041 国境の街レルヴェドにて

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 先ほどから何度も行き止まりにぶつかっている。一旦もと来た道を戻ると、さっきまでなかったはずの別れ道がある。その先に進むとまた行き止まり。

 引き返し、立ち止まり、また進み、立ち止まる、その繰り返しを延々と。


 風や葉擦れの音も、動物や鳥の鳴き声もしない、息苦しいほどの静寂に、三人の困惑した呼吸だけが響いていた。


「……完全にやられたな」


 ミルンが苦々しく呟いた。足元で枝を踏み割ったのが、森の中でいやに響いた。




 ……。話は数時間前に遡る。


 ララキたち三人は、無事にワクサレア共和国西部の都市レルヴェドに到着した。

 寝台列車の旅はお世辞にも快適ではなかった(少なくとも約一名にとっては)が、ともかく朝の澄んだ空気に包まれながら降車し、市街地へと出る。


 市場で朝食を取りながら改めて今日の予定を確認した。


 まず、ミルンからのたってのお願いで、ララキとスニエリタで女性向けの品物を一点手に入れることになった。

 むろん彼にそういう相手がいないのはご存知のとおりなので、これは彼の妹アレクトリアへの贈り物である。


 というのもミルンはここで故郷に手紙のひとつもしたためようと考えているのだが、兄ロディルを連れて帰るという約束は当分果たせそうにないので、言葉だけでなく物でお詫びの意思を示さねばならない。と、いうことらしい。

 そんな即物的な謝罪姿勢でいいのかララキたちには疑問だったが、ミルンが言うには何もない田舎だからこそ言葉より物のほうが効果が高いらしい。

 あと約束とは別件で、もともと外国土産を所望されていたようだ。


 聞くところによればアレクトリアは十四歳。子どもっぽいものでは嫌がられるが、かといって大人っぽすぎるのも合わない、微妙な年齢である。


「予算は千ハンズくらいで、金はあとで払うわ。ものは俺には全然わからんから任せる」

「ふわっとした依頼だなぁもう……アクセサリーとかがいいのかな、ピアスかブローチか、ペンダント……は鎖が重いと送料かかっちゃうか」

「布製品がよろしいのでは? ハンカチとか、髪飾りはどうでしょうか」

「まだガキだからそっちのがいいかもな。そういやララキ、前から思ってたけど、おまえの頭のそれはどういう仕組みなんだ」


 ん?とララキは首を傾げ、それを見たミルンもあれ、という顔をし、スニエリタは両者の顔を交互に見比べた。


 それ、と改めてミルンが指した先はララキのオレンジ色をした頭頂部。ちょうどポニーテールの結び目より少し額側の部分からは、ふわふわと白っぽい毛が数本飛び出している。

 毛、というか、羽毛である。軸の太い毛からたくさんの細い毛が左右に伸びている。

 こちらもですよね、とスニエリタがポニーテールの先を手のひらで掬う。その毛先にも薄いエメラルド色をした飾り羽のような毛が数本混ざっている。


「あー、あたしのこれは飾りとかじゃなくて、生えてるやつだよ。地毛」

「……ほんとにおまえ古代人なんだな」


 古代ってなんだよ。そんなに古くないやい。たぶん。わかんないけど。


 そういえばライレマに拾われたばかりのときも、原始人のような外見のララキにママさんが戸惑いながら服を着せたり角飾りを外したりしていたときに、やはりこの羽毛を飾りと間違えられて引っ張られたことがあった。

 あのときはララキも意味がわからなくて、怖くて泣いて怒ってママさんを拒絶したものだ。

 でも、そのあとママさんはめげずに羽毛を傷つけないような櫛を探してきて、毎日きれいに梳かしてくれた。


 このポニーテールという髪型もママさんの提案だ。高いところで結っていると、その結び目に髪飾りを着けているように見えるので、事情を知らない人に余計な詮索をされなくて済む。

 ララキもこれまで誰かに羽毛のことを指摘されたら、『ママさんのお手製の髪飾り』と説明してきた。

 髪を結うのに使っている髪留めはママさん作なので、半分くらいは嘘ではない。


 改めて考えるとララキの養育のいちばんの貢献者はママさんだろう。


 いきなり自宅に神が押しかけてきて、しかも夫が二つ返事でどこの誰ともわからない全身紋章だらけの原始人を養女にしてしまい、最初はどんなに驚き戸惑ったかしれないが、一度も誰のことも責めないできちんとララキを育ててくれた。

