050 忌深き国より還るもの
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「それにしてもみんな元気だねえ、もう夕方だってのに。そろそろ冷えるから中に入ったほうがよくない?」
「それがみんな嫌がるんですの。普段はあまりお庭で遊べないみたいで」
ヘビが苦手だとバレたらしいミルンが子どもたちにニンナをけしかけられているのを、ララキとスニエリタは生暖かい眼で見守った。
しかも逃げようとしてプンタンにぶつかって悲鳴を上げたぞこの人。もしかして両生類もダメなのか。
確か故郷は湖とか川とかがたくさんあるって聞いたんだけどなあ、おっかしいなあ。
すると今度は子どもたちの悲鳴も聞こえた。悲鳴といっても、かなり楽しそうな叫び声だったが。
何かと思ってそちらを見ると、子どもが何人か庭の隅の茂みを取り囲んでいる。
「どしたの?」
「あのね、そこになんかいるの。白いやつ。にゃんこかなあ」
「ねーねースニちゃん、あれ捕まえて」
「わかりました。ちょっと離れてくださいね。……嵐華の紋」
ご使命されたスニエリタが適当な風の紋唱を使うと、小さな竜巻が起こる。
茂みの奥に隠れていたらしい動物は風に巻き上げられて飛び出したが、そのまま大人しく捕まるわけもなく、子どもたちの足元をすり抜けて行こうとした。
「ニンナ!」
スニエリタが呼ぶと、ヘビは素早くそれを捕らえた。さすがの手際だ。
ニンナに咥えられた状態で、それでもまだ必死に逃げようともがいているのは、ネコではなくイタチだった。白い毛並みが美しい。
子どもたちはそれを撫で回して遊びたいという顔で、ぞろぞろニンナの周りに集まってくる。
ついでにヘビとカエルから逃れられてよろよろになったミルンも来た。
「にゃんこじゃないね」
「イタチですわね。せっかくですし遣獣に加えようかしら」
契約用の紋唱を始めるスニエリタを見て、いいなあ、と正直に羨ましがるララキだった。
さすがに腕の立つ人はこんなに簡単に捕まえられるんだな、と思った。ララキなんてプンタン一匹にそれはもう涙ぐましい努力をしたのに。
そう、思い起こせばだいたい二年くらい前のこと。実家があるヤラム市の近くにある密林に分け入って、なんでもいいから遣獣を手に入れようと躍起になっていたララキは、目にしたあらゆる獣に契約を迫りまくった。
南の森だけあって動物の数と種類だけは豊富だった。サルだけで数種類はいたし、ネズミの類にトカゲやヘビやワニ、色鮮やかな小鳥の数々、なんなら川魚にも挑戦した。
そして、すべてに敗れ去ったのだ。
契約を行うには、まず獣の動きを止めなくてはならない。契約の紋唱を描き、契約をお願いする旨の招言詩を読み上げる間に逃げられたらもうその時点で終わりだ。
さらに、読み上げてからも獣のほうで承諾してくれないことには契約が成立しない。
ララキの場合、まず捕まえて動きを止められるものがほとんどいなかった。しかも小動物をやっとのことで足止めしても契約を断られて終わった。
唯一「しょうがねえなァ……」と言ってくれたのがプンタンだったのである。
あの苦難の日々を思い出すと涙が出る。
いや、今からでも遅くはない。ララキの紋唱の腕は確実に上達しているのだ、この旅の中でももう一匹くらい増やせるはずだ。
出会いさえあればきっと。……もし次に何かの獣に出くわすことがあったら契約に挑戦しよう。
「……我が僕となり、ここに汝の名を明かせ」
招言詩を読み終えて、スニエリタがイタチの顔を覗きこむ。
詩はララキが知っているものと少し違ったが、たぶん彼女のはマヌルドの流派に則った招言詩なのだろう。
イタチがおとなしくなったので、ニンナはそれを地面に下ろした。
イタチはコミと名乗った。声と口調からするにメスだったようで、これはたぶんシェンダルが喜ぶだろうなとララキは思った。
そのあとコミは子どもたちに揉みくちゃにかわいがられる洗礼を受けた。
すでに疲れきっていたニンナはそれに助け舟を出さないし、プンタンはプンタンでひっぱりだこだったので、しばらく保育所では獣たちの阿鼻叫喚が響いていた。
