035 お風呂でひとやすみ
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ララキのたちの悪い冗談のせいで、ミルンは無駄にもやもやしながら女子組の入浴を待つことになってしまった。
もちろん覗こうなんて気は一ミリたりともなかった。それはもう神に誓って言える。
ていうかララキは服装的に身体の線がだいだい出ているので覗かんでも体型の想像はつく。
問題はスニエリタ。こう、ふわっとした丈の長い上着とゆるっとしたチュニックを着用しているため、こちらは見た目でどうなのかわからない。
そうなのである。
今まで何とも思ってなかったが、ララキがアホなことを抜かしていったせいで、そういえばスニエリタってどういう体型してんのかわからんな、と思い至ってしまったのだ。
別に彼女に対してそういう感情があるわけではないので至極どうでもいいことなのだが一度思い浮かんでしまうとなかなか頭を離れてくれずとりあえずいろんなパターンを想像してみてはなんかどれもしっくりいかないな、……と無駄に真剣に考察を始めてしまったこちらもバカ正直なミルンだった。
腕は細いし、足もとりあえずチュニックの裾から覗いている膝から下は細い。これで太腿だけ太ましいということもないだろう。
ジャルギーヤに乗って戦うスタイルだからそもそも体重はしっかり管理していそうだ。
となると胸もあんまりないんだろうか。いや、膨らみはちゃんとあった。
ただ服の上から見ているだけなのでその下がどうなっているのかは神のみぞ知る、防具とか下着とかの都合で実際より大きく見えている可能性もあるだろう。
もちろん大きければいいわけでもないが、でも理想はやっぱり手からちょっとはみ出
「って俺は何を考えてんだ!?」
……。
などとミルン少年が歳相応の苦悩に悶えていたとき、ララキとスニエリタは久しぶりのお風呂を楽しんでいた。
もちろん旅の宿もよほどのことがなければ風呂くらいついている。
ただしフィナナではそのよほどのレベルの宿だったし、ララキは銭湯を使いたくないのでせっせと身体を拭くので精一杯だったのだ。
一応ララキがママさんと呼んで慕っているライレマの妻から伝統の臭い取り薬液の作りかたを教わっていたので、たぶん体臭とか衛生面の問題はクリアできていたと思うが、それでもやっぱり湯に身体を浸けて休めないのは辛かった。
それに今日は盥ではなく浴槽である。しかも町の名士のお宅だけあって、広々としたタイル張りの立派なものだ。
これならふたり一緒に入れるね、とはしゃいでから、お互い服を脱ぐ。
「せっかくだし髪も洗おうかなぁ」
「そうですね」
髪を解いていると、スニエリタがふとララキを見て言った。
「……その身体の紋章、ずいぶん薄くなってますわね」
「あ、……うん、長いことせんせーたちが頑張ってくれたから。最初は顔にもあったんだよ」
「そうなんですか。すいません、嫌なことを聞いてしまって」
「ううん、大丈夫。それより早く入ろ!」
それにしてもスニエリタは白いなあ、と思うララキであった。
生まれた国が違うのだから当然だが、スニエリタのような白い肌では夏の日差しに耐えられないのではなかろうか。この子はハブルサでは暮らせないな。
全体的にすべすべしたきれいな肌だったが、腰のところに消えかけの薄い痣がある。
それどうしたの、と聞くと、ミルンさんにジャルギーヤから落とされたときのものですわ、とスニエリタはにっこり微笑んで答えた。
顔は笑っているが眼が笑っていない。怖い。一応聞いてみたところによれば
「それにしてもさ、なんだったんだろうね、あの獣たち」
「なにか人為的なものを感じましたわ。なんというか……どう見ても、このあたりの野生動物とは思えませんし」
「見た目も変だったし、妙に強かったし、それに何より攻撃が通じないなんてさあ」
浴槽のふちに顎を乗っけて、むーんと唸る。
「……あたしさ、吹き飛ばしたときに心の中で聞いてみたんだ。タヌマン・クリャと関係があるのかって」
「まあ、どうしてです?」
