036 盟主顕現① - 青原の主、実り豊けきワクサールの慈母、あるいは不可触の女神
:::
問題解決の糸口を求めてあちこちで聞きまわってみるが、基本的には議員から聞いた以上の話は出てこなかった。
まず町の人間の大半は昨日以外で直接目撃していないため、持っている情報がほとんど伝聞系。
稀に目撃したらしい人がいても、そういう人はたいてい輸送業を営んでいたりして、だいたい町の外に出てしまっているので掴まらない。
そして恐らく町の人よりよほど情報を持っていそうな紋唱術師たちだが、こちらは懸賞金目当てのため簡単には情報を渡してくれないのだった。報酬の分け前が減ってしまうのを嫌がって協力したがらないのだ。
そんなこんなで話を聞きにいった術師からすげなく追い払われ、を朝から何度も繰り返し、いい加減疲れたララキはちょっと腹を立てながらベンチに座った。
まったくどいつもこいつも、お金の心配なんてしている場合ではないだろうに。
もしかして、ララキの事情を説明すればひとりくらいは協力してくれるかもしれないが、それはちょっと勇気がいるし、言いふらしたくはないし、……いや、ふつうの感覚の人間なら外の神の名前を聞いた時点で身を引くか。
それに昨夜の戦闘に参加していた術師の何人かはすでに町を出て行ったようだった。
どーしたもんかね、と腕組みをして悩んでいたら、見ず知らずの旅の術師がひとり、ララキの前に歩いてきた。
「どうも。お隣、いいですか」
「どうぞ。……ついでに獣について知ってることがあったら教えてほしいんだけど」
「命が惜しければ関わらないべきだ、ってことぐらいですよ。あなた、昨日派手に爆発してた方ですよね? ならわかったでしょう、あれはふつうの獣じゃあないって」
「わかったから調べてるの。お兄さんはこれから逃げるくち?」
「そんなところです。ルーディーニ・ワクサルスを見るのを諦めてまで粘りましたが、どうも私には荷が重そうなので」
ララキはつい術師を睨むように見つめながら、言った。
「それなら、行っちゃう前に知ってることをぜんぶ話してよ。何かないの? たとえば、獣の種類は昨日見たやつ以外にも見たことある? ほんとに攻撃がなんにも通じないの?」
「いやあ、私が見ただけでも種類は毎度違うので……攻撃はほんとうに何も通じませんよ。昨夜のように数人がかりで対処しようとしたことも何度もありましたが、全員得意な属性も違う──いわば互いの弱点を補える状態で戦ったのに、誰一人手応えを感じた者はいなかった」
「そっか。はあー……あれ以外にもたくさんいるのか……」
ついに頭を抱えだしたララキを見て術師のお兄さんは苦笑いをした。
だが、その数秒後、はっと何かに気づいたような顔をして、もしかしたら、と言った。
どうしたのかと尋ねるも、術師は首を振る。大したことではありません、と言って。
大したことではないかどうかはこちらが決めるから、なんでもいいから話してほしい。
「いや、でも、何の関係があるのかわからないし……。その、ですから、獣の種類ですよ。毎回違うと言いましたが、ひとつだけ共通点があるんです」
「色が黒い、以外で?」
「ええ。毎回、必ず鳥類が一種類はいます。都度、タカやカラスだったり、もっと小さな鳥だったりしますが」
鳥、という言葉を聞いて、ララキの脳裏にあのハヤブサの幻獣がよぎった。ヴニェク・スーの使いの鳥だ。
ここへきて新しい可能性に気づいてしまったのかもしれない、と思ったが、しかしその考えはすぐに打ち消した。
