064 人への呪い

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 スニエリタの捜索は日を追うごとに困難になっていった。


 まず、あれからしばらく探索紋唱が何の反応も示さない日が一週間近く続いたので、ヴァルハーレはひどい徒労感に包まれた。

 死んでいるとは思わない。思いたくもない。

 だが、そうとしか思えないような結果が目の前に積み上げられ続けると、さすがに心が折れそうにもなる。


 ヴァルハーレは若くして高い地位を持つ軍人であり、同世代の他の男と比べてもかなり忙しい身である。職務のためアウレアシノンを離れなくてはいけない日もある。

 それに帝都にいたところで暇はなく、彼女の捜索に集中していられる日はないに等しかったが、少しでも時間があれば場所を問わずに紋唱を行った。


 ときには女の部屋でまでやったので、さすがに呆れられた。

 しかし幾らでも代えが利く遊び相手の機嫌など知ったことではない。伯爵家で将軍の娘である女はこの世にひとりしかいないのだ。


 いざとなったら恥と外聞を捨ててでも婚約相手を変えようかとも考えたが、どう考えても今の帝都には、スニエリタより条件のよい物件は他にない。ぎりぎりまでスニエリタを諦めるわけにはいかなかった。

 もし彼女の死が確認され、将軍家の婿となることが絶望的になったなら、多少条件の劣る女に乗り換えるのもやぶさかではないが、今はまだそのときではない。


 それに最悪の手段も考えた。


 スニエリタが死んでいた場合に、どこかから適当な女を見繕ってきて、それをスニエリタと偽って将軍家に送るのだ。


 攫われたときの衝撃で記憶喪失ということにでもして、外見だけどうにかして将軍夫妻を騙せるものに仕立て上げればいい。それは金でどうにかなる。

 幸いなことにスニエリタにはこれといって突出した特徴というものがないので、代わりの女がよほどの大根役者でもない限り彼女に成りすますのは難しくないだろう。

 ヴァルハーレは腹心の部下に命じ、スニエリタと背格好が同じ少女を秘密裏に探させた。


 一方で本物を探す努力も怠らなかった。影武者を立てるのは本物の死亡が確実になってからでなければならない。

 もしどこかで生きていて、偽者と結婚したあとでそれが発覚したら、何もかもが無駄になる。

 ヴァルハーレの地位と名誉に傷がつくだけでは済まないだろう。慎重に動かなくては。


 果たして一週間ほど経ち、ふたたび西の国に彼女の生存反応を見出したとき、ヴァルハーレは狂喜した。

 どんな理由をつけてでも自分が直接連れ戻そうと、将軍を説き伏せて捜索部隊の編成まで行った。


 だが、ことはそう簡単には行かなかった。


 レンネルク小隊が全滅した「ナベル事件」のせいで、軍隊の越境が簡単には認められない情勢になっていたのだ。

 未だにはっきりと小隊派遣の理由を明かさないマヌルドに対し、ワクサレアは国境管理を厳しくしており、どうあっても正式な手続きを踏まずに領内に侵入することは許さない構えだった。


 この状況を打破できるとしたらクイネス将軍しかいない。だが、その将軍はすでに安易な身動きを封じられた状態になっていた。

 完全に私的な目的のみで兵士を国境外に送ったこと、そしてそれを予め説明していなかったことについて、マヌルド帝国最高権力者、つまりは時のマヌルド皇帝から直々にお咎めを受けていたのだ。


 これまで帝国のために尽力してきたクイネス将軍を、皇帝はよく評価し重用していた。

 だが、このたびの事件ではワクサレアから皇帝宛に非難の声明まで出されてしまい、顔に泥を塗られる形となってしまった皇帝の落胆は大きかった。


 将軍としても長い付き合いの皇帝に失望されたのはかなり堪えたようだった。

 いつもの高慢さはなりを潜め、スニエリタの捜索部隊をヴレンデールに送ることにも、許可を出すのを渋っていた。


 ヴレンデールに行くにはどうしてもワクサレアを通らなくてはならない。イキエスやハーシを経由するのでは遠回りすぎるし、南北の隣国にしても国内を他国の軍が通過するにはそれなりの理由を求めるだろう。

