060 獣たちの疑念

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 今日のアンハナケウは閑散としている。もともとここに常駐しているのは、すでに大陸に居場所を持たないはぐれた神たちばかりで、そうでない神は特別な用がないかぎりほとんどここを訪れない。


 そこに現れた灰銀のオオカミは、あたりをぐるりと見回して、揃ってるな、と言った。


 いつもの切り株の上にはスズメが一羽。そしてその隣に金毛のオオヤマネコと、骨面をつけた異形の神が並んで座っている。

 株を挟んだ反対側にはヒツジの女神が座し、そしてハヤブサの女神は落ち着きなく上空で羽ばたいていた。


 パレッタ・パレッタ・パレッタ。

 フォレンケ。ガエムト。

 ルーディーン。

 ヴニェク・スー。


 ひとりひとりの顔を確認したカーシャ・カーイは、自らも切り株の前で腰を下ろした。


「……あれ、ひとり足りなくねえか? サイナはどうした」

「ガエムトが来るなら同席したくないってさ。ガエムトとサイナだったらガエムトのほうが優先順位高いでしょ」

「おまえサイナに何したんだよ」

「してない」


 ガエムトは憮然として答えた。

 普段なら呼んだところで滅多にアンハナケウには来ない気まぐれな忌神頭も、今回ばかりはフォレンケに無理やり引っ張り出されたのだろう、たいそう機嫌を損ねている。


 それに不機嫌なのはガエムトだけではない。相変わらず気の短いヴニェク・スーは、今日も苛々しながらカーイの脇に降りてきた。

 もっともこの女神の機嫌がいいところなんて滅多に見られないので、彼女がやいやい鳴き喚くのは折り込み済みである。


「どういうつもりだ、カーシャ・カーイ! 理由も言わずに我々を集めるなど…しかも呼び出した本人が最後に現れるとは、いくら盟主でも怠慢がすぎるぞ」

「へいへい、失礼しやした。ところでヴニェクよ、なんで呼ばれたのがこの面子なのか、おまえさんはわかるか?」

「む? ……あの呪われた民の娘と直接関わった神だろう」

「恐れながらヴニェク・スーさま、ワタクシはその娘とは会っておりませぬ。むろんオヤシシコロさまもでする」

「それにゲルメストラはいませんね」


 ルーディーンが己の隣を見やる。もしシカの神が呼ばれていたら、恐らく座したであろう場所だ。


 ではいったい何なのだ、とまだ噛みつくつもりらしいヴニェクを制し、カーイは口を開いた。


「喜べよ。おまえらは、俺が今のところ信用できると思える神なんで、今日ここに呼んだのさ」


 ルーディーンとヴニェク、パレッタとフォレンケがそれぞれ顔を見合わせる。

 ガエムトはどうでもよさそうにぼんやりと空を見ていた。


 それぞれの反応を眺めつつ、カーイは続ける。


「タヌマン・クリャに逃げられた。それはもう知ってるな?」

「むろんだ。今日はついでにその抗議をしようと思ってきている」

「勘弁してよぉ……」

「フォレンケ、あなたとガエムトだけの責任ではありませんよ。私の見込みが甘かったのですから、その件でクシエリスルから何らかの罰があるのなら、私も甘んじて受けるつもりです」

「その必要はねえよ、ルーディーン。あれは本来なら成功していた案件だからな。


 前提として、タヌマン・クリャは充分に力を取り戻せてはいない。やつの民のほぼすべては失われているし、かつて俺たちが南の果てに追い詰めた時点では、確かに消滅寸前まで弱っていた。あの生贄入りの結界さえなきゃあ完全に消してやれたかもしれん」

