドドも帰る。面白くない会話だったなと思いながら。
ドドはルーディーンに対して特別な執着があるわけではないが、あらゆる女神を愛でている自分が、今のところ一度も手を出せていない数少ない存在である。
それもクシエリスルでも屈指の美貌とそそる肢体の持ち主で、不可触と呼ばれるように誰もそれを堪能した者はいない。
俗的な表現を用いるなら最後の楽園というわけだ。
しかし今のルーディーンの態度は、これまでとは少し違った。
ほんの少しだけ、戸惑いつつでも、わずかにオオカミを受け入れそうな気配をヒツジは見せた。
先を越されるのは楽しくない。楽しいことは好きだが、そうでないことは大嫌いなドドだ。
永らくドドの好敵手はヌダ・アフラムシカだった。
地理的に近かったこともあり、数え切れないほど対立し、実際に武力を交えたことも多い。
その彼の姿を見なくなってから、初めてカーシャ・カーイがこれほど目障りな存在であったことに気づいた。
あいつはクシエリスルに混じった異端だ。平気で原則に触れかねないことをやって、今日のように反省の姿勢さえ見せない。
きっとこのまま放っておくともっと大それたことをしでかすだろう。
やはりアフラムシカを早く戻すべきだ。彼がいないことにはドドもそれほど自由ではない。
──それに、よくよく考えたら、やっぱり新しい集会場は要らねえかなァ。
その呟きはドド自身の身体が切った風に呑まれて消えた。
ヒヒの神はそのまま自領へと、両腕だけで駆けていった。
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