072 盟主饗宴②
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オヤシシコロに追加で酒と水を注ぎながら、パレッタはじっと二柱の盟主を観察していた。
あの日カーシャ・カーイが呼び出さなかったペル・ヴィーラとドドだ。
信用できる者だけ呼んだと言っていたから、逆に言えば、カーイは彼らを信用していない。裏切り者である可能性がある。
東のペル・ヴィーラは面倒臭がりの怠惰な神だ。パレッタは個人的に大変迷惑している。
もちろんそれは疑う理由にはならないが、わずかな距離の移動すら怠けるような彼が、裏であれこれ手を引くような面倒な真似をするだろうか。
南東のドドは明朗快活、それでいて大概のことは腕力で解決する性質である。性格的には裏切り者らしくない。
もちろんガエムトほど力に頼りきった生きかたをしているわけではないし、盟主となる前はアフラムシカと南部で小競り合っていたくらいだから、それなりに頭が切れることは確かだ。
「おおい、パレッタ。早う次の水を注げ」
「おい、こっちは酒が切れたぞ」
「はい、ただいま! しかしドドさまもカーイさまもほどほどにしてくだされ、本日はそれほど用意がござりませぬ」
「なんだよ、前はもっとあったろ」
「そりゃ前回カーイとドドが酔いつぶれたからでしょ。あとが大変なんだからさぁ、ふたりともわかってる? ボクとパレッタだけじゃなくて、ルーディーンまで手伝ったんだよ?」
「……も、もしかして膝枕してくれてたか? おぼろげだがそんな記憶が……」
「それは記憶違いです。するわけないでしょう」
「そうだぞカーイ。ルーディーンは己の肩と腰を揉んでくれたんだ」
「そちらも絶対に記憶違いです!
あと、あなたがたの酒癖に関しては女神連合から苦情が上がっていますから、今日のようす次第では今後、公的な場での酒類の提供を一切禁止させてもらいますからね」
「そりゃねえよ! ……なんだ、あれか? サイナに酌させたのがまずかったのか?」
「ラグランネちゃんの尻ィ撫でたのもまずかったかなァ?」
「貴様ら想像以上にバカをやってるな……とくにドド、おまえ、それでも南部の神か。恥を知れ恥を」
「なんだヴニェク、南の神は大らかさが売りだろが? だいたい己に尻すら触らせんような女神なんぞおめえぐらいだぞ。
まあ……触りたいとも思わんがなァ、せめてもうちっと肉が……」
「……オヤシシコロ、こいつを境内から吹き飛ばしても構わないな?」
『いや、欄干に傷がつくからやめておくれ……』
「なあルーディーン、ひとつ確認させてくれ。……あんた、まさか、ドドのやつに尻を触らせたのか?」
「いい加減にしないと怒りますよ……」
……盟主が雁首を揃えているとは言っても、真面目な話をするとは限らない。
とくにこの大陸にはいろんな性格の神がいる。
真面目な神もいるにはいるが、自分勝手で傍迷惑な神も多い。バカもいるし、好色家もいるし、そうでない神もたくさんいる。
ちなみにドドはパレッタの尻も触ったことがある。
断じて触らせたわけではないが、とにかくそれくらい見境のない御仁には違いない。
「……くだらぬ。わざわざ盟主がこうして集まるのだ、もうちと実のある話をせんか。 おなごの尻の話が続くようなら吾は帰るぞ~」
「ヴィーラの言うとおりです。
フォレンケ、タヌマン・クリャの足跡は掴めていないのですよね?」
「うん……たぶんもう、西にはいない……ね、ガエムト……」
「臭い、しない。外神いないぞ。喰うもの、ない」
「他の忌神からも報告は上がってねえしな。相変わらず逃げ隠れの上手い野郎だ。
なんにせよ弱ったままには違いないし、やつのことだ、またララキに接触しようとはするだろうが」
『ふむ……わしにはどうも、クリャの考えが読めんの……。
弱り果て、縋るものもない外の神だ、よほど覚悟を決めて、南の果てで最期の時を待つのが本来すべきこと。じゃが、やつは諦めた気配がない。何か力を取り戻すすべがあるかのようじゃ』
「だが、大陸のほぼすべての人間は我らの民。やつが横取りするのは容易ではないぞ」
「ああ。やつの紋章を見たら、黙って見過ごす神はおらんわなァ」
