104 かくて乙女は問いかける
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ララキは朝食後、とりあえずミルンにだけ夢の話をすることにした。
いろいろ不確定なのでスニエリタにはまだ話さないほうがいい気がしたのだ。
というわけでスニエリタがララキの使った食器を洗ってくれている隙を狙ってざっと説明する。
フォレンケに会えたこと。
まずペル・ヴィーラという神に繋いでもらおうとして断られたこと。
なんとなくペル・ヴィーラはあまり頼りにならなさそうな感じだったこと。
スニエリタの背中のこと自体は盟主たちの間で共通認識となっているらしいのと、ついでに実際の盟主が誰なのかを教えてもらったこと。
そしてスニエリタがララキたちと別れることは神々にとっても不都合であるらしいこと。
とりあえず神々のほうで結論が出るまで、ララキたちは何らかの方法でこの地に足止めされるらしいこと。
「……相変わらず面白そうだね、そっちの旅は」
横で話を聞いていたらしいロディルがそう言って笑った。
まあ、夢で神に会ってこんな話をしたんだよ、なんていう会話を真剣な顔でする旅人は大陸じゅう探してもララキくらいなものだろう。
「それに思ったよりクシエリスルの神々には邪険にされていないようだ」
「うん、なんか、ルーディーンが庇ってくれたみたいなことを前にフォレンケが言ってた気がするから。ってことはルーディーンってけっこう偉い神さまなのかな? 中央の盟主だって言ってたし」
「まあ一国の主神だからな。それにワクサレアだからけっこう古いんじゃねえか、歴史的にも」
「あ、そうなんだっけ」
ララキは歴史の授業はさらりと基礎程度にしか習っていないため、細かいところがよくわかっていない。
たしか一応現存する国家でいちばん早く建国されたのがワクサレアということらしい。
そういうのも神々の上下関係に関わってくるのだろうか。
単純に、それだけ昔から人間が住んでいて、神として信仰されている期間が長い、っていうのが大事なのかもしれない。人間でいうところのベテランというか。
しかしそうするとフォレンケも歴は長そうに思えるのだが、彼の場合そんなに偉い立場ではなさそうだ。
昨夜の話からすると仕方がないとはいえ、西の盟主の座はガエムトに持っていかれているわけだし、あとはまあ声と口調のせいか貫禄もあんまりないし。
ガエムトは彼に対して大人しくしてたけど。
「まあなんにしても、あたしたちは当分ここにいるしかなさそうだから、落ち着いてしっかり怪我を治そう」
「そうだな……ところでこの話、スニエリタには」
「まだしてない。神さまたちが絶対助けてくれるって決まったわけじゃないし、ぬか喜びさせることになったらなーと思って……」
「そうか」
ミルンはなんともいえない表情をして頷いた。
そりゃあいろいろと考え込まずにはいられないだろう、彼の気持ちがよくわかるララキはそっとしておいてあげることにする。
もうしばらく一緒にいられるのか、それとも離れ離れになってしまうのか。
それが永遠の別れなら想いを伝えるべきか。
傍から見ているだけのララキにしてみれば、どっちにしても一度くらい本音を話しておくべきだと思うのだが、たぶんミルンはそうではないだろう。
だが、ララキもひとつ反省している。
攫って逃げろなんて軽口を叩いてきたが、スニエリタの婚約者があんなに強いとなると、逃げるのも相当な苦労だろう。
気軽に言っていいことではなかった。
……なかったけども。
でも諦めるのはまだ早いだろう、とも、思っているララキがいる。
どうしたらいいんだろうか。彼らの物語を幸せな結末で迎えるために、ララキに何かできることはないのだろうか。
「おや」
むーんとララキも一緒になって考え込んでいると、ロディルが何か言った。彼は寝たままの体勢でミルンがいるのとは反対の方角に眼を遣っている。
ララキもそちらに視線を向けると、あの金髪が眼を醒ましたらしかった。
彼は顔もそれなりに怪我をしたため包帯やらガーゼやらで表情は見えないが、恐らく無理やりにでも起き上がろうとしているのだろう、両肘に力を入れてぶるぶると震えている。
スニエリタたちはまだ調理場から戻ってこないので、とりあえずこの場で唯一動けるララキがようすを見にいくことにした。
「金髪さん、無理しないほうがいいよ」
「くっ……うっ……! おまえたち、僕の身体に、何かしたんじゃないだろうな……」
「あのねえ……単にあなたが大怪我してるだけだから、おとなしく寝て。あ、そうだ、お腹減ってる? よね、あれからずっと寝てたし」
