074 ご恩と奉公、お金と仕事
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雪崩のようだ、とパレッタは思った。険しい斜面を雪の塊が滑り落ちてくるように、カーイの笑いは冷たく激しかった。
さんざん笑ってから、カーイは言った。
「てめえの冗談は笑えるよ、オヤシシコロ。でもって正解だ。俺こそ裏切り者に違いない、まったくもってそのとおりだ」
『……おまえの冗談は笑えんのう』
「いや、本気だよ。いつかクシエリスルを捨てる気でいる。
ただ、まあ、それは今じゃあない……少なくとも俺なら、タヌマン・クリャなんぞの力を借りようなんざ、そんなみみっちい手は使わねえ」
『うむ。まあ安心したよ、少なくともおまえさんは信用できんとわしも困る』
「まったく同感だ。じゃあ俺も森に帰るぜ。何かわかったことがあったら、逐一報告しろ。
カーイはそれだけ言うと、社を囲んでいる雑木林へと消えていった。
残されたパレッタとオヤシシコロは、彼の姿が見えなくなるまで見送ってから、またいつもどおりの暮らしに戻る準備をするのだった。
盟主としては大陸全土の安寧を保つための心配りを常から心がけなくてはならない。
だが、それ以前に彼らは一柱の神であり、個々の意思と感情を持つ精霊だ。
第一に考えるのはあくまで己の所領に暮らす民のこと、そしてそこで祀られる自分自身のこと。あまり大きなことにばかり気力を割いてもいられない。
パレッタは洗いものと社内の掃除を済ませてから、オヤシシコロの手入れをする。
虫がついていないか、宿木が絡んではいないか、鳥につつかれてはいないか。
神木を美しく保つことが、この地域一体の保全に繋がる。
同時に彼の身体は、大陸全土に至っている。
地上からは見えないが、地下深くで根を張り巡らせ、彼自身の根が大地の果てまで伸びている。また、その根は眷属である他のすべての植物たちの身体とも繋がっている。
地上も地下も問わず、この大陸のことでオヤシシコロが知ることのできないことはほとんどない。
パレッタには細かいことは教えられていないが、大陸全体に作用するクシエリスルの大紋章の設計にはオヤシシコロも関わっているらしい。
その彼を以てして行方を追えないタヌマン・クリャも、裏切り者の正体も、よほど知恵の回る相手だといえる。
少なくとも前者はオヤシシコロカムラギの身体の大きさを知っているに違いない。その上で、どうやったのかはわからないが、彼の根や眷属たちの葉が触れないような場所に本体を隠しているのだ。
空中か、あるいは水の中。もしくは岩や鉱物の中。あるいは生きものの中かもしれない。
本体が隠されていること、逃がしたのは傀儡であったことなどは、他のクシエリスルの神には伝えられていない。ある程度情報を遮断することで裏切り者を特定するつもりだと、カーイが言っていた。
もし盟主が裏切り者だったとしたら、カーシャ・カーイはどうやって制裁を加えるつもりなのだろう。
彼のことだから手心を加えるつもりは一切ないだろう。徹底的に叩き潰して消滅させるに違いないが、そうなるとクシエリスルの基盤が破損することになる。
描き直すか、別の神を穴埋めに使うしか、危機を回避する方法はない。
彼のことなので何がしか考えてはいるだろうが、それを話してはいない。
お喋りなように見えて、肝心なことや切り札などは、最後の最後まで隠しているような男なのだ。
「オヤシシコロさま、少々よろしゅうございまするか」
『なんじゃ、パレッタ』
「主さまは何ゆえカーシャ・カーイを信用しておられるのでするか? 実力は確かではありまするが、なんと申しまするか……かの神はいささか危険であるとワタクシは存じておりまする」
『そうじゃのう。あれは牙を隠しただけで、失くしたわけではないからの。いつでも必要に応じて喰らいつける。
だが、わしはあれのことを、まだ小さな
図体こそでかくなりおったが、未だ中身は狗っころじゃ』
かわいいものだよ、とオヤシシコロは笑って言った。
今さっきのカーイの眼を見てもそんな言葉が出てくるほどに、オヤシシコロの胆は座っている。
それから、オヤシシコロはパレッタを枝に座らせると、昔話をひとつしてくれた。
今からずっと昔のこと。