「わからんのう。ルーディーンが言うように不気味よな。
……しかし、やつが如何なる手を打っておろうと、余裕があるのもあの娘が生きておる間だけのことであろ。やはりあの娘を殺せば解決しようぞ」
「そいつぁいただけんなァ、ヴィーラ。あの娘に彼奴が執着している間こそ、娘を囮にでもして、彼奴を捕まえてやれるってもんよ。
それに生き残りを殺したくらいで早々くたばるやつじゃあねえ」
「俺もドドに賛成だ。それに今、ララキはアフラムシカの加護を受けてる。あいつが素直に娘を差し出すわけがない」
ペル・ヴィーラとドドは意見が合わないようだ。
仮にどちらかが裏切り者だったとしても、もう片方と手を組む可能性は低いかもしれない。
それとも、敢えて対立しているように振舞うことで、他の神の眼を欺こうとしているのだろうか。
疑ってかかると何もかもが怪しく思える。どうもパレッタにこの手のことを見抜く眼はないらしい。
「そのアフラムシカのことですが、このまま放置しておくのはもうやめませんか。
我々が思っていた以上に彼の消耗が激しい。このままではララキがアンハナケウに自力で到達するより先に、彼が消滅してしまいかねません」
「……そうだな。ちょいと癪だが、あいつが消えるとクシエリスルの維持ができなくなるのは事実だ」
「しかしのう、あの枷を外すにはアンハナケウに呼ばねばならぬぞ。あやつはその枷のために上がって来られぬのであろ」
『ふむ、少々危険ではあるが、娘を呼び上げればアフラムシカも共に上がることは可能じゃ。どうやらアフラムシカはそれを見越して己の紋章を娘に託しておるようじゃからの』
「結局そうなんのかい。しかし、当然それでは納得せん者も出てくるわなァ」
「わたしもそれは許し難いと思う。人間で、しかも呪われた民の娘だぞ。……しかしアフラムシカを消滅させるわけにはいかないし、他に避ける手段がないのであれば、……しかしな……」
「ヴニェクでもそんだけ歯切れが悪くなるんだろ。他の連中も、嫌でも受け入れざるをえねえさ」
「ええ、他の神ならまだしも、彼は盟主ですからね。我々七柱が揃わないとクシエリスルが正しく機能しなくなる。その事態はむしろ、より小さな神こそ避けたいでしょうから」
盟主たちは顔を見合わせた。全員が納得しているわけではないが、もう結論は出ているようなものだった。
アンハナケウにあるクシエリスルを規定した大紋章には、盟主たちの名と紋章が刻み込まれていて、それぞれの力によって正しく働くようになっている。
アフラムシカの穴をヴニェクが代行して埋めているとはいっても、その紋章にある名を書き換えたわけではない。
もし完全に盟主を一柱でもすげ替えようと思ったら、とてつもない手間と負担がすべての神に課せられるうえ、その間は大陸の平和と治安が守られないことになる。
人間たちは無意識下に抑制されている戦闘と破壊の本能が解き放たれ、何をしでかすかわからない。
また、クシエリスルに含まれない周辺の海の神々も、その期に攻め込んでこないとは言い切れない。盟主ほどの力のある神ならまだしも、そうでない小さな神にそれらに対抗する力はないのだ。
盟主の消滅はそういう事態を引き起こす。それがわかっていてなお、アフラムシカの復帰を拒む者はいないだろう。
「やはり枷の罰は厳しすぎたの。すべて外さずとも、ちと緩めてやるだけでも違うであろ」
「タヌマン・クリャの件を考えたら、中途半端なことはせずに完全に復活させたほうがよいと思いますが……ともかくフォレンケ、ララキはあなたの所領にいるのだから、案内は任せますよ。
……フォレンケ?」
ルーディーンが何か異変に気づき、パレッタを呼ぶ。
裏で酒甕の片付けをしていたパレッタが飛んでいくと、ガエムトの膝の上で、なにやらフォレンケがぐったりとしている。
「ふにゃぁ……」
「フォ、フォレンケどの? 如何なされました~!?」
「パレッタおまえ……まさかフォレンケに毒でも盛ったんじゃねえだろうな……」
「めめ、滅相もございませぬ! それに霊水は同じ
「ええ、平気です。それにフォレンケは苦しんでいるというより、その……心地良さそうにも見えますが……」
「間違って酒でも呑んだか?」
