051 死襲の街
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室内にあった机や椅子を扉の前に積み上げる。これで少しは時間が稼げるだろうか。
外では絶えずジャルギーヤらしき化けものが暴れる音が響いていたが、どうやら煉瓦造りの家屋を破壊するほどの力はないらしい。
ひとまずの安全を確保し、三人は一息ついて、それから顔を見合わせた。
スニエリタは真っ青になっているが、無理もない。自分の遣獣があんな姿になった挙句に襲ってきたのだ。
だが、あれはほんとうにジャルギーヤなのだろうか。
もしそうなら、この試験を用意した忌神とやらは、三人に仲間の遣獣と戦えというのだろうか。
「スニエリタ、大丈夫?」
今はそう尋ねるしかできなかった。
あんなものを見せられたこと、攻撃しなければならないことを、スニエリタがどれくらい受け入れられるかを、確かめなければいけないと思った。
しかし、スニエリタは思ったよりも気丈に頷いた。
「さすがに少し驚きましたけど……あれはジャルギーヤではないと思います。呼び出したときに少し変な感じがしましたもの。きっとわたくしの紋唱を利用して、無理やり別のものを呼び出させたのですわ」
「そうか、……なら思いきり攻撃しても構わないな?」
「ええ。でもよかった、ワシが一羽だけなら対処もそれほど難しくは……」
スニエリタがそう言いかけて、黙り込んだ。
どうしたのかと思ったら、彼女は口許を押さえながら、そっとどこかに向けて指を指す。
窓の外。
くすんだ硝子の向こうに、クマがいた。焦茶色の毛並みは乱れてところどころ抜け落ち、そこから泥のようになった腐肉と骨を覗かせて、空ろな相貌をこちらに向けている。
「……嘘だろ……だって俺は呼んでな……」
ゲコッ。
ミルンの言葉を遮る音がある。聞き覚えのあるその鳴声は、どう考えても部屋の中からだ。
辺りを見回すと、いつの間にか扉の前に無造作に積み上げた椅子の上に、腐ったカエルが鎮座していた。その頭上には、消えかけだがたしかにプンタンを呼ぶときの紋章が浮かんでいる。
そして、カエルはもうひと鳴きで水の弾を作り上げた。
「あぁぁぁ!」
もう誰が上げた悲鳴なのかもわからない。
クマのぐずぐずに腐った腕が窓を破ったのと、カエルの水弾が三人を襲ったのはほとんど同時だった。硝子が飛び散り、悪臭が室内に満ちる。
カエルは、身体の大きさこそプンタンと同じだったが、水弾の威力はそうではなかった。正面からまともに喰らったララキは吹っ飛ばされて背後に壁に叩きつけられる。
一瞬意識が飛びそうになった。激痛を堪えてどうにか身体を起こすと、カエルは椅子から下りてララキのほうに近寄ろうとしている。
視界の隅で炎が上がるのが見えた。クマが何かしたらしかった。
もう室内も安全ではない。でも外にはワシとクマがいる。
いや、この状況からすると、たぶんヘビとイノシシとオオカミもいるだろう。なんならイタチもいるかもしれない。
どうすればいい、悩んでいる間もまたカエルの喉が膨らんでいく。
「……
黒い雷がカエルを吹き飛ばす。見るとスニエリタが紋唱を行っていた。
咄嗟にやったようだが、どうやら術はふつうに使えるようだ。それを見たミルンが自分も水系の術でクマを吹き飛ばした。
ただ、ララキは死体ガエルが焦げて吹き飛ぶ姿を見て、プンタンではないとは思いながらも胸が痛んだ。
クマにしてもそうだ。あれもきっとミーではないが、わざわざミーの姿を模している。それ自体にどういう意味があるのかはミルンの表情を見ればわかる。
くちびるを噛みしめた彼は、クマの姿が消えた窓の外をまだずっと睨んでいる。
「くそ……嫌な"試験"だな、ちくしょう」
「ララキさん、立てますか?」
「うん、ありがと。……あのカエル、死んじゃったのかな。もともと死んでたっぽいけど……」
「死んだ、というか、消えましたわね」
言われてみるとカエルの死体はどこにもなくなっていた。どう見ても死体だったが、一応攻撃すれば倒せるらしい。
「とにかく外に出よう。ただあのクマもどきがまだいるから気をつけろよ」
幸いこの建物には裏口があった。三人はできるだけ物音を立てないようにしながら外に出る。
また外は静かになっていて、どこに何が潜んでいるのかわからなかった。空を見上げてもワシの姿はない。
広場のほうを伺うと、やはりニンナと同じくらい大きなヘビが出現していた。
もちろんそれも死体だ。遠目から見ても身体がぐちゃぐちゃに崩れ、ところどころ骨が覗いているのがわかる。
一度に複数に襲われるのはかなりまずい。できれば一体ずつ撃破が好ましいので、他の死体が出てこないうちにヘビを始末するべきだろうか。
まず飛び出したのはミルンだった。ヘビもすぐに彼に気づいて鎌首をもたげる。ミルンは走りながら紋唱し、地属性の攻撃をぶつける。