「や、ただの勘なんだけど、ほら、変な夢のこともあったから。まだ会ってもないガエムトよりはそっちのほうに気をつけたほうがいいかな、と思ってたし。
でね、あのトラ、気のせいかもしれないけど、一瞬ニヤって笑ったんだ」
あのとき獣は向かい風に対抗している状態だったから、風圧で顔の皮や筋肉が震えてそういうふうに見えただけなのかもしれない。炎と爆風の中でララキもそんなにはっきりと見たわけではない。
それにもしあれが外神の差し金だったとして、何のためにそんなことをする必要があるのか。
ララキを殺すなり連れ戻すなりしたいのなら直接ララキを襲えばいい。何の関係もない町の人や見ず知らずの紋唱術師たちを傷つける意味が、どこにあるというのか。
ただ、神の行動というのはときどき理に適っていないように見えることがある。
ヴニェク・スーという前例がそれをララキに教えてくれた。
そちらも明らかに怒りの対象はララキなのに、いつも傷つけられたのは他の人間だ。ジェッケの町の小さな男の子だったり、ミルンだったり。
もしかしたら彼らなりの理由が何かあるのかもしれないが、ララキには納得できない。
だから、また念じてみるのだ。
──おい、タヌマン・クリャとかいう悪いやつ。狙うなら直接あたしを狙いなよ!
めいっぱい頭の中で叫んでみたが、何の反応もない。急に外が騒がしくなったりとか、あるいはララキが気絶してそのままどこかの結界に連れ去られるような展開は、ない。
何度まばたきをしてもここは議員さんちの風呂場で目の前はスニエリタがお湯に使っている。
だいぶ温まってきたようで、スニエリタの白い肌がすっかり桃色に染まっている。そろそろ出ようか。
ララキとスニエリタがすっかりさっぱりほっこりして出てくると、居間でミルンがなんか知らんが頭を抱えていた。
頭を抱えたいのはこっちだよと思いながら、お風呂空いたよと伝えると、ミルンはなんか知らんがやたらにビクッとして顔を上げた。そしてなんか知らんがめちゃくちゃ眼を逸らしながら浴室へと消えていった。
……なんなんだ。
ミルンが出てくるのを待っている間、暇だったので台所仕事をしている家政婦さんを勝手に手伝ったりしながら時間を潰す。
家政婦さんは困り顔で、やめてくださいお客さまなんですから、とか言っていたが、ララキはこの状況でじっとしていられるような性格ではなかった。それに実家ではよくママさんを手伝っていたのだ。
スニエリタも手伝おうとしてくれたが、なんていうか料理は無理そうだったので、お皿を並べるほうを担当してもらう。
あんなに恐ろしい手つきで包丁を持つ人をララキは初めて見たし、もう二度と見たくない。
そうこうしていたらミルンも出てきた。
ついでに奥さんの容態を見にいっていたらしい議員さんも戻ってきて、ララキたちが夕飯の支度を手伝っているのを見て眼を丸くした。こちらにもやめてくださいと止められたが、どのみちもうほとんど用意は終わっていた。
夕食をいただきながら、獣害について詳しく聞いてみる。
「獣が出るようになったのは一週間ほど前からですね。おっしゃるとおり、種類も数もばらばらで、とにかく見た目が黒一色であるという点だけが共通しています。一匹だけのときもあるようですが、たいてい数匹で……それでも今日ほどたくさん出たことは今までありませんでした」
「死者も出ているとお聞きしました。奥さまがご無事で何よりですわ」
「ありがとうございます。皆さんがいなければ、私の妻が町民で初めての被害者になってしまうところだった。
まさか町の中にまで入ってくるようになるなんて。この町はエトー街道があってこそ発展してこられたのに……物資もすべて街道を通って届くのです、このまま封鎖し続けるわけにもいきませんし、かといって今日のようなことが続けばこの町は終わってしまう」
「町の中も安全ではないとなれば、移住を考える人も出てくるんじゃないですか?」
「そのとおりです」
心底困っているようすで議員さんが答える。やはりそういう職業の人からすれば住民の流出がいちばんの痛手なのだろう。
「あの、あの、ちょっと待って。奥さんが初めてになりかけたってことは、まだ町の人はあんまり襲われたりしてないってことなの?」