 まさか家出した身内の娘を連れ戻すためだなんて言えるはずもない。

 皇族ならまだしも上流とはいえ貴族の娘のために、しかも一度は小隊単位で敗北を喫しているなど、歴史あるマヌルド帝国軍にしてみればとんだ恥を晒すことになる。


 ヴァルハーレは必死で考えた。

 部隊という形で越境しようとするから問題視されるのであって、個別に渡ってあちらで合流すれば目立たないし、越境手続きも簡易なものになるのではないか。

 あるいは単身で渡り、必要であれば向こうで人を集めようかとも思ったが、それではマヌルド軍人としての矜持に関わる。

 ともかく考えつくかぎりの提案を将軍に伝えた。


 将軍はどの案にもすぐに頷くことはなく、考えておこう、とだけ言ってすぐに去ってしまう。

 皇帝からの信頼を取り戻さなくてはならないこともあり、彼はヴァルハーレ以上に忙しい日々を送っていた。


「あなたとロンショットはほんとうによくあの子のことを考えてくれるわね」


 夫人から、疲れた表情でそんなことを言われた。帝都でも一、二を争うほどの美貌で知られる彼女だが、ここひと月ほどでずいぶん老け込んでしまった気がする。

 初めのころはあっけらかんとしていたように見えていたが、やはり母親として、大事な一人娘の身を案じているのだろう。


 美しい人が辛そうにしているのを見るのはヴァルハーレとしても心苦しく、必ずお嬢さまを探し出してみせます、と精一杯の気持ちを込めて約束した。


 同時にロンショットの名が出てきたことに苛立ちも覚えた。

 彼はヴァルハーレと違ってスニエリタを探すこと自体には何の利点もない。ただ将軍夫妻からの覚えがよく、一家との付き合いが長い、それだけの男だ。

 それだけのことが今はどうにもヴァルハーレに大きな不利を感じさせてならない。


 どこかで彼を蹴落としておこうか、とさえ思った。

 もともと大した地位でもないが、せめて将軍夫妻からの心象を落としておいたほうが、今後のヴァルハーレの精神衛生上いいような気がする。


 ヴァルハーレは気が立っていたのだ。


 なかなかスニエリタが見つからなかったうえ、ようやく足取りを掴めても思うように動くことができない。

 しかも出動を止められてもたもたしているうちにまた消息が途絶えた。再発見から三日くらいはいつ紋唱を行っても簡単に見つかり、探索妨害をしている気配すらなかったのに、突然また遮断されたのだ。


 何もかもが思うようにいかず、ヴァルハーレは目に見えて荒れていった。

 勤務中はできるだけ普段どおりに過ごしていたが、内に溜まった鬱憤と怒りをやり過ごすために、しばらく自宅に帰らない日が続いた。要するに女の家を渡り歩いていた。


 幸いなことに女たちは優しい。苛立ち、疲れ切っているヴァルハーレを癒そうと、精一杯もてなしてくれる。

 彼女たちにしてみれば弱っている姿を見せられて、ここぞとばかりに恩を売って情を得ようとしているのだろうが、それは構わない。

 こちらとしても利用している側なのだ、誠意にはそれなりの言葉と態度で応じるまで。


 それに柔らかく湿った肌に触れている間は、ヴァルハーレも疲れを忘れて穏やかでいられた。


 行動だけ見れば女の敵であるヴァルハーレが今なお多数の女に愛されているのも、生まれ持った恵まれた容姿のためだけでなく、どんな状況でも女に悪い部分を見せないのも理由のひとつだろう。

 いくら心が荒んでいても女には八つ当たりをしない。そのあたりの切り替えはきっちりしている。


 それにヴァルハーレは女にそれほど多くを求めない。

 大半の女は最低限の務めを果たしてくれる。

 だから感謝し、彼女たちが欲しがる言葉を与え、その存在を認めてやるのだ。


 そんな簡単なことすら他のマヌルドの男にはできないから、女たちは喜んでヴァルハーレを迎え入れる。

 この国の男は押しなべて不必要なほど矜持が高い。


 ヴァルハーレとて矜持がないわけではなく、むしろまったく逆だが、端から女性一般を同じ土俵に上げることさえ考えていない。

 彼女たちは愛でて癒されるものであって、自分の矜持を保つために踏みつける必要のある相手ではないのだ。

 他の男にはそれがわからないようで、なぜヴァルハーレが持て囃されるのか理解できず、女は騙されているのにも気づかない愚か者ばかりだと、どこぞのサロンに集まって愚痴っている。

 騙す能がない男のほうがよほど愚かだとは、愚かであるがゆえに気づいていない。


 騙すとは言っても、金品を巻き上げるでもなく、心身を傷つけるわけでもない、ただ甘く幸せな夢を見させてやるだけなのだから、誰に咎められる筋合いもないが。


 もちろんヴァルハーレに結婚してほしいようなことを言う女もいないわけではないし、そういう期待には応えられない。残念ながらこの国に重婚や一夫多妻を認める法律はない。

 だが、一緒に暮らして姓や財産を分かち合うだけが男女の喜びではないだろう。


 地位と権力のためにはスニエリタ以外とは結婚できないが、それ以外の心を他の女に配り歩くのはそれとはまったく関係がない。どう考えてもスニエリタはヴァルハーレを精神的に満たすには足りないのだ。

 そもそも身を固めたところでひとりの女だけで満足できるような男ではないことは、関係を持ったすべての女が理解していることだろう。


 だからヴァルハーレは女の耳元で囁く。愛しているよ、と。


「でも、この関係を続けるためには、どうあっても将軍家に入らなきゃならないんだ。もしかしたらきみに寂しい思いをさせるかもしれない……だが忘れないでくれ、リュシーナ。僕の心はきみに預けてる」