「……ここは?」
「サーリの町のお寺。待ってて、ごはん持ってくるついでにスニエリタたち呼んでくるから」
この人は軍人のくせに大きな怪我をした経験が今までなかったのだろうか。ララキはちょっと呆れながら、一旦彼を放置して調理場のほうへ向かった。
そこでなにやら談笑していたスニエリタとロンショットを見つけ、金髪が眼を醒ましたことを伝える。
金髪、もといヴァルハーレはロンショットとスニエリタの介護を受けながら、ほぼ一日ぶりになる食事を済ませた。
その間何も言わなかったのが気になった。
ロンショットから何か言われたら短く返事をする程度で、ララキとしてはもっとこうあれこれ文句を垂れるのではないかと思っていたのだが、そんなことはぜんぜんなかったのだ。
なんとなく昨日のようすから口うるさいタイプの人間なのかと思っていたのだが、これはララキの見当違いだったのだろうか。
それとも怪我の痛みや疲れをようやく思い出したのかもしれない。
そういえばさっきロディルが同じようにスニエリタに食べさせてもらっていたときはミルンがすごい不服そうに見てたよなあ、と思い出してそっとそっちを見てみたが、今度はなんかもっと生気のない表情になっていた。
随分反応が違うなと首を傾げたが、ややあって思い出す。そういえばヴァルハーレはスニエリタの婚約者だったか。
なんていうかミルンってつくづくそういうのに弱いよな、と思った。
社会的にヴァルハーレはスニエリタの恋人に準ずる立場にあるわけで、だから嫉妬したくてもできないというか、どこかで気持ちを抑えてしまうらしい。
ミルンは途中でふいと顔を逸らしてしまったので、たぶん気づいていないだろう。
ロディルのときと比べてスニエリタの表情が暗かったこと。食べさせかたもなんとなく事務的だった。
粥が少し冷めていて火傷の心配がなかったのもあるが、ロディルのときはすごく気をつけて丁寧にしていたのに、ヴァルハーレのときは彼女もほとんど無言で淡々と掬っていた。
もしかしたらヴァルハーレが静かだったのもそのせいかもしれない。
倒れていた間のロディルとの比較はできないだろうが、スニエリタの態度が少し冷たいことに気づいたのではないだろうか。
ララキは食器を片付けるのを手伝う体でスニエリタと一緒に調理場に行った。
朝からずっとやっているせいか、もうだいぶ慣れたようすで洗いものを始める彼女の隣で、すでに洗われた食器類を布巾で拭いながらちょっと聞いてみる。
「スニエリタ、ちょっと怒ってる?」
小さな手がそこでぴたりと止まり、スニエリタはララキのほうを向く。困惑した表情だった。
「わ……わかりますか?」
「なんとなくだけど……あのヴァルハーレって人に対して、ちょっとらしくないかな、って」
普段がおっとりして物腰が柔らかいだけに、わずかな温度の差だけでも目立つというか、どうにも違和感があるのだ。
あからさまに冷たいわけでも雑な対応だったでもないが、スニエリタ本来の優しさが彼の前でだけ消えていた。
スニエリタは残りの洗いものを済ませながらぽつりと呟くように答える。
──許せないんです。
「クラリオさんが昨日、ミルンさんにひどい言葉をかけたことが」
「……ドブネズミ、ってやつね。あれはあたしも腹立った。そりゃ事情を知らないあの人からすれば、歳の近い男がスニエリタの傍にいたってなれば、スニエリタをとられたと思っても仕方ないけどさ」
「そんなこと……いえ、そうかも、しれないですね。……わたしも連絡もせずにいたわけですし……。
でも、あの人の言いようにはハーシの人たちに対する偏見を感じました。きっと元から良い感情は持っていなかったんだと思います。マヌルドの……とくにアウレアシノンは、そういう人が少なくないので」
スニエリタは深く息を吐いて、それからぎゅっと両手でチュニックの裾を握りこんで、泣きそうな声で言った。
「それでも……、ミルンさんのことを何も知らないのに、誤解していたとはいえ、あんな言葉を口にできるような人とは、わたし……っ」
そのあとに続く言葉はたぶん、結婚なんてしたくない、だろうか。
スニエリタ自身は込み上げてきたものをなんとか飲み込みなおすのに必死で、それ以上何も言わなかった。でも震える両手が雄弁に語っていた。
たぶんこの子は今まで何かに対して強く怒ったことがなかったのだろう。
納得できないことにはきっといつも涙で対処していた。泣いて、泣きながらそれを無理やり処理して、諦めてきたのだろう。
許せないことに対して声を荒げたり、怒りのままに手を上げたことなんてないに違いない。
だから今、そんな涙すら凌駕するほどの怒りを、どうやって発すればいいかわからない。