「それをアフラムシカは破壊したが、贄の小娘に要らん情をかけたわけだ」


 ヴニェクは忌々しげに言う。

 その怒りはもっともでもあるが、カーイは全面的には同意しない。


 かつてクシエリスルの神の連盟は、タヌマン・クリャを滅ぼすために手を組んだ。大陸じゅうの神が力を合わせてたった一柱の神を排除しようとしたのだ。

 むろん相手も抗いきれず、激しい戦いと夥しい犠牲の果てに、南の果ての地へと敗走していった。


 逃げる外神を追っていった神の中にはヴニェク・スーもいた。

 海には他の神がすでにいて、これ以上は逃げることができないタヌマン・クリャにとって、そこが最期の地となるはずだった。


 ところがタヌマン・クリャは先手を打っていた。こうなることを予見していたのか、己が人間に用意させていた数多の生贄を結界に封じ込めていたのだ。

 たったひとりでもその神を忘れず、なおかつ信奉していた民の血を引く娘がいるとなると、それだけでタヌマン・クリャの存在は護られることになる。

 ゆえに、外神を完全に滅ぼすためには結界を破壊した上で、中の生贄も殺さなくてはならなかった。


 ところがタヌマン・クリャも命綱である結界を守るためにありとあらゆる策を講じていた。

 そのため、クシエリスルの神々はそれを破壊するどころか、容易には近づくことさえできなかった。


 時間をかければ対処はできるが、長きに渡る争いに人間たちを巻き込んでしまっていた神々には、さすがに休息を必要としている者も少なくなかった。

 それで一旦攻撃の手を止め、神々はもといた自分の民の土地へと帰った。そして、結界を破壊し、中に封じられていた生け贄を処分する作業を、ひとつずつ持ち回りでこなしていった。

 そうして永い時間をかけたものの、ようやく最後のひとつになるまで追い詰めることができたのだ。


 すでにタヌマン・クリャ自身は充分に弱っている。頃合を見て最後の結界を破壊し、完全に息の根を止めるのに全員の力は必要ないだろう──そう結論づけたクシエリスルにより、ヌダ・アフラムシカが結界破壊の任を負った。

 彼は単身敵地に乗り込むと、長い時間をかけて結界の周りに施されていた数々の罠を突破し、抵抗するタヌマン・クリャを退けて、ついに結界の破壊を成し遂げた。


 しかし知ってのとおり、彼は生贄の少女を殺すどころか自らの加護を与えてしまった。


 そこにどのような事情があったのか、他の神の知るところではない。

 アフラムシカはその後も南部から動かず、タヌマン・クリャの行方もわからなくなり、それから何も解決されないまま今日に至るのだ。


「そこんとこは今さらどうでもいいんだよ。さすがにララキも結界を出て十年経ちゃ、タヌマン・クリャとの繋がりも薄くなる。

 それに、なんといってもクシエリスルは人間に信仰の自由を認める方針だ、こっち側に入ってくれたほうが俺らにとっても得だしな」

「彼女をアフラムシカの信徒として認めようというわけですね」

「随分甘い判断だな。確かにそれなら娘を生かしたままタヌマン・クリャを消せるだろうが……」

「もしかしてカーイ、そのためにボクらを呼んだの?」

「まさか。そんな明るい話をするために、わざわざ盟主をこれだけ集めるかよ。俺はおまえらみたいな平和主義者じゃあない。


 本題に戻るとだな……タヌマン・クリャは弱っていた、それなのにガエムトから逃げおおせた。

 それはなぜだ?」


 自分の名前を出されたことに気づいたガエムトが、む、とカーイを見た。

 そこまでの話を聞いていたわけではなかったので、ほんとうにただ見ただけだった。


 その隣でフォレンケが緊張した顔になる。逃がしたとき一緒にいたのはフォレンケだ。

 あのとき何があったのか、この場の誰よりよく知っている。

 そしてカーシャ・カーイを睨みつけ、低い声で呻るように言った。


「……あんた、あの場にいたのか? 見てたんだな」

「まあな。でもそう怒りなさんな、俺が手出しをしたところで逃げられたことに変わりはなかっただろうさ」

「どういうことです?」

「ボクらはやつが潜んでいた獣を破壊して、飛び出したところでガエムトが喰った……それで終わるはずだったのに、やつは……あれは、やつの本体じゃあなかった。幻獣に適当な肉付けをした傀儡かいらいだ」

「ガエムトはそれを嗅ぎ分けられなかったのか?」


 忌神を、その場の全員が注視する。


 誰より貪欲なこの神は、神でありながら他の神を喰らって己の血肉にすることができてしまう。

 そして非常に鋭敏なその嗅覚でもって、大陸じゅうのすべての神を嗅ぎ分け、その力の強さや刻まれた紋章までも匂いのみで理解する。


 ガエムトを前にして、その存在を偽ることなどできるはずがない。


「恐らくやつの本体は別の場所に隠してある。直接クシエリスル内部で動けるほど回復はしていない、と考えていいだろう。

 本体に養分を送るために傀儡を拵え、末裔であるララキを監視しながら、適当に人間を食い散らかしていたってわけだ。ここまでは辻褄が合う。


 問題は、その状態で創ったわりに傀儡の出来が良すぎるってことだよ。まんまとガエムトから逃げおおせたわけだからな。

 他にも中継地点があるんなら納得できるが、クシエリスルの内にやつの紋章があったら誰かが気づく。


 それで俺は思うんだがよ」


 カーシャ・カーイは、ほんの少しだけ寂しそうな口調で、神々に告げる。


「俺たちの……クシエリスルの神に、裏切り者がいるんじゃねえのか、ってな」


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