あれからずっと何もしてこなかったヴニェク・スーが今さら攻撃してきたとは思えない。
それにヴニェクのハヤブサは真っ黒ではなかった。昨夜の獣のように術を駆使した攻撃もしてこなかった。
だいたいヴニェクだってクシエリスルの神なのだ、勝手に
だから、考えられるのは、タヌマン・クリャもまた鳥の姿を持つ神だったのではないか、ということだ。
しかしそれがわかったところで何にもならないのだが。
とりあえずお兄さんにはお礼を言って、ひとまずミルンたちに報告することにした。
別行動中なので探さなくてはいけない。
もしかしてふたりで一緒にいるかな、と思ったがそんなことはなかった。とりあえず収穫がないと顔に書いてあるミルンを見つけたので、鳥の話を簡潔に伝える。
返ってきた言葉は「で、だから何だよ」。わかってらい。
わりとすぐスニエリタも見つかった。彼女もあまり収穫はなさそうだ。
「とりあえずタヌマン・クリャの使役っていう前提で考えるとだ、ヴニェクのときと同じように獣を出現させる紋章がどこかに出現してると考えられる。そっちを探して叩けば事態は収まるかもしれん」
「なるほど。紋章の捜索・破壊とその間の陽動とで、分担作業になりますわね」
「待って、簡単に言うけどヴニェク・スーのときの紋章は壊せなかったじゃん」
「……ああ。だから仕方ねえけど、今回もシッカに頼るしかないと思う。だから壊すほうはおまえに頼むわ」
「そ、そんな……」
また、シッカの力を借りなくてはいけないのか。
ララキは愕然とした。でも薄々、内心では、気づいていた。相手が神である以上、人の力で立ち向かうには限界がある。
クシエリスルの神であるヴニェク・スーでさえ、その加護の中にあるはずのミルンに対してあんな仕打ちをしたのに、外の神であるタヌマン・クリャなどもっと容赦がないだろう。
まだララキには自力でかの神に抗う力がない。それは受け入れよう。でも、この先もずっとこんなことが続くのではないかと思うと、やりきれなくなる。
いつまでシッカを頼ればいいのだろう。いつまで、シッカの力を借りることができるだろう。
困惑し、なかなか頷くことができないララキを嘲笑うように、また町の中が慌しくなる。
走っている人がいて、そしてやっぱり獣の咆哮が響いていた。民家の向こうに炎の柱が立ち上るのも見えた。
まだ昼間だというのに、獣たちが襲来していた。しかも今度は町の真ん中だ。
逃げ惑う住民と、対照的に獣へと走っていく紋唱術師たち。
俺たちも行こうとミルンが言い、そうですわねとスニエリタが答える。
迷っている場合ではない。迷っているような時間を、かの神は与えてくれない。
もしかしたらそれが狙いなのかもしれない。ララキに有無を言わさずシッカを呼び出させ、彼の消耗を早めることが。
そうは思っても、でも、他にララキができることなんて何もないのだ。
くちびるを噛んだ。血の味がして、そこがぎりりと痛むのを、ララキはしっかり覚えた。
シッカはきっとこの何倍も苦しい。その何分の一かでもララキが味わわなければいけないと思った。
「ミルン、探索の紋唱を教えて。たぶん紋章にも使えるよね」
「わかった。──まず雫型をわざと破綻させて描く。それを十字型に四つだ」
「わたくし、先に行って住民の方を避難させてまいります」
「うん、気をつけてね!」
言われたとおりに紋章を描き、招言詩を唱える。──探刃の紋!