 ほんとうは自分の子どもが欲しかっただろうに、ララキをその代わりとして申し分ないほどの愛情を注いでくれた。


 いつでもララキを見守って、ララキの怒りや喜びを受け止めて、悪いことをしたら叱ってくれた。

 喧嘩をしてくれた。泣きたいときに抱き締めてくれた。嬉しいときや楽しいとき、一緒に笑ってくれた。


 大人になったらママさんのような女性になりたいと、ララキはつねづね思っている。


「妹って髪長いの?」

「そりゃあもう、生まれてから一度も切ったことないからな。俺も旅に出る前に切るまでは長かった」

「ロディルさんも長かったですわね」


 まあそういうわけで、ララキとスニエリタはお手ごろ価格の髪飾りを探しに。


 ミルンは郵便局へ手紙を書きに行った。


 ちなみにどうしてフィナナや道中の街ではなくここレルヴェドで手紙を出すのかというと、国境に近い街のほうが外国に出す手紙に関して慣れた職員が多いから、というのが理由のひとつである。

 あと単純に料金とか、その他いろいろ手続き上も都合がよかったりもする。


 どこかへ送るのか大量の桃が籠いっぱいになって局の前に積まれているのを横目で見ながら局内へ。扉についていた鈴がちりんと鳴る。


 封筒と便箋がセットになっているものをひとつ購入し、奥にある机で書くことにした。


 しかし、いざ書こうとするとなかなか難しい。まずはロディルを連れ戻すという約束が果たせそうにないことを、どうやって説明したものか。


 ロディルの説得を諦めた、というか、そもそも初めから説得できるなどと思っていなかった。兄がどういう思いで故郷に戻らない決意をしたのか、概ねの原因はミルンが予め想像していたもので合っていたようだった。

 だが、その先の理由は少し違った。


 神の紋唱などという大それた発想は、兄にはなかった。

 もう少し堅実な道を歩くつもりなのだ。強くなる、と言っていたからには、その力を具体的な称号などの形で手に入れるつもりだろう。

 何の称号や賞賛をどれほど得れば満足するのかまでは、ミルンは知らないが。


 それが、彼の言うところの、『自分が水ハーシ族であることを誇りに思える』ときなのだろう。


 もっとも例の手紙の書きかたについてはさんざんロディルに文句を垂れてやったし、向こうも弁解の手紙くらいは出すように言ってある。ここでミルンから細かく説明してやる必要もなかろう。


 問題は自分のことだ。連れて帰るとか言っておきながら、兄を連れ戻すのはおろか、自分もこのまま里に戻らず旅を続ける決意をしてしまった。


 そのこと自体には一片の後悔もないが、妹にわかってもらうのは難しいと思う。


 アレクトリアは首都に出たことも、他の部族から差別じみた言葉をかけられたこともない、ただ自分たちは運が悪くて貧乏なだけだと思っているのだ。

 いつまでも子ども扱いしては悪いかもしれないが、ミルンの口から世の現実を伝えるのは気が引けた。というか、ミルンにはその覚悟がまだできていない。


 兄たちがどんな目に遭ってきたかなんて、できれば妹には言いたくない。妹にそんなものを負わせるような兄にはなりたくない。

 妹は守るものであって弱さを晒す相手ではない。……晒したくない。


 まだ白い部分のほうが多い便箋を眺めながら思った。ロディルはあの手紙を、どんな気持ちで書いたのだろう。


「……ごめんな、リェーチカ」


 ロディルの手紙を読んだとき、ミルンは裏切られたと思った。置いていかれた、とも。

 少なからず痛みを共有できる兄弟なのに、紋唱の腕でも決して足手まといにはならない自信があったのに、兄は何も語らずに消えてしまった。


 たぶんこういうことだろう。ミルンが妹にすべてを語れないように、きっとロディルも弟に何かを背負わせたくなかった。


 ミルンはそれでも自分の力で故郷を飛び出して、こうして世界を渡り歩いている。仲間も増えたし、とりあえず目指すものと、微かながらその手がかりも得た。


 紋唱術が使えるからだ。どこの国に行ってもそれだけである程度の自活ができる。


 妹は、そうではない。兄も自分もアレクトリアには何も教えなかった。何度もせがまれたのに、おまえには必要ないとかなんとか言って。

 だからこの先ミルンやロディルがどんな手紙を送ろうとも、アレクトリアはあの小さな村から出ることができないのだ。


 意地悪がしたかったわけではない。ただ村の外は手付かずの自然が溢れていて危険だから、その先の街々には嫌な人間がたくさんいるから、妹にはそういうものに触れずにいてほしいのだ。

 もちろんそれは兄たちの単なるエゴでしかないが、そのことで後悔はしていない。


 ──水ハーシであることを誇りに思える世界、か。


 息を吐いた。それが実現できたら心おきなく妹をあちこちに連れまわせるだろうな、と思った。


 だから、ごめんな、リェーチカ。それまでいい子で留守番しててくれ。

 ……なんて、当人に直接言ったらきっと子ども扱いするなと怒るに違いないが。


 手紙を書き上げ、軽く読み返して誤りがないか確かめてから、便箋をきれいに折り畳んだ。それを横に置いて、封筒の表に宛先を書く。

 そして、この封筒が遠く水ハーシの里まで無事に旅を終えられるように、上から保護の紋唱をかけた。


 そのあとしばらく切手の見本を眺めながら待っていると、何度目かの扉の鈴音とともにララキたちが入ってきた。


「お待たせしました、ミルンさん」

「ありがとな。いくらだ?」

「……920ハンズだけど、値段の前にまずモノを見ないかねえ」


 ララキには呆れられたが、見たところでミルンには良し悪しがわからないのだが。

 と言うと、ふたりはアレクトリアの外見を知らないのだから、似合うかどうか判断できるのはミルンだけだ、というようなことをスニエリタに言われた。もっともだが、似合うかどうかなんて見てもわからんぞ、とも思った。


