040 彼女は待ち望み、彼は欺く
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かつて神々の会議により、神は人と必要以上に関わってはならないと定められた。
人の世は人が動かさなくてはならない。よって神の一存で人や獣の宿命を歪めてはならない。
なぜならこの大陸には神が多く立ちすぎた。それぞれが自由気ままに振舞っているといつかすべての生命が滅んでしまう。
それは信仰と祈りを力の源とする神自身にとっても無益なことで、それを防ぐためにクシエリスル合意が行われた。神々の行動を制限し、大地と生命を守るために。
かつてそれを最初に提唱したのは、他ならぬヌダ・アフラムシカだった。
彼は気高く、誠実だったが、何より強い神だった。強大な神だったからこそ、皆がそれを受け入れようと思えた。
また、合意に従うということはすなわち彼のような強い神を弱体化させる意味合いがあったので、それゆえに従った弱い神もいた。
つまりアフラムシカは、己の強さより平和を望んだのだ。ルーディーンはその心に従って合意を受け入れた。
その意思は今も変わらない。それゆえ誰に何と言われようとも平気だ。
たとえララキという娘がもとはクシエリスルの外にいたとしても、やはりその生命を歪めるべきではない。アフラムシカがそう判断したのだとルーディーンにはわかる。
「えー、都合によりお越しいただけないオヤシシコロカムラギさまに代わり、ワタクシ、パレッタ・パレッタ・パレッタがこの場を取り仕切らせていただきまする」
スズメの姿をした低級な神がルーディーンの前に出る。
これは裁判だ。ルーディーンの行いの是非を、すべての神が判ずる。
アンハナケウにおいてすべての神は同等の立場となり、間違っていたという結論が出れば、たとえ盟主であろうが裁きを受けることになる。
ルーディーンは姿勢を正した。
そして、思った。──私はこうして裁きを受ける。でも、アフラムシカにはその機会すら与えられていない。
それが、女神には納得がいかなかった。
「まずルーディーン女神の申し開きを受けたいと思いまする。先に申し上げておきまするが、あー、皆々さまがたにおかれましては、女神の発言が終わりますまでは、口を挟まないでいただきまする」
「ありがとう、パレッタ」
「……ルーディーン女神におかれましては、ワタクシが許可を出したとき以外は口を閉じておいてくださいませれ。
えー、では、女神ルーディーン。汝は何ゆえ『呪われた民』の末裔たる娘を幇助したのか?」
神々の視線が一斉にルーディーンに注がれる。そこに混じる数多の感情がルーディーンを刺すが、神のヒツジは揺らがない。
「順を追って説明します。事前にヴニェク・スーよりララキなる娘が北上している旨を伺っておりました。
皆さまご存知のとおり、彼女は呪われた民の末裔であり、かつてタヌマン・クリャが地上に結界を敷いて幽閉していた娘です。ヌダ・アフラムシカが結界を破壊し、彼の加護を与えたことにより、今日まで生き延びたようです。
私はその是非を問うつもりはありません。ただ、かの獅子神がそのような行動をとったことに何らかの意味があったのは間違いないものと確信しています。それゆえ私も彼女を害することは──」
「何の意味があるというのだ! わたしはアフラムシカから何も聞いてはおらんぞ!」
「ヴニェク・スー女神、ルーディーン女神の発言中でする、お控えくださいませれ」
「……娘は私の民による紋言開きに立会い、私に問いかけました。娘は、ここアンハナケウを目指していると言いましたが、彼女に敵意は感じられなかった。
いま、ヴニェク・スーよりヌダ・アフラムシカの意図を聞いていない旨の発言がありましたが、そのとおりです。なぜなら我々は彼を招請して真意を問うことをしなかった。それどころか彼をクシエリスルから一時除名し、己の意思ではここに入れないようにさえした。私はあのとき、それを止められなかったことを悔いています。
それからひとつ、明らかにしておきたいことがあります。私が彼女を個人的に幇助したと勘違いされているようですが、我が領域内を侵犯するタヌマン・クリャの存在がなければ、私もそこまではしなかったでしょう。
かの外神は今も彼女に執着し、彼女を追って大陸を北上、さらにこれより西方へと侵略すると考えられます」
ルーディーンの発言により、大陸西部に信仰地域を持つ神々がざわめき始める。
それはあのカーシャ・カーイでさえそうだ。彼より弱い神々ならよりその名を恐ろしく聞いたことだろう。
外の神と呼ばれたものはもともとタヌマン・クリャだけではなかった。神々が同じ規定に従うべしという『クシエリスル合意』はあまりにも革新的すぎて、すぐに受け入れられなかった神も少なくなかったのだ。