「……出た!」
「すぐには消えないから、持ち歩いて場所を絞り込め。じゃあ俺も行くから、頼んだぜ!」
言うなりミルンが駆けていく。
その背中を見送りながら、あなたも気をつけて、と声に出さずに祈った。
光っている紋章の縁を無理やり掴む。手袋越しならそういう芸当もできるのだ。
それを抱えて、針だか剣だかを表しているという雫の先が差す方角へとララキも走った。全速力で、とにかく走った。
角を曲がり、路地を抜け、ひたすら針の示す先へ。
さきほどから心臓がびりびりと痛むのは走っているせいだろうか。それとも、これもシッカの痛みなら、そうならいいのに。
果たしてララキは、ついにそれらしい紋章の元に辿りついた。
漆黒に滲むそれは、光を放っているというよりは、そこだけ闇に落ち込んでいると表現したほうが正しい。
その暗さは昨夜見たトラの瞳にもよく似ていた。だから間違いないと断言できる。
しかもそこはふつうの町角だった。戦闘が行われている近辺からは離れているものの、ふつうに人通りもある。
教会らしい建物の壁に浮かんだ禍々しい紋様と、それに険しい表情で対峙しているララキを見て、通りすがった住民がなにごとかと騒ぎ立てるので、それに気づいて他の紋唱術師もちらほら現れ始めた。
まずい。この紋章を誰かが攻撃したら、恐らく以前のミルンのように怪我をする。その前に対処しなければ。
手が震えるのを逆の手で叩いて叱咤する。そして、あの紋章を描くのだ。
「っ……あ、あれ、手が……」
いざ描こうとしたら、ララキの手はぴたりと止まってしまった。
気持ちの問題ではない。まるで誰かに手首を掴まれて止められているようだった。ぞっとして悲鳴を上げそうになったララキの耳元で、声がした。
──落ち着いて。"あれ"に近寄ってはいけません。
この、声。
聞いたことがある。それに、さっきからなんだか、額が熱い。
「あ……"
ララキの口から、ララキの声で、ララキの意志とは異なる言葉が出てくる。
ララキの手が、ララキの指で、ララキの思いとは異なる紋章を描く。
柔らかな筆致の連円とそれを貫く正方形。その縁には多角形を幾つもあしらい、内には鉤形の意匠を施し、またいくつもの花紋で彩りを添える。
優美で可憐、それでいて清廉とした美しさを感じる紋様。
それは、ついさっきミルンの手帳で見たものとまったく同じ紋章だった。
「"
我に応え顕現せよ、清白の地羊──"……る、ルーディーン!?」
信じがたかったが、それ以外に考えようがない。
たしかにじりじりと熱を帯びているのはあのときキスされた場所で、白い光を放つ紋章から飛び出したのも、間違いなく夢で会った羊の神だった。
呆然と立ち尽くすララキの目前に、たおやかとすら思える仕草でルーディーンは下り立った。
晴れた日の雲を纏ったような純白の巻き毛は、昼日中の眩しさの中でも白金色にきらめいて見える。
ルーディーンは爪先まで真っ白な脚でしっかりと大地に立つと、蹄でかつかつと石畳を打ちながら、目前の紋章を睨みつけた。闇の紋章が、その眼差しに怯えたようにぐにゃりと歪む。
だが、形を歪ませながらも紋章が不気味に輝くと、そこから吐き出されるように何かが顕現した。
それは影そのもののように真っ黒な、なおかつ身の丈は三メートルをゆうに越えているほどの大きなコブラヘビだった。
コブラは地面に着くなり鎌首をもたげて頚部を大きく拡げ、しゅーっという特有の威嚇音を発しながらルーディーンに対峙する。紋章が壊されるのを阻んでいるのだ。
このコブラの相手を引き受けようとララキは指を構えるが、すぐさまルーディーンが振り返って言った──手出しは無用です。
『あのような影には何の力も通じません。むしろそれこそがタヌマン・クリャの思う壺です』
「……! やっぱりタヌマン・クリャなの!?」
『クシエリスルの内で
「吸い上げ……って」
まさか。黒い獣たちに攻撃が通じないのではなく、術が吸収されていたというのか。
そしてそれが、そのままタヌマン・クリャの力になってしまう……ルーディーンが言っているのはそういう意味だろうか。
ルーディーンはコブラをしっかと睨みながら、頭上に浮かべた紋唱ではあくまで闇の紋章のみを狙っている。
それをただ見ているしかできないララキは背筋に冷たいものを感じていた。
街道付近での獣害はもう何日も続いていて、懸賞金目当てに各地から腕の立つ紋唱術師たちが集まっているのだ。もともと全国的に有名な大祭の時期だったせいで、その数は少なくとも宿に空きがないほど。
そして、みんなが惜しみなく術を放ち続けている。
通用しないとわかって途中で撤退する人や、深追いしすぎて命を落とした人までいるが、基本的に彼らは情報を共有しようとしない。だからどんどん次の術師が現れて、また何も知らずに戦ってしまう。
一体、今日までに何人の術師が、どれだけの術を、どれほど獣に放ってきたのだろうか。
→
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます