073 盟主合餐③

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 平気な顔をしているフォレンケを見ても、誰も驚くことはない。フォレンケはその場で身体を伸ばしている。


 木天寥というマタタビの生薬が奉納されていたのは事実だし、器も同じものを使っていたのは確かだが、成分が残るような洗い残しはしていない。

 つまり、すべてこの場に残った神の演技だったのだ。もちろんパレッタも一枚噛んでいた。


 しいていえばガエムトには一言も説明していない。したところで理解も演技もできないからだ。


「ヌウウ……フォレンケ、起きた」


 骨面のため表情はわからないが、ガエムトにしては気の抜けた声でそう言った。

 どうでもいいが、フォレンケが演技とはいえ前後不覚の状態に陥っても食べようとはしないんだな、とパレッタは変なところで感心した。もちろんそんな事態になったら大問題なので、フォレンケも了承したうえで演技に臨んだのだが。


 もしガエムトがフォレンケに従うことをやめて自由に振舞い始めたら、冗談抜きにすべての神が喰われてこの大陸は滅びに向かう。盟主ほどの神であっても彼を止めるのは難しい。


「しかも今日のガエムトめちゃくちゃ大人しいね。これなら適当に理由つけて残ってもよかったんじゃない?」

「いやあ、無理だろ。普段なら絶対おまえらが一番に帰るのに、今日だけ機嫌がいいから残ってみますってのは、どう考えても不自然だ。まさかガエムトが片付けを手伝うわけがねえし」


「とても上手でしたよ、フォレンケ。ほんとうにマタタビを呑んだようでした」

「まあ実体験に基づいてるからね。それにヴニェクも迫真だったよ、本音で言ってるみたいだった」

「ほぼ本音だからな。だからカーイは手を止めるな、運べ」

「おまえは他神ひと使い荒すぎだよ! 呑気に眺めてないでフォレンケも手伝え!」

「……いやー、カーイがそんな下っ端みたいな作業してる光景って貴重だなと思ってさあ……わかった、わかったってば、手伝うから氷柱投げようとしないでよ」


 たった九柱の神が飲み食いしただけ、しかもそのうちオヤシシコロは食器要らずだし、パレッタはもてなす側でほとんど席に落ち着いていなかったのに、なぜかやたら皿の数が多い。

 だいたいずっと話に加わらずに肉ばかり噛んでいたガエムトのせいだし、つまみを欠かさない呑んだくれ二柱のせいである。


 なんだかんだ働き者のヴニェク・スーがかなり洗いものを捌いてくれていたのでパレッタとしては楽ができた。

 こういうところもあってパレッタのヴニェクへの心象はよい。


 とにかく食器類を下げ終わったところで、やれやれとばかりにカーシャ・カーイが腰を下ろした。

 まだ洗い場には皿と杯が残っているが、それはパレッタがあとでやっておくのでいい。そもそもこうしてフォレンケに演技までさせて残った理由は、もちろん片付けのためなどではない。


 さきほどまでのがやがやした感じから一変して、神々は緊張した面持ちで顔を突き合わせる。


「さて、……いい機会なんでヴィーラとドドの面を拝んでみたが……正直どっちも怪しいといえば怪しいし、まだなんとも言えねえな。そりゃあからさまに態度に出すようなことはしねえだろうが」

「そもそも、あのふたりのどちらかとも限りませんし……」

「だが裏切り者は外神に助力しているのだろう? そのへんの有象無象にできる芸当ではないぞ」

『カーイの話を聞いた時点では俄かに信じがたかったが、わしも、そのような背反を犯せるのはあの二柱をおいて他におらぬと思うわい。

 しかしまだ見極める方法はないのう。この状況でアンハナケウに娘を呼び上げてよいものかどうか……』


「それ、ヴィーラは反対派っぽくない? ララキを殺せっていう主張を曲げないし……でも、あれ、彼女が生きてたほうがクリャにとってはいいから、じゃあ彼は裏切り者じゃないってことかな?」

