039 神は集い、人は散る

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 それは、空の彼方からやってきた。


 マヌルド帝国軍帝都治安部ロンショット中隊所属、高速部隊レンネルク小隊は、前方より向かってくるその人影に驚愕した。

 飛行するワシの姿にこそ見覚えはなかったが、そこに騎乗する人物は、彼らが捜索し連れ戻すよう命ぜられているスニエリタその人だったからだ。


 小隊長であるレンネルクは貴族ではないが、軍内の式典等において父親とともに出席していた少女の顔を覚えている。また僅かにではあるが言葉も交わした。

 そのときの印象と、向かってくる少女の雰囲気があまりにも違うため、あるいは別人かと思ったが、明らかに彼女はこちらに向かってきている。


 手信号で部隊員に指示を出し、スニエリタを包むようにして両翼を拡げた陣形をとる。彼女がレンネルクの前で停止したときには、前後左右、なんなら上下まで隙なく少女を囲んだ状態になった。


 とはいえいきなり戦闘を行うつもりはない。相手はなんといっても不出来で知られるスニエリタであったし、見たところ彼女はひとりきり。こちらは三十人近い構成員を抱えた小隊で、ほとんど数だけで脅しに近い状況だ。

 それに上官ロンショットからは、極力戦闘は避け、無傷で連れ戻すようにと言われている。


 おおかた向こうも追われていることに気づいて諦めて戻ってきたのだろうと思いながら、レンネルクは口を開いた。


「スニエリタお嬢さまですね」

「そのとおりですが……あなたがたはどちらさまでしょう? わたくしを追っていらっしゃるようですけど」

「我々はロンショット中隊所属の兵士で、あなたを捜索するべく特別編成された部隊です。将軍閣下はあなたを大変心配しておられますよ。もちろんあなたのお母さまも。

 さあ、我々とともにアウレアシノンにお戻りください」


 スニエリタは黙ってそれを聞いていた。


 沈黙を肯定と受け取り、彼女に近寄る。そして自分が騎乗しているタカに彼女を乗り移らせようと、スニエリタの手を取ったところで、その手が力強く振り払われた。


「……素直に戻っていただけませんと、我々とて軍人です、実力行使に及ぶまでですよ」


 脅しのつもりで低い声でそう告げる。だが、まだスニエリタは答えない。


 また手信号を周囲に送る。部隊員たちもめいめい騎乗している鳥の首筋を叩き、スニエリタとの距離をじわじわと詰めていく。

 拒否したところで逃がすつもりはないのだ。どうしても言うことを聞かないというなら、気絶させてでも無理やり連れ帰るしかない。


 さあ、と手を差し出す。これが最後通牒だ。


「僭越ながら、あなたでは我々を退けることなど不可能です。大人しく従っていただきたい」

「……"それは"」

「はい?」

「"将軍、というのは、この娘の父親のことかね?"」


 急に。


 スニエリタの声音が変わった。たしかに彼女が喋る声のままだったが、レンネルクには、その喉を借りて、違う誰かが話しているようだと思えた。

 それに口調もおかしい。なぜ自分のことを、この娘、などと言うのか。


 奇妙に思ったレンネルクが彼女の顔を覗きこむと、スニエリタは笑っていた。


 くちびるの端をひきつらせて、歪な笑みを浮かべていた。ぞっとして思わずその場でのけぞる。


 これは、違う。スニエリタじゃあない。この少女は、この、少女の中にいるのは……!


 それにスニエリタはこんなに色が白くなかった。色白ではあったが、こんな青白い肌はしていなかった。


 では、これは誰だ?


 急にスニエリタから笑顔が消えうせ、無表情になり、そのまま顔だけレンネルクを向いた。

 だがその視線は定まっていない。両腕はぐったりと垂れ下がり、身体のどこにも力が入っていない、まるで糸を断ち切られた操り人形のような姿だった。その状態でどうしてワシから落ちずにいられるのかわからない。


 ワシもまた、主の変容に少しも動ぜず、平然とその場で翼をゆったり鳴らしていた。何もかもが異常だった。


『残念だったなあ、この娘はとうに死んだよ……父親が殺したってさ……』


 人形がぐらぐら揺れた。身体だけ、笑っているつもりなのだろうか。

 表情を失ったまま、瞳にも何の色も灯さずに、身体だけがおかしそうに震えている。その光景にレンネルクは言葉を失い、ただ、ああ、と意味のない音が喉から漏れた。


 ──死んだ? 父親が、殺した? どういうことだ?


 わけがわからない。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られたが、身体がちっとも言うことをきかない。

 これでも中隊長であるロンショット少佐に認められ、小隊長の地位を預かる誉れ高きマヌルド軍人であるレンネルクが、子どものように涙ぐんで震えていた。


 恐ろしい。目の前の"これ"が、恐ろしくて仕方がない。


 それもただ恐ろしいのではない。我が身を害される恐怖と同様に、のが怖い。


 死んだというのがほんとうなら、この少女は死体なのか? それならどうして動いている? 誰が操っているというのだ?