まだパレッタがオヤシシコロに出逢ってもいなかったころの話だ。
北の森を飛び出してきた精霊カーシャ・カーイは、目についたすべての精霊と弱い神を喰って喰って喰い尽くしながら、東へと向かってきた。
喰らった神から神格を奪って低級な神くらいにはなっていた彼は、最後にオヤシシコロカムラギの前へと行き着いた。
もちろん彼はオヤシシコロをも喰らおうとした。三日三晩……神の感覚で言うそれは人間で言えば数年にも渡る期間だが、彼はあの手この手でオヤシシコロを襲い続けた。
オヤシシコロは跳ね返してやった日もあれば、少し齧られた日もあり、攻防は一進一退。
しかし並々ならぬ自己回復力を誇るオヤシシコロの護りのほうが、苛烈極まりないカーイの攻めよりわずかに優勢であった。
カーイは考えて、オヤシシコロに養分を送る根を絶ってしまえばいいと思いついた。そして根をすべて残らず喰らい尽くしてやろうとしたのだ。
だが、あまりの根の多さと長さ、そして一本喰らう間に二、三本は生え直ってしまうほどの再生力に、最終的にカーイは根負けした。
文字どおり"根"で負けたというわけだ。それからというもの、大陸北部は西のカーイと東のオヤシシコロで二分され、互いの領分を守って対等に接するようになった。
そのころにカーイと出逢わなくてよかった、とパレッタは思った。
まともな頭の持ち主ならオヤシシコロの根を喰らおうとは思わないだろうし、そこまでの無謀さがあったからこそ、今日のカーイは大陸でも上位の神として君臨しているのだ。
その彼を狗っころ呼ばわりできる主人のことがただ頼もしい。そして彼に仕えていられることが嬉しい。
今後、クシエリスルや大陸にどのような変事があったとしても、オヤシシコロカムラギは以前のように懐に抱いてパレッタを守ってくれるに違いない。
裏切り者の処断はカーイたちがどうにかしてくれる。これまでだって大変なことはあったが、なんとかなったから今があるのだ、きっと大丈夫。
──ですからどうぞ、何があろうと、パレッタめを永遠にお傍に置いてくだされ。
パレッタは心の奥でよく念じて、オヤシシコロの幹肌に頬を寄せた。
: * : * :
現実的な問題が三人の目の前に迫っていた。
お金である。お金が、なくなりそうなのである。
アランの街で稼いだ額は、まっとうな仕事であったために、額面もまっとうなものであった。
まっとうな公共馬車屋でまっとうな紋唱車を借り、まっとうな時間をかけて砂漠を越え、まっとうな宿をとった三人からは、当然ながらまっとうな額の諸経費が旅立っていた。
そしてやはり共有資金袋に残ったのも至極まっとうな残金だったのだ。
まっとう尽くしの原因と結果を前に、三人は訓練場で頭を抱えながら今日も練習に勤しんでいる。
訓練場の利用料金が無料であることだけが神の奇跡だった。どこの誰が始めて全国的に広めたシステムかは知らないが、心の底からありがとうという気持ちでいっぱいだ。
ただ、訓練で腹は膨れないし、これからのことを考えるとどうにかしてひと稼ぎしないわけにはいかなかった。
そして、スニエリタがいた。
もちろんお嬢さまに就労経験は皆無、紋唱術の腕も安定しつつあるとはいえ仕事に使うにはまだ覚束ない、基本的に体力に乏しく肉体労働全般が不向き……単発の職探しは困難を極めると、もうやる前から全員が直感していた。
だが、やらねばならないのが現実である。午前の練習が一段落し、昼食を挟んでから、三人は紋唱術師センターの職業斡旋所へ向かった。
案の定ミルンとララキはあっさり決まったが、スニエリタはなかなか進まなかった。
それどころか、身なりのいい若い娘がなぜ単発の仕事など探しているのか、何か後ろ暗い事情でもあるのかと疑われているようだった。
実際、世間から見た彼女の立場は家出人であり、通報などされたらまずい。
何かフォローしたほうがいいか、と見ているララキも焦ってくる。
ミルンに至っては、スニエリタは無理に仕事をしなくてもいいとらしくもないことを言ったが、それをいちばん嫌がったのはスニエリタだった。
「いいえ、これ以上おふたりのご迷惑にはなれませんっ……た、たしかにわたしは、何も得意なことがありませんし、外で働いた経験もありません、力も弱いですし、……ほんとうに足手まといですね……」
「わーっここで落ち込まないで!
ちょ、ちょっとお兄さん、何でもいいからこの子にできる仕事ないの!?」
「えっ……いやその……どうでしょうねえ……?」
「どうでしょうって、そんな無責任な! この子はねえ、立派になってからじゃないと家に帰れないんだよ! わかる!?」
「……ちょっと語弊あんぞ、それ」
ララキが語気荒く斡旋所のお兄さんに絡んでいると、その隣にいた事務の女性が紙を一枚差し出してきた。
「少しお静かに願います。どうしてもお仕事をなさりたいなら、こういうものもありますよ」
「お、おいきみ、これは地元向けの……」
「構いませんよ。思ったより人手が集まらないから、もう外部からでも欲しいと言われました。時間もありませんしね」
何かと思ったら、明日からこの街で開かれる商業イベントのチラシだった。その隅に店員募集の文字がある。
事務員さんが説明してくれたところによると、この催しは地元の一般人が要らなくなったものや手作りの品を市場形式で売ったりするほかに、近隣都市の企業が製品の実演販売なんかを行ったりもするらしい。
で、その企業のほうで売り子や裏方作業をする人間を地元民限定で募集していたそうなのだが、初日を明日に控えた今現在も人手が足らない状況とのこと。
女性はスニエリタを見て、かわいらしいから売り子さんにぴったりだと思いますよ、と真顔で言った。
あまりにも心の篭もらない言いかただったのでスニエリタは反応に困っていたが、ララキはお勧めしておいた。
事実スニエリタは美人でかわいいし、声もきれいだし、売り子ならそう難しい仕事でもないだろう。
ね、とミルンにも同意を求めると、彼はちょっと納得いかなそうながらも、いいんじゃねえの、と答えた。
何が不満なのかは知らないが、ともかく他に案もない。
スニエリタも頷いた。
とにかくスニエリタの職場が決まったのだ。
イベントは三日間、その間はずっとそこで売り子をしてほしいとのことだったので、しばらく練習ができないのが悩ましいが、この際それは仕方がない。
それに開催時間は日中だけなので、どうしても練習したかったら夕方に時間を作ることも不可能ではない。
よかったねえと言いながら術師センターを出るが、まだミルンは微妙な顔だった。
そして、もし無理そうなら途中で断ってもいいんだからな、と念押しのように言う。
なんでやる前から不安を煽るようなことを言うんだこの人。
彼なりに心配なんだろうが、ちょっと過保護すぎないか、とララキは思った。
しかもである、午後からまた訓練場に行こうかと思ったら、ちょっと行きたいところがあるから、とミルンだけどこかに行ってしまった。
「……なんだあれ。なんかミルン感じ悪いなぁ」
「ご用事がどんなものかもお話してくれませんでしたね……で、でも、わたし、がんばります」
「うん、あたしは応援してるよ! いやミルンもしてるとは思うけどね、ちょっと心配なんだよきっと。
それよりさ、ふたりで練習もいいけど、あたし遣獣屋さんっての行ってみたいな。たしか近くだよね」
「お金がないので冷やかしになってしまいますけど……」
「いいの、雰囲気を知りたいだけだから」
そんなわけで女子ふたりは、近場の遣獣取り扱い業者を訪ねてみることにした。
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