「どうだかな。裏切り者こそ敢えて嘘を吐くかもしれねえし、その点あの魚野郎はガエムト並みに何考えてんだかわからんようなとこがあるからな。

 それこそ、あいつは海神の連中と繋がりがあるから、クシエリスルをにしても俺らほど失うものが多くないって強みがある」


 カーイの言うことにも一理ある。


 他に水棲生物の姿をとる神がいないわけではないが、海の神々にも顔が利くのはペル・ヴィーラくらいしかいない。彼が海神たちと手を組んでいて、クシエリスルによる大陸の保護を一時的にでも緩ませて、その間に海神の軍勢を引き入れることも考えられなくはない。


 ただ、それをしてヴィーラ自身に得があるかどうかというと、少し怪しい。


 陸上の神と海中の神では成り立ちが異なるため、前者であるヴィーラと海神とが共存できる環境というのはかなり限られてくる。

 それを整えるには大陸の構造ごと造りかえるような大掛かりな作業が必要になるし、前述のような謀叛のあとにそれをするのは、それこそタヌマン・クリャを利用するのと同じくらい難しい賭けでもある。

 下手に海の神を交えるより、大陸内だけでことを済ませるほうが手堅い結果が得られるだろう。


 もちろん、どれも予想にはすぎないが。


「ドドには目立って怪しいところはないが、それが逆に怪しい気もするな。やつは呪われた民には寛容なくせに、アフラムシカの復帰に関しては厳しいんだ。まあ長年の好敵手だから思うところがあるのかもしれんが」

「しかもクシエリスルの大紋章の基盤創りにも関わってるからな。やつなら細工するのにそれほど苦労はねえだろう」


「基盤だけで言ったらアルヴェムハルトとかゲルメストラも手伝ってるよ、ボクもだけど」

「あいつらなぁ……いかにも策略を好みそうではあるんで、前回ゲルメストラを呼ぶのは止めたんだが、かといって外神に手を出すような度胸があるようにも思えねえんだよな。良くも悪くも慎重派っつーか。

 とくにアルヴェは博打が嫌いで根っからの風見鶏ときてる」


「なんにしても、……誰かを疑うというのは心苦しいものですね」


 ぽつりとルーディーンが言った。

 この女神はまだ裏切り者の存在を受け止めきれていないのか、あるいは他者に悪意を持って接することを本能から嫌っているのだろう。誰かに疑いの眼を向けることすらも苦痛なのだ。