「ええ、獣は街道で人を襲っていたので、被害者の大半は荷馬車の御者と旅の術師の方です。ルーディーニ・ワクサルスがあったのでそれなりに町の住民も行き来してはいたのですが、どうやらここからフィナナ方面にはあまり出なかったようですね」
ララキの疑念が現実味を帯びてきた。
やはりあの獣たちはタヌマン・クリャの差し金で、ララキを追って町の中まで入ってきたのではないか、という考えだ。
できれば思い違いであってほしい。あってほしいが、どうしてもジェッケの町で幻獣に襲われたときに、祭司の放った言葉が脳裏に蘇る。
こんなことは今までなかった、というワナエア氏の狼狽しきった言葉が。
ララキが訪れた場所で、またしても過去に例のないことが起こっている。偶然で済ませていいものか。
食後、ミルンにも笑ったトラのことを話した。そしてララキが抱えている疑念のことも。
するとここでさらに驚愕の事実が判明してしまった。
ルーディーニ・ワクサルスの夜、ララキがルーディーンに呼ばれて気絶していた間にあの儀礼用額縁に"降り"た紋唱のことだ。
なんでも紋唱が出現後、祭司たちのようすがおかしかったので問い詰めてみたところ、彼らが本来用意したものとは違う図柄が浮かび上がってしまったというのだ。
ミルンはそれも手帳に描き写していたので見せてもらったが、とりあえず見たことがない意匠でどういう意味のある紋章かはわからなかった。
そして、それも、祭司たちが言うには『前例のないこと』だという。
「紋言開きの最中といえば、ちょうどララキさんはルーディーンにお会いしていたころですわね」
「ああ、絶対意味があると思う。ルーディーンは何か言ってなかったか? それに夢でシッカが警告してきたのって、このことなんじゃねえのか?」
「うーん……紋唱の話はしなかったと思うけど……それに、夢で出てきた『手』、動物とかじゃなかったよ。いや人間でもなかったけど、でもとりあえずさっきの獣たちの中にそれっぽいのはいなかった」
上手く説明できなかったが、あれは獣の手ではなかった。獣じみた肌の質感ではあったが、骨格は人間っぽかったというか、とりあえず知っている動物にあのような脚を持つものはいない。だいたいイヌやサルやトラだったらすぐにわかる。
それにルーディーンもちょっと話しただけで、その内容もあんまり全面的には協力しづらい、みたいな話だった気がする。しいていえば額に口付けられたことぐらいだ。
「とにかく、なんとかしてあの獣を追っ払うか倒すかしないと! 町の人も困ってるし」
「そうは言っても攻撃がまったく効かないんだぞ。吹き飛ばすのはできるけど、それじゃまた襲われる。それに……あいつらなんか妙だよな。やたら強いっていうか、なんかこう……」
「"使役されているようだ"、でしょうか?」
ミルンが言葉を途切らせたその先を、スニエリタが紡いだ。ミルンはなんとも言えない顔をして頷く。
恐らくミルンも半信半疑というか確信が持てないでいたのだろうが、彼だけでなくスニエリタもそう思うのなら、もう他に考えようがない。
使役されている。すなわち、誰かと契約した遣獣ということになる。
「でも言葉なんて喋ってなかったよね。黙ってただけかもしれないけど」
「わからねえよ。遣獣が人の言語で話すのは、人間と契約した結果なわけだからな。
……あいつらの主が人間でないものだったら。それこそ神の類なら、あらゆる獣の言葉をはなから理解できるだろうから、わざわざ
それなら、やはりタヌマン・クリャの仕業なのだろうか。
これ以上考えても無駄だというので、その日は寝ることにした。しかしこれまた久しぶりに穴ひとつ空いていないふかふかのベッドだというのに、どうしても獣害への対処についてもやもやと考え込んでしまったせいで、心地よい感触を楽しむ余裕はほとんどなかった。
眠りも浅くなってしまったが、これといった夢も見ないまま眼を醒ます。
ご厚意に甘えて朝食までいただいたあと、三人は町へ出た。
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