泥水がヘビに直撃し、腐肉がめちゃくちゃに砕かれて辺りに撒き散らされた。かなりおぞましい光景だったが、ミルンは怯まず第二波を打つ。
「
三日月型をした氷の刃が降り注ぎ、あらわになっていたヘビの骨を斬り砕く。
やったか、と思った瞬間、ミルンは吹っ飛んだ。
彼をどつき飛ばしたのは……イノシシの死体だ。アルヌを模したそれが、泥を纏って突進してきたらしい。どこから来たのか、いつ飛び出したのかわからないほど速かった。
「ミルン! えっとえっと、……斬火の紋!」
ララキも駆け寄り、炎の術でイノシシを攻撃する。
紋章を描く間、招言詩を唱える間にも、あれはアルヌじゃないと胸の内で自分に言い聞かせながら。
細長い火の刃は後ろ脚を焼き切ったが、それではまだイノシシを止めるには足りない。死体イノシシは身体の向きを変え、空ろになった眼でララキを睨みながら、助走をつけようと地面を蹴っている。
とりあえずミルンから注意を逸らすのには成功したようだ。
次の紋唱を描いていると、背後でスニエリタが紋唱を行っている声が聞こえた。そちらも何かが出たらしい。
イノシシが走り出す。その瞬間ララキは次の術を放った。どれほどの速さで近づいてくるかはわかっているのだ、近づかれる前に打たなければ当たらない。
炎の華が爆発するように咲き、イノシシの腐肉を吹き飛ばしては焼き焦がす。
イノシシはほとんど骨だけになって、それでも疾駆する脚を止めることなく、すごい勢いでララキ目がけて走ってくる。
「水流の紋!」
フィナナでさんざん練習して、昨日も何十回と使った術だ。すっかり指に馴染んだ紋章から青く澄んだ水が溢れ出る。
奔流はイノシシの骨を包み込み、僅かに残った肉片を洗い落として、広場の向こうまで押し流していった。
その先に、今度はイタチの死体と戦っているミルンが見える。ヘビはもう倒したらしい。
振り返って確認すると、スニエリタはオオカミの形をしたものと戦っていた。
彼女にとっては苦い敗戦の思い出があるシェンダルを模した相手だ。逆に言えば相手の出かたを知っているので、氷に圧されないよう炎系の術を駆使して上手く応戦している。
次の瞬間、頭上に歪な羽ばたきを聞いて、ララキは反射的に飛びのいた。
案の定さっきまで立っていたあたりの地面がめちゃくちゃに抉れている。よりによってこのワシの相手をララキがすることになるとは、どう考えても無理だと思うが、今はミルンもスニエリタも手が離せる状況ではない。
ララキはともかく走り出した。背後から斬撃の音が追いかけてくる。
できるところまで対処して、あとは手が空いたふたりが助っ人にくるのを待つしかない。
「恵生の紋……」
走りながら、遠くの地面に樹の紋唱。蔦がぞろぞろと伸びていくのを、早く早くと心の中で急かす。
ララキの手持ちでワシの機動力を少しでも削げる術がこれしか思いつかないのだ、とにかく早く育ってくれ。
脇道に飛び込んだり、路地裏を通って隣の通りに移動したりして時間を稼ぐ。とにかく走る。
走って走って、それから頃合を見てもう一度同じ通りに戻った。
蔦は生え伸びながら掴めるものを探して蠢いている。ララキは迷わずそこに飛び込んだ。
ワシが追ってくる。風の刃を放つ瞬間、ほんの少しだけ高度を下げる、その僅かな隙を狙ってララキは叫んだ。
「──もういっちょ恵生の紋ッ!」
紋唱に押された蔦が、さらに高みを目指して天へと伸びる。その先はついにワシを捕らえた。
一本が到達すれば、残りの蔦も同じところを掴む。何本もの蔦に絡みつかれたらワシはもう容易には飛び立てない。
逃れようと暴れるワシから腐肉が垂れてララキにかかったが、怯むことなく次の紋唱を描く。
「傘火の紋!」
ワシが、悲鳴と呼ぶにはあまりにおどろおどろしい鳴声を上げて仰け反った。
悶えるたびに火花を纏ったどろどろの肉片が飛び散り、ララキに降り注いでは凄まじい臭いを放つので、さすがに吐きそうになる。込み上げてきたすっぱいものをどうにか堪え、這うようにして蔦から出た。
蔦が千切れる音がする。ここでワシに逃げられたら、もう次はない。
ララキは屈んだままの体勢で、なんとかもう一度炎の術を描く。
そこで青白い光がワシを貫いた。鞭のようにしなったその稲妻は、すでに朽ち続けていたワシの身体を今度こそ骨ばかりに引き裂き、ララキもそこへとどめとばかりに炎を撃ち込む。
ジャルギーヤを模したワシの死骸は、派手な音とともに爆裂四散した。
それを見届けたあと、さすがに精魂尽き果ててへたり込むララキに、駆け寄ってくる足音がある。ちゃんと質量のある人間のものだ。
スニエリタだろう、きっとさっきの雷の援護射撃も彼女だ。
ミルンは、大丈夫だろうか。あと一匹残っている……。
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