フォレンケの杯をカーイがひょいと拾ってその匂いを嗅ぐ。そして、顔を顰めて言った。
「これ、マタタビ入ってねえか?」
「あっ……先日の祭事で納められたものの中に
「あーあ……フォレンケにゃ下手な酒よりよっぽど効くぜ。こりゃ当分ダメだなこいつ」
「可哀想に……」
涎を垂らしながら恍惚の表情で寝そべっている姿は、確かに哀れと言えば哀れではあるが、どちらかというと間抜けだった。これを憐れめるのは神多しと言えどもルーディーンくらいなものだろう。
さすがのガエムトも無言でのけぞるフォレンケを見下ろしている。たぶん彼なりに困惑しているのだろう。
フォレンケはそれにも構わず、というか構っている余裕などないのだろう、うにゃうにゃ呻きながら身もだえしている。
返す返す、ガエムトの膝の上でそんな芸当ができる神は彼の他にいない。
「……フォレンケがその調子じゃあ仕方がねえ、ここいらでお開きとしようかァ」
「うむ。ではパレッタ、綱を持て」
『すまんがペル・ヴィーラよ、パレッタには後片付けがあるのでな、帰りは自力でどうにかしておくれ』
「むう……まあよいか。パレッタに牽かせると遅いしの」
オヤシシコロに断られたとあってはヴィーラも押し通すことをせず、鰭を振るって人の形に変化した。
最初からそうしろ、というヴィーラへの苛立ちと、オヤシシコロへの感謝の思いが、あざなえる縄のごとくパレッタの内で入り乱れた。
しかしこうして見ると人型の神はそれはそれで目立ってしまう気がする。
考えてみてほしいのだが、地面に擦れるほど長い髪の、しかも全身がどことなくぐっしょりと濡れた男が、それも異国の民族衣装に身を包んだ出で立ちでのろのろと歩いていたら、誰だって怪しいと思うだろう。
しかも人型のときは獣の姿と違って人間の眼に映らずに振る舞うことができないのだ。
せめて濡れていなければそこまで悪目立ちもしないだろうが、ヴィーラにこれ以上の譲歩は無理だろうと思ったので、敢えて何も言わずに見送った。
どうか川まで行く間に誰にも会いませんように。
「ルーディーンは残んのかい?」
「ええ、フォレンケのことが心配なので……ドド、さきほどのアフラムシカの処遇についての話を、一度クシエリスル全体でもしなければなりません。手配をお願いしたいのですが」
「おう、任せときなァ」
「ヴニェク、あなたもパレッタを手伝ってあげてください。彼女ひとりでは大変です」
「なんでおまえに指示されなくてはならんのだ。いい加減その、女神だけが後片付けに参加させられる風習をどうにかしたほうがいいぞ。
おい、だからカーイ、貴様も手伝え」
「おまえの今の台詞そっくりそのまま返すぞ。俺は盟主なんだが、わかってるか?」
「だからなんだ? わたしは盟主が特別偉いと思ったことは一度もない。そして男神にへつらう趣味もない。つべこべ言ってないでそこの皿を運べ」
「……ある意味おまえは最強の神だよ。へいへい、運べばいいんだろ運べば」
「ヴニェク、己も手伝ったほうがいいのかァ……?」
「いらん。貴様の場合おったところで余計に仕事が増えるだけだからな、とっとと帰れ」
ヴニェク・スーにけちょんけちょんに言われたドドもすごすごと帰っていった。
盟主だろうが一切の容赦も忖度をもしないヴニェクの態度は、同じ鳥の姿を持つ女神として尊敬に値する。ただちょっとやりすぎな気もする。
パレッタは境内の外まで飛んでって、確かに疑惑の二柱が帰っていったのを確認した。
ヴィーラははるか彼方の川の中。もうこちらの声が届く距離ではない。
ドドはもっと速いので、すでにハーシを出てマヌルドのあたりを南下しているころだろう。
彼はパレッタたちのように翼を持っていないのに、ヒヒ特有の長い両腕を駆使することで、驚異的な移動速度を誇る神だ。
ふたたび社に戻ってきて、ガエムトの前で止まる。
「フォレンケどの、もうよろしゅうござりまする」
「……やっとか。なんでボクがこんなふざけた小芝居打たなきゃなんないの?」
声をかけるなり、フォレンケは真顔で起き上がり、口の端を濡らしていた涎を拭った。
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