「なあにそれ、面白い言い訳ね」

「信じてくれないのかい? こんなにいるのに、ひどいなぁ」

「あっ……もう、ほんと、悪い人……」


 女は甘い嬌声をさえずらせながらヴァルハーレを受け入れる。

 その姿態にはほんとうに心が和まされるし、裏腹に身体は獣のようにしなる。


 どんな女も、たとえ普段は慎み深く男性との距離を保っていたとしても、褥の上ではみんな似たような姿をヴァルハーレに晒す。

 男と違って権力のために裏切らないし、威圧して上に立とうともしてこない。多少のことは多目に見てくれるし、柔らかくて抱き心地がいいし、かわいらしい。


 だから、女が好きだというのはほとんど本心だ。ただ一度に複数の女を愛せるだけ。

 人数が多いぶん個々の重要度は低いかもしれないが、こういう性なのだから、全員を引きとめなくてもいいだろう。

 何股もされることに耐えられない女も当然いるが、そういうときはきっぱり別れる。そのほうが互いにとっていいからだ。


 するべきことを終え、ヴァルハーレは一息ついた。

 汗の染みた寝台でそのまままどろみながら、これからのことを考える。


 スニエリタがヴレンデール領内に渡ったことはわかっている。

 そこから少し北西方面に進んだところで探索は途絶えたが、ヴレンデール国内の交通事情も鑑みるに、しばらくは近隣に留まるだろう。移動したくても足の確保が難しいはずだ。


 先にひとまずヴレンデールに入っておき、滞在しながら探索紋唱を続けて、反応があり次第すぐに飛んでいける体制にしておけば、今度こそ彼女を確保できるはずだ。


 懸念事項はレンネルク小隊を全滅させた何者かだ。相当の使い手であることは確かであるし、恐らく定期的に探索妨害を行っているのもそいつだろう。

 だが、たまに妨害がまったくなされない期間があることからすると、そいつはずっとスニエリタと行動を共にしているわけではなさそうだ。


 つまり追跡できる状態のときは、そいつは彼女の近くにはいない。

 他にも護衛役のようなものがついている可能性は高いが、いちばん厄介な相手が不在のときであれば、少数精鋭でも充分対応できるだろう。

 相手の戦力が分散しているときを狙って奇襲し、他の護衛を全滅させておけば、もっとも強力な敵──仮称を「不届き者」とでもしておこうか、そいつと対峙するとき他の手下の相手をせずに済む。


 よし、それでいこう。

 そうなったらしばらくアウレアシノンにはいられないので代理を立てなくてはならない。癪だが同程度の実力や地位にある将校たちの何人かに頭を下げなくてはならないだろう。

 まあ緊急事態だ、しかたがない。


「……何を考えてるの?」


 ふと、隣で女が言った。

 ヴァルハーレは彼女に背を向けていたので表情はわからないが、からかうような口調と、背中に触れる柔らかいものの感触から、振り返る必要もないことを悟った。


「しばらく遠出をしなくちゃいけない。きみに会えないのは辛いけど」

「あら……どこの女に会いにいくのかしら」

「この世で唯一僕に冷たくする、って言えばわかるだろ」

「見つかったの? 死んだっていう噂を聞いたけど……そう……生きてたのね……」


 その声音に含まれる呪詛が、ひやりとヴァルハーレの背を刺した。


 このごろそういう女は多かった。


 スニエリタが失踪したと聞いてほとんど全員が喜んでいた。それを顔にあらわにする女もいれば、心配そうに振る舞いながらもいつもより甘えてくる女、戸惑いつつも仕草に歓喜が滲むのを隠し切れない女もいた。

 どんなにヴァルハーレが言葉を尽くしても、やはり正妻の座を勝ち取る女がいることは悩ましいものらしい。


 しかし、ヴァルハーレがスニエリタを捜索するのはもはや義務であり作業だ。

 見つけて結婚さえすれば、そしてひとりでも男児を生ませれば、あとはお飾りの妻として放っておく。


 今さらながら不思議である。これほど数多の女を愛してきたヴァルハーレが、どうして彼女には魅力の欠片も感じ取ることができないのだろうか。

 顔は母親に似てなかなか美人だし、性格もおっとりしていて御しやすい、男慣れもせず擦れたところのない純朴な少女であるのに。


 将軍の眼が光っていて結婚するまで手を出せないからだろうか。同年代の他の娘と比べて小柄で華奢、ともすればやや貧相な体つきだからだろうか。

 いや、細い娘はそれで独特の愛らしさがあるし、必要なら少し太らせればいいだけ。


 少し考えて、彼女は喜ばなかったな、と思い至った。


 どんな言葉をかけても、優しく肩を抱いて温めてみても、彼女はいつも困ったような顔をしていた。

 笑顔を浮かべようとしていたようだが、いつもどこか引きつっていた。


 そして先ほど言った自分の言葉が思いがけず真を突いていたことに気づいた。


 ──この世で唯一僕に冷たくする娘。


 なるほど、それだ。スニエリタはヴァルハーレのことを好きになってくれなかった。


 思わず笑ってしまった。横の女が驚いている。

 なんでもないよと嘯いて、それからもう眠るように促した。


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