やがて孤児院の夜勤職員が来て、本来はひとりだったはずの臨時職員がなぜか三人もいることと、予想外にでかいヘビとカエルとイタチがいることに驚いていた。無理もない。
ただ、ララキたちが勝手に入ったことについてはこれといって怒られることもなく、子どもたちの相手をしたことを感謝されたくらいだった。どうもここは慢性的な人手不足らしい。
帰る際には子どもたちに名残惜しがられ、中には号泣しながらプンタンとコミを拉致しようとした猛者もいたが、遣獣たちはそそくさと紋章に消えてしまったので余計泣かれた。ごめんね。
スニエリタは予定外の延長勤務になったので、少し多めにお給金がもらえたようだ。
受け取ったお金を共有資金袋に入れながらミルンが息を吐く。
満足げである。ほんとにお金が好きだなこの人。
夕食後、宿で一泊して、翌朝。
しっかり働いたせいか、昨夜は夢を見ることもなくぐっすりと眠れた。おかげさまで寝覚めもいい。
朝食を済ませてから支度をして、三人は霊廟スール・アランへ繰り出した。
アランの街から少し離れたところにあるが、徒歩で行けない距離ではない。
車は要らないだろうと宿に残し、三人は歩いて向かったが、これは少しばかり見込みが甘かった。
一歩踏み出すごとに砂が沈み込み、足がとられてなかなか思ったように進めない。大した距離じゃないとたかを括っていたのに、なんだかんだで廟に着くまでに小一時間かかってしまった。
帰るときはジャルギーヤに頼ろう、と思ったのは言うまでもない。
やっぱり空を飛べる遣獣がいると便利だ。
肝心の霊廟はというと、観光地化していないだけあって誰もおらず、小さくて地味な感じだった。
これもたぶん日干し煉瓦を積んで造ったのだろう、砂漠と同じ色をした低い壁でぐるりと囲まれている。入り口は小さく、ひとりずつ屈まないと通れないほど。
内部も同じような土の壁で、中心部が低い塔のようになっている。
そこに誰かが埋葬されているのだろう。これといって調べてこなかったが、こうして廟が残されているのだから王侯貴族の類ではあるはずだ。
一応失礼がないようにお参りしてみたが、ララキは南部のお墓参りの作法しか知らないので、それでよかったかどうかは死者のみぞ知る。
壁のそこかしこに紋章らしいものが刻まれているので、ミルンは熱心にメモしていた。
「他で見ないような図形がちらほらある。忌神に関する模様かもしれないな」
「ほんとだ」
しばらくあちこち見ていたが、珍しい図形のほかにこれといって新しい情報はなかった。
せっかく霊廟に来たのだから忌神に語りかけてみようかとも思ったが、忌女神サイナはララキに会いたくもないそうだし、ガエムトはフォレンケが会わせてくれることになっているので、あまり意味がない気がしてやめた。
それにしてもサイナの試験はいつになったら始まるんだろうか。なんかもう来るならさっさと来てほしい。
ひととおり見終わってから、ジャルギーヤを呼んでふたたびアランに戻る。
その先のことはまだ決めていないが、また適当に近場で宗教施設を探すしかないだろう。
結局フォレンケがいうところの試験とかいうやつが始まらないことには、ララキたちはどこにも進めない。
逆にこの状況が足枷のように思えてきた。
フォレンケにああ言われた以上、勝手にガエムトに接触するわけにはいかないし、そもそも接触方法もわからない。ただ言われるがままに神が何かするのを待っているだけ。
しょせん人間なんて神の手のひらの上で踊らされる存在なのね、なんて気持ちになりながら、足元に見えてきたアランの街を見下ろした。
そのとき、なにか違和感があったのは事実だ。
しかし具体的に何が変だと思ったのかまではわからなかったし、どのみちララキたちを試そうとしている神がいるのはわかっているので、敢えて何も言わずに街に下りた。
ただ、ミルンもスニエリタもどうやら同じ奇妙さを感じているようだった。
みんな無言になりながら、静かな街へと歩いていく。
そう、街は静まり返っていたのだ。違和感の正体はそれだった。
よくよく考えればジャルギーヤの背から街を見下ろしたとき、今朝まであんなに賑わっていた広場に誰もいなかったのだ。