そんな気がした。
ララキはスニエリタの両肩にぽんと手を置いて、それから少し考えて口を開いた。
「……昨日さ、スニエリタ、けっこうはっきり言ってたよね。謝れって。あれ、けっこう恰好よかったよ」
「でも、クラリオさんには通じませんでした……」
「あっちも興奮してたからね。とりあえず時間はあるから、もう一回落ち着いて言ってみたらどう? 無理して飲み込んじゃうより、そのほうがいいとあたしは思うな」
スニエリタが今後どうなるにしろ、ヴァルハーレがミルンに面と向かって謝る機会は今しかない。
彼のほうにその気があるかは別としても、スニエリタがここで本音と怒りを飲み込んでしまうのは、これからの彼女のためにならないと思う。
そうですね、と頷いたスニエリタに、ララキはもうひとつ訊くべきかどうか悩んだ。
いや、訊かないほうがいいとは思っている。
そんなことはわかっている。
これ以上差し出がましい真似をしたって混乱を招くだけ、わかってはいるけれど、それでも訊きたいという気持ちを抑えることがそろそろ難しくなっていた。
「……スニエリタ、あのさ……ミルンのこと、って、どう思ってる……?」
質問の意味を図りかねたのか、スニエリタはきょとんとしてこちらを見る。
やっぱり止せばよかったと後悔してももう遅い。もう出してしまったものは引っ込みがつかなくて、ララキはさらに続けるしかない。
「単刀直入に言うと、好き?」
「え、あ……はい、あの、とてもお世話になってますし……」
「あーいや、そういう意味じゃなくて、つまりあれ、あの──そう、異性として。あたしにとってのシッカみたいな」
大きな瞳が一瞬大きく見開かれた。今さらながら、なんてきれいな色の眼をしているんだろう、と思った。
空の色を映した泉のようだが、今そこにいるのは魚ではなくて真剣な顔をしたララキだ。
ララキのシッカに対する想いの丈はスニエリタもすでに知っている。
だからこそ、スニエリタはこんなにも驚いている。
やがて彼女の愛らしい頬はみるみるうちに紅く染まり、それでもなお、スニエリタの口から確固とした言葉は出てこなかった。
何かもごもごと口の中で転がしてから、自分でもその音がなんなのか読みかねているようだった。
ララキはただ視線を逸らさずにじっと彼女の返答を待つ。
小一時間も待っていたような気がしたが、実際にはきっと数分もないだろう。スニエリタはついに眼を逸らす。
「わ、かりません……考えたことも……なかったです」
この後に及んでそれか、とララキは息を吐いて、次の言葉を差し向ける。
「あたし、ふたりのことずっと見てたよ。それで思ったんだけど、スニエリタはさ、ミルンにちょくちょく頭撫でられてて一度も嫌そうにしたことないよね」
「……あ、はい、確かにそうです……」
「それって、あんまりふつうじゃないと思うのね。あたしはされたことないけど嫌だと思う。せんせーとかママさんとか、シッカならいいけど、ミルンに撫でられるのは嫌。……もちろん旅の相棒として彼のことは好きだよ、人間としてね」
だから昨日、あまりにも差別的なヴァルハーレの言動に腹が立ったのはララキも同じなのだ。気持ちはよくわかる。
だが、スニエリタの怒りとララキのそれとは少し異なるように思えてならない。
それは単にヴァルハーレという人間と予め面識があったかどうかの違いだろうか。
彼と婚約しているかどうかの差から生じたものだろうか。
そして、もっと言うと、もしあのとき暴言を吐かれた相手がララキだったなら、スニエリタは同じように怒ってくれただろうか。
いやもちろんミルンに嫉妬しているわけではない。スニエリタだって怒りはしてくれるだろう。
でも、きっと、何かがちょっと違うはずだ。
もしかすると、違っていてほしいからこんなふうに思ったり言ったりしてしまうのかもしれない。
ふたりに上手くいってほしいというララキの願望と、ミルンの気持ちを知っているがゆえの先入観から、ララキの視界は歪んでしまっているかもしれない。
今だってスニエリタを言いくるめてその気にさせようとしているだけかも。
でも、とスニエリタを見て思う。
その表情。
これが恋する乙女でないのなら、一体誰が恋に落ちているというのだ。
頬は紅潮して熟れたりんごのようだし、潤んだ瞳は行き場をなくしてうろうろと視線を迷わせ、胸を抑えるその手の下にはきっと鼓動が高鳴っている。
よくわかりません、とスニエリタはあくまで答えを濁したが、その声は震えて上擦っていた。
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