057 新たなる旅立ち

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 遣獣が一匹もいなくても、そのぶん時間とお金を使うだけで、帰れないわけではない。

 しかしそれは理論上の話であって、呆然として立ち尽くしている少女を見たらそんなことはとてもじゃないが言えない。

 そもそも自分の意思とは無関係に、外国に連れ去られてきたに近しい状況の彼女をほっぽり出すなんてララキにはできない。


 せめて送っていってあげなくては。

 それに、もう少しスニエリタと一緒にいたいという気持ちもある。


 ともかくスニエリタの肩を叩いて励まそうとした。大丈夫だよ、あたしたちでマヌルドまで連れてってあげるから、と。

 するとスニエリタはぶるぶる震え出してしまった。


 見ると、スニエリタは泣いていた。両眼から大粒の涙をぼろぼろと止め処なく零して、色白だった頬をりんごのように真っ赤に染め上げ、号泣としか言いようがないほど。

 しかも彼女は泣きながら、震えて途切れがちな声を搾り出すようにして、こんなことを言うのだった。


「か、かえり、たく……ないです……!」


 ララキとミルンはまたしても顔を見合わせた。このところ思わぬ展開ばかり続いている。


「帰りたくないって、なんで?」

「たぶんもう家を出て何週間も経ってるんだ、家の人間はめちゃくちゃ心配してると思うぞ。それに将軍家の人間が失踪なんてことになれば、軍とか動いてる可能性もあるし……ていうかたぶんもう動いてるだろうけど、どうせタヌマン・クリャが裏で妨害してたんだろうな」

「か、かえっても、わた、わたし、……ううぅ……うぅぅぅぁぁ……ッ!」


 そのあとしばらくスニエリタはわんわん泣き続けたので、とてもではないが建設的な会話などできそうになく、ふたりは彼女が落ち着くまで適当になだめながら待つしかなかった。


 意外なことに、ミルンは話を聞いてやるのが上手かった。たぶん家で妹相手によくそういうことをしていたのだろうとララキは思った。

 だんだんスニエリタも泣くことに疲れてきたようで、しゃくりあげながらも少しずつ、彼女のことを話し始める。


 そんなわけでミルンが聞き出したところによれば、こんな感じだった。



 なんでも彼女の父親であるクイネス将軍という人は、ものすごく厳しくて怖いらしい。

 スニエリタが何か失敗するたびに大きな声で怒鳴りつけ、ちゃんとできるようになるまで寝食を犠牲にしてでも指導するような、とにかくララキが想像しえないほど恐ろしい父親だったそうなのだ。


 そんな父親の元に育ったスニエリタはある日、人前で紋唱術を披露しなくてはならなくなった。


 これまたララキには想像しえない世界なのだが、なんでもマヌルドでは、というかマヌルドの貴族社会では、定期的にそういう催しが食事会などに合わせて行われるのだそうだ。

 貴族の子女はみんな紋唱術を習うのが当たり前で、同年代の子どもたちとは常に比べられ競わされていたらしい。


 その中でも伯爵家で将軍の娘であるスニエリタは、立場上誰よりも紋唱術が上手くなくてはいけない。

 よくわからないのだが、家柄とか親の役職が低いところの子より、上流の子のほうが技術的に上でないと許されないような空気があるらしい。


 もちろん父である将軍からの威圧感も尋常なものではないらしい。今度その"演技会"で失敗したら父の顔に泥を塗ることになってしまうので、スニエリタは必死に練習した。

 毎日毎日、寝る間も惜しんで練習した。練習の時点では、上手に出来ているかはともかく、問題はなかった。


 それなのに、いざ本番を迎えたところ、術がまともに発動しないという大失態を演じてしまった。


 他の貴族の子女からは笑われ、大人たちからは失笑され……ある意味スニエリタ以上に恥をかいた将軍の怒りは凄まじかった。

 一晩中罵られ、翌日から毎日それまで以上の修練を積むことを命じられた。それまで以上と言ったって、すでにスニエリタは充分なほどの時間を練習に費やしていたというのにだ。