こうして中を歩いていても誰も見かけない。水路を水が流れていく音と、砂漠を抜ける風の声が響くほかに、街の中に物音を立てるものは何もない。
無人の通りに、使う者のいない生活用品が空しく転がっている。
空の瓶や、ブリキの如雨露、小さなシャベル。
「どこにも誰もいないね。人だけじゃなくて、動物とか虫の気配もないみたい」
「ええ……これが"サイナの試験"なんでしょうか?」
広場まで進んでみるが、ほんとうにどこにも誰もいない。また結界に閉じ込められたのだろうか。
「不気味といえば不気味だが、だから何だって感じだな。ここで何をすりゃあ合格なんだ?」
ミルンがぼやくように言う。
たしかに、迷路だったら出口を探せばいいとわかるが、今のところは単に街から生きものの気配がなくなっただけだ。何かが襲ってくるわけでもない。
しいていえば、ずっとこのままだと今晩の宿が困るくらいか。でもそれもいざとなったら無人の家を一晩使わせてもらえばいい。
試験というと、何かこう具体的に困難な事態に陥らされて、それを解決せざるをえない状況になるものとばかり思っていた。
なんなんだろうと首を傾げるが、そういえばルーダン寺院で語りかけたときも『意見がまとまらなくて返事ができなかった』とかフォレンケが言っていたし、けっこう西の神々は適当な性格なのかもしれない。まあ、よく言って温厚というか、鷹揚というか。
ともかく、まず何をしたらいいのかを見つける必要がありそうだ。
なんでもいいから何かないか、とまず広場から探し回る。中心にある溜池を覗いてみたり、ベンチの下を覗いてみたり、花壇の草花を掻き分けてみたり。
「そういえば、今回も遣獣は呼べないんでしょうか」
「どうだろ。もしジャルギーヤが呼べるんなら、上から見てもらったら何かわかるかもね」
まあゲルメストラの前例があるのであまり期待はしていなかったが、とりあえずもう一度ジャルギーヤを呼んでもらう。こんなことなら一度引っ込めなかったほうがよかったかもしれない。
スニエリタの描いた紋章が黄金の輝きを放つ。そこまでは前と同じだ。ただ、迷路のときは何も出ないですぐに消えてしまったが。
光が揺らいで、そこから影が現れる。
「えっ……」
ずるり、と。
三人は言葉を失った。
それは、確かに大きなワシの姿をしていたけれど、いつものように優雅に舞い降りることはなかった。力なく地面に倒れ、ぴくりとも動かない。
スニエリタが慌てて声をかけた──ジャルギーヤ?
返事はない。風に煽られるまま、ワシの身体から抜け落ちた羽根が空を舞う。
一瞬、つんと鼻腔を嫌な臭いが押し上げたので、思わずララキは口許を押さえた。それは他のふたりも同様だった。
どう見てもこれは、死んでいるとしか思えない。でもどうしていきなりそんなことに。
スニエリタになんと声をかけていいかわからずに立ち尽くしていると、……ワシの死体がぶるりと震えた。
ぎょっとしてそちらを注視する。死んでいるはずのワシが、ゆっくりとその身をもたげる。翼を広げて、スニエリタの前に立つ。
すでに腐っていた肉が、どろどろと崩れ落ちていく。羽毛と腐肉の間から骨が覗いている。
眼球は両方ともぼろりと零れ落ち、空ろになった眼窩が、しかし確かにスニエリタを見下ろしている。
次の瞬間、ワシの死体は甲高い鳴声を上げた。その顔の前に浮かんだ紋章を見て、ミルンが咄嗟にスニエリタの腕を掴んで引き寄せる、
その直後に彼女が立っていたあたりを風の刃がずたずたに切り裂いた。
広場の地面を覆っていた日干し煉瓦に、もし当たっていたら死んでいたとしか思えないような禍々しい痕を残して。
「走れ!」
ミルンが叫ぶ。三人は通りのほうへと駆け出した。
背後ではずっと風刃の斬りつける音が鳴り響いているし、やや歪ながら羽ばたきの音も聞こえる。
ジャルギーヤが追いかけてきているのだ。もう振り返るのも恐ろしくて、とにかく走り続ける。
「建物の中に入りましょう! あの身体ですから、簡単には入ってこられないはずですわ!」
「わかった!」
そのまま三人は、転がり込むようにして近くの民家に飛び込んだ。
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