盟主七柱を核とするクシエリスル派と、それを拒んだ他の神々との間で、激しい争いになったのも無理はない。
争いは人間をも巻き込んだ。多くが死に、大地を傷つけた。
その中で形勢不利とみてクシエリスルに寝返った者、争いに敗れて消え去った者を除き、最後まで『外の神』として残っていたのがタヌマン・クリャと彼の傘下にあった弱い神や魔物たちだ。そして、タヌマン・クリャは配下を己の眷属として呑み込むような形で支配したので、外の神は彼が唯一の存在となった。
たった一柱でクシエリスルの連合に対抗する力を持った邪神。ルーディーンとて彼に一切の恐れを抱かないとはいえない。
そこでカーシャ・カーイが前脚を上げ、発言の許可を求めた。
「パレッタよ、俺たちもそろそろ口を開いていいか。ルーディーンに聞きたいことがある」
「あー、よろしいですか、ルーディーン女神?」
「かまいません」
「よし。じゃあまずどうしてタヌマン・クリャは西に来るんだってことだ。……その娘に何か言ったんじゃねえか?」
「はい。ガエムトを尋ねるように指示しました」
カーイは顔をしかめ、なんでまた、と言う。他の西の神々も同様だ。
なお、今日ここにはガエムトも呼ばれているのだが、気まぐれなその神の姿は見当たらない。
「タヌマン・クリャが娘の近くに潜んでいるのはたしかですが、具体的な位置が掴めなかったからです。
気配はありますが、もともと南の地を滅ぼした時点でかの外神の勢力はかなり縮小しましたから、微弱な影をさらに隠して行動しているとなると発見は困難です。
また、それが人の中ともなれば我々は手出しができない」
「ハン……それでガエムトの嗅覚を頼ろうって話か。
だが、やつは問題がある。タヌマン・クリャだけ上手に
「私もそう思います。だからこそ娘にとってはひとつの試練となるでしょう」
「はは、あんた存外意地が悪いな」
「……私は、私の領域内でタヌマン・クリャを自由にさせたくなかった。放っておけば再び強大化してクシエリスルを脅かす存在となるのは目に見えていますから。それが今回は結果的にアフラムシカやララキを助ける形になったのです。
あとの判断はあなたがた西方の神々に委ねましょう。むろん外の神への対処も含めて……」
ルーディーンはそう言ってカーイらを眺めた。
クシエリスル西部に属する神は、ヤマネコ、フクロウ、サソリ、サンショウウオ、ハト、ジャッカルなど、低級なものを合わせて十以上いる。それよりさらに格の低い霊の類を合わせれば倍以上ともなる。
その誰もが、不安そうな顔でルーディーンから眼を逸らした。
まともにルーディーンの視線を受けられたのはカーイと数柱だけだ。外の神への恐怖よりもルーディーンへの不信が勝ったか、あるいは別の感情があるのかはさておき。
しばらく場は沈黙に没し、いずれの神も事態への認識を改めたようだった。
やがて一柱の神が挙手した。今度はシカの姿をした、ルーディーンと同じく中央部に信仰地域を構えるゲルメストラという名の神だった。盟主ではないがクシエリスルにも早くから加わっていた古株だ。
「現在、彼らは貴女の領域から私の領域に渡ろうとしている。ルーディーン、貴女の言論にはどうも、神が個々で判断して対処してよいように受け取れる部分があるが、ならば私が己の判断で彼らを排除しても構わないのか?」
「もちろん、私はあなたにも今後の判断を委ねたつもりです。
ですがララキに同行している者、少なくとも私に語りかけた時点で傍にいた人間たちは、いずれもクシエリスルの内にある。ララキとてヌダ・アフラムシカの加護を受けている以上は同様に扱うべきだと私は考えます」
「了解した。それでは私は私の方法で、彼らが真にアンハナケウに到達すべきかどうか吟味するとしよう。
……そういえばヴニェク・スーは既に攻撃を加えたと聞いているが、それはクシエリスルには抵触しないのかな?」
嫌味な発言にヴニェクは勢い立ち上がろうとしたが、傍にいたほかの神々によってなんとか宥められた。
ヴニェクを違反者と断じてしまうと話がややこしくなってしまうので、それは司会役のパレッタとしても有難くないのだろう、慌てたようすでぱたぱた飛び回る。それを前脚でぱっと掴んだカーシャ・カーイがからからと笑って言った。
「ま、いいんじゃねえか。それぞれ自分の
「ボクはアフラムシカを連れてきてくれるのは嬉しいな、もう何年も会ってないし。ね、ヴニェクもほんとは──むぎゅっ」
「しーっ、火に油を注いじゃダメだよ」
「聞こえてるぞ。ふん、どいつもこいつもルーディーンには甘い」
「日頃の行いだろ?