 スニエリタは思った。

 自分には紋唱術の才能がないのだ。どんなに練習をしても上手くなんてならない。

 これから先、ずっとずっとこんなことが続いていくのだ、と。


 それで、彼女はアウレアシノンでいちばん高い城壁から、身を投げた。


「……わたしが覚えているのは、そこまでです……」


 ララキには、かける言葉もなかった。


 帰りたくないと泣き喚く理由としては充分だった。ララキにもいろいろ辛い経験はあるが、それでも本気で死のうと思ったことはほとんどない。

 死にたかったといえば、永遠に出られないと思っていた結界の中でくらいだ。


 だから、わかる。

 スニエリタにとっては実家が結界なのだろう。永遠に出られないと思えるような、ただひたすらに自分を苛むだけの牢獄なのだろう。


 もし自分がまたあの結界に戻れと言われたら、それこそ同じように泣き喚いて嫌がると思う。


「ですからお願いします……わたしを、おふたりの旅に……一緒に……連れて行ってください……っ」


 まだ涙の膜を張ったままの大きな瞳でスニエリタは訴える。

 できることなら何でもしますから、と叫ぶように言ったのも、心からの本音だろう。


「事情はわかった。……でも、逃げ続けることはできないと思ったほうがいい。一人娘なんだろ?」

「……はい……」

「他に家を継がせる人間がいないんじゃ、将軍は何がなんでも娘を探すのを諦めないだろう。しかも相手は軍人のお偉方だ。マヌルド軍を動かされたら、どう考えても俺らじゃ太刀打ちできない」

「でも、……いま家に帰っても、同じことの繰り返しだよね。せっかく生き返ってくれたのに、また死にたくなっちゃうかもしれない。

 あたしはそんなの嫌だよ。生きててほしい」


 ぎゅっとスニエリタを抱き締めると、彼女はちょっと驚いたようすで、ありがとうございます、と言った。


「そうだな……まあ、少しぐらい帰るのが遅くなってもいいか」

「ミルン!」

「必死こいて蘇生したのをを無駄にされるのもなんだしな。せめて、死にたいなんて思わないようにしてから帰らせる権利が俺らにあってもいいだろ。向こうにゃそんな理屈は通じねえだろうけど」

「……あーそういう考えかたするんだ。なるほどね、ミルンらしいや、あはは。

 とにかくこれで決定だね、改めてよろしく、スニエリタ!」

「あ……ありがとう、ございますっ……!」


 スニエリタはそう言いながらまた泣き始めたので、ララキはまた宥めなくてはいけなかった。

 どうやらほんもののスニエリタはかなりの泣き虫らしい。さすがに泣きすぎて最後には眼が真っ赤に腫れてしまった。


 そのあと、三人はフォレンケにアランの街まで送ってもらった。


 帰ってすぐに確認したところ、やっぱり結界に入っていた間は現実世界では一週間弱くらい行方不明という扱いになっていたらしい。

 とはいっても旅の人間をそこまで気にかけている人もそういないので、別に騒ぎになったりとか、そういうことはない。


 問題は紋唱車だ。貸出し期間超過による延滞料の発生である。


 ちなみに借りたときはミルンの名義だったので、延滞分の料金はミルンの個人口座から引き落とされることになり、ミルンは泣いた。

 いや泣きはしなかったがおおいに落ち込んだ。

 ちなみにどうでもいいがララキは自分の口座を作ったことがないので感心した。


 ちなみには気を利かせた宿の主人が先に送り返しておいてくれたので、ついでに一行は足も失った。


 しかもである。

 ここまではルーディーンの「ガエムトに会いなさい」の一言に従って行動してきたため、今後の方針がいっさい決まっていない。とりあえず食堂に入って朝食を摂りながら話し合うことにした。


 これからどこへ向かい、どのようにしてアンハナケウを目指すべきか。


「まあ基本的には、今までどおり宗教施設に行ってそこの神さまに挨拶してく方向でいいと思うんだけど」

「そうだな。で、そのたび向こうが試験とやらを仕掛けてくると」

「……あ、そっか、そういう感じだったね、今。

 うーん……試験は大変だけど、そうやって地道に神さまたちの信頼とかを得てくのがいいのかな。そのうち誰かが道を教えてくれるまで」

「なんつーか、わかっちゃいたけど果てしない道のりだな……すべては神の気分次第ってか」


 ララキとミルンが地図を広げながらあーでもないこーでもないと話している間、スニエリタは会話に混ざってはこなかった。まあここまでの記憶が一切ないので加わりようもないのだが。