 そのあとも、スニエリタの口は少しも動かないのに、どこからか声が聞こえる。すでに彼女の愛らしい声ではなく、男とも女ともつかない、高くもなく低くもない奇妙な声だった。


『当人が要らないと言ったんだ、私が使ってもかまわんだろう。え? 人間よ。

 戻って将軍とやらに伝えろ、と言いたいところだが……私もまだ力が足りぬでなあ、我がとなれよ』




 その日、ワクサレア共和国中部のエトー街道沿いのとある町で、おぞましい事件が発生した。


 空から大量の血と、細切れになった人の身体の一部が降ってきたのだ。


 住民の通報に駆けつけた憲兵の捜査により、遺体が身に着けていたと思われる鎧や衣服の破片から、マヌルド帝国軍のものだと判明した。

 また、遺体は三十人分近くあったほか、欠損が多く見とめられた。


 ワクサレア政府はすぐにマヌルドに連絡し、無断で領空を侵犯した旨で訴えるとともに、この事件の捜査に協力するよう通達した。

 マヌルド側でもすぐに捜査し、事件発生時刻以降に連絡がとれなくなっていた小隊があることを確認したが、彼らがなぜワクサレア領内を飛行していたのかは公表しなかった。そのため領空侵犯の件はしばらく後まで両者の議論が続くことになった。


 ただ、何かが起きたとされるのは町のはるか上空であったため、目撃者もおらず、事件あるいは事故の原因は突き止められなかった。

 迷宮入りするかと思われたこの事件の真相判明には、事件発生から一年近く待たねばならなかった。



 * * *



 どういうことだ、と誰かが言った。

 勝手な真似をするな、と別の誰かも言った。


 ルーディーンは顔を上げた。

 彼女の目前には大小さまざまな世界中の獣たちが集まっている。それが、そのほとんどは大陸で名を持つ神々なのである。四ツ脚の獣もいれば、脚のないヘビも、鳥も、魚や虫も、ありとあらゆる獣がいる。


 これほどの数が一堂に会するのはクシエリスルの会議以来だろうか。

 そんな状況ではなかったが、ルーディーンは懐かしくすら思った。


 あのときと違うのはライオンの姿がないことだ。ほかに外見の似たような獣がいないでもないが、あの気高いヌダ・アフラムシカはいない。彼はもう自力ではここに現れることもできないのだから当然だ。


 アンハナケウ。ここが、すべてを始めた場所。

 そしていつか、すべてが終わるときも、きっと全員がここに集まる。


「いやに落ち着いているな、ルーディーン。己の立場がわかっているのか?」


 大翼をしばたたかせて一柱の女神がルーディーンに詰め寄った。相手もできるだけ静かに話そうと努めてはいるようだったが、声音に怒気が滲んでいるし、生来の気性の荒さは少しも隠せていない。


「ヴニェク・スー。私は私が正しいと思う判断をしたまでです」

「それが他の神の反感を買っているからこういう状況になったのだろうが」

「最も反感を抱いているのは貴女のようですね」

「当たり前だろう!」


 ヴニェクが猛ると暴風が吹き荒れる。

 突風によってルーディーンの巻き毛もひどく乱れたが、女神は少しも気にしないで佇み続けた。


 間違ったことはしていない。言い訳の必要もない。だから、ルーディーンは落ち着いている。


「ルーディーン、わたしは初めてクシエリスルを忌々しいと思った。あの規定のせいでわたしはあの小娘を殺すことすらできないのだから」

「よい娘でしたよ。タヌマン・クリャの眷属に傷つけられた私の心配などするような、純粋な娘です」

「──そりゃああの堅物のアフラムシカが気に入る女だからな」


 突然女神たちの会話に割り込んできた者があった。灰銀の毛並みをしたオオカミの神だ。

 神らしからぬ荒い口調で、また神に似つかわしくない態度で、彼はルーディーンの肩を抱く。


「どういう意味です? カーシャ・カーイ」

「ヴニェクの態度を見てりゃあわかるだろ。アフラムシカはそいつを……」

「それ以上わたしを侮辱するようならこの場で切り刻むぞ犬神」

「ハン、俺はイヌじゃねえ、オオカミさ。そっちこそルーディーンに当たり散らしてんじゃねえよみっともない。

 ルーディーン、俺はあんたの味方だぜ。アフラムシカには味方したくはないけどな」

「……どちらでもよいので前脚を退けなさい、カーイ」

「チェッ」


 ルーディーンがきつく睨むと、カーシャ・カーイは尻尾を巻いて彼女から離れた。


 このような軽薄な態度からは想像もつかないが、これでも彼は大陸北方に広く信仰地域を抱える大神で、信じられないことにクシエリスルの盟主の一柱でもある。

 もっとも人間の信仰は自由であるべきだと『合意』にも刻まれているし、彼らが好き好んでこの神を祀りたいのならルーディーンに口を挟む権利はない。


 正直、ルーディーン個人としてはカーイは少し苦手な存在でもある。向こうはどうもルーディーンにちょっかいを出したくて仕方がないようで、それが鬱陶しくもある。

 今回ばかりはヴニェクの怒りを逸らしてくれたあたり、ほんとうにこちらの味方をする気があるのかもしれないが。


 そう、ルーディーンは劣勢なのだ。

 こうしてアンハナケウに神々が集まったのは、ルーディーンがララキという少女を手助けした件について、ヴニェク・スーをはじめとする数柱の神から訴えがあったからである──『ルーディーンはクシエリスルに反した可能性がある』と。


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