 有無を言わせず見せられたのは、木製の細い棒にリボンがついた物体だった。


 一瞬なんだこれ耳かきか、とアホな感想がミルンの胸を去来したが、さすがにそれをそのまま口に出すほどにはアホではない。

 別れる前の会話をどうにか記憶から引っ張り出し、ハンカチか髪飾りを買うと言っていたことを思い出した。形からして後者だろう。棒の部分の用途はいまいちわからなかったが、たぶんリボンの部分を頭のどっかに着けるんだろうな。


 ……うーんまあ。そもそもわからんからふたりに任せたわけで。


「いいんじゃないか、たぶん。念のためそれにも保護紋唱かけとくか」

「たぶんって……」


 そんなこんなで妹宛ての釈明の手紙を出し終えた。

 郵便局を出て、時間もちょうどよかったので近くの店で昼食にした。


 朝食のときからなんとなく思っていたのだが、ララキとスニエリタで食べる速度が違いすぎる。ほぼ倍である。

 もちろんララキが速いほうで、スニエリタがゆっくりなほう。でもって食器の使いかたの丁寧さも言わずもがな。

 といってもララキも食べかたが汚いわけではないし、単にスニエリタがお上品すぎるだけだろう。


 しかし、ミルンも育ちが悪いほうではないのだが、同じものを食べていてもララキのほうが美味そうに見えるのだから不思議だった。表情とかの問題だろうか。


 ともかく腹ごしらえが済んだら国境越えの手続きをしなければならない。

 ワクサレアとヴレンデールの間にも川が流れている部分はあるが、レルヴェドから渡る場合は陸路で行ける。それも徒歩で問題ないほどの距離しかないらしい。馬車代などを考えなくてよいのはありがたかった。


 というのも、列車の運賃がそれなりのお値段なので、地下クラブで荒稼ぎした金もそろそろ少なくなってきたからである。

 しかも気づいたら三人分まとめてミルンが支払っていた。なぜかはミルン自身にもわからない。


 まあ三人で一緒に旅をしている以上、道中で稼いだ金は共同費用みたいな名前で管理したほうがよさそうか。……だよな?


 そのあたりははっきりさせたほうがいいだろうと思い提案してみたところ、じゃあ管理はミルンがよろしく、と即答で投げ返されて終わった。


「俺かよ」

「だって金銭感覚いちばんまともじゃん。ケチだし」

「一言余計だよ。でもまあその判断はよしとするか……スニエリタもいいか?」

「ええ。お任せしますわね」


 にっこり微笑んでお任せされてしまい、まあ断る理由もないので謹んで拝命した。

 というか自分でも、ララキやスニエリタには任せられないと思う。特に後者。


 食事を済ませて外に出ると、雲が増えたのか翳って薄暗くなっていた。西の空が怪しい色合いになっているが、この時期の雨は短時間で断続的に振ることが多いので、国境越えの妨げにはならないだろう。そもそも紋唱術師に雨具は不要だ。


 越境事務所へ行き、手続きを行う。クシエリスルのおかげか大陸全体で情勢が安定しているため、外国人だろうが国境を行き来するのはそれほど難しくない。

 イキエスを出たときもそうだったが、書類を一枚ばかり書くだけで済むので、時間もあまりかからない。ありがたいことである。


 ただ書類を書いている間に聞こえてきた、まわりの他の旅行者の会話が気にかかった。


 どうも最近ワクサレア領内でひどい事件があったらしい。まだ調査中で詳しいことはわかっていないようだが、どうもどこかの外国の軍が関わっているらしく、もしかしたら今後は越境手続きが煩雑になるかもしれない。最悪国境封鎖もありうるかも、などという噂話だった。

 気になったので事務所内にあった新聞置き場を見てみたが、ちょうど誰かが持ち出しているようで棚は空だった。


 クシエリスル合意の協定がある以上滅多なことは起こりにくいが、それも絶対ではない。人間には同じような国際的な取り決めがないからだ。

 信仰を理由にする争いはなくなっても、それ以外で、人間自身の考えによる戦争は起こりうる。もしそういう事態になったら神々はどうするのだろう。


 国境を自由に越えて歩いてきた旅人にとっては情勢悪化ほど迷惑なことはないが、かといって一個人でできる対策などありはしない。

 そうは言っても少しでも状況を把握しておきたい、せめてどこの国の軍かくらいは知りたかったが、三人ともが書類を書き終えるまでに新聞は戻ってこなかった。


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