 とりあえず、他の神に会うならまずはフォレンケの領域を出なければならない。

 忌神なら重複して他にもいるのかもしれないが、そのあたりは外から見てわかるものではないので除外して考える。


 現状ヴレンデールのほとんどはフォレンケを主神としているため、かなり外れのほうまで行くか、あるいは北か南に進路変更しなければならないだろう。


 北へ向かうとハーシ連邦西部に入ることになり、つまりはミルンの故郷である。ララキとしては一度くらい行ってみたいと思っている。


 南に向かうと、道中には名前も知らないような小さな神々の信仰地域があるようだが、最終的にはイキエスに戻る道となる。

 もちろんイキエス国内のすべての神をあたったわけではないので戻るという選択肢もありといえばありだ。


 西へ西へと突き進んでもよい。伝承においてはアンハナケウは大陸の西の果てにあるとされているので、実際に最西端の土地を見ておくのもいいだろう。

 もしかしたら何かの手がかりがあるかもしれないし、現地のみに伝わるような話が聞けるかもしれない。


「フォレンケに訊けばよかったね、次に誰と会うのがおすすめなのかとか」

「おまえだったら今からでも訊けそうだけどな。とりあえず呼びかけとけばまた夢とかで返事がくるんじゃねえの」

「そんな都合よくいくかなあ……?」

「まあこれからどういう進路をとるにしても、一旦首都まで出ておこう。ワクサレアと同じで訓練場があるはずだから。

 次の神の試験がどんなもんかわかんねえけど、それまでにスニエリタの調子を見ておきたい」


 そこで話題が自分に振られたと気づいたスニエリタは、涙目になってララキを見た。


「……あ、あの、すみません……試験、というのは……?」

「あー、なんか神さまの会議でね、あたしたちが誰かの信仰地域に入ったら、何かしらの問題を出されることになったらしいの。

 これまであったのはね、空間がめちゃくちゃになった迷路とか、遣獣のゾンビに襲われたりとか。


 ……あーっ大丈夫、どれもわりとなんとかなるやつだから! ね、ミルン!」

「そ、そんな大変な旅をなさってたとも知らず、無理やり連れて行ってくれなんて頼み込んで、わたし……ごめんなさい、ごめんなさい」

「いやいや、謝らないでいいし、落ち込まなくてもいいから!」

「……やれやれ」


 おろおろし始めるスニエリタを宥めるララキ、を見てミルンは苦笑いしている。


 しかしなんというか、ほんもののスニエリタはぜんぜんお嬢さまっぽくないな、とララキは思った。

 タヌマン・クリャに操られていたときの、自信に満ち溢れ堂々とした態度、やや高飛車でさえあった口調は何だったのだという感じだ。


 もしかしてあれはタヌマン・クリャがそれっぽく演技していたのだろうか。そりゃあララキたちはそれまでスニエリタに会ったことがなかったから、ほんものの性格なんて知らなかったわけで、ああいう如何にもお嬢さまですという立ち振る舞いのほうが自然ではある。


 自分は率先して同行させることを推してしまったが、今になって、こんなに気弱で大丈夫なんだろうかと心配になってきた。


 神々の試験は言うほど恐ろしくはない。実感として、命に関わるような危険な試験ではなく、気合と根性があればわりとなんとかなるものばかりだ。

 ただ今のスニエリタに気合と根性があるかと言われるとちょっと怪しい。


 それに、道行く先の神から吹っかけられるであろう試練などよりも怖いものがララキにはある。

 例えばタヌマン・クリャがふたたび現れて襲ってくる可能性、もしくはまたロディルに再会して実力を測ってもらう機会が訪れることである。

 前者は言うまでもないが、後者も侮れない。個人的にはそのへんの神より厳しい状態のロディルのほうが怖い。


 そういう意味ではミルンの言い分はもっともだ。スニエリタが別人になってしまった以上、一旦どこかで彼女の実力を再確認しておく必要がある。

 それによって、これまでのように頼っていいのかどうか、彼女の立ち位置をどうすればいいのかがわかる。


 もちろんスニエリタがどうであってもララキはララキ自身のために強くならねばならないことに変わりはないが、それとこれとは別の話だ。

 

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