 あまりにも優しすぎるし、甘い言動ではあるが、気持ちはわからなくもない。


 彼女はもともと大陸中央部の肥沃な大地に生まれ、温厚な農耕民族たちの手厚い信仰を受けてきた。

 もともと豊かな土地だったので、維持するのに周辺から奪ったり争ったりする必要がなく、言うなればあまり苦労しないで今の地位まで昇ってきたのだ。

 周囲の神との駆け引きにもあまり慣れていない。誰かを騙したり利用することを、実際には知らずに生きているのだ。


 しかも周りにいた神がゲルメストラやラグランネなど比較的温厚な性格のものが多かった。

 そちらもそれほど生活を逼迫するような環境になかったためだが、結果としてルーディーンは温室育ちの女神である。


 もちろん、彼女のおっとりとして裏表のない性格が、今日のクシエリスルに与えた影響も大きい。


 盟主の七柱に彼女を紅一点として迎えたヌダ・アフラムシカの采配は、正否を問うなら正だろう。

 血の気の荒い連中だけで平和を成し遂げるのは困難だし、誰かの過ちや苦悩を優しく包容する存在が、ばらばらだった集団がゆっくりとでもまとまるには必要なのだ。


 事実、クシエリスルの神でルーディーンを慕う者は少なくない。地母神ルーディーンは神々の中でも母のごとき存在であるようだ。


「残念ながら、やっぱり俺らは一枚岩なんかにゃなれねえのさ。

 今までだって、下級の神がクシエリスルを無視して制裁を受けた例がないわけじゃない、今回はそれがちょいと大事になってるってだけだ」

「……それは初耳なのですが」

「ああ。あんたの耳には入れないほうがいいと思って、黙ってたんだ。怒るなよ」

「どちらかというと呆れます……カーイ、あなたからすれば私は盟主に相応しくないかもしれませんが、きちんと情報は共有してください」

「そんなこと言ってねえだろ。あんたが今みてえな顔するってわかってたからだよ、俺がそんなあんたを見たくねえんだ。

 わかってくれ、断じてあんたを軽く見てるわけじゃあねえさ、ルーディーン……その逆だ」


「ふーん、逆って?」

「つまり、……おい今のルーディーンじゃねえだろ。おまえら何勝手に見てんだよ」

「ボクだけど。そっちが勝手に始めたんだろ、公衆の面前で。

 邪魔したいわけじゃないけど、ここオヤシシコロの前だし、そういうのはふたりきりでやってもらっていい?」


 正直パレッタにはどこで止めに入っていいのかわからなかったので、フォレンケのツッコミはありがたかった。

 まあ見ているぶんには面白いのでこのままどこまで行くのかちょっと気にはなったが。


 ただ、けっこう情熱的に迫られていたように見えたのに、肝心のルーディーンがきょとんとしているのも気にかかる。


 ちなみにオヤシシコロカムラギはというと、若いもんはいいのー、とじじい全開の感想を述べていた。

 大樹の神は現存する神の中で最年長でもあるのだ。


 もっと早くツッコミを入れそうなヴニェクに至っては呆然としている。どういう反応なのかはよくわからない。


『さあて、わしらもそろそろ解散としようかの。あまり長々残られても怪しまれるでな。それに、どのみち現状では幾ら話し合っても結論は出んわい』

「そうだね。ガエムト、帰るよ」

「ウググ」

「しばらくドドはわたしが見張っておく。ルーディーン、貴様はヴィーラの動向に眼を光らせておけよ」

「わかりました。それが盟主としての務めというものですね」


 オヤシシコロの鶴の一声で、神々は帰路につき始める。


 まずフォレンケを抱えたガエムトが地中に消え、ヴニェク・スーが空へ飛び立ち、ルーディーンは地上を徒歩で帰っていく。それぞれ決して短い距離ではないが、神には大した問題ではない。

 パレッタもこれで残りの洗いものができると安堵したが、ひとりだけすぐに帰らない神がいた。


 今しがたルーディーンを口説くのに失敗したカーシャ・カーイだ。神なるオオカミは他の神が去るのを眺めたあと、オヤシシコロカムラギに向き直った。


 その眼が驚くほど冷たい色をしていたのでパレッタは息を呑んだ。


 ついさっきまでのおちゃらけた気配は消えうせ、そこにいるのは神盟を支える柱の一本であり、氷雪を輩とする冬の化身に相違なかった。

 こんなカーイは久しぶりに見る。もうずっと昔の、手当たり次第に辺りの神々や精霊を喰らっていたころのような目つきだった。


 オヤシシコロもわかっていたように無言でそれを迎え入れる。オオカミがゆっくりと口を開いた。


「根を一本、俺の森に回せ。これからは随時連絡を取れる体制にする」

『構わんよ。どのみちわしは大陸の端から端まで抱えておる』


「……ララキはまだシレベニか?」

『ああ、動いてはおらん。そして……タヌマン・クリャの気配は。傀儡に近いものをあちこちにばら撒いて、わしの走査を撹乱しておるな。これはガエムトでも追えまい』

「追わせる必要はない。どうせその中に本体はないからな」

『もっともじゃ。で、これからどうする? ……その前に一応聞いておこうかね。


 ──おまえさんが裏切り者なのでは、ないのかね?』


 その言葉にパレッタははっとしてカーイを見た。


 初めに裏切り者のことを口にしたのは彼だったから、自然と彼のことを信用してしまっていたが、確かにその可能性もないとは言い切れない。むしろ自分が言い出すことで疑いを逸らしたとも考えられる。


 そして、カーシャ・カーイは盟主を務めるほどの力の持ち主で、大紋章の設計にも関わったと聞く。

 荒神の多い大陸北西部で精霊の身からのし上がって頭角を現したように、その本性は獰猛かつ残忍、野心家で向上心が強く、口が達者で頭も切れる。

 タヌマン・クリャを利用しようとしかねない大胆さも持ち合わせている。


 裏切り者の条件はことごとく満たしていた。否定できる部分のほうが少ない。

 ペル・ヴィーラやドド以上に、あるいはこの神ならクシエリスルを覆して己の意のままに世を操ろうと企むかもしれない、と思える。

 できそうな気がする、と言い換えてもいい。


 カーイはすぐには答えなかった。

 俯いて、その表情は伺えない。


 しばらく重苦しい沈黙が続き、そしてそれを勢いよく破り捨てるように、急にカーイが大笑いした。


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