ところでパレッタ、ここらで議題を変えようや。
呪われた民の末裔がまだいた、誰がそいつに手助けした、なんてのはこの際大した問題でもねえ。そいつがタヌマン・クリャをくっつけてここに来ようとしてることのほうが重大だろ」
「もっともですが、その前にワタクシを離してくだされ……」
やっと解放されたパレッタ・パレッタ・パレッタは、ぼさぼさになった羽毛を軽く整えてから司会席代わりの切り株に戻った。
「えー、カーシャ・カーイ神より議題変更の申し出がありました。異論なければ受け入れたいのでするが……」
神々の話し合いは、そのあとも延々と続いた。
クシエリスルという大きな枠の中になんとか納まっているものの、それぞれの神の主張は異なる。
ルーディーンのようにアフラムシカに好意的で彼の意思を尊重した者もいれば、逆に敵対心が強くて反発する者もいる。
もちろん反対意見を述べる者が必ずしも敵というわけではない。各々、自分の立場から意見を発すればこそ、そうなるのだ。
南の神々ほどタヌマン・クリャへの怒りが強い。敗走し南の果てへ去った彼と最後まで戦ったのは彼らだからだ。
彼らの意見からすれば、そもそもアフラムシカがララキを生かしたことが間違いなのだ。彼女の出自が呪われた民である以上、今はアフラムシカの加護の内にあるとはいっても、タヌマン・クリャからすれば"己の民"なのだから。
彼女が存在し続ける以上、外の神もまた滅びることがないのだと彼らは言う。
その考えは正しいし、間違っている。
神とてすべてを見抜けるわけではない。いや、仰々しく神などと名乗ってはいるが、いわば格の高い精霊である自分たちを、人間がそう呼んで敬意を払ってくれているだけだ。
そういう人間を守らねばならないとルーディーンは思う。他の神も同様で、自分の民を守るために外の神と戦うし、アフラムシカを非難するのだ。
己に祈りを捧げたことのないたったひとりの少女と、懐の内にある大勢の民を天秤にかけて、前者を選ぶ神などそうそういない。
だが、タヌマン・クリャを滅ぼすことだけが平和の道だろうかと、ルーディーンは思う。
もちろん彼は今さらこちら側に与することはないだろう、力を取り戻せば必ず攻撃してくるには違いない。そうなればクシエリスルの神々は団結して戦うだろう。
問題はそのあとだ。外神が滅んだところで、次の外神が現れる可能性、クシエリスル内で分裂する可能性は、充分にある。今は共通の敵があるから並んでいられるだけで、自分たちの結束は決して強いとはいえない。
何が正しい道なのかなど、誰にもわからないのだ。
だからルーディーンは語りたかった。ヌダ・アフラムシカが戻ってきて、七柱の盟主が揃って言葉を交わす日を、今はただ待っていた。
* * *
ララキとミルンがお昼ごはんを食べ終わってまったりしていると、スニエリタが戻ってきた。
ずいぶん機嫌がよさそうだったが、結局どんな人と会ったのか、どんな話をしたのかは話してくれなかった。ララキは果敢にも訊きまくってみたのだがぜんぶ華麗にはぐらかされたのだ。
まあ話したくないのなら無理に訊くのも悪いかな、と思いつつ、一緒に旅をしていく仲間なのに秘密が多すぎるのもどうかとも思う。
なので、ねえねえ、とまだ食い下がる。
「スニエリタって、どうして秘密主義なの?」
「あら、そういうつもりでは。とくにお話する必要がないと思っているだけですわ。それに……」
いたずらっぽく笑って、スニエリタは言った。──女には秘密があるものでしょう?
「……そうなの?」
「なんで俺に訊くんだよ。おまえは俺が女に見えんのか」
「いや見えないけどさ、あたしよりいろいろ知ってそうだなと思って」
「……悪いけどそういうのは俺も疎いほうだよ……」
それもそうか。男女わけ隔てなく対応が雑だもんね、あなた。
そんなわけでちょっとミルンを不機嫌にさせつつ三人は夜行列車に乗り込んだ。
客席はすべて指定席で、椅子ではなく簡素な寝台になっており、それぞれカーテンで間仕切りができるようになっている。
しかし例によっていちばんランクの低い席なので寝台は薄い、硬い、ぐらぐらする、の三重苦が揃っていた。しかも間仕切りのカーテンにも穴と染みと破れが抜かりなく揃っている。
こりゃあまともに寝れないだろうな、とララキはスニエリタを見た。自分はもはや石より柔らかければ平気だがスニエリタはそうもいくまい。
案の定、お嬢さまは口許を押さえて絶句している。
しかしこればかりは慣れてもらうしかないので、ララキは彼女の肩を叩き、がんばれ、と言うしかなかった。
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